デイリーポータルZは万年赤字!? 編集長・林さんがサラリーマンを続ける理由
個性的なライター陣によるちょっと変わったコンテンツが毎日更新されるデイリーポータルZ(DPZ)。17年の歴史をもち、数年前からは、オンラインコンテンツだけでなく「顔が大きくなる箱」「地味ハロウィン」などリアルなイベントにも活動の場を広げている。
今日のゲストは、一人でこのメディアを立ち上げたイッツ・コミュニケーションズ株式会社 メディア事業部 林雄司氏。最近は、ちらほらとオウンドメディア運営終了のお知らせを聞くことがあるが、なぜ「黒字化したことがない」デイリーポータルZが、組織、会社が変わっても続いていくのだろうか。林氏のキャリアと会社の中でやりたいことをやり続けるための仕事観について迫った。
Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。
インタビュアーは、Webデザイン黎明期から業界をよく知るIA/UXデザイナーの森田雄氏と、クリエイティブ職の人材育成に長く携わるトレーニングディレクター/キャリアカウンセラーの林真理子氏。
パソコン通信からインターネットへ。その移行期にオンラインショッピングを担当
林: 過去に取材を受けている人に倣って、僕も簡単なキャリアの変遷をまとめてきました。
森田: 助かります(笑)。 最初の就職はジー・サーチなんですね。なぜジー・サーチを選んだんですか?
林: ジー・サーチは、1993年当時パソコン通信で新聞の検索サービスを有料で提供していました。大学の卒論を書くときにそのサービスを使ってみて、この会社に入れば新聞を検索し放題だなと思って入社しました。
林(真): 新卒当時の林さんの就職観や「仕事」の位置づけって、どんな感じだったのですか?
林: 深く考えもせずに……。当時は、コンピュータと出版が混ざっているのがいいなと思って。
林(真): 大学は教養学部だったとか?
林: はい、コミュニケーション論を学んでいます。マクルーハンを読んだり、マスコミュニケーション、1対1のコミュニケーションなどを学んだりしました。
森田: 今現在のキャリアから振り返ってみると、筋が通っている気がしますね。
林(真): Web、インターネットに最初に触れたのはいつですか?
林: 当時ジー・サーチはパソコン通信で新聞、企業情報を提供していましたが、これからはインターネットだ、ということでエンジニアがUNIXでブラウジングしていたのを、後ろから見てかっこいいなと思ったのが出会いですね。
入社して2年目で、インターネットでWebブラウザInfoMosaic(NCSA Mosaicを日本語化したもの)をダウンロード販売する事業が始まり、「お前が担当」と振られました。当時はインターネットで販売するのは先進的だったのですが、ダイヤルアップ接続の時代ですから、ダウンロードに失敗する人が多くて、結局フロッピーディスクにコピーして送付するという仕事をしていました。
しかも当時、会社にパソコンが1台しかなくて。売れるとエンジニアがログから住所などをコピーして印刷、それを経理の人が入力するという、ひどい仕組みでしたねぇ。どこがオンラインショップなんだって感じです。
最初の個人サイトはトイレマップ。オモシロイと思ったことが役立つ情報に
林: そんな仕事をしているうちにHTMLを覚えたので、2年後に個人サイトを作りました。それが「トイレマップ」です。
林(真): どういうきっかけで始められたのでしょうか?
林: トイレマップを始めたのは、当時インターネットはかっこいいイメージがあったので、そのインターネットに便器の写真が載っていたらおもしろいなと思ったからです。ただ、サイトには、「お腹が弱いのでトイレの情報を調べています」という半分ウソのストーリーを載せていたところ、意外にも「大事ですよね!」と反響がありました。
森田: 意図せず情報に公共性を帯びていたんですね。
林: そう、だから役立つことは大事なんだなと学びました。完全にふざけているだけでなく、ちょっと真面目な人にも刺さるものがあったほうがいい。
林(真): 林さんが個人活動で作ったサイトは書籍にもなったり、広がりがありますよね。こうしたコンテンツ力をもって独立しようとは当時思わなかったですか?
