森田雄&林真理子が聴く「Web系キャリア探訪」

障害者に「やさしい」は不要。アクセシブルが当たり前の世の中に変えたい!

障害者に「やさしい」は不要。誰でも使えるが当たり前になるように世の中を変えたいと語る辻さんの仕事観を聞いた。

生まれつき全盲という辻勝利氏。コンピューターが好きで、それに携わる仕事をしたいと思いながらも、なかなか思うようなキャリアを積めなかったそうです。それでも、チャレンジをし続け、視覚障害者の働き方を妨げていたことを解決したいと2021年9月からはSmartHRに参画。辻氏の経歴をまとめた資料をもとに、インタビューが行われました。

Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。
インタビュアーは、Webデザイン黎明期から業界をよく知るIA/UXデザイナーの森田雄氏と、クリエイティブ職の人材育成に長く携わるトレーニングディレクター/キャリアカウンセラーの林真理子氏。

コンピューターを学びたくて、高校時代に北米留学

林: コンピューター、Webに触れたきっかけから教えてください。

辻: コンピューターに触れたきっかけは、文字によるコミュニケーションがしたかったからです。中学のときに付き合っていた人は点字が読めず、手紙を書きたくても書けない、相手の手紙も読めないという文字の壁がありました。それでコンピューターを使いたいと思ったんです。当時、AOKという点字ワープロがあってそれを使っていました。

その頃は、ファミコンも好きでした。当時のゲームは画像が貧弱だった分、音で何をしているかがわかるようになっていて、音だけで遊べました。今は画像が綺麗になって、音だけでは何をやっているかわからなくなりました。

林: 高校時代には、ペンシルバニア州フィラデルフィアのオーバーブルック盲学校に留学されているんですよね。

辻: コンピューターを学びたくて1学年留学しました。英語ができないまま行ったので、質問ができないという辛さはありましたが、日本との違いがわかりました。日本の盲学校の先生で点字が読めない先生はいませんでしたが、留学先では点字が読めない先生もいて、でもコンピューターでコミュニケーションできるので問題なかったんです。ワープロで作った宿題を提出して、先生のフィードバックもデータで戻ってくるのが印象的でした。当時は、ソフトで音声合成できるスクリーンリーダーがなかったので、専用の装置をパソコンにつないでそれで読み上げさせていました。

森田: デジタルデータなら、スクリーン読み上げで対応できますからね。帰国した後は?

辻: 高校の軽音部に入ってドラムを担当していました。将来はバンドマンかコンピューター関係かどちらかに進みたいと思っていました。大学は、コンピューターの勉強をしたいと思い、視覚・聴覚に障害を持つ人のための3年制大学、筑波技術短期大学(現:筑波技術大学)に入学しました。

その大学は1990年に創設され、自分が3期生だったこともあり、先生が視覚障害者にどうコンピューターを教えるべきか模索している段階で、授業は正直な感想を言うと、おもしろくなかったです。ただ環境は良くて、いち早くインターネットが使えて、メールアドレスをもらえたり、TelnetでNIFTY-Serveにつないだりできました。

大学では、学生向けのサイトを管理する仕事をまかされて、ページ作成などを行っていたので、Webというとそこが最初の経験ですね。当時は、CUIだったのでスクリーンリーダーで読ませれば、大抵のことはできました。1995年にWindows95がでて、GUIに移り変わり「誰でも簡単操作」と謳われていましたが「その“誰でも”に自分は入っていないんだな」と落ち込みました。

当時インターネットショッピングにも挑戦して、最初に買ったのがインプレスの「インターネットマガジン」です。そのあと、インターネットの最新情報がメールボックスに届くのが嬉しくて、毎日スクリーンリーダーで上から下まで読んでいました。広告もハイフンとPRの表記があって文言が読まれるので、新しいガジェットの情報がわかって楽しかったですね。

森田: その頃はメルマガ全盛期ですもんね。昔は受信したメールは全部読むものでしたが、そのうちスパムばかりになり、読まなくなりました。

辻勝利氏

障害者のためのアクセシビリティ、JIS X 8341=「やさしい」に反発した30代

林: いただいた資料に、スクリーンリーダーJAWSの「カセットテープのチュートリアルがわかりやすかった」とありますが、これはどういったことでしょうか?

