森田雄&林真理子が聴く「Web系キャリア探訪」

「新しいことが好き」新卒入社して25年、転職せずに仕事を続ける理由

フェリシモに入社して25年。ECサイト立ち上げ、デジタル広告、システム開発などを経験し、現在は物流改革に挑んでいる同社の市橋邦弘氏にキャリアを聞いた。
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新卒で入社してから25年。フェリシモ初のECサイト立ち上げに携わり、デジタル広告運用を経験したのち、システム開発の部署に。40代前半で新事業開発部門に異動し、近年は未知の領域の物流へ。同じ会社にいながら、部署を変えて、責任範囲を広げている株式会社フェリシモ 新規事業開発本部 物流EC支援事業部 部長 市橋邦弘氏にキャリアについてお話をうかがった。

Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。

阪神淡路大震災の年に入社。復興支援TシャツのECサイトが初仕事

林: Webに触れたきっかけから教えてください。

市橋: 1995年にフェリシモに入社して、自社ECサイトの立ち上げを担当することになり、初めてインターネットに触れました。入社した年の1月に阪神淡路大震災がありました。震災当時私は大学4年でフェリシモに入社することが決まっていましたが、フェリシモは大阪に本社があり、神戸に移転が決まっていたので、「私は入社できるのだろうか。会社は移転できるのだろうか」といろいろと不安だったことを覚えています。会社は壊滅的な被害を受けましたが、無事に4月に入社でき、当初の予定を後ろ倒しにし、9月に神戸に移転しました。

その時、お客様から会社を心配する手紙がたくさん届きました。「企業が被災者に支援物資を送る」ということはありますが、「お客様が企業にお見舞いの手紙を送る」ってあまりないですよね。「フェリシモはお客様から愛されている会社だな」と思いました。道路を直したり、電車を通したりすることはできませんが、心の復興のお手伝いができるかもしれないという思いで移転しました。移転先のビルは大きな被害はなかったものの、まだ周囲に瓦礫やブルーシートがあるような時期でしたが、自分も学生時代を過ごした京都から神戸に引っ越しました。

林: 新卒1年目で、会社とお客様のこうした関係性を真に当たりにしたというのは貴重な体験ですね。

株式会社フェリシモ 新規事業開発本部 物流EC支援事業部 部長 市橋邦弘氏
(自社倉庫内で撮影)

森田: Windows95が発売されて、インターネットがブームになりましたね。学生時代にインターネットの部門への配属を希望していたのですか?

市橋: 採用面接の時に代表から「これからはインターネットの時代だけどインターネットを知っているか?」と聞かれ、「知らないけれど新しいことが好きなのでやってみたい」と答えました。そのためかはわかりませんが、インターネット部門に配属されました。当時の部署名は「未来事業統括本部」で新設されたばかり、最初の仕事がECサイトを作って、震災復興支援のTシャツを売ることでした。

森田: 当時のネット環境はどうでしたか?

市橋: 大阪事務所にインターネットが開通したところで、サーバーをアメリカから輸入していましたね。当時の上司がインターネットに詳しくて、手取り足取り教えてもらいました。

林: 未来事業統括ということは、インターネット以外のこともやっていたのですか?

市橋: カタログ通販以外の新しいチャネルでの顧客との出会いを作る仕事をしていました。私はインターネットチームでしたが、他のチームでは通販カタログを書店で販売する事業、グローバルチームでは海外の支社とのやり取りや海外ブランドとの取引などをしていました。9割が自社ブランドのカタログ通販だったフェリシモにとって、自社商品以外やカタログ以外で販売することが新規事業の一つだったのです。

顧客側に先に起こったデジタルシフトに企業がついていく

林真理子氏(聞き手)

林: 復興支援のTシャツを売るECサイト構築からキャリアが始まったんですね。

市橋: そうですね。今のECサイトとは全く異なり、インターネットで注文を受け付けて、そのあとは手作業で処理していました。顧客がインターネット上のフォームから商品、住所、名前などを入力すると、そのデータをメールで受け取って印刷してコールセンターの注文係にFAXで送り、コールセンターの人が入力して注文処理をします。当時、私は印刷係とFAX係をやっていました。

その後、受注したメールをコールセンター部門に直接送れるようになって、少し進歩しました。しかし、インターネットで注文した後、キャンセルしたいと連絡する方もいます。注文内容はまだメールの受信トレイにあって、基幹システムに入っていないので、キャンセル処理ができなくて困ったということもありました。

森田: 当時のECサイトは、裏側の仕組みは手作業で処理するものが大半だったと思います。そうした手順の実態を実際に見てきて知っているのも、のちのちの強みですね。

市橋: 2000年に入って基幹システムとECサイトが連携されましたが、その日の注文データは、夜間にまとめてバッチ処理して、翌朝、基幹システムに登録されるので、タイムラグが発生していました。在庫とも連動していない、という課題もあり、「課題を1つ解決すると、また新たな課題が現れる」というまさに、手探りでECサイトの運営をしていました。

