「AdSense」が重要な役割を果たした「Googleニュース」と新聞社の駆け引き[第3部 - 第27話]
「インターネット広告創世記〜Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~」シリーズ第27話。前回の記事はこちらです。

前回のお話では、GoogleのAdWordsが成功を収めたことをきっかけに、1990年代を通じて一般的だったインターネット広告の販売形式が変化していく様子を振り返りました。
インプレッション保証型広告の「サーチワード広告」やクリック保証型広告がオークション型の広告に徐々に置き替わり、競合のスポンサードサーチもAdWordsの「品質スコア」と同様の「品質インデックス」を取り入れました。

買収の影響でOvertureにYahoo! JAPANを取られてしまい大きなショックではありましたが、僕にはそのショックを引きずっている余裕などありませんでした。「AdSense(アドセンス)」がサービスを開始したからです。
2004年1月「AdSense」のサービス開始を発表
佐藤: アメリカでは、2003年6月に「AdSense」のサービスを正式に発表しました※。「AdSense」は、ウェブサイトに設置された広告枠のことで、ウェブページの内容に連動した広告を「AdWords」に登録された広告の中から自動的に表示できる仕組みです。広告枠を設置しているウェブサイトのことを広告用語で「パブリッシャー」と呼びますが、AdSenseの「パブリッシャー」は広告収益の一部をGoogleから受け取ることができます。
下の画像は、この連載が掲載されている『Web担当者Forum』の運営元であるインプレスの『Internet Watch』に掲載されたAdSenseの広告の例です。ページ下部の「スポンサードリンク」の文字で囲まれた部分がAdSenseの広告枠で、2つのテキスト広告が表示されているのが確認できます。

出典:Internet Watch「Google、サイト向け広告配信プログラム「AdSense」の日本提供を公式発表」(2004年1月14日付け)
初期のAdSenseは「テキスト広告」のみだった
佐藤: 2004年1月、日本でも正式に「AdSense」がサービスを開始しました。1ヶ月のページビューが1000万を超える大手パブリッシャーのことを「プレミアムパートナー」と呼んでいました。この時点では「Impress Watch」「All About Japan」「@nifty」が参加しています。中小規模のウェブサイトもオンライン経由で申し込むことができ、すでに数百サイトが参加をしていました。
こうしてGoogleは、検索連動型広告に続き、現在で言う「ディスプレイ広告」市場に参入しました。ただ、サービス開始の時点ではバナー広告のような画像形式の広告には対応しておらず、テキスト広告のみが掲載される形でした。

出典:Internet Watch「Google、サイト向け広告配信プログラム「AdSense」の日本提供を公式発表」(2004年1月14日付け)

出典:Internet Watch「Google、サイト向け広告配信プログラム「AdSense」の日本提供を公式発表」(2004年1月14日付け)
伊藤穰一の世界観が「AdSense」で現実のものに
佐藤: Infoseek在籍時代に、Infoseekのサーバーからさまざまなポータルサイトに広告が配信されるアドネットワークの仕組みを見て、伊藤穰一が「将来的には世の中の全サイトが、Infoseekのサイトになっちゃうってことだよね」と言っていたことが印象に残っていました(第14話参照)。その世界観が、「AdSenseでついに実現した」と思いましたね。
杓谷: 参考までに、検索連動型広告で熾烈な競争を繰り広げたOvertureの動向をお伝えしておくと、米Overtureも2003年7月にAdSenseと同様の「コンテンツマッチ」(Content Match)のサービス開始を発表しています※1。日本での正式なサービス開始は、2006年1月頃のようです※2。したがって2004年から約2年間、日本の運用型ディスプレイ広告市場はGoogleのみという状況でした。
AdSenseの仕組みとAdWordsとの関係性
杓谷:ここで、よく混同されるので「AdWords」と「AdSense」の関係性について整理しておきたいと思います。AdWordsは「広告を出稿する」ためのツールであるのに対し、AdSenseは「広告枠」そのものを指します。つまり、「広告を出す側」が使うのがAdWordsで、「広告を載せる側」が使うのがAdSense、という関係です。
AdSenseはページの内容に合った広告を表示する
杓谷: Googleの検索エンジンは「クローラー」(第18話参照)と呼ばれるロボットが世界中のウェブサイトのリンク構造を辿って、各ウェブページの内容を収集し「インデックス化」(データベース化)しています。
このクローラーの仕組みを広告用途にも活用しているのです。
AdSenseでは、クローラーがインデックス化した各ウェブページのコンテンツの内容をもとに、その内容にあった広告を自動で選んで表示します。このように、ウェブページの文脈にそった広告を表示する技術がAdSenseなのです。
当時、AdSenseの広告枠が貼られているウェブサイトを総称して「Google コンテンツネットワーク」と呼びました。現在では「Google ディスプレイネットワーク(GDN)」と呼ばれています。
AdWordsからAdSenseへ配信する「コンテンツターゲティング」
杓谷: AdWordsでは、検索結果ページに広告を表示する「検索連動型広告」の他に、AdSenseの広告枠に広告を表示する仕組みもあります。これを「コンテンツターゲティング」と呼びます。
検索連動型広告: 「広告主が登録したキーワード」と「ユーザーが検索した語句」の関連性が高い場合に広告が表示される仕組み。
コンテンツターゲティング: 「広告主が登録したキーワード」と「各ウェブページに含まれるテキスト情報」の関連性が高い場合に広告が表示される仕組み。

