マーク・ザッカーバーグも登場した「ザイトガイスト」で電撃的に発表されたYouTubeの買収[第3部 - 第31話]
「インターネット広告創世記〜Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~」シリーズ第31話。前回の記事はこちらです。

前回のお話では、グレーゾーン金利の撤廃とライブドアショックが加藤さんの日広に暗い影を落とし始めるところまで話しました。そんな中、佐藤さんは2006年10月に当時のGoogleが毎年行っていた招待制のカンファレンス「Zeitgeist '06」(以下「ザイトガイスト」)に加藤さんを招待しましたね。

「ザイトガイスト」は(Zeitgeist:ある時代を特徴づける思想や気分を意味する言葉で、日本語では「時代精神」と訳される。元々はドイツ語)、世界中のCレベルのエグゼクティブ、起業家、科学者、アーティスト、政治家、スポーツ界のアイコンなど、各分野のトップリーダーや有識者が参加する招待制のカンファレンスで、当時のGoogleが考えていること、取り組んでいることを伝える場でした。
「Google=インターネット」と言われた時代
佐藤: 2004年8月に上場したGoogleは(第25話参照)、投資のスピードを加速させていきます。代表的な例を挙げると、次の通りです。
- 2004年10月に「Keyhole」(現在の「Google Earth」「Google Map」)
- 2005年4月に「Urchin」(現在の「Google Analytics」)
- 2005年5月にGeneral Magic出身のアンディ・ルービンが開発していた「Android」
この時期に買収した企業が、現在のGoogleの核となっていると言って良いと思います。「Android」についてはこの連載の中でも、詳しく触れます。

2008 Google Developer Day in Japan - Andy Rubin (cropped).jpg is under CC BY-SA 2.0
イベント会場を熱狂させた「Google Earth」の衝撃
この頃、ビジネス系のイベントでGoogleのプレゼンターが登壇する際、まずは「Google Earth」のデモから始めるのが定番でした。そのデモが始まると、堅苦しい雰囲気だった会場が一瞬にしてコンサート会場のような、どよめきと歓声に包まれます。その様子は今でも忘れられません。
「Googleで検索できない=存在しない」とまで言われた
Googleの検索エンジンは、世界中のウェブサイトをクロールできており、情報を探すための事実上のインフラとなっていました。Googleで検索できない情報は「見つけようがない=存在していない」とまで言われたほどです。それだけに「Google=インターネット」だったと言っても過言ではなかったと思います。

出典:Internet Archive
杓谷: 「Keyhole」は後の「Google Earth」「Google Map」へ進化したことで有名ですが、インターネット広告の観点でいくと、Google 広告の「地域ターゲティング」の基盤にもなっていますね。

出典:Internet Watch「プロトン、高速Web解析ツール『Urchin 5』発売」(2003年7月1日付け)
衝撃の大容量で登場した「Gmail」
佐藤: 2001年にGoogleへ入社したばかりの頃、Googleのホームページのレイアウトを変えるという話がありました。当時の日本の広告業界の商習慣では、レイアウトを変更する際は1カ月前に広告主に通知することが一般的でした。そのため、本社に「1カ月は待って欲しい」と伝えたのですが、聞き入れられませんでした。
入社したばかりという立場もあり、この時は僕が折れた形になりましたが、僕は入社当初から、日本の商習慣を尊重する意見を本社によく伝えていました。おそらく、本社からは“ちょっとした抵抗勢力”のように見られていたかもしれません。
本社への考えが変わったきっかけ――「Gmail」の登場
そんな僕の考え方を変えるきっかけとなったのが、2004年4月1日にサービスを開始した「Gmail」です。(「AdSense」が日本でサービスを開始したのもこの年:第27話参照)。2004年のサービス開始当時は招待制のβ版でスタート。日本では2006年8月から、全世界では2007年2月から一般公開され、登録すれば誰でも使えるようになりました。
たしかその前年、2003年のことだったと思います。Google本社でプロダクトを統括していたマリッサ・メイヤーが来日した際に「ウェブメールを始めようと思うんだけど、どう思う?」と訊かれました。

