インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~

インターネット広告の今後の行方はAIに「愛」が実装できるかが鍵に[第4部 - 第53話]

有園さんとともに1998年~現在までのインターネット広告史を振り返ります。

杓谷匠(杓谷技研)

7:05

インターネット広告創世記〜Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~」シリーズ第53話。前回の記事はこちらです。

杓谷

杓谷

前回のお話では、2021年にインターネット広告費がテレビ・新聞・ラジオ・雑誌のマスコミ四媒体の広告費を追い抜いたところまでお話しました。1996年にわずか16億円で始まったインターネット広告費が、27年目の2021年には2兆7,052億円までに成長しました。

佐藤

佐藤

大手総合代理店が中心となって発展させてきたマスコミ四媒体と、Googleが成長を牽引してきたインターネット広告ではプレーヤーも商習慣も大きく異なります。この両者の橋渡し的な役割を長らく務めてきたのが現在Microsoftに在籍している有園雄一さんです。有園さんのお話を聞くと、インターネット広告の成長の本質が掴めるのではないかと思います。彼はLookSmart、Overture、Google、AdMobなど、インターネット広告の転換点となる企業に在籍した経験があります。

有園

はじめまして、現在Microsoft AdvertisingでRegional Vice Presidentを務めている有園雄一と申します。私は1998年にLookSmartに入社したことをきっかけにインターネットの世界に足を踏み入れました。その後、Overture、Google、AdMobなどを経て、電通デジタルの客員エグゼクティブコンサルタント、電通総研カウンセル兼フェローを務めました。

モントレー国際大学院で出会ったLookSmart

有園:私は早稲田大学を卒業した後、モントレー国際大学院(Monterey Institute of International Studies)に留学していました。実はこの大学院は、元々は1950年代にCIAが資金を出して作られたスパイ養成学校だったという噂がありました(笑)。ニューヨークのコロンビア大学とモントレー国際大学院のどちらかなら、ロータリー財団の奨学金を受け取れるという条件があったので、この2校で比較したのですが、実際に両者を訪れてみて、モントレーや隣町のカーメルなどの西海岸の美しい街並みに惹かれました。また、インターネットへの興味が強くなっていったので、Appleの本社などがあるシリコンバレーに近いという環境に惹かれてモントレー国際大学院を選びました。

モントレー国際大学院のキャンパスの様子
出典:Samson.jpg is under CC BY 3.0

私はこの大学院のコンピュータールームでPCの操作をガイドするティーチング・アシスタントというアルバイトをしていたのですが、そこにLookSmartが会社説明会に来ることになったため、私が設営準備を担当しました。当時、彼らはMicrosoftのMSN.com向けにディレクトリ(第18話参照)を作っていたのですが、日本語版の構築のために日本人を探していたんです。説明会が終わって楽屋でLookSmartのスタッフと談笑していると、LookSmartのクリストファー・アーノルド(以下クリストファー)が話しかけてきて、「ディレクトリを作るうえで用語を定める日本語のスタイルガイドを作りたいんだけど、どうすればいいと思う?」と訊かれました。私は日本の学生時代に新聞社でアルバイトしていた経験があったので、「日本の新聞社の用字用語辞典をベースにすればいいと思いますよ」と答えると「それいいね、君うちに来ない?」とお声がけいただきました。履歴書を送ったら3日後に採用通知が来たのですが、「卒業を待たずに今すぐ来てくれ」と言われてしまいました。

卒業まであと数カ月だったので随分迷いましたが、当時はネットバブルの真っ最中で提示された条件も当時としては破格で、サンフランシスコのジャパンタウン近くの高層マンションまで用意されました。それで思い切って大学院を中退して、インターネット業界に飛び込んだのが1998年だったと思います。

サンフランシスコのジャパンタウン
出典:Japantown-plaza-14jul2005.jpg is under public domain

1998年はインターネットの大きな転換点

有園:今振り返ると、この1998年はインターネットの歴史の大きな転換点でした。パソコンから携帯電話へ。つまり、デスクトップからラップトップ、さらにモバイルへと端末の軽量化、それと並行して、移動体通信・24時間接続へ転換していく流れが加速し、その翌年1999年に日本でも NTTドコモが「iモード」をリリースしたのです。移動体通信・24時間接続という環境基盤は、インターネット広告がブレイクするための必要十分条件だと私は考えていたのです。

そして、プラットフォーマーに対する米国政府の介入や政策的な支援、あるいは、IT業界やシリコンバレーのニュースが一般的な新聞やニュースで取り上げられることが多くなった年でした。