林: 趣味のレベルでやりながら、仕事にならないかなとは思っていましたが、会社を辞めて本業にする勇気はありませんでした。
メディアで黒字化したことがない! それでも続けられる理由
森田: 今だったら、アフィリエイトやGoogle広告などで収益化することができるかもしれませんが、その当時は難しいですよね。
林: そうですねぇ。ちなみに、いまだにメディアの仕事で黒字になったことがないので、僕のキャリアを聞いて読者は得になるのだろうか、と不安に思っているんですが。
森田: いいんですよ、サイト単体が黒字じゃなくても、個人の人生として黒字ならば。
林: ああ、個人としては黒字ですね。幸せですし。
林(真): それは良かった! よくサラリーマンは年収の3倍、4倍の利益は上げないと雇う側はペイしないというじゃないですか。私もサラリーマンとして常に気にかけているものの、実際それほど稼げていません。会社としては、ペイしていないけれど雇い続けている状態。だから、もし会社から辞めろと言われたらすぐ辞める覚悟は常にもっている一方、言われないうちは会社に厄介になりつつ、自分なりの貢献のあり方を模索していこうという甘えがあります……。
林: それは僕も一緒で、クビといわれるまでいようと。
森田: 潔いと思いますよ。そういうキャリアを聞きたくて、この連載はあるんです。いかにして会社に居続けるか、という話をむしろ聞きたい。メディア運営が黒字じゃないからDPZ が終わる、林さんが辞める、という方がブランドやネット文化的な面で損失が大きいと思ったりもするんですが。
林: 実は僕もそれを自分で訴えたこともありましたが、ビジネス的な視点の前では効果はなかったですね。
林(真): DPZの存在意義をいろいろな切り口で説明して会社と戦ってきているんですね。
林: 戦うというよりも、むしろ取り入る感じで、角を立てないようにしています。Webメディアは儲からないので、今の会社(イッツ・コミュニケーションズ)にははっきりと、どうやっても儲からないので、どうしても会社がつらくなったら、遠慮なく売ってくださいと言っています。
「この枠空いているよ」DPZ爆誕のきっかけ
林(真): キャリアの話に戻ると、ジー・サーチからニフティには出向からの転籍なんですね?
林: はい。実は今までの人生で、一度も自分の意志で会社を変わったことはないんです。ただ、転籍のときに少し自分の意志を出しましたね。というのも、コンシューマー向けのサービスがニフティに統合され、ジー・サーチはB2Bの会社になったので、自分が戻る余地がないと思ったからです。
林(真): 転籍した直後は、どんなお仕事だったのでしょう?
林: 1年目は旅行サイトの制作や会員向け資料作成などをしていました。でも、つまらなくてねぇ。社内でたまたまサイトが一つ空いたので、それを使ってDPZを始めました。といっても、自分がやりたいといった訳じゃないんです。
当時、ニフティはいろいろなジャンルのメディアを持っていたんです。DPZはそれらメディアの表紙という位置づけで、各サイトの更新情報に混じって、なぜか僕のコラムが載るようになりました。それがDPZの始まりです。
所属が変わればゴールも変わる。会社をクライアントに見立てて存在意義を説得する
森田: 今は編集長としての業務はどんなことをしているのですか。
林: 記事は最後にさらっとみますが、基本的に担当編集に任せています。
2008年くらいに一気に編集部の人数が増えて、ちゃんと自分の考えを伝えないとみんなも戸惑うだろうなと。そこからマネジメントしないといけないという気になりました。肩書も2006年にマネージャ職になりましたし。
林(真): DPZ運営を担う部署は、会社の中でどういう役割の部署なのですか?
林: たいてい新規事業開発室みたいな部門にいますね。今はメディア事業部です。所属する部門が変わるとDPZの位置づけも変わるんですよ。位置づけが変わればKPIも変わります。
林(真): KPIはご自身で設定するのですか?
林: はい、売上ならはっきりしていてやりやすいですが、ブランディングに貢献する、いい印象を増やすというときは、困りますよねぇ。上の人が納得感を得られるような数字を出すようにしています。僕は会社オリエンテッドで、飼いならされているんですよ。
森田: 飼いならされているものの、抑え込まれてはいない、そんな風に見えますよ。
林: ニフティ時代の後半から今も編集部で共有していることは「会社は一番のクライアントだから機嫌を損ねないように」でした。だって、もし会社を辞めたら制作費を出してくれるクライアントを探さないといけないじゃないですか。ふわっとした説明でも存在意義を理解してくれて月数百万円の制作費をくれる、というのはすばらしいクライアントです。
林(真): ニフティの個人向けインターネット接続事業が買収される際、DPZの事業譲渡の話は、林さんも中心に入って決められたんですか?
林: いや、いや。2017年にニフティがノジマの完全子会社になり、「DPZは事業譲渡、東急グループが引き受け先になりそうだ」ということを聞いた程度です。DPZは赤字の事業ですからね、正しい経営判断だと思います。東急グループは、DPZの数字にはない価値を買ってくれたんでしょうね。
会社最高! 自分の価値を会社に示して、好きなことをして生きていく
林(真): 過去を振り返ってみて、仕事観に変化はありましたか?
