森田雄&林真理子が聴く「Web系キャリア探訪」

「二足のワラジスト」岩手と東京でパラレルワークする理由

「二足のワラジスト」として、都内のマーケティング支援会社と岩手県住田町の地域おこしの支援活動をする伊藤美希子氏にキャリア観を伺った。

都内のマーケティング支援会社のベストインクラスプロデューサーズ(以下、BICP)に勤務する傍ら、岩手県の一般社団法人「邑(ゆう)サポート」で地域コミュニティの活動を行い、現在は岩手県在住の伊藤美希子氏。リモートワークが定着したことで、地方に移住してのパラレルキャリアが可能になった。本人は「二足のワラジスト」を自称するが、なぜこのような選択に至ったのか、そのキャリアに迫った。

Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。
インタビュアーは、Webデザイン黎明期から業界をよく知るIA/UXデザイナーの森田雄氏と、クリエイティブ職の人材育成に長く携わるトレーニングディレクター/キャリアカウンセラーの林真理子氏。

新卒で広告代理店へ。上司に仕事を叩き込まれる

林: 最初にWebに触れたきっかけから教えてください。

伊藤: 大学に入学したのが1998年で、大学にもちょうどパソコンが整い始めたときでした。専攻は人文学部だったのですが、英語の授業でシンプルなHTMLページを作成する課題があって、なぜかショパンについての情報を英語でまとめました。それが最初でしょうか。その後ノートPCを買って日常的に利用するようになりました。

新卒で入社したのが朝日広告社で、ストラテジックプランナーとして、広告の企画戦略を6年担当した後、2011年に同社のデジタルマーケティング部に異動になりました。それが仕事で本格的にWebに触れた経験でした。

株式会社ベストインクラスプロデューサーズ/一般社団法人「邑サポート」で働く伊藤美希子氏

林: 新卒で広告代理店に入社したのは、どういう理由からでしょうか?

伊藤: 理由は2つあります。一つは、秋採用をやっていたからです。大学院に進学し、オーストラリアに1年留学していた関係で、通常の就活タイミングで動けなかったのです。オーストラリアに行って、言葉の力、コミュニケーションの重要性を改めて感じて、正しく伝えるコミュニケーションを考えたいと思い広告会社を選びました。

そしてもう一つ、社会活動に参加したいと思っていたのですが、当時、NPOに新卒で就職する道は少なく、団体自体も運営が厳しい状況だったと記憶しています。「社会課題に取り組む重要な活動をしているのに金銭的に厳しいならば、まずは広告会社に入社して、企業のお金がどう動いているのか、社会への還元方法などを把握してみたい」という思いがありました。

森田: ストラテジックプランナーというのは、どういうお仕事なんですか?

伊藤: 企業の課題をコミュニケーションでどう解決できるのか、どのターゲットに対して、どのメディアを使うのか、具体的な施策に結びつけるために、調査などを含めた戦略作りをします。当時の部長がきっちりした方で、数字の読み方、企画書の作り方など教え込まれ、仕事の基礎が身についたと思います。辛いこともありましたが、私の甘い考えを何度も正してくれたので、上司には感謝しています。

さとなおさんの会社で丁稚奉公! 同時に社会課題につながる仕事をスタート

森田: デジタルマーケティング部では、どんなお仕事をしていましたか?

伊藤: 当時、デジタルマーケティング部は新しくできた部署で、もともとオンライン広告などを扱っていた部門の一部だったので、私以外の人はみなデジタルの経験が豊富にありました。私はデジタル広告の新しい価値を生み出すことを目的に配属されたのではないかと想像するのですが、実働としてはウィークリーのレポートに同席するのみで思うような結果を出せず、辞めることになってしまい、中途半端で今でも申し訳なかったなと思っています。

森田: 今でも、そう感じているのですか。それは律儀ですね。

伊藤: そうでしょうかね。現在私が所属しているBICP(ビーアイシーピー)の代表の菅は、デジタルマーケティング部の上司でしたし、今につながる出会いもいただきました。受けてばかりですね。

林: そこでのつながりが今に生きているというのは本当に素晴らしいですね。デジタルマーケティング部に異動して間もなく、退職された経緯は?

伊藤: はい。在職中に“さとなお”こと佐藤尚之さんのセミナーに参加し、セミナー後、参加者の中から丁稚奉公できる人の募集がありました。こういうチャンスは最初で最後だろうと思って応募し、“ツナグ”に社員として入社しました。

転職した2011年は、東日本大震災があった年で、ボランティアに行ったり、さとなおさんが震災支援や防災のための活動をしていたので、その関連サイトの立ち上げや運用をしていたりしていました。ツナグは、さとなおさんを含めて3人の会社でしたので、請求関係、経費精算なども担当させてもらい、会社のお金の流れを教えてもらえたのは良かったです。4年ほどツナグで仕事をしましたが、心残りはさとなおさんの右腕にはなれなかったことですね。

