森田雄&林真理子が聴く「Web系キャリア探訪」

美大卒、「メーカーの中の人」という立場でデザインに携わる理由

「“食や飲料”を通じて、幸せを届けたい。だからこそメーカーの人間でありたい」と語るサッポロビールの福吉敬氏のキャリア観に迫る。

美大を卒業してメルシャンへ。その後、味の素への出向を経てメルシャンに戻った後転職し、アルコール飲料関連企業を2つ経てサッポロビールへ。話を伺ったサッポロビールの福吉敬氏は、クリエイティブには継続して関わっているものの、「メーカーの中の人」というスタンスを貫いています。その背景には、メーカーだからこそ実現できる思いがありました。

Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。
インタビュアーは、Webデザイン黎明期から業界をよく知るIA/UXデザイナーの森田雄氏と、クリエイティブ職の人材育成に長く携わるトレーニングディレクター/キャリアカウンセラーの林真理子氏。

やりたいことが多すぎて業界が絞り込めなかった大学時代

林: 最初にWebに触れたきっかけから教えてください。

福吉: 大学時代にNIFTY-Serveをやっていたので、それが最初です。プログラミングを小学5年生からやっていたこともあり、パソコンは前から使っていて、大学時代にMacintoshを買いました。

多摩美術大学の美学芸術学専攻で、博物館や作家のプロデュースについて学んでいて、その一環で広報誌を作ったり、新聞社に売り込みの資料を作ったりということをやっていたので、Macintoshが必要でした。

林: 大学卒業後、1996年にワインメーカーのメルシャンに入社していますが、どういうきっかけで入社したのですか?

福吉: 学校が楽しすぎて、就職のことはあまり考えてなかったんです。ギリギリになって、「他の大学の同級生は就職が決まっているけど、どうしよう」みたいな感じになりました。ただ同時に、いろいろなことに興味があって、「あれもやりたい、これもやりたい」という感じで志望業界を絞り込めていませんでした。大学時代の就活先は、新聞社、ゲーム会社、あと就職したメルシャンの3社ですが、全部バラバラな業界です。

メルシャンは、大学の教務課に求人案内が来ていたのを教授が見つけて、応募するように勧めてくれました。メルシャンで広告を作る仕事ということで、お酒も好きだしいいかなと思って応募したところ、採用されました。

林: メルシャンは広告制作ということで、美大に求人を出していたのですか?

福吉: はい、メルシャンとしては10数年ぶりにデザイナーを一人だけ募集していました。面接の担当者でもあり後に上司になった人が、「自分自身の退職に備えて、デザインを判断できる後継者を雇いたい」ということで求人を出したそうです。当時、クリエイティブに関わる人は専門職で採用していたので、他の新卒採用とは別に商品企画部広告グループで独自に募集していました。

サッポロビール株式会社
ビール&RTD事業部 第一グループ
シニア メディア プランニング マネージャー
福吉 敬 氏

専門職採用ならではの修業時代

森田: 広告グループではどんなことをしていたのですか?

福吉: 最初の一年は、メディアバイイングの仕事をやったり、制作会社に修業に行ったり、カメラマンのところでアシスタントをしたり、デザイン会社に出向したりと、いろいろな経験をさせてもらいました。

森田: 採用してくれた上司の方はいつ頃退職されたのですか?

福吉: 私を採用して、1年後に退職されました。「いろんな経験を積んでもらいたい」ということで、いろんなところに修業に行かせてもらいましたが、1年ではまだ一人前とは言い難いです。ですから、当時メルシャンの親会社である味の素から、出向してきた名久井 貴詞さんに仕事のいろはを学びました。今でも師と仰ぐ人で、名久井さんは現在公益社団法人 日本アドバタイザーズ協会(JAA)でクリエイティブ委員会の委員長も務めています。

林: 名久井さんとは、どのくらい仕事を一緒にされていたのですか?

福吉: メルシャンで2~3年ほど、名久井さんと一緒に仕事をして、そのあと私が味の素に出向になりました。味の素では、当時グループ会社だった「カルピス」「味の素ゼネラルフーヅ」を入れた「4社広告グループ」というのがありました。私はデジタルに詳しい人という立場で加わって、そこから4社で使える共通の広告データベースを作ろうという話になり、システム関連を担当している味の素システムテクノと一緒にデータベースを作りました。

林真理子氏(聞き手)

個人で運営していたサイト管理の知識が業務で役立つ

林: 2000年前後の広告というと、4マス媒体が中心ですか?

