森田雄&林真理子が聴く「Web系キャリア探訪」

伝説のTwitter企業アカウント“中の人”の先駆け。「誰と働くか」を基準に新しいキャリアに挑戦

キャリアのスタートは、プロミュージシャンだったという風間さん。広報宣伝の仕事との出会い、劇団四季、良品計画を経て、現在は顧客時間でコンサルタントをしている。そんな彼のキャリア観を聞いた。

無印良品のTwitter公式アカウントの中の人、というとピンと来る方も多いかもしれない。企業が運用するTwitterアカウントとして先駆け的な存在で、ユーザーとのちょうどいい距離感はその後の公式アカウント運用のお手本となった。その中の人だった風間公太さんは、現在デジタルマーケティングやデジタルトランスフォーメーション支援業務を中心とする会社の顧客時間で働いている。

キャリアのスタートは、プロミュージシャンだったという風間さん。広報宣伝の仕事との出会い、デジタルマーケティングへの考え方、そして現在の仕事についてお話をうかがった。

Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。
インタビュアーは、Webデザイン黎明期から業界をよく知るIA/UXデザイナーの森田雄氏と、クリエイティブ職の人材育成に長く携わるトレーニングディレクター/キャリアカウンセラーの林真理子氏。

音楽制作のためにパソコンを利用。そしてプロミュージシャンに

林: 風間さんは40代半ば、20年以上のキャリアをお持ちですが、コンピューター、Webに最初に触れたのはいつ頃ですか?

風間: 中学に入学した時にNECのPC8801を親に買ってもらったのが、コンピューターとの出会いですね。当時、ファミコン全盛期で周りの友達が皆持っていたので、逆にこの波にのってはいけない、と思っていまして。

子供の頃からピアノを習っていたこともあって、パソコンで打ち込みをして音楽を作るようになりました。80年代のシンセサイザー音楽が好きだったので、中学、高校はバンドをやっていました。大学に入ると、Macintosh Performa 588 が個人で買える値段で登場したので、Macで音楽制作をするようになり、その頃インターネットも始めました。

森田: 1995年くらいですかね。その時はもう社会人になっていましたか?

風間: 学生か社会人か…はっきり覚えてないんです。というのも、私は大学時代に音楽の仕事をするようになって、そのまま大学を中退したからです。しばらくはフリーミュージシャンとして、アーティストのバックバンドの仕事など裏方的な仕事をしていました。

林: プロのミュージシャンとしてキャリアをスタートされたのですね。

株式会社顧客時間 風間 公太 氏

音楽学校で広報宣伝の仕事と出会い、劇団四季へ

風間: その後フリーミュージシャンだけでは食べて行けず、音楽学校の講師の仕事をするようになり、音楽理論、ロック史などの授業をしていました。数年後、その学校の広報担当が退職することになり、その人から「後任にならないか」と言われ、学校の広報、宣伝を担当することになりました。それがマーケティング領域に触れたきっかけで、20代半ばでした。

森田: 学校の広報は楽しくやっていたのですか? それとも自分の進むべき道かどうかで悩むことになったのでしょうか?

風間: ずっと自分の芯の部分で音楽をやりたいという思いがあって、音楽に関わる仕事ができるのは本望でした。同時に広報宣伝の仕事をやってみて、性に合うことがわかり、その仕事も楽しかったです。ただ、学校は入学者の定員があるので、広報宣伝をうまくやっても、限度があるというもどかしさもありました。そこで、エンタテインメントに関わる業界で、もっとこの仕事をできないかと思って、30歳になった2004年に劇団四季に転職しました。

林: 音楽に関わり続けるとはいえ、ご自身で作曲や演奏をする立場を手放すことについては、葛藤や抵抗はなかったですか。その当時の風間さんにとって、広報に移るのは自然なことでしたか?

風間: 自然でした。プレイヤーとしての音楽は趣味でも続けられますし、仕事は違う形で音楽に関われればいいなと思いました。

劇団四季の最終面接で、浅利慶太さんから「この世界は『観る天国、やる地獄』。それは役者も裏方も変わらない」と言われたことは今でも印象に残っています。

森田: 実際に入社して、どうでしたか?

