Moz - SEOとインバウンドマーケティングの実践情報

コンテンツが良ければ検索順位は上がるなんて思ってたら間違いだ

美食家をうならせる最高の料理を出す地方の食堂が、家族経営で宣伝をしないため地域の人にしか知られていないという状況は多々あるのだ。

僕はだいぶ前からクリス・ディクソン氏のすばらしいブログの大ファンなので、ディクソン氏が先週の投稿でSEOについて書いているのを見て僕が心底喜んだことは想像に難くないと思う。

※Web担編注 この記事で語っている上記クリス・ディクソン氏のブログ記事の和訳を以下に記載しておく。

「SEO(検索エンジン最適化)」とは、「検索エンジンのオーガニック検索のトラフィック経由でサイトに訪問者を連れてくること」という意味で広く使われている用語だが、私はこの用語が好きではない。その理由の1つに、SEOと言う用語は、しばしば本来は認められていないリンクのやりとりや検索エンジンスパムとともに語られるからだ。また、SEOコンサルタントはしばしば、エンジニアができるはずの非常に基本的なこと以上はしてくれない。しかし、最も致命的な側面は、「最適化」という言葉によってSEOが最後の仕上げであり、デザインや開発の中心に置くのではなく最後に後づけで行うようなものであると示唆する点にある。残苑ながら、SEOという用語はすでに広く使われているため、印象は固まってしまっている。

SEOは非常に重要である。というのも、一般のユーザー(技術の世界に生きているわけではない人たち)がURLを直接入力できるお気に入りのサイトはごく少数であり、それ以外はどこへ行くにも検索エンジン、特にGoogleを使うからだ。90年代において、人々は「トップページ」「サイト構造」について語っていた。ほとんどのトラフィックはユーザーがURLを直接入力することで生まれていた時代には重要だった。しかし、多くの新興企業において(少なくとも初期の2~3年は)、すでにこれは当てはまらなくなっている。考慮しなければいけないユーザーの流れとは、Googleでキーワードを入力して検索し、サイトの内部ページの1つにランディングする流れなのだ。

SEOにおいて必要な最大の決断は、「Google楽観論」にもとづくか「Google悲観論」にもとづくかだ。楽観論にもとづくということは、マウンテンビューにいるコアアルゴリズムチームの賢明な人々が、彼らの仕事をちゃんとすると信用するということだ。つまり、良いコンテンツが上位に表示されると信じることだ。

Google楽観主義になる最も良い方法とは、検索エンジンは情報のマーケットプレイス、つまり、情報の需要側(ユーザー)と供給側(サイト)をつなぐ役割だと考えること。つまり、ユーザーが今日において何を欲しているか、将来において何を欲するかを真剣に考え、ユーザーがその欲求をどんなキーワードで表すかを考え、どこに情報の供給側と需要側のギャップ(溝)があるかを考え、いかにしてそのギャップを埋めるコンテンツや体験を作り出せるかを考えるという役割だ。

とはいうものの、SEOには「最適化」という技術的な側面が残っている。内部のURL構造や、ランディングページのテキスト、ほかにもSEOコンサルタントが語るさまざまなものがある。幸いなことに、多くの良質なSEOアドバイスは、良いUI/UX(ユーザーインターフェイスやユーザーエクスペリエンス)のアドバイスでもある。個人的に、私はこういった施策を社内で行うようにしたい。そのためにも、社内のプログラマやデザイナーに、SEOmozSearch Engine LandMatt Cuttsなどのサイトを日々読むように言うようにしたい。

ありがたいことに、ディクソン氏はSEOmozについて触れてくれているが、そのコメント欄でいささか気になる考えも示されていたので、これを書いている。次のようなやりとりがあったんだ。

ランド:ディクソンさん、あなたが指摘し忘れている最大の問題は、すべての検索エンジンが採用している重み付けや順位決定要因の70%以上がリンクに左右されているという点です。どうすればユーザーやブロガー、ライター、メディア、他のサイトなどからコンテンツやページにリンクを張ってもらうか考えていないと、こうしたことをしっかり考えている人間に負けることになります。

少し前に、新興企業のマーケティングにSEOの視点が欠落していることにいらだちを感じて、記事を書きました。少々怒りすぎの感はありますが、この件には関連性があるし、役に立つかもしれません。

ディクソン氏:ランドさん、リンクについてはまったく同意見です。でも、とにかくすばらしいコンテンツを作成すればリンクを獲得できるんじゃないですか?