森田: 2000年頃は、注文してからそれが確定するまでに時間がかかるサイトはよくあって、たとえば送料確認してから連絡します、ということも多くありました。

市橋: そうですね。携帯電話が進化してiモードが普及したので、コールセンターに電話するより、メールで送るほうが早いということで、メールのお問い合わせがたくさん来るようになりました。お客様のほうが先に、デジタルシフトしていたので、企業がそれに追いつかないといけないという時代でした。

2002年からウェブ広告を担当する室長に

林: 初期の頃、インターネットやECサイトについてはどうやって学びましたか?

市橋: 上司がインプレスの『iNTERNET magazine』(2006年休刊)を購読していて、それを見て勉強しました。90年代は、ECサイト事例ということで、ちょくちょくフェリシモのことを取り上げてもらうこともありました。

森田: そもそも、フェリシモ入社以前から通販という事業に興味があったりしたのですか?

市橋: 私の就職活動中は、就職氷河期と言われて通販以外もたくさんの会社を受けました。新しいことが好きな性分なので、チャレンジ精神のある企業に就職したいと思っていました。私が入社した時、フェリシモは創業30年で事業内容がユニークで、ダイレクトマーケティング領域はおもしろそうだなと思って、応募しました。母と姉がフェリシモの顧客で、家にフェリシモのカタログが届くのを見ていたということもあって、興味自体は持っていましたね。

林: 2000年以降は、どんな役割を担当されたんですか?

市橋: ECサイトが立ち上がり、会社の戦略として2000年からインターネットに注力するようになりました。インターネットは受注入力コスト削減につながります。これまでコールセンターでオペレーターが数分かけて、注文を受けて入力していた部分が、お客様が自ら入力できるようになったからです。お客様としても、コールセンターが閉まっている夜間にも注文できる、というメリットがありました。

スローガンとして、「インターネット注文を100%にする」といったことを掲げていました。そのためメンバーが増えて、企画チーム、設計チーム、運用チームに分かれることになり、2002年に私はウェブ広告を担当する企画チームの室長になりました。それまで通販の会社は新聞広告、DMなどに広告費を投じており、ウェブ広告はやっていませんでしたが、この頃から予算をつけてもらってウェブ広告も配信するようになりました。

最初はInfoseekにバナー広告を出稿していましたね。当時、アドネットワークはまだなかったので、純広告のような形で掲載していました。メールマガジンのまぐまぐに出稿したり、mixiのバナー広告も出稿したりしました。

ただ、当時広告の効果測定としては、広告経由で受注できた数がわからなくて、媒体社からのレポートでクリック数、インプレッション数などを確認していました。A/Bテストを実施して改善するには、自分たちで効果測定をする必要がありました。そこで代理店から提案されたツールを入れたいと会社に伝えたのですが、「代理店に受注の数値がわかってしまうからダメ」と言われてしまい、自社開発することになりました。

広告の企画・運用から、開発部門も兼務することに

林: 自社開発に打って出られるのがすごいですね。こうしたマーケティングとシステムの分け隔てない中で次の部署へ?

市橋: 2009年に企画と開発の両方を担当することになりました。広告からの流入が増えると、ウェブサーバーが重くなりすぎて、サイトが落ちるということが頻繁に当時起こっていました。そうなると、普通に来訪した人も注文できなくなってしまいます。広告で人を集めるだけではダメで、それ処理できるだけのプラットフォームの構築も両輪でしなければいけない、という話になりました。

当時は、AWSなどのクラウドがなかったので、ウェブサーバーをどれくらい増やせば、自分たちのマーケティング施策に耐えうるかを考えなければいけませんでした。そこで、コンピューターメーカーにサーバーを発注して、データセンターへの納品に立ち会って、ということをやっていたので、システム面も担当することになり企画と開発を兼務することになりました。

森田: クラウドが一般的に普及していない頃は、キャンペーンサイトがせっかく話題になっても、アクセスが集中しすぎて落ちてしまうということがよくありましたね。

市橋: そうなんです。開発チームになって、ウェブと基幹システムを連携してリアルタイム処理ができるように取り組みました。開発グループは社員が15人くらい、さらにEC開発を担当する外部のSE、プログラマーが20人くらい常駐していました。

林: かなりの予算と人員を割いていたのですね。

市橋: そうですね。「ECサイトが落ちてしまう=機会損失」ですから、会社としてもシステム面の整備には、積極的に投資をしていました。開発部門のメンバーはほぼ中途採用で、業務のことは私が説明し、システム開発については彼らに進めてもらうといった形で進めていました。

2015年頃に、サーバーを全面的にAWSに切り替えたことで、繁忙期と閑散期に応じたサーバー利用ができるようになり、安定的にサイト運用ができるようになった上に、トータルでは大きなコスト削減ができました。データセンターからクラウド化の移行を担当して、年単位で計画をたてて実施しましたが楽しかったです。

林: この頃は、新しい業務や技術の習得はどうしていましたか?