辻: 通常、スクリーンリーダーのマニュアルは、膨大な量の説明がすべて点字で書かれているのが当たり前でした。マニュアルとスクリーンリーダーを持ち変えながら理解していくので、使えるようになるのも一苦労でした。しかし、JAWSのマニュアルは、カセットテープでできており、解説とスクリーン・リーダーの読み上げを耳で聞きながら操作ができて、すごくわかりやすかったんです。こういう音声マニュアルを作りたいなと思いました。

林: 「わかりやすい」に留まらず「こういう音声マニュアルを作りたい」という思いを抱いたところに、辻さんのキャリアに通底する作り手としての息吹を感じますね。大学卒業後はインフォ・クリエイツに就職されていますが、どういった経緯だったのでしょうか?

辻: IBMが障害者採用をしていたので面接を受けに行ったところ、マニュアルなどを作っている子会社のインフォ・クリエイツで採用になり入社しました。スクリーンリーダーJAWSのテスターの仕事と聞いていたのですが、実際は全然違う仕事で営業と一緒に企業を訪問して、ホームページのバリアフリー化を訴える仕事が主な業務でした。1999年にWCAG 1.0が公開されてアクセシビリティガイドラインを自社で作る動きがあったので、その普及を推進していく役目です。

森田: 同じころ僕は、ビジネス・アーキテクツでクライアント企業のアクセシビリティガイドラインの整備や対応を推進する立場にいましたが、大手企業なら対応していかないとという雰囲気はありましたね。

辻: 辞めるきっかけは、JIS X 8341が出てきて、語呂合わせで「やさしい(8341)」と言われていたことです。Webはもともと「誰でも使えるのが当たり前なのに、優しいってなんだよ。こんな業界ではやっていられない。Webの業界からは離れよう」と思い、退職しました。障害者系は「優しい、ハートフル」という表現が多いですが、僕はもとはロッカーなので血が騒いで納得がいかなかったんです。

林: ロッカー! その後入社されたパルストックではどんな仕事をしていたのですか?

辻: ここはハローワークで紹介してもらって半年ほどいました。ちょうど子供ができたときで、生活のために「仕事をしなければ」ということで、パソコンのインストラクターになりました。でも、ここでも「目が見えなくても頑張っている障害者」という扱いをされて、それが耐えられずうまくいかなかったです。

林: 1社目の対企業向けの営業的な仕事と、2社目の対個人向けのパソコンインストラクターの仕事では、職種的にかなり異なる経験だったと思いますが、そうした違いから思うところはありましたか?

辻: この頃は何をやっても続かないなと思っていました。福祉的な要素や障害者のためにやさしい、というのを聞くと嫌になってしまうので、長続きしなかったのだと思います。

林真理子氏(聞き手)

「Web標準で作ったコンテンツはアクセシブル」に共感してミツエーリンクスへ

林: ミツエーリンクスには、どういう経緯で転職されたのですか?

辻: パルストックにたまたま障害者向けの転職サービスの営業が来ていて、自分のことを相談したらミツエーリンクスを紹介されました。ミツエーリンクスの「Web標準で作られたコンテンツはアクセシブルだ」という思いに共感して働いてみようと思いました。職種は、アクセシビリティエンジニアで、何をするのかはわからなかったものの、エンジニアなら給料も上がるだろうという期待で入社しました。

林: ミツエーリンクスのWebサイト自体が、ミツエーリンクスがアクセシブルなサイトを当たり前に作る企業であることを体現していたわけですね。担当業務は、クライアントのアクセシビリティ診断や改善提案などですか?

辻: それもありましたし、企業のアクセシビリティガイドラインを作りたいというニーズがあり、一緒に作って運用を手伝う仕事をしていました。

林: ミツエーリンクスには、13年と長くお勤めでしたよね。

辻: そうですね。吠えるだけが人生ではないと学び、丸くなった時期ですね。うれしかったのは、「障害者向けになんとかしないと、というよりもWebは普通に作っていればアクセシブルだ」という考えの人が社内にたくさんいたことですね。

林: 丸く…(笑)。言い換えれば、アクセシビリティエンジニアとして一人前に活動できるまでに成熟した時期とも言えるでしょうか。2007年からはNonVisual Desktop Access (NVDA)ローカライズ開始という記載がありますが、これはどういう活動ですか?