杓谷: 検索連動型広告と同様、「コンテンツターゲティング」でもAdSenseの広告枠に表示される広告は「上限入札価格」と「品質スコア」の掛け算で算出される「広告ランク」(第25話参照)によるオークションで決まり、クリックごとに課金が発生します。この時発生した広告費の一部が、AdSenseの広告枠を設置したパブリッシャーに還元されるという仕組みです。
実は、AdSenseがサービスを開始した当初、「検索連動型広告」と「コンテンツターゲティング」を出し分ける設定がなかったそうで、広告主にとっては「ある日突然、AdSenseにも広告が配信されている」という状態になっていたようです。AdSenseのようなディスプレイ広告と検索連動型広告では、クリック率やコンバージョン率に明らかな違いがありますから、今にして思えばとても乱暴な仕様ですね(笑)。
Google 広告の管理画面に残る、その名残
杓谷: この仕様の名残は、現在のGoogle 広告の管理画面にも残っています。検索広告のキャンペーンを作成する際に「Google ディスプレイネットワーク」(「AdSense」の広告枠に表示される広告)のチェックボックスがデフォルトで「ON」になっているのがそれです。

出典:Google広告管理画面
「Google ニュース 日本版」サービス開始
佐藤: Googleが「AdSense」のサービスを開始した背景には、「Google ニュース」との密接な関係がありました。2004年当時、ページビューの多いパブリッシャーは、Yahoo! JAPANなどのポータルサイトを除けば、朝日新聞や日経新聞などの新聞社が運営するニュースサイトが中心でした。
下の画像は日本でサービスを開始した当時の「Google ニュース」の画面です。

大手新聞社から強い反発を招いた「Google ニュース 日本版」
佐藤: 「Google ニュース」は、Googleの「クローラー」がインデックス化した世界中のウェブサイトから、ニュース記事だけを抜き出して、ユーザーが見やすいようにレイアウトして提供するサービスです。
しかし、ニュースサイト側から見ると、自分たちのニュース記事をGoogleが盗用して、新しいニュースメディアを作ろうとしているように見えたのです。このことが問題視され、ニュースサイトの運営元の新聞社から強い反発を招き、新聞協会から「Google ニュースへの記事の掲載を即刻停止するように」と強く求められました。
新聞協会との交渉役は、当時Google 日本法人社長の村上さん
佐藤: この時、新聞協会との交渉にあたったのが、2003年4月にGoogle 日本法人の代表取締役社長に就任された村上憲郎さんです。AdSenseの記者会見が行われた翌年のことです。村上さんは、本記事の冒頭にある、記者会見写真の中央に映っている方です。
広告配信にも関係するため、僕はよく村上さんと一緒に新聞社への説明に出向きました。

