40代で外資系から日本企業に転職。数年おきにキャリアの棚卸、自らの価値は「経験値の掛け算」で考える
P&G、イーライリリー、Adobeと外資系企業で経験を積んだ井上慎也氏。現在は、KDDI株式会社でコミュニケーション本部 デジタルマーケティング部長として会議に追われる日々だ。最前線のプレイヤーから管理職に。なぜ、40代でキャリアの方向性を変えたのか?
井上氏のキャリアの変遷、その中での意識の変化などについて迫った(以下、発話は敬称略)。
Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。
インタビュアーは、Webデザイン黎明期から業界をよく知るIA/UXデザイナーの森田雄氏と、クリエイティブ職の人材育成に長く携わるトレーニングディレクター/キャリアカウンセラーの林真理子氏。
P&Gでデジタルマーケティングを担当。オンライン広告が出始めの時から投資対効果を求められる
林: 最初にWebに触れたのは、いつ頃ですか?
井上: 学生時代にパソコンを持っていたので、2000年頃からドメインを取得してレンタルサーバーを借りて、HTML、Perlなどを使ってWebサイト構築をしていました。
大学院時代、アルバイトで大学新聞やNPO、ベンチャー企業などのWeb周りの手伝いを始めて、WebというよりWeb接点のビジネスのおもしろさを知りました。大学院では、画像処理による自動車に備え付けられたカメラの画像から白線検出の基礎研究をやっており、就職は自動車メーカーへの推薦枠がありました。しかし、ビジネスやコミュニケーションの楽しさが忘れられず、自由就活をしてP&G Japanに入社しました。2004年のことです。
P&Gの当時のCMO、ジム・ステンゲルがオンラインマーケティングに注力することをグローバルで宣言したタイミングでした。趣味でWebをやっていたことが評価されて、職種採用が主流だったP&Gの中で、私はプロジェクト採用的にデジタル部門に入ることになりました。ざっと私のキャリアを書き出すと次の通りです。
林: 入社当時のデジタル部門とは、どんな部署でしたか?
井上: ITとデジタルマーケティングが融合して立ち上がった部署でした。会社ではマーケティングだけでなく、IT系のプロジェクトマネジメントなどのトレーニングも受けました。
森田: チームのゴールや狙いは?
井上: マーケティング手法がすでに確立しているP&Gで、オンラインマーケティングをどう全体戦略や実行に取り入れるか、効果をどう計測し評価や投資判断をするか。実行だけでなくアイデアを出してP&Gのマーケティング全体にどう取り入れるかをフォーミュラ化することが目的です。
林: すでにマス媒体を活用したマーケティングで成功しているP&Gで、新卒で入って他の人たちに物申す、というのは難しくありませんでしたか?
井上: 専門家、責任者として話をしてくれるので、年齢の壁は感じませんでした。誰が言ったかより、何を言ったかを軸に判断されるので、新人だからという区別はありません。反面、言ったことの評価は厳しかったです。
入社1年目でYahoo!のバナー広告を出稿して、成果としてインプレッション、CTRなど媒体から出されるレポートをもとに報告をしましたが、全く評価されず「事業としてどれくらい売上に貢献したのか」「他媒体との違い」などを追及されました。売れるまでを因数分解して、認知獲得、好意度や購買意向などの売上に関わる指標や、社内で追っている数値に対するインパクトで効果を示さないと、価値を認めてもらえません。自信を持って発表しましたが、こてんぱんに言われて、投資する意味がないと言われました(笑)。
森田: その頃って、オンライン広告は新しい表現として試すみたいな時代ですよね。
井上: そうですね。今と違って、出稿先から送られてくるレポートでしか数値を見られませんでした。このデータでは、事業部が求める報告ができないと感じ、2年目は、リサーチ会社と協力して、テレビ、オンラインの両方の広告を見たパネルを集めて、認知度、好感度、理解度、購買意向などへの影響を調査するスキームを構築しました。
オンラインでブランドのメッセージや世界観をどうやって伝えていくのか、どこにどのように投資すると効果が最大化するのかをシミュレーションしていました。
今のデジタルマーケティングツールがあればどれだけ楽だったか!スクラッチでシステムを設計
林: P&Gでは、当時やれることを、やりきって転職をすることに?