市橋: 会社の支援が充実していて、書籍購入などは自由にできましたし、セミナーにも参加できたので、そこで身につけました。ハッキングを受けるので、セキュリティも勉強しましたね。ファイアウォールに加えて、WAF(Web Application Firewall)も必要と言われて導入したり。ベンダーも教えてくれますし、社外の友人も多かったので教えてもらうこともありました。

開発部では人材マネジメントも。システムリプレイスをやりきって新しいチャレンジへ

森田雄氏(聞き手)

森田: リーダーの立場は、部下のマネジメントもするのでしょうか?

市橋: はい、それも仕事です。フェリシモはあまりジョブローテーションをしない会社なのですが、私のチームでは強制的に担当を変更して、全員が部内の仕事をできるようにしました。一つの仕事だけをやっていると効率はよいのですが、それしかできなくなりますし、その人が不在の時や退職した時に困ってしまうからです。

ジョブローテーションは最初は皆嫌がります。「自分がやっている仕事が好きだし」「知らないことをやりたくないし」「一緒に働く外部のSEも同じ人だと話が早いし」とやりたがらない理由はたくさんありますが、それでもやりました。やってみると、いろいろな業務知識やスキルが身について納得感もあったと思います。

仕事の中には、王道の仕事もあれば、地味な仕事もありますが、どちらも誰かがやらなければなりません。たとえば、返品をスムーズに行ってもらうためのアプリ開発は地味な仕事ですが、ユーザーにとっては重要な機能です。一通りの仕事を知ることの重要性は伝えられたかと思います。

森田: ユーザーファーストでの観点は重要ですね。返品アプリをしっかり作って動線を明瞭にしておくことは大切です。ほかにも、たとえば退会処理なんかも同様で、退会しやすく作っておいたほうが、また必要な時に入ろうという認識が生まれるんですよね。こうしたフローは確かに地味なところともいえますが、誰かがやらないといけない仕事ですし、中の人だからこそできる仕事でもあると思います。

林: 開発部門を経て、新規事業に移られる経緯というのは?

市橋: 2014年に基幹システムのリプレイスの仕事が終わって、やり遂げたなと思っていたところ、社内に新規事業支援制度ができて一期生として手を挙げました。社内ベンチャーキャピタルのような制度で、新規事業開発本部の担当部長として1年かけて代表と新規事業の事業計画、損益計算書(PL)などを考えて、了承を得てスタートしました。2015年から一人で始めてチームメンバーも増えてきて、新事業の中に複数の領域ができて、2017年からはEC物流領域の新事業開発が私のミッションです。

配送料無料を実現したい。物流の常識を変える新しい配送方式で事業を展開

林: EC物流の新規事業というのは、どんな取り組みなんですか?

市橋: 私が担当する以前から、宅配荷物の受け取りをスムーズにするためのロッカー提供サービスがありました。共働き世帯が増えて、宅配の荷物を受け取れないという課題があり、取り組んだ事業でしたが、あまりスケールせず、ほそぼそとやっていました。

転機になったのは、約3年前の物流クライシスです。ECニーズが高まり、物流がパンクして、大手宅配会社が送料を一斉に値上げ。フェリシモも送料分が吸収できずに赤字になりました。送料をお客様負担にすると買い控えになってしまうので、送料を下げるためのプロジェクトを全社横断で立ち上げ、50くらいのアイデアを出しました。その中の最後のアイデアが「第4の配送会社を自分たちで作る」でした。しかし、フェリシモは当然ながら、トラック、ドライバーを持っていないので、B2B物流の西濃運輸さんと組んで、ジョイントベンチャーとして新会社LOCCOを立ち上げました。

LOCCOのサービスでは、全国に配送する幹線輸送は西濃運輸さんが担当し、各地域のセンター(デポ)に配送します。センターから配送先までのラストワンマイルは、地域のギグワーカーを含むパートナーが運び、置き配専門にすることで、送料を安くしています。そのシステムは同じくジョイントベンチャーとして出資いただいたITベンチャーのエヌエルプラスさんに開発してもらいました。1年くらい一部地域で実験的に導入し、今年の秋までには全国の政令都市すべてに対応する予定です。

森田: これは企画から、市橋さんが考えているのですか?