森田: 丁稚奉公ならば、さとなおさんから得るものがあったということで良いのではないでしょうか。僕も昔あるデザイナーのところに弟子入りしましたが、単なる上司部下という関係以上の経験ができましたし、今は巣立って仕事ができているわけなので、その人としては満足しているだろうなと思っているんですよ。

伊藤: ありがとうございます。そう言ってもらえると心がちょっと晴れます。震災関連では、学生時代の先輩が任意団体「邑(ゆう)サポート」を立ち上げ、岩手県住田町役場から委託を受けて被災地の仮設住宅のコミュニティ支援をする活動をしていたので、私もボランティアとして参加することにしました。この活動は、仮設住宅支援だけでなく、地域の課題に取り組んでいけるように2014年に社団法人化し、私は理事に就任しました。邑サポートの活動は朝日広告社に勤務していた時代から継続的に取り組んでいて、現在のBICPでも続けています。

住田町の上空写真

林: BICPに転職したのはどういうきっかけですか?

伊藤: さとなおさんとの仕事は「丁稚奉公」ということでしたので、数年くらいの期間限定だと最初から思っていました。ツナグに入社してから3年半位経ったとき、BICPが創業し、「プランニングを手伝ってほしい」という話があったので、最初はツナグの社員として、BICPの名刺を持って仕事を委託してもらいました。その期間が半年くらいあり、「社員にならないか」と正式にオファーをいただきました。

さとなおさんがプランニングだけでなく教育事業に軸足を移し始めた時期でもあり、私の役割も変わってきていました。さとなおさんと今後についていろいろお話しし、快く送り出してもらいました。

岩手にオフィスも開設! 岩手に居住しながら、地域活動とマーケティングを両立させる

林真理子氏(聞き手)

林: 震災直後のボランティア活動にとどまらず、現在はBICPの仕事と並行して、岩手県住田町の地域課題に取り組まれているんですよね?

伊藤: 現在邑サポートは、地域づくり支援を中心に活動しています。住田町は人口約5,100人、2,100世帯が暮らしており、高齢者率が40%を超えている課題先進地域です。林業が盛んなことから、震災後に木造の仮設住宅が建設され、そこのコミュニティ支援を行うことから邑サポートの活動は始まりました。今は、役場からの委託を受けながら、地元のお祭りの企画運営をサポートして町外から人を集めたり、町内と町外の人をつないでトレイルランニングの大会を開催したり、今ある資源に新しい風を入れてより楽しめるような活動を目指しています。

林: 現在は、二拠点生活ですか?

伊藤: コロナ禍で東京との移動が難しくなったこともあり、今は住田町に住んでいます。2018年に住田町への移住者と結婚しましたが、コロナ前は別居婚でした。岩手に月に2回通い、東京で10日過ごして、岩手で5日過ごし、また東京に戻るというパターンでした。結婚しても離れて暮らしていたので、住田町の人からは「東京に出稼ぎに行っているんだよね」と笑って声をかけてもらっていました。

今は、BICPの住田オフィスを開設して、オンラインで主に東京・関西の仕事をしていますが、今後は岩手の地域の課題にもマーケティング思考で取り組みたいですね。

住田オフィスの写真

林: 邑サポートの伊藤さん、BICPの伊藤さんの仕事・役割を、うまく並存させていけると良いですね。

伊藤: 邑サポートは地域づくりを目的に活動していて、行政からの委託を受けています。BICPの立場では別の手法で地域に貢献したいと思っています。今後は、レベニューシェアのような形で物産品の販売支援ができないかなど検討中です。

住田にオフィスを開設したとはいっても、岩手で稼ぐのは一筋縄ではないとも思っています。学生時代から社会課題とお金をどう回すかの問題意識がありますが、答えはまだ見えていません。

後輩には「仕事が楽しい」と思ってもらえるように働きかけたい

森田雄氏(聞き手)

森田: マネージャー職として働いていらっしゃいますが、人の評価も業務に含まれますか?

伊藤: マネージャーですが、チームは持っていないので個別の人の管理はありません。プロジェクトごとにメンバーの仕事や成果物を見ているかたちです。小さな会社なので、全体的に気になった人に声をかけるようにしています。「業務面というよりも、心の状態をケアする係かな」と勝手に思っています。

森田: 具体的にはどんなケアをしていますか?

伊藤: 大したことはできていません。気になったら個人チャットを送ったり、意識的に雑談したりとかですね。オンラインでのミーティングがメインなので、働きやすさなど現場レベルでサポートしたいと思っています。仕事はもちろん楽しいことばかりではないですが、どうすれば一緒におもしろく仕事ができるかを考えて、「今日も1日楽しかったね」と言い合えるようにしたいなと思っています。

林: これまで仕事上のスキルや知識などはどのように学び、身につけてきましたか?

伊藤: 私は計画性がないので、最初の就職も、さとなおさんのところも、BICPも「こうなりたいからこうする」という計画のもとに行動してきたというよりも、「行き当たりばったり」のところがあります。「何か新しいことができないか」といつも、もがいています。

林: BICPでは、デジタルマーケティングのプランニングを中心に手がけているのでしょうか?

