【小説】CMS導入奮闘記――吉祥寺和男の挑戦

営業本部長からのクレーム

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営業本部長からのクレーム

電話をかけてきたのは神田だった。社に戻ってから神田が吉祥寺に詳しく話した内容は、次のようなものだった。

切れ者として社内でもよく知られている営業部本部長の日野遼子からウェブマネ課に突然電話がかかってきた。リニューアルサイトのデザインのコンセプトを根本から見直してほしい。それが日野の要件だった。彼女はこう言ったという。

デザインのサンプルを確認する限り、すべての商品がフラットに見える構成になっている。情報の水準が揃ったという点は評価するが、各商品の固有の現状がまったく反映されていない。たとえば、現在伸び悩んでいるブランドは、ユーザーからのアクセスがより多くなるようテコ入れをすべきだし、今後大きく伸びていく可能性のある売れ筋のブランドについては、サイト内で強くプッシュすべきだ――。

営業本部長という社内の実力者から直接クレームが来たことに、神田は明らかに狼狽していた。吉祥寺は、「わかった、後は俺が何とかする」と言って、神田を安心させてから、デスクの上に残っていたペットボトルの水を一気に飲んで、考え始めた。

これは、単なる「面倒なクレーム」と考えるべき問題ではなかった。営業は、いわば消費者に最も近いところにいる人たちであり、その部門のトップである日野には、リアルな市場の動向を把握する嗅覚のようなものがあるはずだった。

しかも、彼女の意見は、情報がフラットに見えるというCMSの特徴を見事に言い当てていた。これは、あらかじめ用意されたテンプレートに情報を流し込むというCMSの仕組みがもつ弱点の1つだった。

さらに、リニューアルにあたっての説明会には営業部を呼んでいなかったし、ヒアリングもほとんどしていないという事情もあった。営業部は、事実上、このリニューアルの動きの蚊帳の外に置かれていたのである。「すでに説明しているはずです」といったエクスキューズは、通用しなかった。

吉祥寺は、おそらくまだ社内にいると思われる日野にすぐ電話をしようと思ったが、軽くアルコールが入っている今の状態で話をすれば、思わず感情的になって話がこじれる可能性もあると考えた。

彼は、「吉祥寺はすでに退社しているので、明日連絡する」という一報を日野に入れてもらうよう神田に頼んでから、代々木の携帯とコムコムファクトリーに急いで電話をかけた。

「特設サイト」というアイデア

次の日の午後に急遽開かれたプロジェクトチームの会議で、吉祥寺は、昨晩の要件について代々木、国分寺、四ツ谷の3人にあらためて説明し、営業本部長の要望をできるだけリニューアルに反映させたいということを伝えた。

しばらく黙って考えていた国分寺が口を開いた。

「おそらく、テンプレートのパターンを増やして、プッシュすべき商品用のページをつくるというのが現実的な解決策になると思いますが、コストとスケジュールに影響が出ますね。それから、テンプレートが増えれば、運用はその分複雑になります」

それを聞いて代々木は言った。

「スケジュールはともかく、コストは増やしたくないですね。現状のコストの範囲内で何とかなりませんか?」

「テンプレートが増えれば、その分コストが増える。これはどうしようもないです」

そう国分寺が返す。

「ほかに、何か方法はないのかな」

吉祥寺が言うまでもなく、メンバーは、それぞれに頭をひねって最善の方法を見つけようとしていた。

しばしの沈黙が続いた後、国分寺が再び話し始めた。

「情報がある程度フラットに見えることは、CMSを入れる以上、仕方のないことなんですよね。それによって、ユーザーが迷子にならないサイトが成立するわけですから、その点は日野さんにも受け入れていただく必要があると思います」

「見え方のバリエーションをとるか、使いやすさをとるか、か」

そう吉祥寺が呟いた時、神田がおもむろに口を開いた。

「人事と宣伝を納得させた方法があるじゃないですか。今回もあれで乗り切るしかないと思います」

伏せていた目を上げた吉祥寺に向かって神田は続けた。

「リクルートサイトとか、キャンペーンサイトとか、CMSでの運用に不向きなコンテンツは、今回のCMS導入のプロジェクトからいったん外して、ミニサイトとして別に動かすことにしましたよね。それと同じやり方だったら、日野さんも納得してくれるんじゃないでしょうか」

「露出させるブランドのための特設サイトをつくるということか」

「僕も同じことを考えていました」

そう言ったのは、四ツ谷だった。

「特設サイト自体は込み入ったものである必要はないので、新しく立ち上げるのにそれほどコストはかからないですし、そのコスト自体も、ブランド側から出るでしょうから」

「それで、コーポレートサイトのトップにそのミニサイトへのリンクを貼っておけば、導線も確保できるわね。それがベストじゃないかな、吉祥寺さん」

その国分寺の言葉を聞いた吉祥寺は、メンバーの顔を順に見渡しながら言った。

「わかりました。日野さんとは、その線でこれから交渉してみます。すみませんが、代々木課長もご同席いただけますか」

代々木に同席を乞うたのは、むろん、営業本部長との力関係をできるだけ均衡化させるためだったが、日野との話し合いにあたって、吉祥寺はさらに周到な準備をした。物事を滞りなく進めるには、保険をかける必要があり、場合によってはいくぶんの政治性が必要になる。そんなことを、吉祥寺はこの数カ月のうちに学んでいた。

日野に電話をかけてアポイントをとってからすぐに、彼は2通のメールを送った。1通のメールは、経営企画室の室長であり、かつての上司であった東小金井に対してのものだった。文面はこうだった。

「お忙しいところ、すみません。営業本部長の日野さんから、ウェブリニューアルの方向性について、意見が出ています。今日これから話し合って、何とかウェブマネ課で解決していこうと思いますが、万一、僕の力ではどうしようもない時は、相談させてください」

これは事実上、もしもの時は営業本部を黙らせてくれという要望にほかならなかった。まもなく返ってきた東小金井からの返信には、

「日野さんは難しいぞ。お前の腕の見せどころだ。どうしようもなくなったら、連絡してこい」

という頼もしい言葉が書き連ねてあった。

もう1通は、日野の直属の部下にあたる中野へのメールだった。

「お前んちのボスからクレームが来ちゃったよ。どうしようもない時は動いてくれるか?」

中野からもすぐに返信が来た。

「やだ」

メールには、そうひと言書いてあった。

次回予告
第9話 迷わず行けよ、吉祥寺!

営業本部長の要望を解決した吉祥寺を新たなトラブルが襲う。今度の「敵」は、ファミリー製薬の旗艦ブランド「ハイパーエブリディXX」のブランドマネージャーだった。スケジュールやコストを変えずに、テンプレートやプログラムを修正しようと考える吉祥寺。頼みの綱は国分寺と四ツ谷だった。

迷わず行けよ、吉祥寺!――終わりのないトラブルとの戦い/【小説】CMS導入奮闘記#9
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