ユーザー理解に長く関わってきた専門家が語る、人を深く観察するからこそ考えられること
石原さんは2005年から、ユーザーの行動や現場観察を起点に、新たなものづくりやサービス開発の芽を探索する取り組みをしています。現在所属しているビジネスイノベーションセンターは、DX時代の中で新たなビジネス価値を産みだすための技術や方法論の研究開発部門。2023年からこの部門で、デザイン思考を応用した教育や、社内外の様々な分野の人たちとの共創型デザインによる活動に携わっています。
今回は数年前に行ったという、事業会社とのeコマース領域の新規事業検討の事例を紹介してもらいました。
ECサイトの中長期の施策に新しい発想を取り込むには?
紹介してもらったプロジェクトは、事業会社のeコマース領域の中長期施策に向けて、新しい発想を取り込むプロジェクトでした。UX(ユーザーエクスペリエンス)を社内浸透させたい事業会社側の思いもあり、社員へのデザイン思考のOJT教育の意図も込められました。
プロジェクトでは、まず現場で人の行動を観察し、インサイトを探ることから開始。そこから現状の整理(As-Is)をし、理想の構想(To-Be)をしながらアイデアを発想、具体化されたサービスのアイデアを検討するという流れで進めていきました。
どのような人を調査の対象にするか、石原さんがプロジェクト関係者をリードしながら決めていきました。
普通に調査すると、ありがちな結果にとどまってしまうので、新しい気づきや発見につながる情報の取り方の工夫をしました(石原さん)
議論の結果、現在の利用者ではなく、使っていない人を対象にするという思い切ったチャレンジが盛り込まれました。「普段積極的に買い物をしており、行動範囲が広いにもかかわらず、ECサイトでの購入はあまりしない」6名が調査の対象者になりました。
フォトダイアリーで購入経験のありのままを知る
新しい価値を探す際には、ECサイトをどう使うかだけではなく、普段の買い物はどういう買い物なのか、なぜ買うのか、誰とそれを共有するのか、なぜそのような価値観になったのかなどの文脈の理解をするために、周辺情報を集める調査を行います。
“ECで買い物をしない”発言がなぜ発生しているのか。コンテクスト(文脈)を読み解くためには、どういう材料(情報)が有益か、どのように集めるかを考え設計します(石原さん)
ECサイトの画面上の表示ではなく、別の観点からユーザーの背中を押すために参考になるデータが取れる工夫をします。
周辺情報も含めた幅広い情報を、効率的に収集するために、日記形式(フォトダイアリー)や自宅訪問など、複数の調査手法を組み合わせ行うことにしました。
フォトダイアリーでは、対象者に3000円の予算を渡し、その時の購入の経験のありのままを記録してもらいました。フォーマットは、顧客担当者と何度も検討を繰り返したそう。最初は、一般的なカスタマージャーニーマップ形式で考えましたが、“果たして、ユーザ―はそんな綺麗な順序に沿って行動や思考をするのか”という仮説から、出来るだけリアルに、購入を決めるまでにどんなドラマがあったのか、購入を完了した瞬間や届くまでの不安感、商品が届いた際の温度感などを都度記録できるフォーマットを用意しました。
実際に書いてもらうと、ECサイトのはじめての購入を楽しむ一方で、失敗して大事な家族に迷惑をかける想像をしたり、間違えて大量の箱が届く悪夢にうなされたり、というエピソードが知れたといいます。
また、対象者の普段の買い物の状況を知るために、1週間の生活のなかでの買い物や、気になったものの記録も取ってもらいました。
ECではあまり買い物をしないのに、買い物自体は楽しんでる。井戸端会議で自分がお菓子を持ち寄って交換していたり。「買う」行為にある楽しさや価値、情報の使い分けやタッチポイントなどを調べるのが目的です(石原さん)
これらの事前情報をもとに、対象者の家へ訪問し、インタビューが行われました。
訪問インタビューで、文脈への理解を深める
訪問でのインタビューは、ビジネスエスノグラフィーと呼ばれる分野。「家にいくと、その人の価値観や、その人のヒストリーや所属コミュニティ、文化が垣間見え、発言や行動の背景や意味を理解しやすくなります」と石原さん。また、本人は、日常の「当たり前」と思い、説明しないモノの使い方や習慣に気づくことができ、そこから半構造化形式でインタビューを行うことで、会場インタビューやアンケートとは違う新しい気づきや発見が得られるのだそう。