福吉: はい、いわゆる4マス広告がほとんどで、加えて電車の広告くらいでしょうか。ホームページはあったので、そこにバナーを貼って、味の素とメルシャンで相互にリンクを貼るというようなことはありました。今のような運用型広告ではなく、HTMLで書いてアップするようなバナーです。

森田: 当時から仕事の範囲にWebも含まれていたんですね。

福吉: はい、パッケージデザイン、広告クリエイティブ、代理店へのオリエンテーションとディレクション、関わるブランドのサイト構築について担当していました。その合間に、味の素本体のレシピサイトの相談に乗ったりもしていました。当時、棗田眞次郎さんが広報部にいてWeb活用を推進していて、Webデザインは広告部が入って一緒に進めていました。私は96年から個人でドメインを取ってホームページ運営をやっていたこともあって、社内では“デジタルオタク”だと認識されており、その知見を買われたようです。

林: 96年から2000年くらいにかけて、Webの作り方も多様な変化を遂げた時代だと思いますが、そのあたりは独学で学ばれたのですか?

福吉: 基本的には、独学です。Webの学校などには行っていないので。多いときは個人的に7つのドメインのサイトを運営していました。情報としては、Netscape(ネットスケープ)のブログを読んだり、Javaのサイトを見たりしていました。雑誌だと、それこそインプレスさんの『iNTERNET magazine』を読んでいました。

誰もが知っているブランドのクリエイティブの全責任を持つ大変さ

森田: Web以外のお仕事はどうでしたか?

福吉: 味の素では、一つのブランドに一人の担当者がついて、パッケージ、広告からすべてのクリエイティブを担当します。ブランドを表現するために、自分で作るのではなく、代理店やデザイナーに向けてオリエンシートを作って依頼する、進捗管理、品質管理をする仕事です。当時「ごはんがススムくん」というブランドを担当していました。最終決裁はブランドマネージャーになりますが、その下でクリエイティブをすべて見ていました。

森田: なるほど、すべてとなるとなかなかのボリュームですね。

福吉: 楽しくやっていましたが、鬼のようにしんどくもありました。誰もが知っているブランドのクリエイティブを担当するので、間違いがあってはいけませんし、商品がよくても絵面が悪くて失敗することもあります。オリエンで間違った伝わり方をすると、代理店やデザインプロダクションから意に沿わないものがでてきます。制作中も、代理店やデザインプロダクションとは密に話し合って進めます。

名久井さんからは「俺達の仕事はテハイ(手配)ナー」と教えられました。制作にやりたいことを伝えて、できたものを事業部に伝える、印刷会社に回すというように、滞りなく手配していくからです。

林: 代理店やデザイン会社で働き、作る側にまわりたいと思うことはなかったのですか?

福吉: 制作は嫌いではないですし、Illustratorも使えるし写真も撮れるし、絵も文章も書けます。しかし、私はメーカーの人でありたいという思いがあり、商品を通して幸せを届けたいのです。特に、食品、飲料は生活の根幹にあるので、そこから人を幸せにしたいという思いのほうが強いので、クリエイティブを作ることにはこだわりはありません。

林: それはメルシャン、味の素で働く中で育まれていった職業観ですか?

福吉: 元から食やお酒に関わる仕事に関わりたいという思いはありました。入社してその思いがより強くなった、という感じでしょうか。この2社は原料にすごくこだわりますし、商品を使ってどうしたら一番美味しく食べられるかを追求しています。そして、今働いてるサッポロビールについても「モノ造り」に対する強いこだわりがあるからこそ、働き甲斐を感じています。食の仕事は最高だと思いますし、関わる人に熱量があって、この業界はすごくいいなと思っています。他の業界から転職を誘われることがありますが、食品と飲料以外は興味ないと断るほどです。

森田雄氏(聞き手)

メルシャンに戻り、ボージョレー・ヌーヴォーのブランドマネージャーに

森田: 味の素に出向した後、メルシャンに戻ったんですか?

