2010年、Yahoo! JAPANの検索広告でGoogle採用――Overtureとの8年にわたる激戦に終止符[第4部 - 第37話]
「インターネット広告創世記〜Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~」シリーズ第37話。前回の記事はこちらです。

前回のお話では、YouTube広告のサービス立ち上げの様子を高広伯彦さんと平山幸介さんからお聞きしました。当時のYouTubeは海賊版サイトのような状態だったなか、東芝が最初のスポンサーとなり、テレビでもYouTubeでも最初にスポンサーになったのは東芝という歴史が刻まれました。

2008年4月、Google日本法人は初めての広告営業職における新卒採用をスタートしました。初年度の2008年新卒採用の一人として杓谷さんも入社し、僕の強い希望でサンフランシスコで行われた北米の広告営業チームの社内カンファレンスに彼らを連れて行くことにしました。
Googleは解放の旗手なのか、それとも超監視社会の統治者なのか
杓谷:2007年1月、Googleの検索ボックスの下に表示された「人材募集」のリンクに2008年新卒採用のリンクがあることに気が付き、文系でも応募できる広告営業職の募集があることを発見し、居ても立ってもいられずすぐに応募をしました。当時のGoogleは「理系卒しか採用しない」と思い込んでいたので、自分にもGoogleに入れるチャンスがあると知ったのはとても嬉しかったですね。

出典:Internet Archive
私は学生時代にベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』という本を読み、グーテンベルクの活版印刷が、国民国家の形成に大きな影響を与えたことを知りました。そこから現在を考察すると、インターネットが“現在の国民国家”という枠組みを薄め、EUのようなより広範囲な枠組みに広がっていくのではないか――そんな予想をしていました。
Googleこそ時代の中心になると確信
そして、ベストセラーにもなった梅田望夫さんの『ウェブ進化論』や、当時発売されていた本の中で最もGoogleについて詳しく語られていたジョン・バッテルの『ザ・サーチ グーグルが世界を変えた』や『Google誕生 —ガレージで生まれたサーチ・モンスター』を読み、これからの時代の中心になるのはGoogleに間違いないと確信しました。
広告を原資に、便利なサービスを次々と無料で発表していくGoogleは、人々の生活をより豊かに自由にしていく解放の象徴のように思えたのです。
『想像の共同体』
『ウェブ進化論』
『ザ・サーチ グーグルが世界を変えた』
『Google誕生 —ガレージで生まれたサーチ・モンスター』
一方で、ミシェル・フーコーというフランスの哲学者の『監獄の誕生ー監視と処罰』という著書に書かれていた「監視の目の内在化」のエピソードも印象に残っていました。
簡単に言うと、テストのカンニングを防ぐには、見張り役の先生が前に立っていると生徒は先生の目を盗んでカンニングする隙を見つけられます。しかし、後ろに立っていると生徒は、先生の位置がわからないので、見つかることを恐れて結果的にカンニングしなくなります。
「監視の目の内在化」から見たインターネットの影
このような心理的な仕組みを、イギリスで実際に作られた円形の監獄「パノプティコン」の形状から説明していたのがこの本でした。つまり、インターネットは超監視社会につながる可能性があるとも考えられていて、Googleがそうした存在になりかねないとも懸念されていました。
『監獄の誕生<新装版> : 監視と処罰』
Googleの新卒採用面接で、佐藤さんとお会いし「Googleは解放の旗手なのか、それとも超監視社会の統治者なのか」というこの2点について話をしたのですが、佐藤さんはすぐに「フーコーだね」と、気づいていたことが印象に残っています。
こうした思想を当たり前に知っている人が広告部門を統括していることに深く感動しました。他の企業の面接でも同じような話をしたのですが、佐藤さんのように回答してくださる方はいませんでした。
また、当時の日本法人のオフィスの会議室の名前は「桐壺(きりつぼ)」「匂宮(におうみや)」など源氏物語の巻名にちなんでつけられていて、Googleは理系の最高峰のタレントが揃う会社なのに、文系の学問にも造詣が深い会社なのかと驚いた記憶があります。
佐藤さんとの出会い
杓谷:2008年4月、私は佐藤さん率いる大手広告主チームにアカウントマネージャーとして入社しました。入社してすぐ、佐藤さんと新卒入社組が話す機会があったのですが、当時よくテレビで見かけたIT起業家達のカジュアルな装いとは対照的に、佐藤さんはいつもビシッとスーツを着こなしていたのがとても印象的でした。