出典:Marissa Mayer, 2011 Interview (crop).jpg is under CC BY-SA 3.0
当時はマイクロソフトの「Hotmail」やYahoo! JAPANの「Yahoo! メール」が主流だったため、僕は正直に「Googleがやる必要はないんじゃない?」と答えました。
「Gmail」を使ってみてわかった“次元の違い”
佐藤: ところが、しばらくして社内限定のβ版(サービス開始前のテスト版)が登場したので使ってみると、とても驚きました。

出典:Internet Watch「第7回:「Web 2.0」を理解するための、たった2つのポイント」(2006年3月20日付け)
- スレッド形式のUIが使いやすい
- JavaScriptによる動作は、従来のウェブメールとは比較にならないほどサクサク軽快
- メールや添付ファイルを保存できる容量が1GB
当時、「Hotmail」の保存容量が2MB、「Yahoo! メール」の保存容量が25MBという時代に、1GBは破格の大容量でした。招待制であったこと、そしてサービス開始日が4月1日だったことから、「これはエイプリルフールのジョークでは?」と本気で疑われるほどでした。
「Gmail」は買収ではなく、社内で生まれたプロダクトだった
佐藤: Gmailを開発したポール・ブックハイト(Paul Buchheit)は、Googleの23番目の社員であり、「Google が掲げる 10 の事実」の中の「Don’t be evil(邪悪になるな)」を発案した人物でもあります。彼が出演したベンチャーキャピタルファンドのポッドキャスト「20VC」で、Gmail開発当時のエピソードを語っています。

出典:Paul Buchheit.jpg is under CC BY 2.0
杓谷: 「Don’t be evil」は、日本語では「6. 悪事を働かなくてもお金は稼げる」として紹介されています。当時、様々な企業を買収して市場の支配力を強めていくMicrosoftの姿勢を強く意識していたとも言われていますね。
このポッドキャストの内容を記事にしているページをいくつか発見したので、引用します。Gmailは、前述のKeyhole、Urchin、Androidのような買収した会社のサービスではなく、Googleの社内で開発したプロダクトであることが特徴です。
“すでに既存プレイヤーがいる分野は一見するとすごく大変。Gmailの時もすでにHotmailやYahoo Mailが先行していた。ラリー・ペイジにメールシステムを作ってくれと言われた時も「マイクロソフトなんて数百人がメールシステム作ってるんだよ?マジで?」と答えた。そしたら「だから勝てるんだよ!」だって(笑)”
出典:カタパルトスープレックス「GoogleでGmailを作り、Facebookの「いいね」を作ったポール・ブックハイトが語るスタートアップ」
杓谷: 私が驚いたのは、Gmailの保存容量が1GBになったのは、他社との差別化を狙ったわけではなく、Googleが持つ検索エンジンの強みを活かすためだったという点です。ただ、当時の技術やインフラでは、ユーザーひとりあたり1GBのストレージを確保するのが大変だったようです。2004年に公開されてから長らく招待制のβ版が続き、全世界で一般公開されたのは2007年と比較的時間がかかったのはこうした背景もあったかもしれません。
“ブックハイト氏は当時の様子を「他の人が『どうせサービスをローンチできっこない』と思っているからマシンを準備できない。そして私たちは『マシンがないからローンチできない』という、にっちもさっちもいかない状況に陥っていました」と振り返ります。
最終的に開発チームが活用したのが、古すぎて誰も使っておらず、社内に転がっていた300台のPentium III搭載マシンでした。マシンをセットアップし、なんとか4月1日にサービスは開始されることに。それでも、限られた人数に対して提供されるベータテストには必要十分なものだったそうです。”
出典:GIGAZINE 「サービス開始から10年を迎えたGmailの開発秘話や現在、そして今後の課題など」
佐藤: 「AdWords」「AdSense」の成功に加えて、「Gmail」の完成度を見て僕は、Googleは既存の価値あるものに、圧倒的な高い技術力と独創的な発想で、信じられないレベルへ昇華させることを本気でやっている人たちの集まりだと認識し、「本社の意向はそのまま信じよう」と考え方が変わっていきました。
またこの時、マリッサはプロダクトに関しては、競合がなにをしているかはあまり気にかけず、「ただユーザーを見るだけ」と言っていたのがとても印象的でした。

