「リサーチは思ったより深い沼だった!」ストイックに学び続けるメルペイUXリサーチャーのキャリア観
「振り返ると、好きなものにたどり着いていた」
学生時代は文化人類学を専攻し、リクルートに新卒入社。1年目はデジタルマーケティング部だったが、とあるきっかけで「UX」の分野と出会い、中でもリサーチの奥深さに魅了された。現在は、メルペイのUXリサーチャーとして活躍し、社会人大学院生でもある松薗美帆氏。2022年4月からは、近畿大学で非常勤講師として教鞭もとるという。そんな松薗氏に、これまでとこれからのキャリアを聞いた。
Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。
インタビュアーは、Webデザイン黎明期から業界をよく知るIA/UXデザイナーの森田雄氏と、クリエイティブ職の人材育成に長く携わるトレーニングディレクター/キャリアカウンセラーの林真理子氏。
文化人類学がきっかけで「UX」の道へ
林: Webに触れたきっかけから教えてください。
松薗: 印象に残っている最初のサービスは、「MySpace(マイスペース)」です。中学生の時にアメリカにホームステイしていたことがあり、帰国した後もホストファミリーとつながり続けるために使い出しました。インターネットを使えば、国を超えて人とつながり続けられることが新鮮でしたね。もうひとつは、「HABBO(ハボ)ホテル※」です。バーチャル空間に自分の部屋やアバターを作って遊べて、チャットができるサービス。今思えばメタバースの原点のようなもので、学校の友達とも、海外の人ともつながれるところがおもしろかったです。
林: 中学生で米国にホームステイ! それはどんな経緯で行くことになったんですか?
松薗: 小学生のころ『世界がもし100人の村だったら』のワークショップに参加する機会があり、自分とは違う環境の人がこんなにいるんだと知り、海外に興味を持ちました。実地でいろいろ体験したいと思って自治体の海外派遣事業に応募して参加しました。大学は国際基督教大学(ICU)へ進学。文化人類学を専攻し、卒論では地域活性化をテーマに、島根県に通いながらエスノグラフィ調査をしていました。
森田: 学んだ経験を活かした就職を考えましたか?
松薗: そのまま地域活性化を仕事にすることも考えました。ただ地域活性化の現場で、リクルート出身の起業家の人と知り合い、圧倒的当事者意識を持って世の中の不に向き合うリクルートのカルチャーに興味を持ちはじめ、採用試験を受けて、リクルートジョブズ(現リクルート)に就職しました。
林: リクルートへは、職種別採用ではなく総合職として入社を?
松薗: はい。当時は、未経験でもWeb系の部署に配属する試みがありまして、私はデジタルマーケティング部に配属されました。
森田: Webやマーケティングの知識があったのですか?
松薗: まったくありませんでした。実は、この連載にも登場した明坂真太郎さんが、当時リクルートに在籍していて、私のメンターでした。明坂さんに仕事の進め方などをゼロから教わり、育ててもらいましたね。ただ、大学でやっていた質的調査と違って、数字をモニタリングして改善していくデジタルマーケティングは、自分には向いていないなと感じていました。そんなとき、別の部署の方がふらっとやってきて「学生時代に文化人類学を専攻していたなら、UXがおもしろいよ」と言って、去っていったんです(笑)。初めて「UX」という分野があることを知り、興味がわいたところ、入社2年目にプロダクト開発の部署へ異動となりました。
林: へぇ! その「ふらっとやってきた人」は、どなただったのですか?
松薗: UXデザイナーで、異動先の上司となる人です。たまたま私が文化人類学を専攻していたという話を聞いて、声をかけてみてくれたようです。文化人類学は、フィールドワークを通じて、相手の目から見た世界を深く理解します。そのスキルは、UXの分野でも活きると。私自身は、大学時代の専攻をキャリアにつなげる発想が無く、UXという用語すらも知らなかったので、今があるのは声をかけてくれた上司のおかげです。
森田: UXデザイナーのジョブ・ディスクリプションには、「エスノグラフィー(行動観察調査)」と書いてあることがあります。UX界隈でガチの文化人類学専攻の人は希少性があるので、聞きつけて引き抜こうとしたのかもしれないですね。
異動先でリサーチのおもしろさを知る
林: プロダクト開発の部署ではどんな仕事をしたのですか?
