インターネット広告創世記 ~Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~

「Google Video」から「YouTube」へ - YouTubeが登場した頃の動画広告の風景[第4部 - 第35話]

YouTubeが登場したころの動画広告の様子を振り返ります。

インターネット広告創世記〜Googleが与えたインパクトから発展史を読み解く~」シリーズ第35話。前回の記事はこちらです。

杓谷

前回のお話では、iPhoneとAndroidの登場によってスマートフォンが発売されましたが、スマートフォンに対応したウェブサイトやアプリもまだなく、日本で広まるかどうかは未知数だったことをお伝えしました。モバイルという文脈では携帯電話の広告市場は依然として大きく、「iモード」「EZweb」「Yahoo! ケータイ」で展開された検索連動型広告の様子を振り返りました。

佐藤

スマートフォンが本格的に普及し始めるのは2010〜2012年頃のことでしたが、発売から普及までの間にYouTube広告のサービス開始、プログラマティック広告の登場、Facebook、Twitterの運用型広告のサービス開始などが同時多発的に起こりました。まずは時系列的に一番早いYouTube広告のサービス開始の様子からお話しします。

YouTube買収前のGoogleの動画サービス「Google Video」

佐藤: YouTubeを買収する以前、Googleには「Google Video」という独自の動画検索サービスがありました。現在のGoogle検索結果にある「動画」タブのようなもので、有料・無料を問わず、さまざまなウェブサイトを横断して動画を検索できました。

サービスの開始当初は、あくまで純粋な動画検索サービスでしたが、次第に著作権がクリアな動画に限ってユーザーがアップロードできるようになり、さらに映画やドラマをレンタル・販売・購入できる機能を加えていく予定でした。方向性としては、今の「Google Play」や「Amazon Prime Video」に近い構想でした。

YouTube登場、“共闘”の矢先にまさかの展開

そんななか、2005〜2006年頃にYouTubeが登場します。当時のYouTubeには、著作権を侵害した、いわゆる“海賊版”の動画が多数アップされており、業界内でも大きな懸念がありました。

ある日、大手総合代理店の方に呼ばれて赤坂で会食をする機会がありました。

YouTubeにある動画は、著作権違反の海賊版ばかり。このまま野放しにはできない。我々とGoogleで手を組んで、Google Videoを本格的に活用し、YouTubeに対抗しましょう

と持ちかけられ、先方も僕らも意気投合して「やりましょう!」と合意したのですが、その直後にGoogleによるYouTubeの買収が発表(第31話参照)され、その話は立ち消えになってしまいました(苦笑)。

YouTube広告事業を誰に任せるか──その答えは……

佐藤:YouTubeを買収してからは、GoogleはYouTubeを動画サービスの核としたわけですが、当然広告によってマネタイズをしていくことになります。そこで僕は、高広伯彦さんにYouTubeの広告事業を任せることにしました。

彼には、YouTube買収が発表された2006年10月の1年近く前、2005年12月にGoogleへ入社してもらっていました。役職は広告営業企画チームのシニアマネジャー。当時、Googleの広告は既存の広告業界から見ると“掟破り”な存在で、業界内でもまだ十分に理解されていませんでした。知名度も低かったので、広告業界全体への正しい理解と普及が急務だったんです。

だからこそ、広告業界で知名度と影響力がある高広さんに声をかけたわけです。

高広さんとは

佐藤:当時、高広さんのブログ「mediologic」が広告業界の中でとても有名で、インターネット広告業界の関係者はみんな読んでいました。

杓谷:今さら私が紹介するまでもないかもしれませんが、高広さんは博報堂、電通、Googleの3社を経験し、現在の広告業界の全体像を俯瞰できるとても稀有な方です。株式会社スケダチ(現・マーケティングエンジン株式会社)でマーケティングにまつわる事業を展開しながら、同志社大学ビジネススクールの教授として活躍されています。

グランプリを受賞した『日産自動車提供 WebCINEMA TRUNK』

佐藤:高広さんのことを強く印象づけたのが、2004年5月に行われたインターネット広告推進協議会(JIAA)主催の「第2回東京インタラクティブ・アド・アワード」でした。彼は、『日産自動車提供 WebCINEMA TRUNK』という映画を同社のウェブサイト上で公開し、グランプリを受賞しました。僕もその授賞式に参加しています。

監督はカンヌ国際映画祭での受賞歴もある青山真治監督で、とてもウェブ向けに作られたとは思えないほどの高品質な作品でした。このときの印象がとても強く、YouTube広告の立ち上げを任せるのであれば彼しかいないと思い、社内で声をかけたところ快く引き受けてくれました。