この頃のGoogleは、まさに飛ぶ鳥を落とすような勢いでした。Googleの黄金期の始まりという時期に、佐藤さんにGoogle本社で開催された「ザイトガイスト」にご招待いただきました。インターネットの新時代の幕開けを感じる革命的なイベントでした。
2006年10月4~5日に開催された「ザイトガイスト」
加藤: 下の画像は日本人向けに作られた「ザイトガイスト」のパンフレットです。カンファレンス自体は2006年10月4日と5日の2日間にわたって行われました。

杓谷: 主催者はこの連載に度々登場した佐藤さんの上司にあたるオーミッド・コーデスタニですね。
佐藤: 日本からは、AdWordsをご利用いただいている大手広告主や、広告代理店、検索パートナーの方々をご招待しました。下の画像の右上に加藤さんのお名前があります。

加藤: イベントのスケジュールの記載もあります。


「ザイトガイスト」に登壇した錚々たる顔ぶれ
加藤: Googleが開催するイベント「ザイトガイスト」には、毎回非常に著名な人物が登壇していました。僕が参加した当時は、GoogleのCEOを務めていたエリック・シュミットや、創業者のラリー・ペイジ、サーゲイ・ブリンはもちろん、ビル・クリントン政権下の米副大統領で、情報スーパーハイウェイ構想でインターネットの普及に重要な役割を果たしたアル・ゴア、湾岸戦争で米軍の指揮を取り、ジョージ・W・ブッシュ政権で米国務長官を務めたコリン・パウエルなど、錚々たる面々が登壇しました。
- エリック・シュミット Google CEO(当時)
- ラリー・ページ Google創業者
- サーゲイ・ブリン Google創業者
- オーミッド・コーデスタニ Google 上級副社長
- アル・ゴア 元米副大統領
- コリン・パウエル 元米国務長官
- ジェームズ・B・ガービン NASA ゴダード宇宙飛行センター 主任研究員
- ヌール・アル=フセイン ヨルダン王妃(当時)
- マーティン・ソレル卿 広告代理店WPPグループCEO
- フェルナンド・ローズ・ビラ 広告代理店Havas CEO
- マイケル・デル Dell創業者
- ウィル・ライト ゲーム「SimCity」開発者
- カミー・ダナウェイ 米Yahoo! CMO
- アンドリュー・ハウス SONY CMO
- エドワード・ザンダー モトローラーCEO
- マーク・ザッカーバーグ Facebook(現Meta)創業者


佐藤: イベントでは、Google CEOのエリック・シュミットとコリン・パウエル元米国務長官が対談し、「危機的な状況においてもぶれないリーダーシップ」をテーマに語っていたと記憶していますが、パウエルさんが登場した時、登壇者と聴衆の全員が起立し、敬礼をしたことをよく覚えています。出席した当時の肩書は「General」(陸軍大将)でした。

杓谷: 民主党政権のクリントン大統領時代に米副大統領を務めていたアル・ゴアの情報スーパーハイウェイ構想の推進がインターネットが世界的に普及するきっかけになったという歴史的経緯もあり、シリコンバレーは民主党寄りと言われていますね。
弱冠22歳のマーク・ザッカーバーグが登場
加藤: 登壇者の中で特に印象が残っているのがFacebook創業者のマーク・ザッカーバーグです。当時22歳の大学生だったと思います。
杓谷: マーク・ザッカーバーグは1984年生まれで私と同い年なので、確かに22歳の年ですね。
正式版がリリースされたばかりのFacebook
加藤: 2006年10月に開催された「ザイトガイスト」に登壇した、マーク・ザッカーバーグはとにかく若くて、体格も細く、頬に赤みが残る――言ってしまえば、まだ子どものような風貌でした。
イベントの直前、2006年9月にFacebookは正式版になったばかり。それまで、Facebookはベータ版として招待制で運営されており、招待されないとトップページ以降は閲覧できないクローズドなサービスでした。
実名制SNSの衝撃と、インターネット広告への影響
佐藤: Facebookが実名制で登場したことに、僕はとても驚きました。Facebookがインターネット広告に与えた影響はとても大きいので、この連載の中で改めて触れたいと思います。
Facebookは実名制で、クローズドなネットワークだったため、Googleの検索エンジンのクローラーを受け入れていませんでした。そのため、Googleが感知できない領域がインターネット空間に出現しました。
冒頭で申し上げた「Google=インターネット」という構図が成り立たなくなってきたわけです。Facebookの存在感は次第に大きくなり、インターネットの勢力図に変化をもたらしていきました。