松薗: 「とらばーゆ」アプリのプロダクトマネージャーとして、リニューアルを担当しました。開発もデザインもわからないプロダクトマネージャーができることは足で稼ぐこと。求職者や求人企業にアポイントをとって、サービスの利用方法や他社サービスとの比較などを聞いて、チームにフィードバックすることから始めました。
林: 自分が役に立てるところから着実に、そして実は専門的に学んだ調査活動をもって確かなチーム貢献をできるよう舵取りされているんですね。とはいえプロダクトマネージャーは、チームを率いる立場。20代前半、異動したばかりで大変だったのでは?
松薗: デザイナーと開発者を含めて10人以下の小さなチームでしたが、開発言語もわからない私によく任せてくれたなと思います。同世代にもプロダクトマネージャーをしている人はいましたが、Webの経験があったり、インターンシップをしていたり。ゼロからのスタートの自分とは違いました。
森田: 責任者に抜擢されましたね。プロダクトマネージャーは、どのくらい担当したのですか?
松薗: 2年くらいですね。その後、別のチームに移ってUXプランナーとして主にリサーチをやるようになりました。リクルート横断のリサーチ組織にも所属し、リサーチのプロフェッショナルに囲まれた刺激的な環境で、調査のいろはを叩き直されましたね。そんな中、だんだんと「リサーチに特化した働き方がしたい」と思うようになり、1年後にメルペイへ転職しました。
メルペイに転職、UXリサーチの組織啓蒙にも取り組む
森田: メルペイに転職を決めた理由は?
松薗: メルペイのUXリサーチャーの求人情報を見て、自分が呼ばれていると思ったんです。単に調査するだけではなく、UXリサーチを通して組織にユーザー中心の文化をつくることも期待されている印象を受けました。また、スタートアップでUXリサーチの専門職を置くことは当時稀でした。それだけUXをより重視している点も魅力に感じました。
林: メルペイのUXリサーチ業務はどのように進めているのですか?
松薗: 機能ベースでプロジェクトが分かれています。UXリサーチャーは横断的に動いて、重要度に応じてリソース配分しています。入社時は、メルペイのUXリサーチはユーザビリティテストが中心で、UXリサーチャーはプロダクトの企画やデザインが決まってから関わることが多かったです。
しかしUXリサーチは、企画が固まる前のフェーズにも役立ちます。なので、全社定例会議で「UXリサーチは戦略策定や探索的調査もできる」と言い続けました。勉強会を開催したり、毎週UXリサーチをする仕組みを効率化したり。こうした活動がじわじわと浸透し始め、新規プロジェクトの立ち上げから携わり、市場調査やユーザーインタビューを行う機会も増えてきました。
林: いろんな調査方法・調査の活用方法を紹介する勉強会を開いたり、気軽にUXリサーチをやってもらえる仕組みを作ったりというのは、ご自身で計画して実行していったのですか?
松薗: はい。啓蒙しないと仕事が広がらないですし、同僚とともに社外での発信活動も積極的に行いました。おかげで2021年には書籍『はじめてのUXリサーチ』を出版。社内外問わず、発信するクセを作ってきたのが良かったです。
森田: どういう経緯で出版することになったのですか?
松薗: 私がnoteにUXリサーチの知見を書いていて、それを見た編集者の方から声をかけてもらいました。1人では書くのが難しいので、同僚との共著です。自分がこれまでやってきたことを体系化できましたし、同僚とUXリサーチの捉え方のすり合わせができたので、より仕事がしやすくなりました。
森田: 仕事をしながら、分析手法をアカデミックに学ぶのは大変ですが、この本のように概論がまとまっていると身につきやすいですね。
松薗: 組織啓蒙についても記載したのが類書とは異なるところです。内製化するために、UXリサーチの仕組み作りやオペレーションを整えることについても書いています。
社会人大学院生と非常勤講師、広がるキャリアの選択肢
林: 松薗さんは、現在大学院にも通っているそうですね。
松薗: 北陸先端科学技術大学院大学(JAIST)の博士前期課程に在籍しています。文化人類学のビジネス応用が学びたくて、JAISTに「ビジネスエスノグラフィー」と呼ばれる分野の研究者がいると知り、進学を決めました。2年で修了予定でしたが、書籍執筆などが影響して3年かかることに。これから修論に取り組むところです。
林: 本業だけでなく大学院の勉強など、さまざまな活動に励んでいますが、時間は足りますか?