風間: エンタテインメントの仕事は、人が休んでいる夜や土日に働きます。私は舞台には出ませんが、舞台にきて頂いたメディアの方へのアテンドは広報の仕事です。必然的に夜間や土日の仕事が多くなります。また「広報は外に出て人に会うことに価値がある」慣習から、昼間にオフィスにいると怒られましたね。

林: 具体的には、どんな役割分担で、どんな活動をされていたのですか?

風間: メディアと信頼関係を築いて、取り上げてもらうことを目的に、常にメディア関係者と会っていました。また、演目ごとにPR責任者がいて、メディアごとにテレビ担当、雑誌担当など分けていました。

森田: 宣伝のメディアは、その時でもテレビや雑誌だったんですね。

風間: ネットも普及しつつありましたが、それでもテレビ、雑誌、新聞が強い時代でした。メディアによって雰囲気もマーケットの大きさも違うので、いろいろ鍛えられて勉強になりました。

森田 雄 氏(聞き手)

実態のあるモノを売りたいと無印良品へ

森田: 劇団四季には、どれくらいいたのですか?

風間: 2年程です。それまでのキャリアで音楽、教育、舞台を経験してきましたが、どれも形がないものでした。次は、形のあるモノを扱う世界でデジタルマーケティングがやりたいと思って、転職しました。

林: 2004年から2006年頃だと、劇団四季ではどんなデジタルマーケティング施策を手がけていらしたんですか?

風間: デジタルマーケティングが私の主たる業務ではありませんでしたが、Webサイトに公演の情報を載せたり、リスティング広告をやったりと少し関わっていました。

劇団四季は、デジタルに先進的な取り組みをしていて、チケットぴあと共同でコンピューターによるチケット販売や、座席指定できるシステムを先駆けて展開していました。それで、この先デジタルの経験を積んでおくと自分の武器になる可能性が高いと直感したんです。

林: それで、次に良品計画に転職されたわけですね。

風間: はい、そうです。良品計画のWebサイトに、「デジタル人材募集」の求人が出ていたので、そこから応募しました。

林: 転職サイトを使ったり、人の紹介で…というのではなく、直に良品計画のWebサイトから応募して入社されたんですね。

風間: 転職したのが2007年ですが、まだ転職エージェントなどはそれほどありませんでした。スマホもアプリもない、PCのインターネットの時代で、主に扱ってきたメディアは異なりますが、コンテンツを制作して世の中に発信する部分は、それまでのキャリアと共通点があったのだろうと思います。

森田: 2007年なら無印良品のECサイトがありましたね。どういう職種で入社されたんですか?

風間: Web事業部のディレクター職で、最初はECのコンテンツ企画、制作のディレクション、新商品のキャンペーンコンテンツ制作などを担当していました。自分たちの会社の商品をWebで伝えていく仕事です。

林: エンタメ業界から小売業に移る上では、新たに必要となる知識も多かったと思いますが、どんなふうにインプットしたのですか?

風間: 私は人見知りなこともあって、積極的に人に「教えてほしい」と言えないタイプでした。ただ、わからないことをそのまま放置することもできません。網羅的にマーケティングに関して学ぶために、良品計画に入ったときは、広告批評が運営していた広告学校に自費で通いました。土日のみの、2~3か月のコースで、体系立てて学べたと思います。

林 真理子 氏(聞き手)

Twitterの出会いがターニングポイント。オンラインで店舗のような接客をする

森田: 良品計画には、かなり長く在籍されていたイメージがあります。

風間: そうですね、11年ちょっと働きました。その間にWebでできることが大きく変わりました。ただ入社して2年くらいたったとき、仕事があまりおもしろいと感じなくなってしまったんです。プロパーの方が多い会社だったので、中途入社として将来のイメージが描きにくいとも思っていました。

