「Google AdWords」が変えた既存の広告モデルと「Overture」の躍進と苦悩[第3部 - 第26話]
「インターネット広告創世記〜Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~」シリーズ第26話。前回の記事はこちらです。

前回のお話では、Yahoo! JAPANを巡るA/BテストではGoogleのAdWordsが勝ったものの、米Yahoo! Inc.が米Overtureを買収したことによって、Yahoo! JAPANの検索連動型広告はOvertureのスポンサードサーチが導入されることが決定しました。その後、OvertureとGoogleは訴訟に和解し、GoogleはNASDAQに上場を果たします。

1996年からインターネット広告を見続けてきた僕にとって、AdWordsはインターネットにおける広告の最適解を初めて提示した存在として映りました。そして、AdWordsが既存のインターネット広告はもちろんのこと、激しい争いを繰り広げた競合のOvertureのスポンサードサーチさえも変えていったのです。
「プレミアム・スポンサーシップ広告」のサービス終了
佐藤:2003年末頃、GoogleではAdWordsの成功をうけて、インプレッション保証型の「プレミアム・スポンサーシップ広告」(以下プレミアム広告:第19話参照)のサービス終了が決定しました。
プレミアム広告の出稿管理業務の煩雑さから営業チームが疲弊しており、営業担当の増員を進めていた矢先のことです。新しく採用された営業の方が入社してすぐに、社内でプレミアム広告のサービス終了が発表されてしまったので「これから僕、何すればいいんですか?」と質問されてしまいました(笑)。

出典:Internet Archive
佐藤:Googleは、「プレミアム広告」の営業チームをティム・アームストロングが、「AdWords」の営業チームをシェリル・サンドバーグが統括していました(第20話参照)。
広告商品がAdWordsに一本化されたことで、大手広告主をティム・アームストロングのチームが、中小企業の広告主をシェリル・サンドバーグが、それぞれ統括していく体制になりました。この体制は、今でも大きな枠組みとして続いています。

出典:Tim-Armstrong.jpg is under CC BY-SA 4.0

Sheryl Sandberg World Economic Forum 2013.jpg is under CC BY-SA 2.0
杓谷:第25話で登場したOverture日本法人代表の上野さんの話を聞くと、Overture側でもインプレッション保証型広告の置き替えの動きがあったようです。こうした点からもAdWords、スポンサードサーチがインターネット広告史における歴史の転換点だったと言えるでしょう。
「サーチワード広告」を「スポンサードサーチ」に置き替える
上野: Yahoo! JAPANは、ソフトバンクグループの資本が入っていたため、ソフトバンクと競合関係にある企業はブラックリストに入っており、Overtureとしては思うように提携を進められない状況でした。そこでYahoo! JAPANの井上社長と話し合いながら、「この企業・サイトをホワイトリストに入れて提携すれば、月間売上がどのくらい伸びる」といった見通しを示し、説得を繰り返しました。
A/Bテストで見えた「広告の質と収益性」の関係
上野: また、私がOvertureの社長に就任した頃、Yahoo! JAPANの検索結果には、インプレッション保証型の「サーチワード広告」が出ていました。これを「スポンサードサーチ」に置き替えるために、A/Bテストを実施。その結果、「サーチワード広告」を外したほうが「スポンサードサーチ」のクリック率が上がり、ページ単位の収益が高くなることがわかりました。この結果をもとに「サーチワード広告は止めましょう」という提案をしましたが、Yahoo!JAPANからは猛反対されます。
理由としては、Overtureの売上は増えますが、Yahoo!JAPANの広告収入は一時的に下がるように見えたからです。それでも最終的に、スポンサードサーチの方が収益性が高いことがわかり、順次置き替わっていきました。
当時は検索連動型広告が出始めの頃だったので、「広告枠の背景色は無地なのか、それともピンクやブルーがよいのか」といった細かな検証テストをずっとやっていましたね。

出典:Internet Archive
Yahoo! JAPAN、過去最高の広告収益を記録
杓谷: Yahoo! JAPANが検索連動型広告のシステムをOvertureに一本化した後、初めての四半期決算で、Yahoo! JAPANの広告事業が過去最高益を記録したことが紹介されていますね。
佐藤: AdWordsとスポンサードサーチは、アメリカではAOL、日本ではYahoo! JAPANを舞台に熾烈な競争を繰り広げてきました。しかし、パフォーマンスの観点では、日米ともにAdWordsが勝利したと言えます。その影響で、競合だったスポンサードサーチでさえも、AdWordsと同様の仕組みを導入していくことになりました。
「品質インデックス」を導入し、第2世代「Panama」へ