プロジェクトの関係者も観察に参加。全員が現場に入って観察できると「あの人こうだったもんね」とリアルに語る人を増やせるメリットがあります。コストはかかりますが、自分たちで温度感を体感し、発見するということを、新規事業検討の際にはよく組み込むのだという。
ユーザーの生活圏の中で「耳」だけでなく「5感」で聞くことで、すごく理解が深まります。既存の枠を外して自分たちの事業の先を考えるテーマの時こそ、N=1のユーザを丁寧に理解することを大切にしています(石原さん)
訪問の結果、個人だけのニーズではなく、他の誰かに会ったり、誰かを喜ばせたり。買い物そのものが、自分と誰かの関係構築につながっていることも見えてきたと言います。
調査で得たインサイトをもとに、アナロジーを使って発想
調査が終わったあとには、「ダウンロード会」が行われました。調査の対象者一人ひとりについての情報共有を行ったのち、プロジェクトメンバーの気づきを出していきます。その後、一覧化された付箋を対象者ひとりごとに整理し、人の心理や動機などに関する学術的な裏付けを知見として補足していきました。
N=1の理解だけでなく、その気づきを、本来の人の行動や心理特性によるエビデンスで説明することで、「仮説」に対する組織内での説得力が高まり、次の活動や事業へとつなげやすくなるんです(石原さん)
そこから、事業に向けて注力したいターゲットを選び、ペルソナとして事実情報がまとめ直されました。積極層と消極層の違いや障壁などの観点から、事業としてどのタイミングで価値を提供するかが議論されていきました。
続けて、注目したインサイトに対してどのような価値を生み出すのか、アナロジー思考という発想法を使ってアイデアの発散が行われました。個人の知識量や情報の差により、アイデア発想が偏ってしまうのを避けるため、すでにあるサービスなど、近そうなものを集めてくる宿題が事前に出されました。調べてきた情報と、他の人が集めてきた情報をかけ合わせながら、アイデアを生み出していきます。
このような段階を経て、最終的にサービスコンセプトと仕様がまとめられました。仕様には、1回使ってもらうための作戦とリピートしてもらうための作戦も書かれました。
アイディアは、製品機能や画面仕様だけでなく、ユーザー体験価値にどんなリフレームが起こるかを、セットで考えました。経験上、アイディア発想の段階は、組織の制約や事情が登場し、提供側として「自分が作りたいもの」の思考が強くなり、それまで中心にいたはずのユーザーが置いてきぼりになりがちです。「ユーザー中心で考える」ための仕掛けを入れるようにしています(石原さん)
プロジェクトメンバーの思いを共通化することの重要性
経営層の方への最終報告の際には、現状の整理(As-Is)をもとに弱みとその理由が、プロジェクトメンバーから肉厚に語られたそう。中長期の戦略では違うやり方をしなければ駄目だということが確認でき、活動としていい評価をもらえたといいます。
プロジェクトメンバーからは「インタビューの時は正直よく分からなかったが、提供価値や発想に、何故あの情報が必要だったのか、あれがなくこのアイディアは出なかった」と価値を体感してもらえたそうです。
よく「なに関係ない話ばかりしてるんですか」と言われます。作り手からすると、答えをストレートに聞いてほしいんですよね。聞いてるときには、遠回りの質問の意味が分かりにくいんですけど、To-Beを考えていく際にこういう情報がないと、画面をどう作り直すかというような狭い発想になってしまうんです。だから、一見、無駄な話こそ大事なんです(石原さん)
調査による深い背景情報が繋がることによって、もっと長いプロセスで仕掛けを考えていかなければならないという発想に至ることができるのだそう。
こういった活動のPMは、知識や技術、分析力はもちろん大切ですが、同等に、プロジェクトに関わる人たちとの共創がすごく大事だと思います。このプロジェクトも、複数部門から20名以上が参加。私一人だけでなく、主担当の方が、丁寧に社内で説明をしてくれたからこそ、うまく動いた。中長期の活動では、私たちが関われるのはどうしても一部になってしまいます。クライアント組織内の関係者に共通の思いがないと、活動は消えてしまいます。「ユーザー中心」の考え方やマインドの組織内浸透や定着も大切と思います(石原さん)
石原さんは「わくわく」という言葉をよく使います。企画の芽を探す活動は不確実性が高く形もないため、個人の動機があってこそ活動がうまく回ると考えているそう。そのため、企画に思いを埋め込むことを大切にしています。
資格受験をきっかけに、これまでの活動の暗黙知が整理された
石原さんが人間中心設計専門家を受験し、認定を受けたのは2021年度。お客さまからの勧めが受験のきっかけだったといいます。
