マーケターの強い味方になり得るか⁉「新製品の需要予測AI」を活用する資生堂ジャパンの挑戦
今年で創業150周年を迎える化粧品メーカーの資生堂。同社では、人による統計分析で需要予測に長らく取り組んできたが、2018年以降、AIを需要予測に取り入れている。試行錯誤の末、現在は人間よりも高い精度で予測を出せるようになりつつあるという。
発売前に行う新製品需要予測はマーケターにも興味深いはず。そこで、「デジタルマーケターズサミット 2022 Summer」に、資生堂ジャパンの香西賢人氏が登壇。同社のAIを活用した需要予測について講演を行った。
ビジネスにおける需要予測は「経営への貢献」を目指す
課題を整理して需要予測を行うことが大切
一言で需要予測といっても、ビジネスにおける需要予測は「デマンドフォーキャスティング(Demand Forecasting)」と「デマンドプランニング(Demand Planning)」の2つの概念に分けられる。
- デマンドフォーキャスティング: 過去の実績データや統計データをもとに客観的に予測する方法
- デマンドプランニング: デマンドフォーキャストに企業の経営戦略や事業計画、マーケティング計画など未来のデータを、加味して予測する方法
「需要予測にあたっては、どちらに課題があるのかをまずは整理してほしい」と香西氏は話す。
需要予測にあたって覚えておきたい役割としては、Sales and Operations Planning(S&OP:販売業務計画)がある。資生堂ジャパンのS&OP部門では、経営計画、中長期企画などのトップダウンの「事業計画」と、業務計画、直近のデータからの予測などボトムアップからの「需給計画」の乖離を見つけて、すり合わせを行っている。そして、すり合わせによって得られた需要予測を通して、最終的にはROI(Return On Investment:投資収益率/投資利益率)、在庫回転率などの経営指標を改善し、「経営に貢献する」ことを目指す。
資生堂ジャパンのS&OPの活動とは?
需要予測の高度化にあたっては、次の6要素に対応し、評価していく。
- 需要予測の「ロジック」
- 需要予測をする「システム」
- 方針を決める「マネジメント」
- 予測を行う「組織」
- 予測のスキルを持った「人材」
- 予測に必要な「データ」
AIは主に、このうちの「ロジック」を強化するものだ。また、資生堂ジャパンのS&OPでは、「需要予測の戦略的活用」をミッションに、以下の3つを意識した活動をしている。
- 変動リスクの想定:複数の需要予測を出して、その差異をみて、リスクを金額化する。
- ヘッジアクション:想定リスクを最小限に抑える案を積極的に推進し、店頭・工場と連携する。
- インテリジェンス:最先端の技術でデータ分析し、それを踏まえて示唆に富んだ情報発信をする。
ビジネスインパクトの大きい「新製品の需要予測」に取り組む
どんなふうにAIを活用しているのか?
AIによる予測は一般的に、次の3ステップで行われている。
- 過去のデータを教師データとしてAIに学習させる
- 予測モデルを作成する
- 予測モデルを使って、予測値を計算する
なお、予測モデルには2つの活用方法がある。1つは「理解思考」。理解思考は、予測の根拠を重視するもので、人手による統計モデル、時系列モデルなどが該当する。もう1つの「応用思考」は、根拠は曖昧でも予測の精度の高さを求める活用方法で、AIモデル(機械学習モデル)が該当する。
AIモデルは複雑で根拠が曖昧なため、人間による根拠のある予測の「セカンドオピニオン」として活用しているという。
新製品需要予測にAIを使う背景は?
需要予測AI開発に取り組む前は、既存品を1としたときの新製品の予測誤差率が1.5で、新製品の予測精度は高くなかった。そこで、ビジネス的なインパクトの大きい新製品の需要予測に取り組むことになった。
2017年からSCM(Supply Chain Management)領域でPoC(Proof of Concept)を実施。しかし、実務活用は困難な精度だった。翌2018年には、社内外のあらゆるデータ300種類をAIに学習させたが、それでも人の予測の精度を上回ることがなかった。2019年から2020年にかけて、本格的なAIモデルの構築に取り掛かり、ここで初めて人の予測を上回る精度のAIモデルができたのである。
従来手法を上回る精度を実現した「新製品需要予測AI」の成功要因とは?
では、従来手法を上回る精度を実現した「新製品需要予測AI」の成功要因はどこにあるのか? 要因を示す前に、まずは新製品の需要予測AIモデルがどのように予測を行っているのかから紹介する。
階層に分けて売上予測を行う
需要予測AIモデルでは、いくつかの階層に分けて予測を行っている。まず製品ファミリーの売上予測を行う。たとえば、口紅ならシリーズの口紅全色全体の売上予測、化粧水なら本体、詰替え用の合算の売上予測になる。
製品単体(SKU別)の売上を予測するにあたっては、口紅なら色調構成比予測モデル、化粧水なら本体レフィル比予測モデルを使って、一品ごとの予測を実現する。こうして口紅一色単位の売上、化粧水の本体の売上、化粧水の詰替え用の売上を予測するわけだ。この予測を大きく誤ると、品切れ、過剰在庫に陥ってしまう。
どのようにAI予測モデルの精度を上げたのか?