ところで、リンクなさった記事を読みましたが、これはまったく同感です。

ランド:あいにく、少なくとも経験上からいわせてもらうと、その考えは大きな間違いです。すばらしいコンテンツが、リンク重視のオーディエンスにあっさり見落とされてしまう一方で、実につまらないコンテンツでも、マーケティングが上手なものだったら(あるいは適切な関連性があったり、適切なソースから作られたものだったら)、それを上回る成果をあげがちです。

ウェブのリンクグラフは、質がものを言うわけじゃありません。人生のたいていがそうであるように、人気コンテストなんです。いちばんリンクを張りそうなオーディエンスに、自分のコンテンツを配信/宣伝/マーケティングするもっとも効果的な方法を見出した者が、「すばらしいコンテンツ」を作っているだけの者よりずっと成功をおさめるのです。

政治と同じようなものだと思っていただきたい。最も理性的で合理的かつ知的な主張というのは耳にすることが少なく、例外的なものです。むしろ、人々が話題にし、メディアが注目する(ひいては、社会に認識される)のは、簡単に理解できて他人に伝えやすく(そのせいで、うわさや当てこすりが事実よりも幅を利かすこともしばしばあり)、(難しくするのではなくて)おもしろおかしく話せるような考え方です。

このテーマに関する記事はこちら(日本語記事)。

ディクソン氏に、「あなたが正しい。コンテンツが良ければ良いほど、質の高いリンクを大量に獲得できるんだ」と言えたらどんなにいいだろう。だが、悲しいかな実際はそうではない。コンテンツ界で「より優れている」と評価されるものが、リンクを獲得して、上位に表示されるとは限らない(というより、そうなるほうが珍しい)。それよりも、リンクを獲得する狙いで「より最適化した」ほうが、検索順位やトラフィック獲得でずっと優位に立つことが多い。

これは非常に悲しいことだと思えるかもしれない。ウェブが体現しているとされる民主主義的構造を愚弄するものだとさえ見えるかもしれない。だが実際のところ、マーケティングというのはすべて、昔からこういう形でやってきた。

宣伝などまったくしない家族経営の小さな食堂が「最高の」レストランの1つであって、グルメをうならせるその絶品料理は(広く知られてはおらず)、飽くなき探求心で美食を求める者以外に知る人がいない、というのはよくある話だ。一方、人間性や料理とはかけ離れたところで勝負しているのが、イタリアンレストランのOlive Gardenだ。Olive Gardenはあちこちの街で執拗に宣伝を行い、完璧な市場調査を実施して、最も大きな割合を占めるごく平均的な消費者にアピールし、あらゆる地域と市場に浸透している(話はそれるが、僕の妻はイタリア系なので、この現状や、その結果もたらされた愛するイタリア料理への悪評に話が及ぶといやな顔をする)。

人生の多くのことと同じで、大事なのは、その分野でどれだけ勤勉に質の高い仕事をして、才能を発揮したかということではなく、うまく売り込めるかどうかだ。SEOに責任をもつ者として僕たちの任務は、とびきり最高のコンテンツがその分野で最も注目され、愛され、リンクを張ってもらえるようにすることだ。これは奇妙で、逆説的な論理の飛躍かもしれないが、こう考える方が受け入れやすいし、クライアントや上司に説明するのも簡単になる。

追記:僕はクリス・ディクソン氏が新しく立ち上げたHunchのファンでもある。すぐにチェックして、数十項目の質問に答えてみよう。実におもしろい結果が得られるだろう。

※Web担編注 「じゃぁ良いコンテンツを作るのは意味がない」「良いコンテンツならば上位に来ることは多い」といった反応があるだろうから、念のために確認しておく。この記事で語られているのは、「良いコンテンツだというだけでSEOが成功するとは限らないから、良いコンテンツを作り、さらに検索エンジンで適切に評価されるようにするアクションをとることが重要だ」ということであって、「中身のないコンテンツを作って、リンクだけ集めれば良い」という話ではない。良いコンテンツであれば、成功の確率は高まるだろう。しかし、運が悪ければ良いコンテンツであっても失敗することもあるし、同じ質であればSEO施策をちゃんとしているページに負けてしまう。ビジネスを成功させる役割を担う人間としては、その成功の確度を上げるための施策をないがしろにしてはいけないのだ。

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