佐藤さんのお話を聞いている途中、ふと佐藤さんがYahoo! のことを英語式に「ヤフー」の「ヤ」にアクセントをつけて発音していました。私を含めた当時の一般的な学生は、Yahoo!のことを「ヤフー」の「フー」にアクセントをつけて日本語式に発音していました。きっと佐藤さんはYahoo!が日本に来る前からYahoo!のことを知っているから英語式の発音なんだな、とお話を聞きながら一人で勝手に感銘を受けていました。
当時の私からすると、佐藤さんは雲の上の存在。「一般の人がYahoo!やGoogleを知るはるか昔から、その価値に気がついて第一線にいる佐藤さんとは一体何者なのだろう?」と鮮烈な印象が残りました。今にして思えばこの時の出来事が、この連載をはじめるきっかけのひとつでした。
TCP/IPの発明者ヴィントン・サーフの日本国際賞受賞
杓谷:私は佐藤さんを前にすると、いつも過度に緊張していたのですが、それは上司と部下という関係の他にもうひとつ理由がありました。
Googleに入社して間もない2008年4月23日、当時Google本社で副社長兼チーフ・インターネット・エバンジェリストを務めていたTCP/IPの通信プロトコルの発明者ヴィントン・サーフ博士が日本国際賞を受賞しました。この授賞式と晩餐会には、天皇陛下(現在の上皇陛下)もご臨席され、佐藤さんもGoogle日本法人の代表の一人として出席していました。
社内では、この授賞式のことはほとんど知られておらず、私は新聞で初めてこのニュースを知り、「そんなすごい人と毎日一緒に仕事をしてるのか」と大変驚きました。

出典:Vint Cerf - 2010.jpg is under CC BY 3.0

出典:宮内庁ホームページ「ご臨席(2008年(第24回)日本国際賞授賞式)(国立劇場(千代田区))」(https://www.kunaicho.go.jp/activity/gonittei/01/photo1/photo-200804-980.html)
佐藤:この授賞式は、デジタルガレージ、Infoseekで一緒に働いていた(第6話参照)伊藤穰一からも連絡を受けて知った様な気がします。彼はヴィントン・サーフ博士と旧知の仲でした。博士がTCP/IPを発明したのは、かなり前のことですが、この受賞は彼が当時Googleの副社長兼チーフ・インターネット・エバンジェリストを務めていたこともあり、Googleが日本社会に認められた瞬間でもあると言えるかもしれません。
同年10月、英国でもエリザベス女王がロンドンのGoogleオフィスを訪問しました。この連載にも度々登場しているオーミッド・コーデスタニが、女王陛下とフィリップ王配を案内しました。君主制のイギリスにおいて、女王陛下の訪問はとても大きな意味を持ちます。この訪問によって、米国の新興企業にすぎなかったGoogleが英国、そして欧州に認められたのだと思います。
入社2日目で知恵熱がでたGoogleの開発スピードの速さ
佐藤:この前年の2007年、第22話から第26話にかけてお話したYahoo! JAPANを巡るGoogleとOvertureのA/Bテストで、Overture側の様子を話してもらったアタラ株式会社代表の杉原剛さんがGoogleに転職しています。Overtureの日本法人がYahoo! JAPANに吸収されるタイミングで直接僕から声をかけてGoogleに誘いました。

佐藤さんとお話しした後、2007年にOvertureからGoogleに転職しました。入社してすぐにGoogleの開発スピードの速さを目の当たりにして驚愕しました。
杉原:第26話で、Overtureのスポンサードサーチに「部分一致」の機能を導入し、Google AdWordsの「品質スコア」(現「広告の品質」)と同様の仕組みを取り入れた「Panama」の開発に苦戦した様子をお話ししました。そんな中、とあるシステムのバージョンアップに失敗して、管理画面に2週間アクセスができなくなってしまう大事件が起こりました。さらに恐ろしいことに、その間も広告は出続けているわけです。これは補填だけで会社が潰れかねないほどの大事件でした。奇跡的に補填は免れましたが、当時Overtureの技術は混迷していました。
Googleに転職してすぐに、本社側と行われるAdWordsのプロダクトアップデートミーティングに出席するよう言われて、参加しました。そこで目にしたのは、A4の紙にまとめられた直近の開発ロードマップ。思わず「これOvertureの5年分なんだけど...」と絶句しました。
佐藤さんに「Googleはこんなに開発スピードが速いんですか? ついていけないです」と漏らしてしまったほどでした(苦笑)。入社2日目で知恵熱が出てしまいましたね。それだけOvertureとGoogleの開発スピードには大きな差があったんです。「これはOvertureが機能面で遅れを取るわけだな」と妙に納得しました。
新卒研修プログラムの立ち上げ
佐藤:杉原さんには2008年新卒のトレーニングプログラムを作ることもお願いしました。新卒を受け入れるのは初めてのことだったので、新卒用の研修プログラムもなかったんです。
杓谷:当時の私はこの連載で見てきたような出来事をまったく知らなかったのですが、杉原さんをはじめ、インターネット広告の発展を牽引してきた当事者の皆様から直接学ばせていただくことができたのは、本当に贅沢な環境でした。
北米のセールスカンファレンスで発表されたOvertureの異変
佐藤:2008年6月、北米の営業チームが集まる社内カンファレンスがサンフランシスコで行われることになり、僕の希望で日本の営業チームも参加させてもらうことにしました。僕はGoogleの本社に頻繁に出張していたので、Googleがどんどん成長していく姿を間近で見ていましたが、僕以外の日本にいるメンバーにその様子が思うように伝わっていないと感じることが多々あったからです。
入社して間もない2008年の新卒組を北米のセールスカンファレンスに連れていくかは、社内で議論になりましたが、僕の強い希望で同行させることにしました。仕事を覚えることも大事ですが、彼らにGoogleの本社の雰囲気やカルチャーを直接見て感じてもらわないことには何も始まらないだろう、という強い想いがあったからです。
サンフランシスコで感じた特別な空気
杓谷:私は学生時代、ニューヨークに1年間住み、車でアメリカ横断をした経験もあったので、アメリカ各地の雰囲気は知っていました。それでも当時のサンフランシスコは、他のどの州にもない特別な雰囲気を感じました。
単なる社内イベントと言ってしまえばそれまでですが、会場はサンフランシスコの一等地・ユニオンスクエアを貸し切りにしてパーティーを開催。近くのモスコーン・コンベンションセンターではAppleの「WWDC’08」が開催中で、日本のメディアでは伝わらないシリコンバレーのダイナミズムを肌で感じることができました。