林: 1999年に個人サイトをまとめた書籍を出してから、書く仕事を副業的に始めたんですが、大変なのに稼げないんですね。これは「会社で出世したほうが良いぞ」と思いました。だから2002年にDPZを始めたときは、実名を出してちゃんとやろうと思いました。
林(真): 林さん、出世欲をお持ちですか?!
林: 出世欲はありますね。DPZは楽しいので後は給料を増やしたいです。
林(真): 独立してDPZをやることは、考えたことありませんか?
林: 東急グループに移ったしばらく後は損益に厳しくて、独立してもいいかなと思ったことがありますが、やはり一人でやるのは無理なので、チームを持てる会社で頑張ることにしました。やりたい企画があっても、一人だと面倒になってしまいますが、業務として頼める仲間がいたほうが新しいことができますしね。
森田: 一人だと事務処理など経理、総務の仕事が大変ですし、会社の設備も使えないですしね。働く労力を集中させたほうがいいですよ。
林: 事務処理が苦手なんですが、一時頑張ろうとして、でももうあきらめました。
林(真): そうすると「会社最高!」という結論になりますね。
森田: この連載は、会社員を楽しむことを伝えることも重要な要素なので、とても共感できます。
DPZの黒字化が常に目標。そして老後はライターグループホームを作りたい
森田: ちなみに林さんは今おいくつですか?
林: 僕は48歳、編集部のメンバーは僕含めて6人いますが、平均年齢は45歳くらい。ライターは40人くらいいますが、意識的に若い人を採用しています。
森田: 企業に所属している以上、年齢的に求められるものも変わると思いますが、これからの方向というか人生観を聞きたいです。
林: DPZ単体で儲かる方向に持っていきたいです。ちなみに「デイリーポータルZをはげます会」という月額サービスもやっているのですが、きれいに頭打ち状態です。
広告ではなくて、普段の活動の延長で儲からないかなと考えています。これから会社でやっていくにしても、60歳の集団のチームになって、経営者よりも年下で「あのおじいちゃんたちどうする?」みたいなのは雇われないでしょうから、お金が入る仕組みを作りたいですね。
林(真): DPZはおもしろさに品があるし、へたに炎上しないユーモアが一貫していますよね。広告主にとっては出稿先として魅力も安心感もありそうですが。
林: 品が良いとはよく言われるんですけど、企画段階ではギリギリのものが出てくることがあります。ただ、インターネット歴が長いので、何が炎上するか、クレームがくるかと言うのはわかりますね。ポリコレ意識が高いというか。おもしろいことがやりたい企業はぜひDPZにお声がけください!
林(真): 今後はどんなことをやりたいですか。
林: 老人のライターが一緒に住めるグループホームをやりたいですね。皆コレクターで変なものを集めているので、それを展示して伊豆とか那須で変な博物館を作ったり。それを20年後のDPZのライターが取材に来て、世代交代を感じると。そんな老後を送りたいですね。
二人の帰り道
林(真):林さんのように「ワークもライフも一緒くた!」感がある「会社員」の取材をして、ご本人の「幸せ」って言葉とともに記事をお届けできることが、すごくうれしいです。ワークとライフをどうバランスさせたいかも人それぞれなら、会社員の働き方も多様化していることを、林さんがそのキャリアをもって具体的に示してくださったようにも思います。立ち上げから17年のDPZは、林さんのライフワークのようにも見えますし、またDPZに限らず「ユーモアあふれるコンテンツ」を創り出して皆にシェアしていくこと、「笑いのプラットフォーム」を築いて皆を舞台に上げていくことが、林さんのキャリアの支柱になっているように感じられます。その活動を実現していくのにちょうどいい場やパートナーと組んでやっていければ願ったり叶ったり。へたに多くを「外に」求めて職場を転々とすることなく、やりたいこと、創りたいものは自分で用意する。そんなキャリア形成の骨太さを感じる取材でした。その骨太さあっての、終始ゆるふわっとした楽しい取材でしたね。
森田: この連載、最近キャリア力が強い方々が続いていてひたすら帰り道は自分の手をじっと見る展開になっていたのですが、今回の林さんのお話を聞いて、僕も楽しく仕事できてるから人生黒字で良かった! みたいに素直に思えて嬉しかったです。そして、僕も給料をあげていきたいですし、僕も会社員…まあ社長ですが、会社の中の人で会社っていいよなって思っている人間なので、とても共感できました。もっとも、弊社の場合は経理、総務から、掃除やゴミ出しまでほとんど僕がやってますが(笑)。この先の年齢を考えると、うちの零細企業でさえ、というより零細企業だからこそ、傍目に「あのおじいちゃんしかいない会社」となってしまいかねないので、きちんと仕事が続けられる仕組みを考えていかないとと、改めて思った次第です。楽しいお話をありがとうございました。
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