森田雄&林真理子が聴く「Web系キャリア探訪」

55歳で博報堂を早期退職! 安定した会社員生活から飛び出した理由

55歳で博報堂を早期退職し、現在はスタートアップ企業の支援をしている塩田透氏に、仕事への取り組み方やキャリア観を聞いた。
 

55歳で博報堂を早期退職。現在は、マルチコネクトプロデューサーという肩書でスタートアップ企業の支援などに携わる塩田透氏。「博報堂の看板をなくしたらどうなるか」という命題に自ら取り組む塩田氏だが、現在は「やりたいこと=仕事」になり、日々充実しているという。本連載でも早期退職した方は初めて。これまでの経歴やその決意の背景、現在の活動内容やこれからについてお話をうかがった。

Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。
インタビュアーは、Webデザイン黎明期から業界をよく知るIA/UXデザイナーの森田雄氏と、クリエイティブ職の人材育成に長く携わるトレーニングディレクター/キャリアカウンセラーの林真理子氏。

Webの初の仕事で、生活者と直接つながる場所を作る

林: 塩田さんが最初にWebに触れたのは、いつ頃ですか?

塩田: 1995年、阪神淡路大震災があった31歳の時です。震災のとき、私はすでに博報堂の関西支社に勤めていましたが、広告代理店は生活者とつながっていないことを実感しました。私には師匠が二人いますが、そのうちの一人から「これからはクライアント企業ではなく、生活者の代理店にならなければいけない。そのためには、Webやインターネットを使って生活者と直接つながる必要がある」と言われました。

その後、師匠が関西地区で、ITに関わる人たちのコミュニティを私的に作り、そこで学ぶ機会がありました。また2001年に関西どっとコムというブログサービスを立ち上げました。これは、関西の地域情報サイトであり、生活者の話題をサーバのログから解析して、分析するようなサービスも行っていました。予算が潤沢にあったものの、私はシステム方面の知識がないので、立ち上げ時に予算の2/3が消えるという失敗から始まりましたが、これが本格的に携わった初のWeb関連の仕事でした。

※2008年9月末でサービスは終了

林: 博報堂には新卒で入社されたんですよね。何年にご入社を?

塩田: 1987年です。就職協定の改定があった年で、企業がたくさん内定を出した時期です。博報堂を選んだのは、父親の影響が大きいです。父親は乳酸飲料の営業部長で、今でいうデータマーケティングをやっていました。全国から集まったデータを週末に見て、翌日から全国を回って改善をしていくような仕事です。父親は「社員のために働く管理系の仕事以外、すべての仕事は顧客のために働く」とよく言っていました。

ただお恥ずかしい話、博報堂に就職するまで自分は、ガキ大将タイプで、常にグループのトップにいたのですが、入社してから周囲の優秀さに驚きました。「こんな奴らと一緒に働くのか……。これは彼らの3倍は働かないと追いつかないぞ」と。

ですから、マスメディアへの広告出稿などをクライアントに提案する広告代理店の普通の仕事に加えて、イベントなどでB2Bのリードを取るような企画提案の仕事もしていました。とはいえ、死ぬ気で働いても優秀な彼らには追いつけなかったので、「テレビの仕事はそういう人がやればいい、自分は人がやらないこと、新しいことをやって生きていこう」と考えました。

マルチコネクトプロデューサー 塩田透氏

2000年代はWebサービスに注力した博報堂営業時代

林: 新しいことをやっていこう、という思いからインターネットへ軸足を移したのですね。どういうところに可能性を感じたのでしょうか?

塩田: 広告代理店はメディアの枠を売りますが、メディアは持っていません。メディアはオーディエンスを持っているので、その枠を買いたい企業を代理店が仲介します。もしも100万人のコミュニティをインターネットで作れれば、そこがメディアとなってイベント集客、商品開発、広告などいろいろな活動ができる、と教えられてやってみたいと思いました。

師匠からは、「インターネットは情報を置く場所である。相互にリンクができて、双方向でコミュニケーションできるのが特徴だ」と教わりました。これまでのマスメディアとの違いを感じて、新しいことをやっていきたいと思いました。

森田: 部署的には、デジタル系の部門だったのですか?