辻: 当時、高機能なスクリーンリーダーの定番はJAWSでしたが、15万円もしました。スクリーンリーダー業界にもロックな人がいて「パソコンを使うのに、目が見えないだけで余計に15万円も払うのはおかしい」と言って作ったのがオープンソースのNVDAです。UAI(Universal Access to the Internet)研究会という、官民一緒になってアクセシビリティを高めようという研究会があり、そこで翻訳をやっていました。

森田: 当時、IEを使うことを前提にして動く音声ブラウザがあったのですが、IE6によって進化が止まってしまったんですよね。NVDAはIE以外でも動くツールでした。

辻: 当時は、Mozillaの支援もあってFirefoxが一番対応していました。高いスクリーンリーダーしかなかったので、オープンソースで無料で使えるものが求められていた時代背景がありました。オープンソースだから、機能リクエストを出すとすぐに対応してくれました。

アクセシビリティに取り組むコンセントに入社。初めて部下を持ち管理職の経験も

林: 2007年にはアクセシビリティPodcastも始めていますね。

辻: アクセシビリティには硬いイメージがあるので、アクセシビリティを身近に感じてもらおうと思ってポッドキャストを始めました。

森田: 2005年くらいからポッドキャストを配信するブロガーは出始めていたと思いますが、アクセシビリティ特化でというものは早い印象を受けますね。その後、アクセシビリティ診断ツール「WorldSpace(ワールドスペース)」のローカライズにも携わっていますね。

辻: WorldSpaceの開発元の担当者がAssistive Technology Conference (通称CSUN:シーサン)のカンファレンスでプレゼンを聞きに来てくれて、「日本で販売したいから手伝って」と言われて始めました。NVDAのローカライズの知識を活かせました。

森田: 2019年にコンセントに転職されたきっかけは?

辻: コンセントから「アクセシビリティの推進力をより高めていくために専門チームを作りたい」という話を聞いて、参画することになりました。コンセントのアクセシビリティ活動の認知向上のための対外的な発信やチーム作りを行いながら、個別のクライアント案件にもかかわりました。

最近はコンセントのアクセシビリティ界隈での発信力が強くなったのではないかと思います。YouTubeでは、株式会社インフォアクシアの植木さんと一緒に「辻ちゃん・ウエちゃんのAccessiブルGoGo!」というチャンネルを始めて、スクリーンリーダーでWebコンテンツがどのように読み上げられるのかを紹介するような動画も作りました。アクセシビリティを根付かせるのは大変ではありましたが、やりがいがありました。

森田: コンセントは、アクセシビリティ界隈に良い影響をもたらしていると思います。これまで、界隈の中心メンバーは実装者やWebディレクターが多かったのですが、コンセントにはデザイナーも多く在籍していますし、具体的にデザインやアートディレクションの担い手がアクセシビリティの取り組みについて発信することは意義があります。

辻: ありがとうございます。入社半年でチームリーダーになり、5人くらいの部下を持ちました。初めてマネジメント業務を担当し、部下の人事評価なども経験しました。リーダーをやってみて、「これまで悪い部下ですみませんでした」と思いました。

森田雄氏(聞き手)

障害者にやさしさで対応するのではなく、「アクセシブルが当たり前」に変えたい

森田: 9月からSmartHRへご転職とのことですが、そのきっかけは?

辻: 5月にWeb24という番組のアクセシビリティセッションで、ますぴー(@masuP9)さんと登壇しました。彼とは、AbemaTVのアプリのアクセシビリティで一緒に仕事をしたことがありましたが、その後、彼がSmartHRに転職していて仕事の内容を聞く機会があり、興味を持ちました。

森田: ますぴーさんは、エンジニアとしてアクセシビリティに取り組んで、サイバーエージェントのアクセシビリティの取り組みの基盤を築くなどしていた方ですね。SmartHRには、デザイナーとして転職したと聞いてキャリアチェンジだなぁと思っていました。辻さんはどういう立場で働くのですか?

辻: 私も彼と同じチームに所属して、アクセシビリティエンジニアとして働く予定です。これまでは、受託系の仕事だったので、自社プロダクトを持っている会社は初めてです。SmartHRをより多くの人に使ってもらいたいという思いと、自分の気持ちが一致したので転職を決めました。

林: アクセシビリティの専門チームで働くのですか?