ターニングポイントになったのがSNSとの出会いで、2009年10月にTwitterの運用を開始しました。

林: 企業の公式アカウントとしては、先駆け的な存在でしたよね。

風間: 2008年のアメリカ大統領選挙でオバマ氏がTwitterを使ったことが話題になっておもしろそうだなと思いました。日本では、企業ブログが流行っていましたが、ブログは運用継続が大変そうです。Twitterなら140文字だし、一人でもできるなと。

無印良品の課題として、商品の種類が多いので、お店の目立つ場所に陳列できる商品、メルマガで紹介できる商品は、ごく一部に限られてしまうことがありました。積極的に紹介していなくても、魅力的な商品はたくさんあります。Twitterならそうした商品に光を当てられるかも、と考えました。

そこで直属の上司にTwitter運用を提案して承認されました。私はPRの経験が長いですし、企業広報のプレスリリースも書いていましたから、企業としてのOK/NG表現の線引きなども熟知していることもあって、一任されました。企業がTwitterを運用するのは新しい取り組みだったので、メディアに取り上げられることもありました。

森田: Twitterで仕事が楽しくなったんですね。

風間: そうですね。今思えば、中途入社で企業広報をやっていたからこそできたんだと思います。プロパーの方だと、いろんなことを気にしてやりにくかったかもしれませんね。

運用を開始した当初は、世に知られていないニッチな商品を紹介して、ECサイトのトラフィックにつながればいいな、くらいの気持ちでしたが、Twitterで知ってお店に見に行った、買ったというような声が徐々に届くようになりました。これは新しいコミュニケーションの形が作れるなと思って力を入れていくようになります。

森田: 直近10年くらいで変わりましたよね。PCで見るWebサイトは作って届けるところまでを担うので内容を制御できましたが、SNSなどのアーンドメディアの台頭により、企業の発信はコミュニケーションのきっかけづくりまでで、醸成に関してはユーザーに委ねられるというような変化がありました。

風間: SNS以前は、企業のコミュニケーションは広告費用などの資本力に頼らざるをえない部分も多かった気がしますが、TwitterなどのSNSは、運用している人の力量でコミュニケーションできます。当時、SNS運用がうまかったのは小売業が多かったですよね。常にお客さんと接していてその延長にTwitterがあったからだと思います。かっこいい広告ではなく、普段の接客をデジタル上に変えることで、お客さんと一緒に盛り上げられるようになりました。

森田: 無印良品は、商品というモノが共通言語になるので強いですよね。普段、お客さんと直接には接していない企業の場合は新しいコミュニケーションだからと、身構えてしまうことがありました。

風間: 今も状況が変わっていないところもありますね。SNS運用の相談を受けると「質問がきたら返答したほうがいいのですか?」と聞かれることがあります。店で店員がお客さんに話しかけられたら、反応するのが普通ですよね。

林: 炎上事例を見聞きすることが多いから、恐怖心が先に立ってしまうのかもしれませんね。対応を間違えちゃったらどうしよう、という不安もあるかもしれません。

風間: 100%の正解でなくてもいいのです。私も全部には答えられないので、オフィシャルの問い合わせ窓口を紹介することも多かったです。店舗の店員も全てに答えられるわけではなく、わからなければ「確認します」というのと同じです。SNSは普段のコミュニケーションとは別のものとしてとらえている企業はもったいないなと思います。

デジタルの成功体験を少しずつ重ねることで、デジタル化が推進できる

林: 風間さんが良品計画に在籍していた11年間は、まさにデジタルを取り入れていく試行錯誤の時期ですよね。小売業だと特に店舗第一という風土が色濃かったところからの変革時期にあったと思いますが、店舗で働いている人たちと良好なコミュニケーションを築いていくのは難しくなかったですか? 今なお苦労しているデジタルマーケティング推進者は多いと推察しますが。

風間: 良好なコミュニケーションがうまく築けない原因の一つに、デジタル側にいる人間の問題もあると思います。デジタルは、用語が特殊ですからわからない人に「アプリのMAUが~」と伝えても、「わけわからないこと言っている」で終わってしまいます。企業の文化風土に合わせて伝えていくことも重要です。