塩田: 立場としては営業です。2000年代はクライアント企業のWebサイト制作、メディア出稿、口コミ分析など、デジタル領域の仕事があれば何でも引き受けていました。2011年にデジタルメディアとマスメディアを融合させる支社長直下の部署が関西支社にできて、そこに異動することになります。

森田雄氏(聞き手)

どんな仕事も断らない。他の人が避ける最先端の仕事が降ってくるように

林: 市場にデジタル領域の案件が増えたことで部署が設置された、ということでしょうか?

塩田: そうですね。実は私が博報堂時代にキャリア転換の意思表示を自らしたのは、会社を辞める時だけです。インターネットに軸足を移していったのも、師匠に誘われたことが大きな理由です。今まで携わった仕事のほとんどが「これやって」とお願いされるものに応えていくスタイルでした。

ある時、私がチームリーダーをしていた営業部門の売り上げが3倍に伸長しました。上司に売り上げが伸びた理由を聞くと、「お前は仕事を断らないから。数をこなせば、そのなかでヒットするものもあるよね」と言われました。がむしゃらに働かないと、周囲との差が埋まらない中で自分は「どんな仕事も断らない」をモットーに仕事を進めていたら、いつしか誰もやったことのない最先端の仕事がどんどん回ってくるようになりました。

森田: 新しいことは、おもしろいからやりたいだろうけどリスクを考えると手を出さないって人も多そうですもんね。そういう案件が塩田さんにまわってくるのですね。

塩田: 私は自分ではできないのですが、できる人を見つけてくることができるので、それで仕事が成り立っていました。

森田: 仕事の仕方がインターネット的ですよね。インターネットは情報を制御できませんが、流れているものが見えてつながることができる。

塩田: 博報堂の看板にも助けてもらいました。一緒に仕事をする人も、博報堂の仕事ならやってみるか、と思う人も多いですから。

林真理子氏(聞き手)

人をアサインするときは、信頼するけど期待はしない

林: 部下を育成するとき気を付けていたことはありますか?

塩田: 45歳くらいから意識したのは、部下に対して「オープン、フラット、ボーダレス」であること。若い世代は優秀な人が多く、自分にはできないことをできるからです。意思さえあれば勉強してスキルを身につけられますし、それは提案時に付加価値となります。

なので、私がやったことは若手が勉強できる環境を整えてあげること。そうすれば勝手に育ちます。「統計学をやりたい」という部下がいたので、「当分仕事を整理して、時間をつくるようにするから」と伝えました。しばらくしたら、難しい統計モデルの話ができるようになり、他社の著名なデータサイエンティストからも認められるくらいにまで成長しました。 広告代理店の営業は、「クライアントに育てられるか」「上司に育てられるか」「スタッフに育てられるか」という3つのパターンがありますが、私自身はスタッフに育てられました。若手を森田さんの研修に参加させたこともありましたが、信頼できる専門家を紹介したり、一緒に仕事をしてもらったりすることも成長には必要ですね。

林: 新しいものに取り組む時、これという正攻法がない中では、どうやって学んでこられましたか?

塩田: 私はプロデュースしかできないタイプです。人のアサイン、予算とスケジュールの管理、チームにゴールを提示する、そこまでです。気をつけていることは、人をアサインするときは、相手を信頼するけど期待しないことです。期待通りのことができるかは、チーム作り、プロデューサーに起因するからです。

あと、期待をすると目的と手段がひっくり返って、手段に口を出すようになってしまいます。あくまで自分はプロデューサー。アサインをした人が「これだ」ということを信じて、クライアントに提案をします。仮にそれが間違っていたら、アサインした自分の責任です。

林: アサインした人への信頼の気持ちは、相手にも届くものだと思います。塩田さんの信頼に応えようとする中で、プロジェクトメンバーがエネルギーを高められている面も多分にあると思います。

森田: お金を出してくれるわ、責任をとってくれるわなら、アサインされた方はやりやすいですしチームに貢献しようってなりますよね。

55歳で博報堂を早期退職! 安定した会社員生活から飛び出した理由

林: 早期退職制度で、退職された経緯は?

