最初は全然売れなかった「G-SHOCK」。開発から39年 なぜ愛されるブランドに成長したのか?
「落としても壊れない丈夫な時計」として1983年4月に発売されたカシオの耐衝撃腕時計「G-SHOCK」は、販売当初、「薄型の腕時計」が主流の中で苦戦する。その後、ブランドが認知され、ブレイクしたのは周知のとおりだが、そこにはどのような紆余曲折や秘訣があったのか。
このほどリモート開催された「デジタルマーケターズサミット 2022 Winter」には、G-SHOCKの生みの親であるカシオ計算機の伊部菊雄氏が登壇。マーケターが開発者の思いを引き出し、ブランディングに生かす秘訣を語った。
たった1行の提案書から始まったG-SHOCKの開発ストーリー
1983年4月に発売されたG-SHOCKは、90年代に入ってブランドが認知され、累計で1億個以上出荷されるほどの人気商品に成長したが、ブレイクまでに時間がかかったのと同様、商品化に至る道も苦難の連続だった。
伊部氏は、「G-SHOCKは、たった1行の提案書からはじまった」と振り返る。G-SHOCKのような時計を作りたいと思う契機となったのは、同氏が高校入学祝いにもらって大事にしていた腕時計を落として壊してしまった出来事だ。「時計は精密機械なので落としたら壊れる」のが常識の時代だった。
そこで伊部氏は、「落としても壊れない丈夫な時計」を開発しようと思い立ち、提案書にその旨、1行だけ記した提案書を提示した。そして、本来は構造案や実験スケジュール案なども記載しなければならないにもかかわらず、開発の許可を得ることができた。
ターゲットは目の前にいる道路工事作業員
ターゲットとして想定したのは、勤務していた技術センター前の道路を工事する作業員たち5人だった。工事現場での作業中には時計が壊れることが多いため、誰も時計をしていなかったが、その時計の無い不便さを解消したかったと伊部氏は語る。
目立たないところで落下実験を繰り返す
伊部氏は、丈夫な時計は、振動や衝撃から心臓部であるモジュールを保護する必要があるため、「大きくゴツくなる」と考えていた。とはいえ、当時流行していたのは「薄い時計」。会社からの指示も「デジタル時計を薄くする構造を考える」ことだった。そこで、目立たないところで実験しようと3階のトイレの窓から落下実験を繰り返した。
当初、メタルケースの4隅にゴムを補強する構造を考えたが、「何度、落下実験を行ってもうまくいかず、ゴムをどんどん巻いていき、最終的にはソフトボールのような大きさになってしまった」という。
子どものマリ遊びからヒントを得て耐衝撃構造が誕生
しかしこのサイズの腕時計では、現実的ではない。サイズを小さくしようと試行錯誤を繰り返すものの失敗が続いた。1行の提案書から開発ゴーサインを得た責任を痛感していた伊部氏。退職を覚悟して1週間の期限を定め、文字通り「寝ている間も解決策を考え抜く」生活を送る。精神的に追い込まれながら、結局、期限までに解決策を探ることができなかった。
失意の中、実験整理のため日曜出勤し、途方に暮れて公園のベンチに座って子どものマリ遊びを見ていた伊部氏は、ふと劇的な解決策を思いつく。子どものつくマリの中に、時計の心臓部分が浮いているようにみえたのだ。ここからヒントを得て生まれたのが「耐衝撃構造」だ。
かくして商品化にこぎつけたG-SHOCKは、1983年4月に発売された。しかし、発売当初は特に話題にもならず、「ただ店頭に置いているだけの状態が続いた」という。
苦戦続きの中、米国でブランドが認知された意外な理由とは
ブレイクのきっかけは意外なところから生まれた。米国では「丈夫で壊れない」という商品の長所を伝えるのに、「明確な説明が必要になる文化背景」があり、現地子会社では独自のプロモーションを展開。アイスホッケー選手がG-SHOCKをパックに見立て、打っても壊れない表現のテレビCMを制作、放映した。
これを見たアメリカの消費者は、「そんなことはあり得ない」と誇大広告を疑う。そして、さまざまな噂の真相を検証するテレビ番組に、実験を要望する投書が山ほど届いたという。そこで、テレビ番組はCMと同じ状況で検証を行い、問題ないことを実証。さらに、路面に置いたG-SHOCKを巨大トラックの車輪でひくという追加実験まで行い、これもクリアしたのだ。
これが契機となり、消防士など過酷な環境で働く人や、実用性とファッション性を評価したスケートボーダーがG-SHOCKを愛用するようになった。1990年代に入ると、G-SHOCKは若者ファッションに似合うタフな腕時計としてのブランドを確立。ついに日本に逆輸入という形で流行が訪れることになる。そして現在は、耐衝撃性をベースに技術進化し、さらにユーザー層を広げている。
G-SHOCKのファン作り
伊部氏は、G-SHOCKが全世界で1億個以上出荷するに至る成功要因には、次の3つの要素があったという。
- ファン作り(ブランドストーリーを伝えて商品の世界観に共感してもらう)
- いつの時代にも通じるコンセプト(丈夫であるという新しい価値)
- 商品の進化(技術進化、デザイン進化)
このうち、「ファン作り」にフォーカスして次のように解説した。
ファンを作る2つの価値
伊部氏はファンを次のように定義した。
- 商品の良さを理解してリピーターになってくれる
- 商品の良さを理解してクチコミをしてくれる
そして、「商品の良さ(価値)」には、大きく2つあるとした。
- 機能・性能などの「機能価値」
- 商品への共感や世界観などの「情緒価値」
機能価値はやがて競合に模倣(追随)される。そうならないために「情緒価値」が必要なのだ。G-SHOCKの場合、第1ステップとして「機能的な価値(丈夫だということ)を徹底的に伝え」、第2ステップとして「影響力あるアーティストやモデル、ブランドとのタイアップなどを通じて、感性的な価値を作り上げた」と伊部氏は述べる。
ファン作りの第一歩は?