では、精度を上げるためにどのようなことをしているのか? 実際の売上に対して、次図のように、人による売上予測、AIの売上予測の誤差比率を比較してみると、人による予測を1とした場合、ブランドAとBは約10%精度が高くなったが、ブランドCでは約20%劣る結果となった。これは、モデルの生成の違いによるものだ。
ブランドA、Bは、『特徴量エンジニアリング』を実施していますが、ブランドCは既存データのみを入れて予測しています。AIによるモデル構築においては、特徴量エンジニアリングが予測精度改善のブレイクスルーでした(香西氏)
特徴量エンジニアリングとは?
では、特徴量エンジニアリングとは何か? 特徴量エンジニアリングとは、既存データの特徴量(変数)と専門分野などの知見などをミックスし、新たな特徴量を見つけ出すことだ。資生堂ジャパンには市場に精通したデマンドプランナーがいるので、彼らが知る複数の特徴量をミックスし、さらに新しい特徴量を生み出すプロセスを経て、AI精度を向上させた。以下は、AI予測の精度の変遷だ。グレーの点線が人による予測精度、赤の実線がAIによる予測精度だ。
2018年、2019年は、人間の予測精度には及びませんでしたが、2020年から特徴量エンジニアリングをかなりの回数実施したところ、2020年1月にはほぼ同程度、3月には約25%上回りました。特徴量エンジニアリングが精度向上に大きく貢献したことがわかります(香西氏)
特徴量エンジニアリングの例
特徴量エンジニアリングの例を、図を用いて紹介する。
上図の左側の青い方が元からあった特徴量になる。上の段では、発売年月、ブランド、美類(商品のバリエーション)、下の段では、顧客ID、商品名、購入日、価格がある。これらを組み合わせた結果、上の段では「同時発売美類数」、下の段では「ID別購入単価」という新しい特徴量が現れた。
同日発売美類数とは、化粧水に複数タイプが発売された場合、顧客はいずれかのタイプのみを購入するので、同時発売された美類が多いと、一つひとつの売上が下がるという特徴量だ。ID別購入単価は、顧客1人の購買単価の特徴量を指す。
なお、資生堂ジャパンでおこなう発売5ヶ月前の予測時点でわかる情報は発売時点よりも少ない。たとえば、発売後の店頭の温度感はわからない。そこで、店頭への投資額など、5ヶ月前時点でわかる情報をかけ合わせて特徴量エンジニアリングを行い、店頭の盛り上がり指数を出してAIに入れている。
多様なデータの活用
もう1つ、AIの予測精度を上げるうえで突破口となったものが、多様なデータの活用だ。
口紅の色ごとの売上を予測するにあたって、人の予測では、店頭で接客するパーソナルビューティーパートナーの意見やマーケティングの意向を基に予測を行ってきた。AIモデル生成にあたっては、研究所が持っていた既存製品などのRGBデータに着目した。このデータに加えて、顧客属性データを特徴量エンジニアリングした結果、予測精度が人の予測を上回ることになった。ただし、口紅をあまり販売していなかったブランドでの口紅の予測は、人の予測を下回っている。データそのものが少なければ、精度が改善しないということだ。
より高度な予測値活用を探る
なお、新商品の売上予測モデルは過去のデータがない分、既存製品よりも予測難易度が高いため、「商品軸モデル」「顧客軸モデル」の2つを活用している。商品軸モデルは、商品売上をダイレクトに予測するモデルだ。顧客軸モデルでは、顧客一人ひとりの売上の積み上げにより、商品全体の売上規模を予測する。
最初は商品軸モデルのみを使っていましたが、うまくいかない領域があり、改善するために顧客軸モデルを取り入れ、一人ひとりの購買データを積み上げて、全体の売上を予測するモデルを作りました。予測のロジックが異なるので、それぞれ得意・不得意があるので、使い分けています(香西氏)
新製品需要予測AIの成功要因
香西氏は、「市場や顧客に精通した需要予測のデマンドプランナーが主導して、特徴量エンジニアリングを行うことで成果が出た」と振り返る。
なお、特徴量エンジニアリングにおいては、さまざまな属性のデータを取り入れることになるが、「大企業であるほど、各部門がそれぞれバラバラにデータを貯めているため、データの収集に苦労する」と香西氏は話す。データを収集するためには、他部門への協力要請が必要で、人脈を活用して集めることもあったという。
ただし社内にあるデータのすべてを使うのではなく、「どのデータが予測精度向上に効果があるのか、価値のあるデータを見極める必要がある。データの質と量が重要になる」と話す。データ量が少ない、欠損値が多い、データの取得方法が統一されておらず品質が低いといったデータを使っても、精度が上がらないからだ。