まず最初に、1998年5月にMicrosoftが米司法省から独占禁止法で訴えられました。その間隙を縫うようにして、1998年にスティーブ・ジョブズが復帰したAppleがiMacを発表します。カラフルな筐体で、それまでのコンピューターのイメージを大きく覆して大人気になりました。

日本で最初に発売されたiMac
出典:PC Watch「iMacは178,000円で29日国内発売」(1998年8月19日付け)

また、同年にGoogleがスタンフォード大学で誕生します。私は翌年の1999年からGoogleを使い始めました。それまで、LookSmartでディレクトリを作る際にAltaVistaというロボット型検索エンジンを使っていたのですが、AltaVistaはウェブサイトがアルファベット順に検索結果に並ぶのに対し、Googleは検索語句に関連性の高い順番にウェブサイトが表示されます。クリストファーから「これはいいぞ!」と教えられて使い始めたのが、私のGoogleとの出会いでした。「これは日本語版も来るぞ」と直感しましたね。

つまり、1998年はMicrosoft、Apple、Googleのその後の10年の方向性を決定づけた基点だったと思っていますし、インターネット広告の爆発的な成長をシリコンバレーの投資家やベンチャーキャピタルの一部の方々が予感し始めた年でした。

Googleに送るつもりだった履歴書をOvertureに送られて

有園:2000年に家庭の事情で日本に帰国し、LookSmartのお取引先でもあった日経BPに転職しました。日経BPでもディレクトリを作る仕事をしていたのですが、しばらく経った2003年ごろにGoogleの日本法人が採用を開始しました。

すでにGoogleの急成長をニュースなどで目にしていたため、「ぜひ、Google Japanで働きたい」と思って履歴書を書いたのですが、履歴書の英語をネイティブチェックしてもらおうとアメリカにいるクリストファーに連絡してレビューしてもらいました。履歴書の英語自体は問題ないと言われたのですが、「ついでにOverture Japanの人事にも履歴書を送っておいたから」と言われて「えっ!?」ってなって(笑)。実は彼はすでに検索連動型広告のOverture(第21話参照)に転職していたんですね。私はその事実を知らなくて……。

翌日にはOverture Japanの方からメールが来て「すぐ面接したいです」と言われ、Overtureの日本法人代表の鈴木茂人さん(第21話参照)と面接しました。その日の夜7時くらいには採用の通知が来て、「本当はGoogleに履歴書を送るつもりだったのに」と思いつつ、これもご縁だと思い2003年後半にOvertureに転職をすることを決めました。だから、結局、Googleに自分からアプローチはしなかったんですよね。

テレビCMで「◯◯で検索」を考案

有園:Overtureに入社して半年ほど経った2004年の春頃から私は博報堂を担当することになり、マスメディアとインターネットの融合に取り組むことになりました。

当時のインターネット広告はまだラジオの広告費を抜くか抜かないかというレベルで、とても地位が低いものでした。電通や博報堂に行っても「インターネット広告なんて正社員のやる仕事じゃない」と言われてしまい、悔しい思いを何度もしました。テレビCMなどに比べるとインターネット広告の予算はとても小さいので、検索キーワードの入稿作業なんかしてくれないんですね。そこにどうやって切り込んでいくのかが私のOverture時代のミッションでした。そこで考えたのが、テレビCMの中に「◯◯で検索」を入れてもらうことでした。

最初にテレビCMに「◯◯で検索」を入れたのは2004年9月、トヨタ自動車の「ist(イスト)」でした。テレビCMの最後のぶら下がりで「『ほっぺの理由』で検索」と入れてもらって、Overtureの管理画面で「ほっぺの理由」というキーワードを登録して検索連動型広告を配信したんです。すると、クリック率が80%という驚異的な数値を叩き出しました。ランディングページのistの公式サイトではPR動画を流していたのですが、この再生回数も爆発的に伸びました。

「ほっぺの理由」が表示されたトヨタの「ist(イスト)」のテレビCM

これは効果があるということで、最初は月額30万円しか予算がついていなかったのですが、その予算が月額100万円に上がり、テレビの出稿量が増えるにしたがって検索連動型広告の予算もどんどん増えていきました。