杓谷: マーク・ザッカーバーグが映っているページの左側に、モトローラのCEO エドワード・ザンガーが映っていますね。この5年後、2011年にGoogleはモトローラを買収しています。主にスマートフォン関連の特許取得が理由だと言われています。Googleとモトローラは、この頃からAndroid搭載スマートフォンの開発に取り組んでいたのだと思います。
マーティン・ソレル卿との再会
杓谷: 「ザイトガイスト」にはWPPのマーティン・ソレル卿(第29話参照)も参加していますね。
加藤: 実は「ザイトガイスト」開催中に、会場のすぐ近くでWPPグループの幹部が集まる会合があって、僕も呼ばれたんです。でも、「今回は、Google Japanのツアーで来ているので、それを抜けて行くのは失礼にあたるので」と最初はお断りしたんです。
しかし、オグルヴィのCEOだったマイルズ・ヤングに「幹部がみんな来てるから、ぜひ参加してくれ」と言われて出席することになりました。心のなかで「またマーティン・ソレル卿を見ちゃったよ」と思いながら僕はとりあえず出席だけして、一言も喋らないで帰りました(笑)。これが僕が彼にお会いした最後でした。

YouTube買収が突如発表されたザイトガイスト最終日
加藤: 僕がこの「ザイトガイスト」が今でも記憶に残っている理由は、最終日にYouTubeの買収が電撃的に発表されたからです。
エリック・シュミットに紹介されて、金髪で七三分けの若きチャド・ハーリーと、台湾系のスティーブ・チェンがステージに上った時の様子をよく覚えています。ただ、この時のエリックの紹介では、「彼らはいま西海岸のガレージで動画のストリーミング配信サービスをやってるんだ」みたいな感じで、買収の話をおくびにも出さないんです。実際、彼らはパンフレットの出席者名簿にも載っていませんでした。

出典:Walt Mossberg, Steve Chen and Chad Hurley is under CC BY-SA 2.0(撮影者:伊藤穰一)
佐藤: 僕の記憶だと、加藤さんたちとホテルまでバスで移動していた時に、参加者限定でYouTube買収の発表があったんですよね。バスの中で「え〜っ!?」とその場にいた全員が驚いたのを覚えています。
正式な発表はその4日後、2006年10月9日。Googleは、YouTubeを買収したことを発表しました。買収金額は16.5億ドル(当時レートで約2000億円)、YouTubeにつけられた値段の高さが大きな話題になりました。
下の動画は、チャド・ハーリーとスティーブ・チェンが、Googleに買収された直後に買収されたことを報告したYouTubeの動画です。
加藤: 今、改めて振り返ってみると、この時佐藤さんにご招待いただいた「ザイトガイスト」は、インターネット、そしてインターネット広告の歴史における大きな転換点だったと強く感じます。
そして、この「ザイトガイスト」に出席した後、グレーゾーン金利の撤廃とライブドアショックの影響で苦しくなりはじめていた日広の経営がいよいよ厳しくなっていったんです。
次回は7/10(木)公開予定(毎週木曜日更新)です。
※この連載では、記事に登場する出来事を補強する情報の提供を募っています。フォームはこちら。この記事に触発されて「そういえばこんな出来事があったよ」「このテーマにも触れるといいよ」などご意見ご要望ございましたらコメントをいただけますと幸いです。なお、すべてのコメントに返信できるわけではないことと、記事への反映を確約するものではないことをあらかじめご理解いただけますと幸いです。
ソーシャルもやってます!