井上: やりきったとは思っていませんが、ITとデジタルマーケティングが合わさった部署だったので、昇進するためには、IT系のキャリアを積むことが必須でした。自分的には、デジタルマーケティングがおもしろくなってきたタイミングだったので、もっと極めたいと思い、色々と調整はしていただいたのですが、4年半勤めたP&Gを退職しました。転職先は、同じ神戸の製薬会社の日本イーライリリーです。当時、デジタルマーケティングに力を入れようとしている会社でした。
実は、転職した背景にはP&Gで感じた劣等感もありました。私は大学院に行っていて、大学を一浪していることもあって、同期はみんな年下。そしてマーケティングや宣伝領域にいる人は内外を含めてみな優秀で、出遅れ感がありました。
でも、デジタルマーケティング領域では、このまま続けてキャリアを積み重ねれば第一人者になれる可能性があり、自分のキャリアのベースにしたいと考えました。また子どもが生まれたばかりで、神戸から移動できなかったということもあり、イーライリリーはすべての条件にマッチしました。
林: イーライリリーで、イメージ通りの経験は積めましたか?
井上: 短い期間でしたが、いろいろなことに挑戦させてもらいました。私の入社当時、がん・糖尿病・EDなど各事業部がそれぞれのサイトを用意して薬の情報を掲載していましたが、情報を見に来る医師は同じ人。情報の提供とデータの活用にまだ可能性があると感じ、土台となるポータルサイトを用意しました。サイトでは今で言うパーソナライゼーションやレコメンデーションなどの仕組みも構築しています。
また、MR(Medical Representative、医薬情報担当者)が医師に直接薬の説明をしに行くのではなく、テレビ会議、Web会議のような形で医師が好きなタイミングで薬の説明を受けられるようにする仕組みもありました。
広告やキャンペーンを越えて、Webのテクノロジーを使えば、医師とMRのコミュニケーションを改善でき、事業に貢献できるという発想を持てたのは非常によかったですね。
森田: 製薬会社はB2Bですよね。
井上: ニッチなB2Bですね。ただ同時に患者とのコミュニケーションとして病気の情報提供や啓蒙、サポートを考えました。たとえば、子供が毎日、楽しみながら忘れずに服用できるように、ゲーミフィケーションの仕組みをWebサイトとオフラインを組み合わせたプログラムで実現するといったことです。
ただ、これらの仕組みは当時ソリューションとして提供されておらず、ほぼスクラッチで構築する必要があり、システム開発が経営層の期待するスピードに追いつきませんでした。なので、途中からは開発現場に入り込みプロジェクトマネージャーをやり、システムが立ち上がり、運用が軌道に乗りかけたところで転職することになりました。これらのシステムの構築はすごく大変で、今のMAなどのマーケティングソリューションが使えたらどれだけ楽だったろうと思います。
森田: でも製品が先にあってそれを使う理由を考えるより、目的に合わせたスクラッチ開発を自分で経験しているというのはいいですね。
井上: こんなことができたらお客さんが喜ぶ、結果、会社のビジネスに貢献する。ではそれをどう実現するか、目的志向で考えていました。それを実現する難しさをパートナーと話しあいながら進めました。かつてプログラミングをやっていたので、何をどうすれば実現できるのか、基本の仕組みがわかっていたことはよかったと思います。
まだ分析が根付いていない時代、数値を分析と改善のために使う
林:その後は、Adobeへ行かれたんですよね。 転職のきっかけは?