松薗: リクルート時代のメンターだった明坂さんをはじめ、リクルートの先輩の多くがプライベートでもストイックに学び続けていたので、それがスタンダードだと思って育ったのが良かったのかもしれません(笑)。今は自分の時間を100%使えるライフステージなのも大きいです。
森田: 今後はどういう方向を目指したいですか?
松薗: キャリアを振り返れば、学んだ文化人類学も活かせていて、好きなものにたどり着いていたと感じています。ただ、リサーチの沼は思っていたよりも深く、極めるにはまだまだ時間がかかりそうです。そうしたなかで私のロールモデルは、リクルート時代に出会ったリサーチャー出身の事業責任者です。その方は、リサーチの専門性を活かしながら、事業の意思決定をしていました。私も、リサーチの軸を持ちつつ、事業をリードするキャリアを目指したいですね。あと実は、UXリサーチから派生して、2022年4月からは近畿大学で非常勤講師として経営学の消費者行動論の授業をすることになりました。
林: 大学の講師までされるんですね。昨今、終身雇用の制度は崩れてきていますが、30代の松薗さんにとって仕事とのつきあい方、働き方ってどんなふうに捉えていますか?
松薗: リクルートは、将来やりたいことを明確に持っている人がたくさんいて、卒業して次のチャレンジに挑むことがポジティブに受け取られている文化でした。そのため、会社はいつかは辞めるものだと思っていました。一方で、長く勤め続けることで、信頼を得られたり、仕事が広がったりすることもありますよね。それに、リクルートもメルペイも副業を推奨しているので、会社に所属しながらでも働き方の選択肢が広がったとも感じています。私はどんな働き方であれ、リサーチを通して、みんながユーザー中心で考える文化を作っていきたいですね。
二人の帰り道
終身雇用の終焉とはよく言われますが、ある人のキャリアのいっときを切り取ってみても、一社に雇用される立場に留まらず同時期にいろんな社会とのつながり方を並行させているキャリアに、よく触れるようになったなぁと思います。頭でっかちに「一つの所属」「一つの専門性」に自分の進路を絞り込まず、ふらっと訪れる巡り合わせをうまく取り込みながら、ご自身の可能性を多面的・多層的に広げていっている姿が印象に残る取材でした。結果的に、定性も定量も、戦略も戦術も専門的に手がけられるリサーチャーとしての手腕を磨き上げ、「文化人類学のビジネス応用」というテーマでさらなる探求に繰り出し、また「リサーチの専門家」ではなく「リサーチの軸を持ちつつ、事業をリードするキャリア」を目指したいというシャープさにも脱帽です。それでいて取材中の語り口は終始柔らかで、理知的な思考と、柔らかい感性のようなものが彼女の中で見事に融和している印象を受ける取材でした。
IAの界隈がわりと独学で叩き上げてきた人が多いのと同様にUXデザイン界隈もなんだかんだで実務の積み上げでやっている人が多いという印象なんですが、松薗さんは違いましたね。結果的にではあるようですが、文化人類学の学問としての下地があって、そこに実学的な分析体系が刷り込まれたうえでの実践的なUXリサーチャーということで、しかも実際に今現在も大学院で学ばれているということで、やはり人生日々勉強であるなあというのをしみじみ感じました。メルペイなどでの実務、大学講師として教える立場、そして知見を広く伝える執筆者、多様な道を同時に駆け抜けていくことで松薗さんならではのキャリアパスを構築されていくのでしょうね。ちなみに僕は、来世こそは大学へ行って専門性を発揮できる会社に就職したいなと思うなどしましたし、現世もがんばらなきゃと思いました。
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