福吉: はい、「経験も積んだでしょうし、そろそろ戻ってきて」ということで4年半の出向からメルシャンに戻りました。味の素から戻って、「プロダクトにも関わりたい」と思い、開発にも片足を突っ込むようになりました。関わらなくてもクリエイティブはできますが、開発会議やコンセプト会議にも参加したり、研究所のテストにも参加したりするようになりました。おかげでクリエイティブのオリエンにもその開発の思いを落とし込めるようになりました。

林: メルシャンに戻ってきてからも、Webは担当していましたか?

福吉: Webマスターは別の担当者がいましたが、クリエイティブには関わっていました。基本、制作は外部に委託しているので、そのやりとりをフォローしていました。

林: 味の素の出向を終えてメルシャンでは、何を担当されていたのですか?

福吉: 2007年にメルシャンの親会社がキリンに変わり、組織再編でクリエイティブ部門がなくなり、各事業部がクリエイティブまで担当することになりました。そこで、私はボージョレー・ヌーヴォーのブランドマネージャーになりました。コンテンツコミュニケーションに興味があったので、フランスの生産者に手記を掲載したいとお願いして、ぶどうの生産や醸造など作業の内容と写真を送ってもらって、Webに畑の歳時記を掲載し、毎月更新するようにしました。

当時、ボージョレー・ヌーヴォーはすでに下火で「終わった」と言われていましたが、やりようはあると思っていました。その一つがものづくりの過程を伝えていくことでした。Webサイトを作って、デザイナーと一緒に細かいデザインのことも話し合って作成していきました。

森田: ブランドマネージャーになって、よかったところはありますか?

福吉: 最終決定権が、自分にあるところは責任もありますが、良かったところです。広告部門だと、事業部にお伺いを立てる必要があります。ブランドマネージャーならば、自分が決定権を持って、代理店を通さずに制作会社と一緒に最後までディレクションできます。

ボージョレー・ヌーヴォーを成功させるために、漫画『神の雫』とコラボレーションして、原作者の亜樹直さんにコミュニケーションに関わる文章を書いてもらったりしました。この施策を実施するにあたって、出版者さんとの交渉も代理店を通さずに、自分で担当しました。その甲斐もあって、今でも出版社やラベルのデザイナーと関係が続いています。代理店に依頼すると楽ですが、関係が代理店止まりになってしまいますので、そこもよかったです。

林: 社内で部下に仕事をふるといったことはありましたか?

福吉: 当時30代半ばで、部下はいなかったので、「自分でやるか」「外部に委託するか」の2択でした。自分はデザイナーと一緒に考えたいタイプだったので、自分でやりました。

森田: ボージョレー・ヌーヴォーが一段落ついた後はどうしたのですか?

福吉: 年に1回1週間で他のブランドの数倍を売り上げるのが、ボージョレー・ヌーヴォー。当時の仕事は激務過ぎて、2年以上担当できないと言われるほどでした。9時から17時までは日本で、17時以降はフランスとやりとりするような働き方でした。為替レート、ボトルの調達、日仏両方のロジスティクス、バイヤーへのプレゼンなど、業務がたくさんありました。売り上げがすごい分、背負うものも大きかったです。充実した日々を過ごせた半面、いろいろと頑張りすぎてしまい、解禁日を迎えた日に、緊張の糸が途切れたように体調を崩してしまい、休職することになりました。36歳のころです。

サッポロビールでは後進の育成を意識した働き方をチョイス

林: 休養をとられた後、現在のサッポロビールに入社されるまでに2社、飲料メーカーにお勤めなんですね?

福吉: メルシャンの子会社の京橋ワインに1年ほど在籍し、Webサイトリニューアルを担当しました。その後、眞露株式会社(JINRO INC.)で3年ほど働きました。日本で通常の商品マーケティングを担当しつつ、商品を売るための製造、市場などを韓国本社に伝えるコンサルのような仕事も並行してやっていました。

その後、エージェントから、「自分に会いたいと言っている企業がある」と連絡がありました。「100年以上続く飲料メーカー」と言われて、別の会社を想定したのですが、詳しい話を聞きにいってみたらサッポロビールと聞いてびっくり! 私は、筋金入りのヱビスユーザーだったので、「行きたい」と即答し2014年5月に転職しました。

林: サッポロビールには、どういう役割で入ったのですか?