また、リアルの場での顧客接点を持つ企業ならば、オフラインでどんな貢献ができるのかという視点も大事ですね。ECの売上を上げるだけでなく、店舗の課題を解決するという視点で店舗に足を運ぶと、デジタルの世界に閉じない施策を考えられます。

森田: 風間さんはスマホアプリにも携わっていましたよね。

風間: 「MUJI passport」は2013年から開始しました。当時の上司の奥谷さんがデジタルシフトを推進していたので、小売業の中でCRMをアプリで実現した企業としては早かったです。アプリによって、これまでPOSデータのような売上起点のデータしかなかったものが、人起点で何を購入しているのか、どんなレビューをしているのかわかるようになりました。購入前後の顧客行動を得られるのは大きかったですね。

ちなみに「MUJI passport」は、アプリのUXを評価する連載の「UX侍」で2回斬られましたね。初期バージョンで斬られた部分も加味してリニューアルしたら、次はイベントでリニューアル版を斬られたという(笑)。でも、それをきっかけにアプリのUIを単なるデザインとして捉えるのではなく、アプリを通して得られる体験について、よく考えるようになりました。

森田: こちらこそUX侍で、2回も出てくださって、お世話になりました。

風間: いえ、大いに参考になりました。当時、小売業のアプリは少なく、手探りでしたからね。

森田: 小売ではアプリを作ることが当たり前になっていて、やっていないとまずいくらいの風潮になっていますね。

風間: 私は「やって当たり前」も危ないと思っています。「MUJI passport」の場合リリースする何年も前から、ECで店舗の在庫を確認できる、ネット注文したものを店舗受け取りできるなど、オンライン、オフラインをつなぐ施策を少しずつ進めていました。オフラインが強い企業の場合、デジタルがどんないいことをもたらすのかを、店舗スタッフが小さな成功体験として積み重ねて初めて理解されます。デジタルのコミュニケーションが店舗に返ってくるということが伝われば、新しいデジタル施策も受け入れられます。

森田: 当たり前にするために、デジタルの価値を少しずつでも理解してもらって積み重ねていく必要があるということですね。

「会社」ではなく「人」で選んだ今回の転職

林: なぜ11年間勤めていた良品計画を辞め、顧客時間に転職されたのでしょうか?

風間: 一つは、新しいことにチャレンジしてみたい。次のパラダイムが何なのか考えてみたいということがありました。また、体を壊してしまったこともあって、転職を考えるようになりました。独立、フリーになるという選択肢はなく、どこかの事業会社にデジタルマーケターとして転職するつもりでした。

10年ぶりの転職活動になりましたが、転職の方法が変わっているのをまざまざと感じました。エージェント登録したら、いろんな会社から連絡をいただき、これが今の転職なんだな、と思いました。最終的に「この会社で働きたい」と思うところに巡りあえませんでした。どうしようかなと思っていた時に、元上司の奥谷さんから顧客時間で一緒にやらないかと声をかけてもらいました。

事業会社ではない会社に行くということは想定していませんでしたが、今回は「この会社で働く」よりも「この人と一緒に働く」という軸で選びました。良品計画で働いていた時、一番エキサイティングな体験ができたのが、奥谷さんが上司だった時です。奥谷さんは先に辞められていましたが、何か機会があれば一緒に仕事をしたいと思っていました。

かつ、今までのような100%サラリーマンではない働き方に挑戦したいという思いもありました。良品計画にいた時から、他の会社の相談を受けることがありました。セミナーなどでも、やはり自社のデジタルマーケティングに困っている人が多数いました。手伝えることがあれば、協力したい。そう思っていたので、副業、兼業ありきで、今は仕事をしています。

林: 今は、いろいろな会社のコンサルティングをされているのですか?