出典:YouTube 「WebCINEMA TRUNK (2003) 第一話」

博報堂、電通を経てGoogleでYouTube広告の立ち上げを担当することに

高広

はじめまして、高広伯彦と申します。1996年に博報堂に入社して広告業界でのキャリアをスタートし、2004年に電通に転職。ちょうど電通を辞めてコミュニケーションデザインの会社を作って独立しようというタイミングに、佐藤さんと当時先にGoogleに勤めていた友人から声がかかり、2005年12月に広告営業企画チームのシニアマネジャーとしてGoogleに入社しました。

高広:僕は大学2年から修士2年頃まで、京阪神エルマガジン社で出版のアルバイトをしていました。実は、大学4年になるまで「電通」や「博報堂」といった大手総合広告代理店の存在すら知らなかったんです。

そんななか、アルバイトを通じてたまたま電通の方と知り合い、「出版だけじゃなく、広告っていろんなメディアを扱えるんだ」と知ったことで、広告業界に興味を持ち、就職を決めました。

「大きな船は急に曲がれない」──電通で聞いた言葉が今に重なる

大学4年生だった1993年頃、大阪の電通には「ニューメディア室」という部署があったんです。そこにいた方が、こう言っていたのを今でもはっきり覚えています。

高広くんさ、この電通っていう会社はさぁ、でかい船なわけや。でかい船やから急に曲がろうと思ってもなかなか曲がれへんねん

ところが、最近はもう周辺に小さい船がたくさん出てきてて、小さい船はすぐに舵切れるからすぐ右に曲がれんねん。近い将来、みんなが右に曲がってるけど俺らだけなかなか右に曲がられへん、みたいな感じが絶対来るから

当時はBSやCS放送のことを指して言っていたと思うのですが、広告業界は今まさにそのような事態になっていますよね。

YouTube広告立ち上げ、そして「動画の平山」へ声をかけた理由

高広:話をYouTubeに戻します。僕がYouTubeの広告担当に決まった直後、真っ先に佐藤さんにお願いしたのが「平山を採用しましょう」ということでした。

平山は、当時MSNでリッチメディア広告を担当していて、業界では“動画の平山”として知られていた人物です。僕が連絡した翌日にはすぐに返事があり、そこから彼と一緒にYouTubeの広告サービスを日本で立ち上げることになりました。

平山

はじめまして、現在EventRegist(イベントレジスト)のCEOを務めております平山幸介と申します。2007年9月にMSNから転職してGoogleに入社したわけですが、MSNの前に僕はYahoo! JAPANに在籍していたことがあって、Yahoo!ショッピングでテレビショッピングをやりたいと考えていました。

インターネットでテレビショッピングを実現したい

平山:確か2000年か2001年頃の話ですが、僕はTV通販会社と組んでインターネット上で動画番組を始めたんです。当時、Yahoo! JAPANでもまだ動画に本格的に取り組んでいない時代でしたが、結果的に一番力を貸してくれたのがMicrosoftだったんです。

当時は、今のようにブラウザで動画を簡単に見られる環境が整っておらず、動画を見るには「Windows Media Player」を起動する必要がありました。それに加えて、通信環境はナローバンド(低速)だったので、動画の表示サイズも2センチ四方くらいの小さな画面でした。

その小さな画面でテレビと同じような映像を流し、Yahoo!ショッピングで商品が買えるリンクを貼っていたんですが……あまりにも見られず、結局1年ほどで終了してしまいました(苦笑)。

     動画広告の世界へ──リッチメディアとの出会い 

この経験がきっかけになって、「次は動画広告の領域をやりたい」と思うようになりました。当時は、アニメーションや映像を使った表現力のある広告を「リッチメディア広告」と呼んでいて、まだ業界内でも取り組んでいる人は少なかったんです。

Yahoo!ショッピング時代の経験から「やるなら技術インフラがしっかりしているMicrosoftしかない」と思い、MSNに転職しました。

Microsoftで見た“Googleへの買収提案の断り状”

アメリカ・ワシントン州レドモンドにあるMicrosoft本社に出張する機会がありました。そこで見かけたのが、あるMSNの事業部長クラスの方の執務室のドアに貼ってあった1通の手紙。

それは、MicrosoftがGoogleに買収提案をして断られた返事のレターでした。Googleからのお断りの文言がとても丁寧な表現だったので、「すげー丁寧に断られてるな」と、妙に印象に残りました(笑)。

この頃から、Microsoftは検索エンジンに本格的に取り組み始めたんだと思います。当時はまだ独自の検索エンジンを持っていなかったので、スティーブ・バルマー前社長の時代に大きな投資をして、「Bing」の開発に踏み切ったのだと思います。