出典:Internet Watch「グーグル村上社長「2009年には“人類の知”がすべて検索可能に」」
「AdSense」とテクノロジーを武器に新聞社と対峙
佐藤: 新聞社側の反発は、相当なものでした。広告業界において、テレビやラジオなどの主要マスメディアは、新聞社の資本で発展してきたという歴史的な経緯があります。普通であれば、尻込みをしてしまいそうな場面ですが、村上さんは新聞社に対して毅然とした態度で交渉に臨んでいて、とても印象に残っています。
新聞社との交渉の場で、村上さんは次のようなことを説明していました(※佐藤さんの記憶に基づいた再現、本人確認・掲載許可済み):
Google ニュースは、新聞社のニュース記事を盗用しているのではなく、記事のタイトルや冒頭の一部を抜粋して紹介しているにすぎません。むしろ、新聞社のウェブサイトに大量にトラフィックを送って広告収入に大きく貢献しています。
それでも記事を掲載したくないということであれば「robot.txt」というテキストファイルをサーバーに置けば、Googleのクローラーがニュース記事を読み込むことをやめるので、掲載をストップできます。その代わりトラフィックも大きく減ってしまうので広告収入も下がってしまうと思いますが...。
一時的なGoogle ニュースへの記事掲載停止、そしてAdSense導入へ
佐藤:最終的に、新聞社ごとに掲載可否を個別に判断することになり、ほとんどの新聞社が一旦Google ニュースへの掲載を取りやめました。しかしその後、AdSenseの導入を含めた個別の調整が進み、広告面での不安に対しても村上さんが技術面から丁寧に説明を続けました。
その結果、数社がGoogle ニュースに残留。残った新聞社のAdSense収益が好調だったことで、次第に他の新聞社もなし崩し的にGoogle ニュースとAdSenseへの参加を決めていったのです。
杓谷: この時のエピソードを、村上さん自身がインタビュー記事で語っています。就活サイト「ONE CAREER」で、同社執行役員の北野唯我さんとの対談記事の中で、当時を振り返っています。記事で登場する『シグナル』が「robot.txt」のことです。
村上:グーグルニュース出した時も、新聞社がひどかった。日本でローンチされる前に、日本の新聞協会にも事前に伝えていたわけよ。アメリカで出したから、そろそろ日本に来ますよって、何回もプレゼンしているわけよ。でもね、実際に日本でサービスが開始したら、朝から、読売新聞とか毎日新聞とか「村上! すぐ来い」と。行くと「すぐ止めろ」と。で、「事前に言ったでしょって、グーグルのクローラーは、ちゃんと御社が『シグナル』をサイトに記述してたら、行かないんですよ」って。
北野:結果的にどうなったのですか?
村上:朝日新聞と日経新聞はね、私と少し関係があったので残ってくれたんですよ。あと残ったのは東北の河北新報。そうしたらさ、河北新報は、あるニュースでさ、偶然ランキング上位に出ちゃったわけなんですよ。河北新報は大喜びで「サーバーがパンク」するくらいにトラフィックが集まった。そのひと月後、どっかの調査会社が、朝日と日経がトラフィック急上昇。その理由を「グーグルニュースに踏みとどまったおかげ」、なんて報道して。そしたら、読売新聞、毎日新聞から「お話がしたい」ときて、私が会いに行ったら「もう扱ってもいいです」と。で言ったのは、「だから、ひと月前にお話しして、御社は 『シグナル』を立てられました。それ外さないとクローラーは入れないし、外したら、間髪を入れず行きますよ」って。もう本当に何にも分かってないんですよ。
佐藤: また、村上さん自身が公けの場でも語っていますが、村上さんは学生時代に学生運動にかかわっていたそうです※。これは僕の個人的な見立てですが、村上さんが学生運動に熱心だった頃の「体制側の象徴」のような存在とも言える大手新聞社を相手に、日本法人の社員が約10人程度だったGoogleが、技術力を武器に切り込んでいく構図は、村上さんにとってどこか痛快だったのではないでしょうか。
Googleで全員がYESを出した稀有な存在
佐藤: ちなみに、Googleでは面接官全員が「YES」を出さないと採用されないというルールがあります。村上さんがGoogleに入社したのは、僕よりも後だったので、採用までの流れを間近で見ていましたが、何十人も候補者がいた中で、本社の経営陣も含めた全員が「YES」と評価したのは、村上さんただ一人でした。
入社当時は、50代後半だったと思います。学生運動で培われた村上さんの気質と、若きエンジニア達が作ったGoogleの社風が、なぜかうまい具合にマッチして世の中を変えていった様子が傍で見ていてとてもおもしろかったですね。
ロボット型検索エンジンが情報の流れの変化をもたらした
佐藤: 新聞社側は「ディープリンク」についても気にしていました。「ディープリンク」とは、トップページではない深い階層のページに直接アクセスできるリンクのことです。
紙の新聞では1面、ニュースサイトではトップページに配置される記事が「重要」とされ、その記事の配置には、新聞社側の編集意図が反映されます。しかし、Google ニュースや検索エンジンを通じて、深い階層のページにユーザーが直接行ってしまうと、編集意図が伝わらなくなってしまいます。これを新聞社は問題視していました。
杓谷: この問題は日本だけでなく、欧州でも議論の的になっていました。さらにドイツではGoogle ニュースを巡る「ディープリンク」の裁判も行われていました※。新聞社にとっては大きな懸念事項だったことがわかります。
検索が「ウェブサイトの情報の入り口」を変えた
佐藤: ここでお伝えしておきたいのは、2004年頃からインターネットにおける情報の流通経路が大きく変化してきたということです。1990年代のインターネットはYahoo! JAPANのディレクトリ検索(第18話参照)が主流でした。ディレクトリでは、各ウェブサイトのトップページが登録されていたため、必然的にユーザーはトップページからウェブサイトを訪問します。その結果、インターネット広告もトップページ上部のバナー広告が一番値段も高く、人気メニューでした。
ところが、Googleのようなロボット型の検索エンジンが普及してくると「ディープリンク」のように、検索語句に関連がある深い階層のページに、ユーザーが直接アクセスできるようになります。これにより、トップページを経由せず検索語句と関連性の高い記事ページへ直接訪問する流れが主流になり、トラフィックの大部分を占めるようになっていきました。
こうした背景から、ページごとに最適な広告を表示できるAdSenseが登場したわけです。インターネット広告の歴史という観点から見ると、この情報の流通経路の変化が与えた影響は大きかったと思います。