井上: 家庭の事情がありました。妻はもともと東京で働いていましたが、妊娠と出産を機に退職して、神戸へついてきてくれたんですね。ただ、妻の就職先が東京と違ってなかなか見つからず……。そこで妻は関西で、私は東京で仕事を探してみて、決まった方に住もうということになり、結局、私が先にAdobeに決まったので家族で東京に移りました。
森田: Adobeでは何を担当されていましたか。
井上: Photoshopなどのクリエィティブ領域とAcrobatのビジネス領域です。数字としては自社のEコマースでの売上を一つの指標としてもっていました。ECはいろいろな販売チャネルの一つ。当時は会社の売上の中でEコマースは小さくて、広告、データ活用、分析などできることは何でもやりました。
当時の日本法人では本社の決めたマーケティングを日本語に翻訳をして展開することがメインで、当時はまだ、サイトや広告のデータ分析をしてPDCAを回すということがさほど行われていませんでした。アクセス解析のアカウントはあるけど、活用されていないという状況でしたね。
森田: 確かに当時のプロモーション系のサイト運営では、分析するというよりも、単純に結果報告するために数値をとっているケースが多かったと思います。データから改善をしたり、最適解を導き出したりといった活用はなされていなかったと思いますので、かなり早くからWebのデータ分析に携わろうとしていたんですね。
井上: Adobeに入ってからは、「一人デジタル何でも屋」で、SEO、リスティング、運用型広告、分析、A/Bテストなど毎年やることを変えながら仕事をしていました。特に分析とテストを通じて、日本の数字は「伸びしろがある」と確信し、2010年頃デザイナー、分析担当、プロジェクトマネージャーなどからなる改善のグロースチームまで作りました。
当時のAdobeのデジタルマーケティングはまだ手を付けていないことがたくさん!
林: Adobeに9年いたのは、長く挑戦できることがあったからですか?
井上: さまざまなことにチャレンジさせていただきましたね。入社当時、Adobeのデジタルマーケティングに関しては、さまざまな伸びしろを感じました。たとえば、検索窓でカタカナで「フォトショップ」と入力しても検索結果に自社サイトのPhotoshopページが表示されないんです。だから、入社した1年目は予算がなくても、成果が出せることとしてSEOに着手。自然検索による流入を増やすことをやりました。
林: その効果が出て、次はどんなことにチャレンジしたのですか?
井上: 次は広告による流入増を狙って、2年目は日本独自のリスティング広告強化をやりました。外資系のおもしろいところは、「投資対効果がある」とわかると、「人と予算」がちゃんとアサインされるんです。だから、先程のSEOも併せて効果が認められたタイミングでその人にパスしました。
3年目は運用広告を行いました。最終的な目的は、Eコマースの売上増なので、トラフィックをある程度確保できたら、次にコンバージョンアップというステップを踏んでいきました。こうやって分析しながら、施策を試していくとおもしろい結果がわかってきました。
林: 具体的にはどんなことでしょう?
井上: 当時の日本のサイトは、USのWebサイトのデザインとコンテンツを日本語訳したサイトでした。しかし、このサイトだと全然売れないんですね。そこで、日本独自のコンテンツを用意したページを用意して、A/Bテストを実施し、その結果を基にコンバージョンがどれくらい上がるのかを本社に示しました。
Adobeを含め外資系の日本法人は、基本的にブランディングや効率性の観点から独自展開は認められていないことが多いです。ですから、日本独自のコンテンツに変更したいと打診しても最初は蹴られました。しかし、日本という市場の違いをデータや事例で示し、A/Bテストの結果を交えて、どのように売上にインパクトが与えられるのかを示し続けたところ、日本独自の展開を認めてもらえたのです。今でも、主要ページは日本独自のものですし、詳細なプランの比較表があるのは、日本だけです。
森田: サブスクリプションに切り替わったのはいつ頃ですか?
井上: 2012年から従来の売り切りであるCreative Suiteに加えて、Creative Cloudというサブスクリプションが始まり、2013年にサブスクリプションへの一本化が宣言されました。本社も含めてサブスクリプションをどう売っていいのか模索していました。日本語の翻訳でも、たとえば、サイトの購入ボタンの記載は動詞にあたる“サブスクライブ”なのか“プランを選ぶ”、買い方が変わっても従来と同じく“購入する”なのか、お客さん軸で考えデータで判断するというカルチャーが出来上がってきていたので、いろいろテストして検証し決定していきました。
ただ、サブスクリプションになってから、コミュニケーションの軸や売上の比率の多くがオンラインになりました。営業もマーケティングも自分の数字に関わるので、みんなが本気でデジタルマーケティングやEコマースに取り組むようになりました。製品ベネフィットのポイントや見せ方を変えると人の思考に影響し、売上という形で変動するので会社としてプロダクトアウトからデータ・お客さま中心のカルチャーが促進されました。また、サブスクリプションはただの売り方の違いではなく、従来のマーケティング、数字の見方、お客さまとの付き合い方も大きく変わったので、この大きな変革の時期に中で携わっていたのはおもしろかったです。
林: Adobeのキャリアの中で、プレイヤーからチームマネジメントする立場に役割を移していった感じですか。
井上: Adobeの前半は、さまざまな課題を見つけて解決していく自由度を得るためプレイヤーでした。後半は、数字を達成するために日本独自の分析と改善のためのチームを持たせて欲しいと訴えて、そのチームのマネージャーに任命されました。後半は、自分で動くよりも、採用した人にテクニックだけでなく、考え方を伝えてチームとしてより大きなインパクトを素早くまわせるようにすることのおもしろさに気づきました。
今までの経験の掛け算が自分の価値。足りないものに新たに挑戦して必要とされる希少性を高める
林: その後、KDDIに転職されるわけですよね。 今はどんなお仕事を?