今も私がGoogle関連の仕事を続けているのは、この時の体験が鮮烈だったからだと思います。その後の人生を決定づける出張の機会を与えてくれた佐藤さんには、心から感謝しています。

このカンファレンスの最終日に、オーミッド・コーデスタニから米Yahoo!の検索連動型広告のシステムにGoogle AdWordsが採用されることが決まったことが発表され、カンファレンス会場が大いに沸いたことがとても印象に残っています。

会場の祝賀ムードにつられて拍手をしつつも、私自身は「いったいどういうこと? Overtureはどうなるの? Yahoo! JAPANへの影響は?」とたくさんの疑問が浮かんでいました。日本でYahoo! JAPANとOvertureは圧倒的に強く、当時のGoogle日本法人の社内はYahoo! JAPANに追いつけ追い越せという雰囲気だったからです。この時の様子を、本連載に度々ご登場いただいている、Overture日本法人の代表を務めたご経験のある株式会社SUIM代表の上野正博さんにお聞きしました。

私は2006年にOvertureの日本法人の代表を退任していたのでこの時の詳しい事情を把握してはいないのですが、2007年から2008年頃は米Yahoo!の経営が傾き始めていた頃でした。
上野:どこかのタイミングで検索エンジンとOvertureの検索連動型広告のシステムの開発を継続しないという判断があったのだと思います。代替案としてはMicrosoftと組むかGoogleと組むしかなかったのだと思います。実際、Microsoftは米Yahoo!そのものの買収にも乗り出していました。

杓谷:先程の杉原さんのOvertureの技術面での苦境の話から推測すると、この後控えていたであろうスマートフォンへの対応にはついていけなかったかもしれませんね。
この提携発表のわずか5ヶ月後の2008年11月、Googleは米Yahoo!との提携解消を発表しています。米国消費者協会(American Consumer Institute)が独占禁止法に抵触する可能性があると指摘していたことや、全米広告主協会(ANA:Association of National Advertisers)が提携に対する異議申し立てを行っていたことが影響していたと言われています。

出典:Google Official Blog「Ending our agreement with Yahoo!」(2008年11月5日付け)
上野:結果的に米Yahoo!は2009年7月にMicrosoftの「Bing」を採用することを決定しました。しかし、この時点で「Bing」には日本語版はなかったと思います。こうした事情で、Yahoo! JAPANとしては米Yahoo!と同様に「Bing」を採用することができず、Googleを選ぶ以外に他に選択肢がなかったのだと思います。2010年7月にYahoo! JAPANは検索エンジンおよび検索連動型広告のシステムにGoogleを採用することを発表しました。

佐藤:Yahoo! JAPANの検索エンジンおよび検索連動型広告のシステムは、Googleになりましたが、サービス自体はYahoo! JAPANが提供し、管理画面もGoogle AdWordsとは別、アルゴリズムも独自のものを加えるということで、日本の公正取引委員会からも問題ないという判断になりました。結果的に、この発表が2002年から約8年におよぶOvertureとGoogleの熾烈な争いに終止符を打つ形になりました。
次回は8/28(木)公開予定(毎週木曜日更新)です。
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