「AdSense」がブログ・SNSの登場を促し情報発信の民主化につながった
佐藤: これまで、トラフィックの少ない中小規模のウェブサイトや個人サイトが収益化をする方法はほとんどありませんでした。AdSenseの登場によって、少額でも広告収入が得られるようになったことは、とても大きな意義がありました。
AdSenseの登場は、その後のブログサービスやSNSの普及にも大きな影響を与えました。Google自身も、2003年3月にブログサービス「Blogger」を提供していたPyra Labsを買収しています。
「読むもの」から「発信するもの」へ
佐藤: この頃、伊藤穰一もTwitterやブログサービス「MovableType」の普及に深くかかわり、個人の情報発信が活発化していきます。日本でも「アルファブロガー」と呼ばれる特定分野で影響力を持つ個人が次々と登場します。
僕自身、AdSenseが個人の情報発信を支援する存在として広まって行く様を見て、ようやく自分がイメージしていた、「インターネットがもたらす新しい風景に出会ったな」と感慨深い思いでした。
杓谷: SNSの「mixi」がサービス開始したのは2003年です。サイバーエージェントの「アメーバブログ」の開始は2004年9月。ノーコードで誰でも簡単に情報発信できる環境が整ってきたことで、多くのユーザーにとってインターネットは情報を「読むもの」から「発信するもの」へと変わってきたと言えるかもしれませんね。
数学が人の手による中央集権を解体
杓谷: これまで、第18話からGoogle 検索、AdWords、AdSenseとGoogleが始めた主要サービスを見てきました。その中で、おぼろげながら共通する点が見えてきました。それは、人の手による中央集権的な管理手法を数学的なアルゴリズムで置き替え、民主化してきたという点です。
サービス名 | Googleが置き替えたもの | Googleがもたらしたもの |
---|---|---|
Google検索 | サーファーによるディレクトリ制作 | 検索結果の民主化 |
AdWords | 人の手による中央集権的な 広告の出稿管理 | 広告配信の民主化 (広告ランク) |
AdSense | 収益化の民主化に伴う 情報発信の民主化 |
こうしたGoogleのサービス群は、当時のインターネットユーザーにはAppleの伝説的なCM「1984」(第6話参照)に登場した女性のような、「ビッグ・ブラザーからの解放の象徴」のように映ったのだと思います。
そうした背景からも、Googleはインターネットユーザーから熱狂的な支持を集めていくことになります。第6話で紹介した伊藤穰一のインターネットがもたらす社会変化に関する予言が、Googleによって現実化しているように見えますね。
- 情報発信が誰でもできるようになり、個人がエンパワーメントされる
- すべての中間業者がなくなり利権が破壊される
こうしたAdWordsやAdSense、スポンサードサーチといった新しいインターネット広告の仕組みは、大手広告代理店にとって無視できない広告市場へと成長していきます。
それと同時に、「出して終わり」だった広告の世界に、「運用する」という概念が誕生します。これにより、広告代理店の役割や提供するサービスも変化していきます。次回は、広告業界の再編や、運用型広告がどのように定着していったのかを見ていきます。
次回は6/12(木)公開予定(毎週木曜日更新)です。
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