井上: 私のチームではau.comやkddi.comといったWebサイト、My auというアプリ、デジタル広告、SNSなどの運用、分析やテストなどを担当しています。それぞれの担当者が運用や企画のベースとなるたたき台を作って、フィードバックして、実施の判断をしたり、施策結果のレビューなどをしています。
林: ずっと外資系企業に勤めてこられて、それとはかなり風土が異なる日本の伝統的企業に今回移られた感じがしますが、その経緯は?
井上: 理由は大きく2つあります。1つ目は、キャリアプランですね。P&Gで学んだマーケティングをキャリアプランにも取り入れています。話し出すと長いですが、たとえば、今までの経験の掛け算が自分の価値だと思っていますが、私の大きいコアとなるのは、「マーケティング」、「デジタル」、「マネジメント」の3つ。細かくみると、B2CとB2B、SMBとエンタプライズ、マス系とニッチ系、ダイレクトとインダイレクト、売り切りとサブスクリプション、ブランディングと獲得、CRM、媒体では広告、SNS、Webサイトなど、さまざまな経験を積んできました。
ここまでいろいろやっている人もあまりいないので、その掛け算が自分の強みだと思っています。あとはどの会社もデジタルを活用して変革をしようとしていたこと。これらの強みを活かしつつ、さらにこの先必要とされる希少価値をどう上げていくかを整理したときに、KDDIがマッチしました。
2つ目の理由として、「外資系だから」と言われることへのさみしさがありました。Adobeのキャリアの後半ではマーケティングソリューション事業部のお手伝いをしており、多くの日本企業のデジタルや宣伝部に具体例を交えて、Adobe内での数字の上げ方や組織変革の話をすると大抵「すごいね。けどおたくは外資系だからね」と言われるんですね。これってすごいさみしいわけです。
そもそも、外資系に入ったのはたまたまで、それまでは海外旅行もしたことがないし、英語も使わない生活でした。外資系に進みいろいろな経験をさせていただいて仕事もキャリアにも非常に充実感を感じていましたが、どこか日本に貢献していないもどかしさを感じていた時に転職の話がありました。
40歳になり、子どもは小学4年になり少しずつ手を離れてきました。「日本の企業は大変だ」と聞くので、どれくらい大変なのか知りたいと思ったんです。
林: 先ほどの図のように俯瞰的にキャリアを分析して、ご自身の希少価値を上げつつ、日本企業を内から変えていくチャレンジに打って出たわけですね。
井上: P&Gを辞めて以来、2~3年毎に自分のスキルの棚卸しをして、自分ができること、会社が必要なこと、市場などを整理しています。転職するときは、自分の経験からきちんと貢献できるかだけではなく、自分の面積が増やせる会社なのかどうかを考えます。Adobeは楽しく、会社としても変革の連続であり、手を上げ続けることで新しい面積が増え続け、気づいたら9年目に入ろうとしていましたが、2017年の年末にキャリアを考えていた時、KDDIから話をもらって転職することにしました。
マネジメントで人を育て、より大きな影響を与えることが今のキャリアプラン
林: いろいろな経験を通して知識・スキルを血肉化してこられた印象ですが、転職時などはどんなふうに学んでいるのですか?