需要予測のDX(デジタルトランスフォーメーション)
続いて香西氏は、AI活用の取り組みを踏まえて、需要予測がDX(デジタルトランスフォーメーション)とどう向き合うかについて触れた。
DXでねらう3つの価値
不確実な未来の市場変化を予測するとき、DXでは「多面的思考」「俊敏性」「納得感」の3つのうちいずれか、または2つ以上を組み合わせて向き合っていくことが大切だと香西氏は話す。
不確実な未来を予測するために特徴量エンジニアリングを行い、多面的に分析し、PDCAを繰り返して精度を上げていったように、『多面的な思考』が必要です。または、『俊敏性』や『納得感』を持って、次のアクションや方針を決めて進めていくことが望ましいです(香西氏)
AI活用のための組織設計
そしてAI活用のための組織設計としては、「ビジネスプロフェッショナル」「データサイエンティスト」「AI」の3つが連携する必要があるという(参考:『需要予測の基本』山口雄大:著 日本実業出版社:刊)。
資生堂ジャパンの場合ではデマンドプランナーが「ビジネスプロフェッショナル」に該当し、市場、顧客を踏まえて、AIの精度を上げていくにはどうすればいいのか、仮説を提示してきた。「データサイエンティスト」は、ビジネスプロフェッショナルの仮説に基づき、データベース設計、データエンジニアリングを行う。同社の場合、ここは日鉄ソリューションズによる支援があった。
そして、分析を行い、予測結果を出すのが「AI」。同社では、データを入れればボタン1つで複数の予測モデルを比較し、精度が高いモデルを選べるAIプラットフォームであるDataRobotを活用した。香西氏は「AIの精度向上には、DataRobotによるモデル開発の自動化の貢献が大きかった」と話す。
求められるスキル
「ビジネスプロフェッショナル」「データサイエンティスト」「AI」のそれぞれに求められるスキルをまとめたものが次になる。
ビジネスプロフェッショナルには、ビジネスドメインの知識、経験、市場や顧客心理に基づく行動予測ができるスキル、さらには、それをもとにAIの精度向上の仮説を立てられるスキルが求められる。自社の事業や顧客の知識が必要なので、自社で育成をしている。
データサイエンティストには、AI学習用データの整理や機械学習アルゴリズムの理解、データセンシング技術の知識が求められる。ビジネスプロフェッショナルのもつ知見をデータで表現してAIに投入できることは重要なスキルである。
AIについては、特徴量エンジニアリングを短時間で繰り返し実行できる環境が必要だ。人がプログラミングをしてもよいが、短時間で大量のモデルを構築するにはツールを活用するのがおすすめだ。
リバースフォーキャスティングで、予測の根拠を説明するのは人間の役割
では、AIの予測データをどう活用していくべきだろうか。同社では、当初、マーケターや生産管理担当者にAIの予測値をそのまま伝えていたが、納得感がないために活用がうまくいかなかったという。そこで、リバースフォーキャスティングによって、AIの予測値に対してなぜこの数値が出ているのか、仮説を考えて、関係者に説明するプロセスを取り入れた。
AIの予測値を伝えるには根拠が必要で、経営層に予測値とともに根拠を伝えて経営判断に活用してもらうのは人間の役割です(香西氏)
同社では予測値活用については、人による予測をメインにし、AIによる予測を組み合わせて活用している。たとえば、人による売上予測が1,000個だったとき、AIの予測が800個だったとする。下振れのリスクがあるので、その分在庫を減らす検討をおこなう。反対に上振れなら、在庫の積み増しを検討する。
AIの予測については、振り返りと分析を行い、不足している特徴量や実績データとの誤差の原因を検討し、モデルをアップデートしているという。
最後に、今後のマーケター、需要予測担当者の役割としては、次のことが求められると香西氏は話し、講演を締めくくった。
- AIの学習を前提としたデータ管理:生のデータや特徴量エンジニアリングのデータなど、いつでもAIにインプットできるようにデータ管理をする。
- AI学習データとしての戦略ヒアリング:これからのマーケティング計画、営業計画などについて、関係者から具体的にヒアリングして情報を収集する。
- 多面的な分析による妥当性の評価:データを多面的に分析する。
- 予測根拠の解釈、整理と関係者への提示:リバースフォーキャスティングに代表される予測根拠の解釈を行い、関係者に伝える。
- 業務担当者自身の主体的なAI活用:AI予測値の信頼を得るためにも、需要予測担当者本人が自ら活用することで、浸透させていく。
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