その後、電通でも三井不動産が「『芝浦の島』で検索」というキャンペーンをやってくれて、徐々に電通・博報堂の中でも検索連動型広告を正社員が扱ってくれるようになりました。最終的には電通も博報堂にも、過去の膨大なテレビCMのGRP(Gross Rating Points)量と検索数の変化率の統計的相関分析・調査を実施していただき、効果があると判断された結果、テレビCMと連動して検索連動型広告を行うことが一般的になっていきました。電通の営業局やメディアプランナーからお問合せを頂くことも増えて、「インターネット広告なんて正社員のやる仕事じゃない」と言われていた中で、一矢を報いることができて嬉しかったですね。

学生時代のアルバイトで感じた「愛がない」マスメディアの職場

有園:私は、学生時代にアナウンス研究会に所属し委員長(サークル代表)を務めていたのですが、友人の多くは、NHKをはじめ東京のキー局・関西の準キー局・地方放送局、そして、新聞社・通信社などに就職しました。2021年にインターネット広告費がマスコミ四媒体を追い抜いた時に、当時の友人から「最初からこういう世の中になることが見えていたのか?」とよく聞かれました。もちろん、学生時代にそこまで明確に市場規模の逆転を予測していたわけではありませんが、直感的に「こっちは違うな」という強烈な違和感があったんです。一言で言えば、「愛がない」と感じたんです。

ここでいう「愛」とは、「自由」「感謝」「変化」「革新」「挑戦」「成長」「勇気」「柔軟」「寛容」「共感」「信頼」「信用」「希望」「豊富」「慈悲」「謙虚」「正直」「誠実」「公平」「平等」「親切」「真実」「善意」「美観」「高潔」「品位」「健全」など、一言で表現するのが難しいのですが、英語の「Integrity」(完全性・全体性)と「Lova and Care」を掛け合わせた至高な概念をイメージしています。つまり、世の中に「夢」や「希望」「光」を与えて利益が出て儲かって、ヒトを幸せにするということですね。理想論なのですが、そのような普遍的な価値観をベースにプロフェッショナルな仕事ができるようになりたいという願望ですね。もちろん、そんな立派な業界も組織も人間もいないし、ガチガチにやると自分もシンドイので、それをさりげなく無理なくできる範囲で生活や仕事に反映できるといいと思っています。あくまで理想であって、自分はまだまだ到底、できないのですけど。

私は学生時代、新聞社やテレビ局、大手総合広告代理店の下請けリサーチ会社などでアルバイトをしていたのですが、 とある新聞社のデスクで40代の社員が、嘱託で入っている50代くらいの年上の部下に対して、「お前、こんなこともできねえのか!」と怒鳴り散らし、原稿を叩きつけている光景をよく目にしました。部下に横柄な態度で罵倒する大人たちを見て、憧れよりも「絶対に行きたくない」という嫌悪感が勝ってしまいました。 世の中では「人権」だとか「女性の時代」だとか言われ始めていたのに、メディアの中だけは封建時代のようでした。

しかし、電通の「鬼十則」で知られる吉田秀雄社長の時代には「愛」があったと思うんです。 彼が1961年の年頭挨拶で残した「平和な時代とは、すなわち広告の時代である」という言葉があります。これは戦時中の彼の体験を踏まえるとすごく深い意味があります。

電通の第4代社長を務めた吉田秀雄
出典:Portrait of Yoshida Hideo - July 30 1953 - Kimura Ihei.png is under public domain

戦時中、企業は軍のために働かされましたよね。つまり、「テクノロジーの自由」「経済活動の自由」「表現の自由」のすべてが国家に奪われていたわけです。これは私の私見ですが、 吉田秀雄は、この3つの自由が交差する場所にこそ「広告」があると定義し、その3つの自由が保障されている状態こそが「平和」なのだと言ったわけです。かつてはテレビがその自由の最先端でした。

しかし、1990年代以降の大手総合広告代理店やテレビ局はどうなったかというと、既得権益を守るために硬直化してしまいました。本来なら、YouTubeのような新しいテクノロジーが出てきたら取り込んで、積極的に使いこなしていけばよかったはずなのに、ビジネスモデルが安定しているからこそ、変化を拒絶してしまったのです。そうです、「愛」を失ってしまったんです。かつての吉田秀雄が持っていたような、未来や人間に対する信頼と愛が、組織が巨大化する過程で失われてしまった。

私が学生時代に感じた閉塞感の正体は、そこにあったんだと思います。それが私をマスメディアではなくインターネットへと突き動かし、世の中的にもインターネット広告費がマスコミ四媒体を追い抜くという結果につながったのだと思います。逆に言えば、インターネット広告も、「愛」を失ってしまえばその成長は鈍化すると思います。