伊藤: いえ、それが中心ではありません。あまりデジタルマーケティングという言葉は使わないかもしれません。BICPのWebサイト上では「デジタル時代のマーケティングとは…」と言及していますが、いきなりデジタルの施策をプランニングすることはないですね。最終的な手段(打ち手)としてデジタルを使うこともありますが、BICPは実際の人を見に行って戦略を立てることを得意としています。

林: 「人を見に行く」というのは生活者の実際を調査しに行くということですか?

伊藤: はい。人の行動を見て観察して「その人が何を思っているのか」「その人の価値観は」と仮説をたてることもありますし、調査結果から考察することもあります。私たちは、人を見に行ってインサイトを探った上で、提供する価値を定義して市場をつくる、ということをおこなっています。地域づくりをしている邑サポートでも、地域の人を見て接しながら、「この人のインサイトは」「どんな課題を感じているのか」「どうすれば心地よいと思えるのか」を考えています。私自身、実は人間関係を作るのはちょっと苦手なんですが、人を見るのは好き、という「嫌いで好きな状態」です。

いつまで経っても「よそ者」だからできることがある

林: 地域の人との交流もありますか?

伊藤: 住田町に通い始めて10年になるので、姉妹、娘、孫のようにかわいがってもらっています。東京と行き来していた時は「次いつ来るの」と言われるのがうれしくて通い続けてきましたし、仕事以外でも顔を合わせれば話もします。このオフィスができたときも、地域の皆さんがお祝いしてくれました。

小さい町なのでこの活動は、「あの人に声をかければ進むよ」と教えてもらえますし、首長である町長に会って話をさせていただくこともできるので、サイズ感が強みになると思います。

住田町の気仙川の写真

林: BICP、邑サポートの二足のわらじで仕事をする中で、繁忙期が重なることもあるかと思いますが、時間の使い方などはどうマネジメントしていますか?

伊藤: タフではあると思いますが、BICP、邑サポート共に、同僚に助けられている部分がたくさんあります。BICPからは気持ちよく岩手に送り出し続けてもらっていますし、離れている今もたくさんサポートしてもらっています。コロナ禍でオンラインでの仕事が定着したこともあって、岩手からでも仕事ができるのはありがたいですね。BICP住田オフィスもできましたが、やはり地域の仕事は現場にいたほうがやりやすいので、今後は東京の仕事、住田の仕事とバランスを考えていきたいです。

森田: 住田には永住する予定ですか?

伊藤: 今は決めていませんが、住田を拠点にすることは続くと思いますし、ずっと関わり続けたいです。地域の中では、「よそ者」という認識はもちろんありますが、「よそから来て、おもしろいことをやっているね」とその認識を借りて、新しいことにチャレンジし続けていきたいと思っています。

もうすぐ空き家を借りて引っ越す予定なのですが、お庭が広いので野菜を育てたり、ガーデニングをしたりして、みんなが集える場所にしていきたいです。

伊藤さんのお庭の写真

二人の帰り道

林:こうしていろんな方の取材を重ねていくと、キャリアを歩む中に「行き当たりばったり」という、ある種のゆとりを内包していることって本当に尊いことだなぁと思います。途中途中で自分の計画にのっていない、いろんな人との出会い、学びがあって、それによって自分の舵の切り方が変化していくことをオープンに受け入れていく。そうやって自分の関心も能力も多方面に増強されていった先に、学生時代から関心があった社会活動と交差する時期がやってくる。その機をきちんとつかまえてキャリアチェンジ、自分のやりたいこと・できること・やるべきことを結集させて形にしていく伊藤さんのアグレッシブさ、変化への順応性、自然のうちに皆を巻き込んでいく柔和な笑顔に惚れ惚れしました。今後の活動にも大注目です!

森田: 伊藤さんが住田と東京を行き来している、なんなら、ここんとこはずっと住田にいるというのを、Facebookのフィードを通じて断片的かつ散発的に知っていた程度だったので、こういう背景があって今このようになっているのだということを知れてすごいスッキリしたというのが、今回の取材で一番思ったことかもしれません(笑)。それこそご家族が住田にいるとかそういう事情だと思っていたので、ストラテジックプランニングなりマーケティングなりという、ご自身のスキルを投下し続けている実践の場のなのだというのは結構びっくりです。仕事ってやっぱり知識を得るのと実践するのとの両輪だし、実践の場数はいくらあっても困らないわけですから、課題のコンテクストや自分に求められる期待値の粒度が違うことであるとか、そういうのをふんだんに獲得し続けられる装置を懐に持っているというのが強いなと思いました。しかも多拠点持ちなので物理的な横展開まであるという……。素晴らしいですね。とりあえずご時世的に問題なくなったら住田へ伺いますのでよろしくお願いします!

本取材はオンラインで実施
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