福吉: ブランドマネージャーとして入りました。入社した年は、3~4つの商品に関わって、翌年の9月にメディア部門に異動してデジタル担当になりました。今年の4月に組織形態が変更になり、今はヱビスビールのマーケティングコミュニケーション担当として、メディアプランニングから、統合コミュニケーション構築まで幅広くお仕事をしています。

森田: ヱビスのブランドマネージャーではないのですね。

福吉: ブランドマネージャーは現在、沖井さんという方が担当していますが、彼女の考え方は素敵だなと思っています。今は彼女がやりたいことをコミュニケーションのプランナーとして実現するほうがいいし、自分の性分にもあっているなと思います。

林: ボージョレー・ヌーヴォーでブランドマネージャーの仕事をやりきったという経験や思いあってこそ、今そう思えるという面もあるのかもしれないですね。

福吉: 今の主務はヱビスビールのコミュニケーション構築ですが、他のブランドの相談にも乗っています。ブランドマネージャーは業務領域が広くて忙しいので、他の人の相談に乗る余裕はあまりありません。ブランドから一歩引いた立場で、メディアプランナーとしての仕事を若い世代に見せて、後進を育てていく時期かなと思っています。

森田: 上司だった名久井さんのような役割になっているのですね。

福吉: そうですね、名久井さんがしてくれたことを下の世代にしています。名久井さんは素晴らしい師匠で今でも連絡していますし、JAAで一緒に仕事もしています。これからは、自分も師匠のような存在になりたいです。

森田: 今後のキャリアはどう考えていますか。後進の育成などについては?

福吉: 広告コミュニケーションが好きなので、広告を見て幸せになる、ブランドを好きになるものを創りたいです。広告は、ターゲティング、コンバージョンという話になりがちですが、広告を通して世の中を良くするにはどうしたらいいかを考えて関わりたいです。

若い人には常に「会話をすること」「広い視野を持ち続けること」「新しいことをリアルに体験する場所にいくこと」を勧めています。リアルで知っていることがあれば、デジタルのコミュニケーションでも厚みが違うからです。

現在は、マネジメントラインではないので、自分の部下はいません。プロフェッショナル職といういわゆる「(その道の)職人」というような役割で働いています。職人の知見をサッポロビール全体の知見にする、そこがこれからの自分の役割だと思っています。

二人の帰り道

林: 「いろいろやりたい」を全力でやりきってきたからこその今、という雰囲気をまとった福吉さんのインタビューでした。新卒1年目で「親方」とも言える手練の上司からいろんな現場に修業に出されて、実地で仕事を覚える機会を与えられるところから始まるキャリアは、職人の徒弟制度を彷彿とさせますね。それからまた「師匠」と呼べる上司について本格的に仕事を自身のものとし、メーカーの中での職人キャリアを磨きあげてこられた。最近は、マネージャー職と専門職を選べるデュアル型キャリアパスを人事制度として設けたり、エキスパートから指導・サポートしてもらえるメンター制度をもつ会社も増えてきましたが、制度は敷いたものの実際に社内にエキスパートがいて、若手が専門職として熟達していく過程を実地で指導・サポートする環境を実現できている組織はそう多くない気も。90年代とはまた事情が異なる中、福吉さんが大手飲料メーカーの会社組織の中で、どのような現代版の徒弟制度を形作っていかれるか楽しみに応援したいと思います。

森田: これぞまさしく末端のデザイン現場からクリエイティブとマーケティングのマネジメントまで縦横断的にわかってるスーパーサラリマーマンだ……と思いながら話を伺っていました。現場に直接放り込まれて修業して、自分で抱え込むもそのままやりきる、というのも何ともすさまじいです。直接の部下はいないとのことですが、楽しいところも厳しいところも、さまざまな経験をお持ちの現在の福吉さんが同じ職場にいるというのは心強いでしょうし、うらやましくもありますね。マネジメントラインではないとのことなので、ずっと現場と向き合い続けるという職人気質もいいですし、それが可能であるという会社の制度も素敵ですよね。キャリアパスの制度設計がしっかりしている企業への就職には、僕は今でも根強く憧れがあるのですけど、ますますその想いを強くしました。アラフィフですけど。なんか久々、インタビュー後にじっと手を見る展開となりました(笑)。力強い内容のお話、ありがとうございました。

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