「100KBのバナー」が“リッチ”だった時代

MSN本社では、当時動画広告を配信できる「Eyeblaster(アイブラスター)」という会社との提携が進んでいました。Flashベースの広告配信技術です。その前には「アイワンダー」というJavaベースの動画広告サービスもあり、インターネット広告における表現力のあるクリエイティブがようやく登場し始めた時期でした。

当時は、たった100KBのバナー広告でも「リッチメディア」と呼ばれていたんです。今では考えられないですが(笑)。

2007年10月頃の「Eyeblaster」(アイブラスター)ウェブサイトの製品紹介ページ
出典:Internet Archive

「Flashアニメ」が動画の代わりだった頃

杓谷:今のGoogle広告の画像アセットの上限容量が5.12MBなので、100KBは今の基準だととても「リッチ」とは呼べないですが……。でも当時のナローバンドの通信環境では、十分「リッチ」だったんですね。

第10話で角さんが、初期のYahoo! JAPANのバナー広告「パイロットシート」の画像ファイルの上限容量が12KBだったとお話されているので、確かに100KBはその約8倍。かなり「リッチ」ですね。

Flashの話で思い出しましたが、たしかにYouTubeが登場する前は、Flashのアニメをよく見ました。動画はブラウザではなく「Windows Media Player」や「QuickTime Player」などのデスクトップアプリを使う必要があったので、ブラウザで手軽に見られるFlashアニメが主流でした。

グループ魂の『中村屋』のFlashアニメが流行っていたことを覚えています。Flashも、iPhoneがサポートしないことが決まってから、一気に見なくなりました。スマートフォンの登場による変化の1つと言えるかもしれません。

YouTube以前にあった“スマートTV的な”試み

高広:インターネット黎明期の動画サービスという観点から言うと、AOLが提供していた「AOL TV」は、YouTubeや今のスマートTVの原型に近いサービスだったと思います。テレビ画面の手前に透明なレイヤーを載せて、テレビを視聴しながら、AOLの情報を表示したり、離れた友人とチャットしたりできる機能を提供していました。

SMSをテレビに表示する“掲示板番組”

他にも2003年頃には、「SMS meets TV」というサービスがありました。深夜帯の放送する番組がない時間帯に、テレビ画面に掲示板を映すんです。画面には電話番号が表示されていて、ショートメッセージを送ると、そのテキストがテレビに表示されるというサービスです。

ビジネスモデルもユニークで、テレビCMでの収益ではなく、テキストを掲示板に掲載するときにユーザーは課金し、その収益をテレビ局・電話会社・掲示板運営会社の3者で分配する仕組みでした。

平山:時代やタイミングさえ合っていれば普及したビジネスモデルは結構あって、出たり消えたりを繰り返してますよね。

ある意味で自然な流れだったYouTubeの登場

平山:MSN時代に僕は、映画会社やテレビ局などのコンテンツプロバイダーと組んで、今で言うNetflixのような動画配信サービスを目指していました。でも、当時インターネットのサービスで大きく成功してきたのは、コンテンツを特定の1社が作って提供するようなサービスではなく、あくまで「場」を用意して、ユーザー自身が自由にコンテンツを作る“プラットフォーム型”でした。

YouTubeを初めて見たとき、「これは動画版の2ちゃんねるだな」と思ったんです。そして、「これは伸びる」と確信しました。というのも、動画でそういう形のサービスはそれまで存在していなかったからです。

なので、高広さんから「GoogleでYouTubeを一緒にやらないか」と声をかけてもらったとき、2秒で転職を決めました(笑)。

YouTubeは“衝撃”ではなく、流れの中にあった

高広:たぶん、今の人が思っているほど、当時の僕たちはYouTubeに“衝撃”を受けたわけではないんですよね。むしろ、「時代の流れとして自然な進化だな」と感じていたと思います。

佐藤:1990年代からインターネットで、大きなトラフィックが集まる場所は「検索」か「コミュニティ」でした。それがブログになり、SNSになり、ブロードバンドの普及によって、ついに「動画」の時代がきた、と考えるとある意味では自然な流れだったかもしれません。

杓谷:次回のお話ではいよいよYouTubeの広告サービス立ち上げの頃のエピソードを紹介したいと思います。

 

次回は8/7(木)公開予定(毎週木曜日更新)です。

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用語集
CEO / Facebook / Flash / Google広告 / JIAA / Java / SNS / Webブラウザ / アップロード / キャリア / クリエイティブ / スマートフォン / マネタイズ / リンク / 広告代理店 / 検索エンジン / 検索連動型広告
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