市橋: 私は西濃さんとの協業が決まった頃からジョインしました。取りまとめ、推進などを担当しています。

LOCCOのサービスはすべて置き配にしています。そもそも、送料値上げの原因の一つに再配達によるコスト増があります。置き配にあたっては、慎重にテストを行い盗難が発生しないかなどを検証しました。テストを実施したエリアでグループインタビューをしたら、「土日に配達日を指定するので、複数の会社が何度も配達に来る。まとめてほしい」という意見がありました。

物流の課題は、自分が今までやってきたサーバーの高負荷対策に似ているなと思いました。押し寄せるトラフィック処理のためにCDN(Content Delivery Network)を導入したり、クラウド化してトラフィックにあわせて増減させたりという対応を物流でもできないかと考えました。インターネットのパケット通信はバケツリレーですし、そもそも物流の用語ですから、同様にできるだろうと考えました。

最後のラストワンマイルは、ギグワーカーが届けるというアイデアもグループインタビューの中で、近所の人の分をデポまで取りに行って、配達してもいいという人がいたことで実現したいと思うようになりました。システム的には、荷物を配達してスマートフォンで登録すると、受け取り主にお知らせが届く仕組みになっています。このサービスはオープンプラットフォームとして、他の通販会社も使ってもらう予定で、成功すれば送料を削減できるし、お客様に負担いただく送料も下げていくことができると思っています。

近い将来、宅配荷物は年間40億個から1.5倍の60億個に達すると言われていますが、ドライバーを1.5倍にすることは難しいと思っています。ラストワンマイルのパートナーを増やすことでECの物流課題を解決していきたいですね。

最近完成した倉庫内のスタジオの様子

テクノロジーが倉庫、配達の常識を変えていく! 社会に貢献する仕事を誇りにずっと働きたい

林: いま市橋さんが取り組まれていることは、顧客サービスを超えて、社会課題の解決を中心に据えているように思います。こうした視座や仕事への関わり方は、いろいろ経験を積まれた結果として視野が広がって、この域に至ったということなのでしょうか?

市橋: フェリシモは、「事業性」「独創性」「社会性」の3つの輪が重なることを事業領域とすることを目指しています。事業性も大事ですが社会性のないことはしませんし、他の会社の真似もしません。これは、新入社員を含めて社内で共有されていますし、会社のポリシーになっています。

森田: 最初におっしゃっていた、震災後に手紙が届いたというお話につながりますね。社会性があるから、共感したお客さんが集まってくれているのだと思います。

市橋: 従業員各自が、それぞれの役割のなかで単に売上だけでなく、社会への貢献を目指しているので、自分もそうなりたいと思いますし、誇らしく感じます。それが25年間働き続けている理由でもあります。

森田: 今後はどのようにしていきたいと思っていますか?

市橋: 60歳まであと12年ですが、自分が立ち上げた新規事業が、自分がいなくなったあとも継続できる仕組みを考えています。新規事業なので部下が少ない分、部署横断的に非常にたくさんの人に動いてもらっていることもあり、主事業の1つとしてずっと継続できるようにしたいです。

まだやりたいことがたくさんあります。一つは、配送センターのオープン化です。配送センターの稼働率は時期によって変動しますが、空いているときは他の会社が使えるようにして共同配送ができるようにしています。配送センターのみならず、コールセンター含めたお客さまとの関係性をオープンプラットフォーム化して、いろいろな取り組みを多くの会社や自治体や個人の方と共創していきたいです。

二人の帰り道

林: お客さんへのグループインタビューで、週末に「複数の会社が何度も配達に来る」という話を聴いたときの「この課題は、自分が今までやってきたサーバーの高負荷対策に似ている」と直観した話。一見すると別分野のことが、自分の経験を通すと重なって見える体験って、長く仕事経験を積んでいく中で得られる醍醐味の一つですよね。市橋さんが1995年の阪神・淡路大震災の直後に社会に出て、そこからこれまで四半世紀にわたって充実したキャリアを積んでこられて、いま精力的に物流の社会変革に取り組んでいる様は、このコロナ禍に勇気づけられるお話でした。社会に出てまもない皆さんへのエールとして届けられればなと思います。

森田: 市橋さんが入社してから今に至るまでずっと、新しいことが好きなのでやってみたいという気持ちがそのまま原動力になっていて、一貫しているのが印象的でした。しかも、すぐに次の新しいことへと目移りしていくのではなく、しっかりと成果が出るところまで向き合って、そしてちゃんと託していくというのが実にかっこいいし、社会から明らかに必要とされていることに取り組んでいくというところにも痺れますね。プロジェクトエックス的なものを現役でこしらえ続ける話を聞いているなぁみたいな気持ちで終始過ごさせて頂きました。まさに今やってらっしゃる物流の課題解決がもたらす成果を空気のように享受できる日を楽しみにしつつ、とりあえずコロナが落ち着き次第、物流倉庫の見学に行き、新しい物流のカタチが生まれているところを肌で感じに行きたいなと思う次第なのでした。

本取材はオンラインで実施
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