塩田: 2つ理由があります。1つは、博報堂の外に出ても、いろんなデータを取得できるようになったからです。今までは、会社にいなければ触れられないデータがたくさんありました。しかし、今では博報堂生活総研でさまざまなデータを公開していますし、『広告ビジネスに関わる人のメディアガイド2020』でもデータを提供しています。

もう1つは、「博報堂」という看板を背負っているから、皆は私と仕事をしてくれるけれど、外してみたらどうなるんだ、というのを試したくなったからです。

早期退職制度は、手厚くサポートしてくれるので、辞めてもなんとか飯は食えるかな、と思って何も考えずにやめました。

林: ご家族は早期退職についてどのような反応でしたか?

塩田: 普通は反対されて説得しなければいけないところですが、我が家の場合は特に反対されることはなく受け入れてくれました。娘は「そっちのほうがあうんじゃない?」と言ってくれました。私の決断を受け入れて応援してくれた家族にはとても感謝していて、ありがとうと伝えたいです。

森田: 働き方や定年の価値観が変わっていますよね。民間の人なら70−80歳くらいまでは働かないといけない時代になって、55歳なら新しいことを始めるタイミングでもあると思うので、ご家族はモダンな価値観をもっているといえるのではないでしょうか。

塩田: そうですね。以前70代の人たちに「今、私は50歳で、あと10年、会社人生をどう仕上げようか悩んでるんです……」と言ったら、「50歳なんだ、若いね! これからなんでもできるね」と言われて、会社人生しか考えていなかった自分が、かっこ悪いなと気づきました。

あと、Google日本法人元社長の村上さんの「いちばんいいのは、ITがわからない50歳以上のおじさんたちに会社を辞めてもらうこと(東洋経済)」という記事にも触発されました。若い人は元気だから会社は彼らに任せたほうがいい、自分が率先して出ていこうと決めました。

スタートアップの支援で活躍

林: 退職されてからはどんな仕事をされているのですか?

塩田: 博報堂でやっていた仕事が一部続いています。次を何も決めないで辞めましたが、やりたいことはありました。その1つが以前から交流のあったスタートアップの支援です。スタートアップの人たちからも「辞めたら連絡して」と言われていたので、今は一緒に動いています。もともとは、勉強会で知り合いましたが、そこから数珠つなぎで縁がつながっています。組織の中に入って、マーケティング、ブランディングを一緒に考える関わり方が多くて、とても楽しいですね。

林: 中に入って一緒に働く、というのは、役割としてはどんな形になりますか?

塩田: チームの底上げをしたり、後押ししたりするような役割でしょうか。ある会社は3Dプリンターで日本の製造業を変えたいという夢があります。私はその夢を現実感ある形にかえてアクションを決め、彼らがそれに基づいて動いています。プロデューサーと同じですね。これまでのマーケティングの経験や人脈などを頼られて重宝されています。

北九州でジョインする「Boolean」が提供する3Dプリンターでの大型造形例:ランプシェード
北九州でジョインする「Boolean」が提供する3Dプリンターでの大型造形例:椅子

森田: 立場としては社員、取締役などになるのでしょうか?

塩田: そうではないです。まだ案件はこれからなので、組織の役割として空いている部分を埋める感じです。あとは、プロジェクト形式で必要な人を集めています。報酬としては月額でもらって、あとはプロジェクトフィー、売り上げがでたらレベニューシェアで、という感じです。

林: 関わっている案件は増えていますか?

塩田: お問い合わせは月に何件かあって、コンスタントに4−5件は受けています。成果になるまでお金が入らないものもありますが、やりがいがあります。

森田: 「あの人何でもやってくれる」ということになると、バンバン仕事がきそうですよね。断れないとむしろ大変になりそうです。忙しさは会社員時代と比べていかがですか?

塩田: 今はやりたいことが仕事なので、作業量は多いのですが、忙しいという感じはしません。博報堂時代は、出ないといけない会議があったり、人のスケジュールに振り回されたりということがあったのですが、今はそれがなくなりました。

みんなの生活に浸透するものを作ることで、名を残したい

林: いいタイミングで独立できたと感じていますか?