風間: コンサルティングといっても、顧客の課題に答えを出すというより、並走しながら一緒に答えを見つけるようなイメージです。良品計画でも、パートナー企業と一緒に仕事をするときは、納品してもらうだけでなく、同じ方向を向いて一緒に走ることをお願いしていました。そのほうが時間はかかりますが、結果としてよいものができるからです。

森田: 顧客時間はどういう体制なんでしょうか。

風間: 奥谷と代表の岩井が共同CEOを担っています。二人は早稲田のビジネススクールの同期で、共著で書籍を出版したことをきっかけに顧客時間を作ったのです。私は社員として参画していますが、フリーランスとして個人でも仕事をしています。コアメンバーが3人で、プロジェクトによって必要なメンバーをお願いしています。

森田: 3人で同じプロジェクトに入るのですか?

風間: そうですね。デジタルトランスフォーメーションの戦略づくりをお手伝いすることが多いのですが、役割が異なります。岩井は私から見ると、問診の上手なお医者さんです。ブランディングが得意で、依頼される内容がデジタルトランスフォーメーション、デジタルシフトなど抽象度が高いので、その会社をきちんと理解するためにQAを繰り返すのですが、そのフレームづくりに長けています。理解できたところで、この企業であれば、どんなロードマップ、手順、期間で進めていくのかを可視化していきます。

奥谷は、ビジョンを描く天才なので、聞いた内容を受けて何を実現していくのか、アイデアを出していきます。私は、それらの実現性を考え、アプリ開発、CRM開発、コミュニティづくり、データ分析などの適任者をアサインしながら、実行の筋道をつけていきます。

林: それぞれが別々のプロジェクトを預かるのではなく、3人で同じプロジェクトを得意な役割分担で関わる体制だと、2人の強みを吸収しながら自分の活動領域を広げていける魅力もありますね。

風間: そういう人の身近にいられるのは刺激的ですね。ただ大人数の会社ではないので、みんながミッドフィルダーをやらないといけないしんどさもあります。

もともと顧客時間の構想として、自分たちでも何か事業をやりたいということがありますので、これからはデジタルのサービスなのか、ものづくりなのかはまだわかりませんが、新しい領域にもチャレンジしていきたいと思っています。

林: 今後社員を増やす計画はありますか?

風間: 最近は事業会社でも副業OKな会社が増えていますが、副業の働き先が見つけにくいとも聞きますので、顧客時間がその副業の受け皿にもなり得ると考えています。事業会社で現場の第一線で働いていることはとても大きな価値なので、ユニットのように新しい働き方の場を提供して、事業会社に所属している方たちとご一緒できればと思っています。

森田・林: ありがとうございました!

二人の帰り道

林: ミュージシャンから広報宣伝へ。エンタメ業界から小売業へ。無形から有形を扱うデジタルマーケティングの世界へ。その都度、ご自身で転機を設けて居場所を変えてこられた風間さんのキャリアには、柔らかさと勇ましさの両方を感じました。生計が成り立たなくなる、仕事がつまらなくなる、病気になるなど、キャリアにはさまざまな問題が立ちはだかるものですが、そうした状況に正面から向き合って受け入れつつ、ただ流されるのではなく、ご自身でコンセプト立ててチャレンジに打って出てこられた。仕事がつまらなくなったとき、社内に向いて不満をもつのではなく、オバマ大統領のSNS活用に機会を見出して、そうした潮流から自身の仕事をおもしろくしたさまなどは、まさにその好例で、仕事への向き合い方として見習いたいお手本だなぁと思いました。

森田: キャリアのスタートはまずはやりたいことをそのまま実現、そこから徐々に自身のやりたいことを無理のない感じで広げていくという感じで、ミュージシャンからデジタルマーケティングという、文字だけで見たら全然違いますよねというお仕事にも関わらず、実はかなりスマートなキャリアパスなんですね、というお話でした。風間さんの物腰の柔らかい雰囲気とあいまって、その変遷がすごく自然だったのだろうという印象深さがありました。しかし、劇団四季から良品計画への転職のように、時代の転機を逃さない鋭さもきちんと備えている。この柔らかさと鋭さの同居が風間さんのキャリアにも表れているのでしょう。さらに、単にデジタルマーケティングにとどまらずに領域を広げていこうとしている姿勢は見習うしかないとしか言いようがなく、年代も近しいこともありつつで、かなり興味深くお話を伺いました。ありがとうございました。

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