受験は本当にお勧めです。自分がやってきた活動の整理に繋がってよかったと思います(石原さん)
それまで関わった企画の工夫や考えを、すべて言語化することで、普段の自分の活動が実は暗黙知になっていたことに気づいたそうです。あらためて棚卸しし、第三者に説明できるよう言語化したことで、企画において何が大切なのか、要点の説明が更にできるようになったといいます。プロジェクトの中で不足した部分を説明する際にも、一般的な指標のガイドとして情報を提供できるようになったといいます。
こういったお仕事に、理論と実践を行き来しながら長年関わりながらも、明確な評価指標がなく、ちゃんとできているのかがわからなかったそう。周りに学術的なバックグラウンドのある人も多い中で、いくら評価されても「この実践知は、どこまで公式に言っていいことなんだろう」と自信が持てなかったといいます。
それが、「第三者による審査で認定されたことで不安が解消し、さらに次の新しい挑戦に向かう原動力にもなっています。一定期間実践してきた人たちがキャリアアップしていくには、いいきっかけになると思います」と語っていただきました。
同じ関心の仲間とつながり、機会が広がった
合格後、名刺に資格の名前を掲載しているという石原さん。はじめての人とやり取りする際に興味を持って、新しい活動の機会が増えました。
同じ関心で動いていたり苦労している仲間を見つけやすくなっています。その世界で一定のことができるということを、今までの経験を細かく語らなくても認識してもらえます(石原さん)
横のつながりができたことで、会社を飛び出した範囲で動く機会が増えたといいます。社内でも新規の活動に声をかけられることが多くなりました。
ビジネスの中で教科書どおりできるなんて、滅多にないです。限られた予算や、反対する人たちもいる中で、いかに実現させられるかの実践知がすごく大事なんです。状況は毎回違うので、仲間とそれを共有し合いながらヒントを得て、また活動に生かすことができると思っています。HCDって、いろんな職種の方が同じものをベースにして関わっているので、普段出会わない人とつながれる、いい場だなと思っています(石原さん)
「見せてもらう」情報があるからこそ考えられる
石原さんは「分かったつもりにならない」ことを大切にしています。
よく子供の目で見ると言いますが、経験が増えるほどに意外と難しくなるんです。わざわざ現場に行かなくても、ユーザーに直接会わなくても、ある程度想像も予測もできてしまう。自分の中に育った「認知バイアス」を排除し、目の前のユーザーに向き合い続けることこそが、ユーザー中心のものづくりへの「顧客発見」には大切なんです(石原さん)
一人一人の人に向き合うことは、本当に飽きることがないそう。調査の対象者のことを「インフォーマント」と呼ぶことがあるそうですが、やればやるほど「情報提供者」であることを実感するといいます。普段やっていることでも、対象者を通して聞くと「この人にはそういう意味があって行動しているんだ」という、知らなかったことを毎回知れるのだと石原さん。「答えてもらう」のではなく「見せてもらう」ことは、様々な方向から情報を提供してもらうということであり、その情報がなければ自分たちは考えられないのだとも教えてくれました。
人って解明しきれないものをいっぱい抱えていて、グレーの部分がすごくあるんですよね。そのグレーの曖昧さや答えが出ないおもしろさ、大事さを追求し続けたいです(石原さん)
いくらデジタル化が進んでも、まだまだ「人」や世の中には、ゼロイチだけで区別できないグレーも沢山あるのではないかといいます。グレーの面白さも持続された「ユーザー中心」のデジタル社会が理想と語ってくれました。
人間中心設計専門家・スペシャリスト認定試験
あなたも「人間中心設計専門家」「人間中心設計スペシャリスト」にチャレンジしてみませんか?
人間中心設計推進機構(HCD-Net)の「人間中心設計専門家」「人間中心設計スペシャリスト」は、これまで約1300人が認定をされています。ユーザーエクスペリエンス(UX)や人間中心設計、サービスデザイン、デザイン思考に関わる資格です。
- 受験申込:2023年11月1日(水)~11月21日(火) 16:59締切
- 主催: 特定非営利活動法人 人間中心設計機構(HCD-Net)
- 応募要領: https://www.hcdnet.org/certified/
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