井上: 新しいことを学ぶときはまずはひたすらインプットします。人に話を聞いたり、その領域の本を3~8冊くらい読みますね。インプットして考えて整理して、実験してアウトプットするという流れですね。
ただ本やセミナーの情報は、きれいに整理されてはいますが、その方の状況の話でもあり、時にはポジショントークもあるので、トレンドを押さえながらも、著者や話者の背景を意識しています。本を読むときも、ツッコミを入れながら読んでいます。何冊も読んでいると、共通のこと、大きな構造が見えるので、自分の会社の課題解決にどう活かせるかを考えて、トレンドや技術とのマッチングをします。マッチングしたら実際に試して効果を検証していきます。なんのためにやるのか目的志向で考えて、整理します。
自分の領域に直接関わりのあるマーケティングやマネジメントの本だけでなく、息抜きに他業界のことや心理学やAI、財務など少し違った領域のテーマも取り入れて読んでおくことで、T字と言いますか、広く薄く知識をつなげていく意識もしています。
森田: プレイヤーからマネジメントにレイヤーが変わることへの抵抗はありませんでしたか?
井上: 手を動かさないことへのリスクは少なからずあると思います。でも、個人でのチャレンジより、チームで取り組み、人を教育することでもっと大きなインパクトが与えられると考えています。
林: 具体的には、どのように人材育成に取り組んでいるのですか?
井上:たとえば、様々なトレーニングはもちろんですが、会議体を大きく変更し、上に承認を得るためだけの会議や資料作りを減らそうとしています。外資系との企業風土の違いでいえば、ミーティングが多いと思うのですが、会議の場は、データやアイデアを出し合い、議論をし、課題に対して解を見つけ、決める場とメンバーの意識を改めました。そして、自らオーナーシップを持って課題や可能性を認識し、戦略をもって成果を導き出すということを実践してもらいたいと思っています。
林: 最後に仕事する上で大切にされていることは?
井上: 仕事やキャリアで意識しているのは2つあります。
- 「Be positive」であるか
- 「Comfortable」な状況になっていないか
大変なことや嫌なことでも、自分の成長に繋がるとポジティブにとらえて楽しむことを意識しています。眉間にしわが寄ってないかは、日々意識するようにしています。たまにメンバーに指摘されて気づくこともありますが。
また、楽な環境では成長のスピードがとまってしまうので、快適すぎになっていないか、と自問自答して、違うことに挑戦し続けるようにしています。
林: それが絶妙なタイミングの転職にもつながっているのですね。
井上: 転職するしないに限らず、この2つを意識すれば改めて今の会社の良さを知ったり、可能性を見つけたりできます。
その上で、定期的に自分のスキルと経験の棚卸しをして、自分の方向性やゴールを変えてもいいと思います。私も最初はスペシャリストを目指しましたが、今は人を育て、チームを育てることで自分も育てられ、より大きな影響を出すことを目指しています。定期的に自分の状況とキャリアプランを客観的に整理する習慣をつけることをおすすめします。
二人の帰り道
林: 最初の転職以来「2~3年毎に自分のスキルの棚卸しをして、自分ができること、会社が必要なこと、市場などを整理しています」って、地味に「すごい!」ことだと思うんですよね。地味にっていうと失礼な物言いですけど、言い換えるなら「突飛でないだけに誰もがやろうと思えばできること、だけど実際にやり続けるのはたいそう難しいこと」。
さらに、井上さんはそれを続けるだけでなく、ものすごく精度高くやってこられたように思います。自分のキャリア観、自社の課題、市場の問題点を下手に分離せず“一枚絵”で整理して俯瞰して見てみて、自分はどこで何をすべきか結論を導き出しているようなアプローチに強く惹かれました。
「三方よし」のバランス感覚をもって、ご自身のキャリアをデザインし、それを今だというタイミングで行動に移して、アップデートし続けてこられた人生を垣間見させてもらったように思います。
森田: ご自分のキャリアをかなりボリュームのあるドキュメントにまとめていらして、まずそれだけで感心してしまいました。各社での経験を要素レベルで抽出もしてあり、それらの掛け算があって今こうなっているみたいな整理になっていて、それがすごいんです。たとえばB2CもやったしB2Bもやった、売り切りもやったしサブスクリプションもやった、といった具合で、そういう観点で見ていけばそれぞれの領域を網羅したともいえるわけです。このやり方は、キャリア形成の検証として腑に落ちるなと思った次第です。これはもう、さっそく自分も20年ばかりの仕事人生の棚卸しをしようじゃないかと。思い立ったが吉日です。自分を顧みてから今後のことを考えようと思いました。あ、フォーマットがあるとやりやすいのでデータもらえると嬉しいです。
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