2004年8月、検索連動型広告の特許を巡るGoogleとの訴訟が和解(第25話参照)したことで、Overtureは「品質インデックス」という名前でGoogleの「品質スコア」と同様の仕組みをオークションに取り入れていくことになりました。
杉原:検索連動型広告の特許をめぐって争っていたGoogleが考案した「品質スコア」(現広告スコア)の仕組みを取り入れる――ある意味、模倣することになるわけですから、プライドも何もかも捨てるような決断でした。とはいえ、Googleと戦っていくうえでは不可欠な一手だったのです。
このプロジェクトは「Panama(パナマ)」というコードネームで進められ、僕は日本市場における初代のプロジェクトマネージャーに任命されました。
“超スパゲッティコード”に苦しむ現場
杉原: Overtureのシステムはベンチャー時代から場当たり的な拡張を繰り返してきた結果、いわゆる“超スパゲッティコード”(コードが複雑に絡まり合ったプログラム)になっていました。そのため、「品質インデックス」の開発は思うように進みませんでした。さらに、新機能を開発する柔軟性も乏しく、現場ではかなりの苦労が伴いました。
技術的な課題の一つとして、「部分一致」の導入も非常に困難を極めました。
キーワードの「部分一致」にも大苦戦
杉原: 検索連動型広告では、「マッチタイプ」と呼ばれる概念があります。これは、登録したキーワードとユーザーが検索する語句との関係性を定義するものです。
スポンサードサーチのマッチタイプは、当初「完全一致」が標準仕様でした。完全一致とは、「登録キーワード」と「検索語句」が完全に一致する場合のみ広告が表示される形式です。そこに、キーワードに関連する語句にも広告を出す「部分一致」を導入したのですが、この実装が非常に難しかったのです。
表記揺れへの対応
杉原: たとえば、当時ブームだった『ハリー・ポッター』を例にすると、検索語句にはカタカナ、ひらがな、英字の大文字・小文字の違い、中黒の有無、さらには打ち間違いまで、実に多様なバリエーションが存在していました。Overtureでは、「マッチドライバー」という辞書機能に、それらの表記揺れを登録することで管理していました。
しかし、検索語句は日々生まれ変わるため、スピーディに登録しきれず、対応が後手に回ることがしばしばありました。
代理店からの強い反発
杉原: 広告代理店に対して、「部分一致」の説明に行った際、
登録していないキーワードで広告が出るなんてありえない!
と、かなり厳しいお叱りを受けたのを覚えています。当時、「検索ワード広告」といえば、キーワードと検索語句が完全一致するのが常識。「部分一致」はその常識を覆す、かなり挑戦的な機能だったのです。
こうした試行錯誤を経て「品質インデックス」や「部分一致」などの機能を含む「Panama」プロジェクトは、2007年4月に日本でも正式にローンチされました。
GoogleとOvertureの技術差が鮮明に
佐藤:Googleは、Overtureと違い検索エンジンを持っていたため、ユーザーが実際に打つ膨大な検索語句データを持っていました。そのため、表記の揺れには最初から対応できていました。今では乱暴に聞こえるかもしれませんが、AdWordsのサービス開始時は「部分一致」のみで、オプションで「完全一致」の設定も可能だったと記憶しています。
同じ検索連動型広告でもOvertureとGoogleでは最初からアプローチが違いました。Overtureの苦労話を聞くと、Googleがサービス開始時点から「品質スコア」の概念を取り入れていたGoogleのエンジニア達の慧眼に改めて驚かされます。
杓谷:GoogleとOvertureで技術力、エンジニアリソースの差が少しずつ顕在化している様子がうかがえますね。
「Yahoo! BB」のサービス開始でインターネット人口が飛躍的に増加
佐藤:第25話で話した通り、2003年7月に米Yahoo! Inc.が米Overtureを買収したことで、Yahoo!JAPANにおけるAdWordsの配信を徐々に減らし、2004年6月に完全に終了しました。
Yahoo! JAPAN経由の売上は、AdWords全体の売上の大きな部分を占めていました。そのため急激な売上減が予想されましたが、AdWordsの売上は年間を通して見ると、そこまで下がらなかったんです。
その理由の一つは、ISP(インターネットサービスプロバイダー)の「Yahoo! BB」の影響が挙げられます。ADSL接続によるインターネットユーザーが増加し、Googleのアクセス数も大幅に伸びたためです。

加藤:2001年6月に、ソフトバンクの孫さんが「Yahoo! BB」というISP(インターネットサービスプロバイダー)サービスを開始しました。当時のISPサービスは、月額約6,000円程度が一般的な価格でしたが、Yahoo! BBの月額料金は、2,280円という破格の価格で参入してきました。

加藤:街角で販売員が「ADSLモデムを無料で配る」という斬新な販売スタイルで契約数を伸ばし、インターネット人口が爆発的に増えていきました。その結果、1990年代からISPサービスを手掛けていた事業者の多くが、価格競争に耐えきれず次々と撤退を余儀なくされました。これ以降、インターネットビジネスの起業家達の間では「ソフトバンクがやるビジネスと同じ領域には手を出さないでおこう」という暗黙の了解が生まれました(笑)。
AdWordsとスポンサードサーチが既存のインターネット広告に与えた影響で言うと、クリック保証型広告(第12話参照)も「Pay Per Click」(クリック毎に課金)モデルに替わっていきましたね。

佐藤:インターネットユーザーが爆発的に増えた影響で、Googleや提携するポータルサイトの検索数も増加。結果的にAdWordsの表示機会も増え、Yahoo! JAPANのトラフィックの減少をカバーできたんです。
後に、Google本社の重役が来日した際に、「Yahoo! JAPANのトラフィックが0になった時、売上に大きな落ち込みがあったはずだが、どうやって乗り切ったんだ!? その秘訣を教えてくれ!」と尋ねられて「営業を頑張ったんです」と答えたのですが、実際にはYahoo! BBの間接的な影響も大きかったとも言えます(笑)。
2004年1月Googleが「AdSense」の日本市場参入を発表
佐藤:結果的に売上にそこまでの落ち込みがなかったとはいえ、Yahoo! JAPANをOvertureに取られたことは大きなショックでした。ただ、僕にはそのショックを引きずっている余裕などありませんでした。
Googleの新しい広告サービス「AdSense(アドセンス)」が開始したからです。「AdSense」は、ウェブサイトのコンテンツに関連した広告を自動で表示して収益化する仕組みです。
Googleの次の主戦場は、1990年代を通じてインターネット広告の主役だった「バナー広告」市場から、現在における「ディスプレイ広告」市場に移っていくことになります。

次回は6/5(木)公開予定(毎週木曜日更新)です。
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