Microsoftが大切にする「Empathy(共感)」

有園:今のMicrosoftのCEOのサティア・ナデラがすごいのは、彼は「Empathy(共感)」という言葉をとても大切にしていることです。私が、サティアの発言を聞いていると、すべての分野でトップを狙うのではなくて、常に「すべての人とすべての組織を Empower すること」、つまりMicrosoftのミッションである「Empower every person and every organization on the planet to achieve more.(地球上のすべての個人とすべての組織が、より多くのことを達成できるようにする)」ことを優先する戦略を徹底しています。

MicrosoftのCEO兼会長のサティア・ナデラ
出典:MS-Exec-Nadella-Satya-2017-08-31-22 (cropped).jpg is under CC BY-SA 4.0

Microsoftが目指しているのは、Microsoftのミッションを忠実に遂行した結果、「プラットフォーマーの中のプラットフォーム」、いわば「キング・オブ・キングス」になることだと感じています。サティアがそのようなことを明言したのを聞いたことはありませんが、他社プラットフォーマーの社員もWindows PCを使っていたり、Microsoft 365(ExcelやPowerPointなどの業務ソフト)を取り扱ってくれる販売パートナーだったりするために、競合関係というよりは「他のプラットフォーマーも支えるのだ」、なぜなら、「地球上のすべての個人とすべての組織」をEmpower するのがMicrosoftのミッションなのだという使命感を私は、サティアの言動に感じるのです。たとえば、クラウドにはAmazon Web Services(AWS)を使ってもいいし、Google Cloud Platform(GCP)を使ってもいい。でも、それら全てのデータを統合して管理・分析できるプロダクトがMicrosoft Fabricなのですが、世界的な大手金融機関や世界的な広告代理店、グローバルブランドなどは、子会社や部門ごとにAWSやGCPを使っていたりするのですが、統合的に分析するには、やはり、MicrosoftのAzureとMicrosoft Fabricになってきます。特に、AI時代にデータとサーバー、分析環境の統合は必須の課題なのです。そのため、AmazonもGoogleも、すべてを支える立ち位置に結果的になっているのだと入社してから学びました。

「他者を受け入れる寛容さ」、すなわち「愛」が今のMicrosoftにはあります。Googleに在籍していた経験がある身としては、現在のGoogleはMicrosoftに学ぶべきところが大いにあると考えています。

インターネットは「一般受容性」(=「愛」)が高い

有園:私は、テクノロジーの進化の先には「愛」が必ず必要だと思っているのですが、 そもそもインターネットという仕組み自体が「愛」に近い性質を持っていると捉えています。

私は学生時代に貨幣論を研究していたのですが、インターネットはお金(貨幣)と同じで、人種や国籍、身分に関係なく、誰に対しても開かれています。これを貨幣論では「一般受容性」と言うのですが、インターネットはこの「一般受容性」が高く、「愛」にあふれているわけです。日本の放送局が利権を守るために国内に閉じていたのに対し、インターネットは最初からグローバルでフラットでした。

金融業界とIT業界のトップにユダヤ系の方が多いのも偶然ではない気がします。歴史的な迫害の経験から、特定の国家や権力に依存しない、普遍的でグローバルなシステムを求めた結果、貨幣とインターネットとの親和性が高くなったのではないかと思います。

インターネット広告の成長はAIに「愛」が実装できるかが鍵に

有園:インターネット広告は、AIによって大きな転機を迎えています。広告の配信先の選定や入札価格の調整、クリエティブの作成までAIが行っていく世界になりつつあります。

AIは今、IQ(知能指数)を超え、EQ(感情知能指数)の領域に入ってきました。次はAQ(行動知能指数)、そしてその先にあるのがSQ(Spiritual Quotient)、つまり精神的な知能指数、すなわち「愛」の領域と言われています。例えば、人間ができた人だったら、話している相手がちょっと弱ってネガティブになっていると思ったら、励ましの言葉をかけたりするわけじゃないですか。こうした配慮が直感的にできることを、私自身はSQと呼んでいるのですが、AIがこうしたSQまで実装できるかが大きなテーマになってくると思っています。AIがSQを実装できれば、インターネット広告はよりユーザーに親しまれる存在になっていけるのではないでしょうか。

AIによってインターネット広告が大きな変革の時期を迎えているからこそ、テクノロジーの原点にある「自由」と「愛」に立ち返る必要があると思います。インターネット広告がこれからも持続的な成長ができるかどうかは、AIに「愛」を実装できるか、そしてそこに関わる人に「愛」があるか、にかかっていると私は考えています。

次回は12/18(木)公開予定(毎週木曜日更新)です。

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