塩田: 次のインターネット、デジタルにあたるものが、VRや3Dプリンターだと思っていますが、技術の進歩という点で、今年から始めたら追いつけなかった、来年だったら完全に遅かったと思うので、その点では良いタイミングでした。

森田: 良いタイミングで早期退職制度ができて、年齢があてはまってよかったですね。

塩田: 始まったばかりの制度を利用したので、楽しそうにしていないといけないなと思います。せっかく会社が良い制度を作ってくれたのだから、ネガティブに受け止められないようにしたいですね。

林: キャリアや仕事の価値観という観点で、独立してから変わったことはありますか?

塩田: 間違っていることを「やれ」といわれても、納得できないタイプなので、「受注仕事は合わないな」と感じました。今は、自分が好きな仕事を選んでいるので、やらされている感じはまったくなく、精神的な余裕があります。

関わっている会社の一つで初めて皆でGoogle Docsで企画書を作る体験をしました。私がたたき台を作って、それを一緒に提案する20代と40代のIT経営者がリモートで内容を付け加えたり、順番を変えたりというのを6時間かけてやりました。完成したら「あとはプレゼンよろしく」と言われて新鮮でした。博報堂にいたらできない体験です。テリトリーから出ることで新しい体験ができると思います。

森田: そのフラットさは、フリーになった象徴の一つですね。提案書のたたき台を作ってくれる人がいるから、一緒に提案する人が肉付けできるのだと思います。

塩田: 今後は、いろいろな会社の退職した人を集めてプロジェクトをやってみたいですね。ジャズのライブでは、1枚の楽譜でその日に集まったメンバーがその場でセッションすることがありますが、それは全員がうまいからできることです。豊富な経験や実績のある退職した人たちが集まれば同じようなことができるのではないかと思います。

林: この先の目標などはありますか?

塩田: 世の中の皆が使っている「アレ」を作れてよかった、と言えるような人生になりたいですね。CMのように消えていくものではなく、世の中を便利にして、生活に浸透するものを作ることに携わりたいです。

二人の帰り道

林: 1980年代からひも解くキャリア話には感じ入るポイントがたくさん詰まっていたのですが、“塩田さんの今”にフォーカスをしぼると、皆で企画書を作るのに「私がたたき台を作って」という一言に、びびびっと惹かれました。若者が作ったアウトプットにアドバイスをする、肉づけしてあげる、相談にのるといった関わり方もあると思うのですが、自分がまずたたき台を作る、それに皆が手を加えていくというスタイルをとっている。実際に“組織の中”に入って、自分の手を動かしてプレイヤーとして事業づくりに関わるのを心底楽しんでいらっしゃるのが伝わってきて、すごくエネルギーに満ちた笑顔が印象的でした。自分がどう関わるのが楽しいか、どう関わるとチームの力になれるか、そういうことを踏まえて、チームにおける自分の役割をプロデュースする手腕にも感服するインタビューでした。

森田: 僕はこの連載を通じて、何度も何度も、じっと手を見るようなテンションになっているんですけど(笑)、今回は55歳から自分でキャリアを開拓していく道へ飛び込んだ塩田さんの生き生きとした表情とお話を聞いて、自分の手というより塩田さんをじっと見てしまいました。僕、今45歳なんですが、厚労省の日本人男性の平均寿命だと79歳だとか。そうなるともう折り返し地点なんかとっくに突破してて、残り時間のほうが短いじゃないかと。ふと身の回りの大量な積ん読の本たち、Steamのライブラリの行数を増やしまくっている積みゲーたちを見るたびにも感じますもん、もう残り時間はそんなにないんだと。そういう何ともいえない焦りのようなものがあるところに塩田さんの今回のお話です。そうか、残り時間なんか気にしてる暇があったら手を動かせ足を動かせ頭を動かせと、そういうことだなと思いました。なんなら説教されてしまったかのような気分です。またお話聞かせてください。ありがとうございました。

本取材はオンラインで実施
用語集
VR / キャリア / クリエイティブ / セッション / ヒット / マスメディア / リンク / 広告代理店
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