辻: 現在は「専門部隊はない」と聞いていますので、ゆくゆくはアクセシビリティチームを作りたいですね。

森田: 業務システムにもアクセシビリティは必要ですし、障害者差別解消法でも企業はアクセシビリティの確保が要求されているので、責任重大のポジションですね。

辻: 障害者が仕事をする上で、業務以外のストレスをなくすことは、後輩たちのプラスになると信じています。

森田: 労務で必要な場面で使うサービスがアクセシブルになれば、通常業務がしやすくなるでしょうね。

辻: これまでの会社では、給与明細を紙でもらうと人事の人にExcelで入力してもらったり、契約書類を読んでもらったりするのが当たり前でした。SmartHRがアクセシブルになれば、僕らが署名する書類を自分で読んで納得して署名できる、それがこれからの世界だと思っています。

森田: 視覚障害者と「紙」という関係性を、ITで変えることができば視覚障害者も社労士の仕事を選択できるようになります。

辻: 「転職して人事労務の書類をアクセシブルにする仕事をやる」と、視覚障害者の知人に伝えたら「それは人事系の仕事を私たちができるようになるってこと?」と聞かれました。「そうなってほしいし、そうならないといけない。世の中を変えないといけない」と思いました。

森田: これまでは実務的に制約があった職業選択の自由が、本当の意味で実現できていく過程のようですね。

林: 今後の働き方は、どのように考えていますか?

辻: 定年が60歳だとすると後12年です。「障害者が同僚にへりくだらないといけない」「給与明細をデータにしてくれてありがとう」と感謝しないといけない状態が続いたら、コンピューター業界で自分が生きてきた甲斐がないと思います。日本はまだ障害者は特別な目で見られるし、障害者らしく振る舞うことが求められているので、そこを変えていきたいです。

「社内システムはアクセシブルが当たり前」という価値観が浸透すれば、そうでないツールは世の中にマッチしていないツールとなります。「やさしさや配慮でなんとかしようとしていたところを、そうじゃないんだ、誰でも使えるように作らないといけないんだ!」と、世の中の流れを変えていきたいです。

二人の帰り道

林: 取材の中で、辻さんは「僕は障害を売り物にしたくないと思った」という一言を発せられました。この言葉の力強さに、心を鷲づかみにされた取材でした。その思いのもとには、物心ついてからこれまでに経験してこられたさまざまな体験、ストレス、憤りがあったことが察せられましたが、それを辻さんは健全なエネルギーに変え、職業的な専門性に昇華して、アクセシビリティエンジニアとしてのキャリアを築いてこられた。現状に問題を抱えたとき、そこに留まっていないでアクションにつなげる。策を練り、手を打つ。場を移し、活動を通して新たな能力をものにする。活動エリアを広げ、そこでの縁が次の展開を生む。その機会に臆せずチャレンジする。留学も就職も転職も、その一貫性をもって結ばれているように感じられて、ほんと「ロッカーな人生!」と思いました。SmartHRでのミッションも素晴らしく、心から応援しています。

森田: 僕もアクセシビリティの分野には業務でも長く携わっていますので、障害当事者でもありアクセシビリティ専門家でもある辻さんの取材は楽しみにしていました。アクセシビリティの技術的側面よりも情緒的側面のお話、いや情緒的側面よりも辻さんご自身の信条、そうしたお話を熱っぽく伺えて、その力強さには共感しましたね。芯が強いというか、こうだと決めたらその方向に邁進するタイプの辻さんでした。キャリアチェンジのタイミングごとに、次の目的を定めるという感じで、自分の納得できる有りように切り替えていけるのは強みだなとも感じました。Web制作者界隈において、受託会社から事業会社への転職というのは、アクセシビリティを題材とした場合でいえば、社会に対して広く浅く実装していくところから、集中して深く実装していくことへの転換であるともいえます。仕事との向き合い方も変わってくることもあるかと思いますが、辻さんのロッカーな精神がそこに色濃くポジティブに作用することに期待しています。SmartHRでも一層のご活躍を祈念しております!

本取材はオンラインで実施

 

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