G-SHOCKの価値を高めるため、伊部氏は開発ストーリーを理解してもらうことをミッションに、G-SHOCKのイベントが開催されるすべての国で、母国語でプレゼンテーションを行う取り組みを続けている。
こうした経験を通じて、伊部氏は「誰でもできるファン作りの第一歩」は「ストーリー(世界観)を伝えること」にあるとした。「開発ストーリー(ブランドストーリー)は、商品やサービスの全てにあり、誰でも作れる」というのがその理由だ。
ブランドストーリーを構成する三大要素は?
伊部氏は、ブランドストーリーには3つの要素があるとした。
1つ目が「情緒価値」。これは「なぜ開発したのか」というストーリーで、伊部氏は「ハッピーストーリー(Happy-Story)」と名づける。
2つ目は「機能価値」で、「何を開発したのか」に当たる部分だ。商品やサービスの機能価値とともに、必要に応じて開発者の苦労談があるとよい。
そして、3つ目が「将来像」で、これは顧客が共感する「1フレーズのメッセージ」だ。このように、「機能に裏付けされた情緒価値と記憶に残る1フレーズがブランドの世界観に通じる」と伊部氏は話す。
開発側とPR側のコミュニケーションの秘訣とは
開発現場とPR(マーケティング)現場の立場の違い
続いて伊部氏は、開発現場とPR現場での視点の違いについて語っていった。開発現場というのは機能価値を優先しやすい。これは、立場上、ユーザー視点よりもモノ作り視点を重視しやすいからだ。たとえば、たくさんある競合商品の中で、「他社は?」「機能は?」「性能は?」という点を考慮しながら、差別化アイデアを最優先して何を作るかを考える。
一方、PR現場は情緒価値を優先する。この立場の違いからくるギャップを理解しないと、「他社との差別化商品を作ることが目的となってしまい、競合差別化プロモーションを行うことになる恐れがある」のだ。
たとえば、競合商品の多い「ヘアケアシャンプー」のマーケティングやプロモーションの打ち合わせで、開発者からはこんな商品紹介があるとする。
「競合他社商品を調べ、『しっとり感』『髪に優しい』ことが今の市場のトレンド。そこで、他社に比べて髪に優しくしっとり、艶のある仕上がりのシャンプーを開発した」
この場合、開発者からマーケターに、「他社よりも機能が優れている点が伝わるようなプロモーションを考えてほしい」と要望されることが多い。しかし、このような他社との差別化重視のプロモーションに接した顧客は、「どこにもありそう」「どれも一緒」という反応になりやすい。
そこで、マーケターに求められる役割は、開発者が説明する「機能・性能」(機能価値)を、わかりやすいユーザー価値(情緒価値)に置き換え、「ハッピーストーリーを作る」ことだ。さらに、将来像や共感するメッセージとして「シンプルな、1フレーズメッセージを提案する」ことだと伊部氏は話す。
機能価値からハッピーストーリーを作り、世界観を見出す
ハッピーストーリーを考えるポイントは、顧客の「なぜ?」に応えることだ。人間の脳は、なぜ?に共感するからだという。上述の「ヘアケアシャンプー」の例でいえばこうなるだろう。
ストーリー例1:
誰しも、常に若々しく、はつらつとしていたいと願っています。若さの一番のポイントを髪と考えて10歳若返りを目指すために商品開発しました。
ストーリー例2:
仕事も家事も育児も頑張る、時間が貴重な人に、短時間で頭スッキリ、髪丈夫を目指すために商品開発しました。
例1では、「10歳若返るために、髪にやさしく・しっとり・艶のある仕上がりに重点をおいた素晴らしいシャンプーが開発されました」というメッセージを伝えることで、機能・性能の説明を含みつつ、共感を得る情緒価値を作れるようになる。
また、例1からは「Beyond Age」という1フレーズメッセージ、例2からは「Happiness in Hair」というメッセージが導き出せるかもしれない。「この1フレーズがブランドの将来像であり、世界観になる」と伊部氏は解説した。
開発者とマーケターのコミュニケーションの秘訣
そして伊部氏は、「ブランドストーリーとは、ハッピーストーリーを通じて、顧客に幸せな気分を届けることだ」として、この幸せな気分が「世界観」だと総括した。
さらに、開発者のマーケターへの期待は大きいとして、「開発者の機能価値からハッピーストーリーを作り、メッセージとなる1フレーズを導き、開発者も共感するブランドストーリーを作れるよう、開発側とコミュニケーションをとってほしい」と語った。
ハッピーストーリーを考える際の発想法
とはいえ、共感を得るハッピーストーリーを考えるのは簡単ではない。伊部氏は、「共感を得られるのは失敗談と苦労談である」ということを紹介し、さらにストーリーを考える際の発想法として、独自に名づけた「10文字・25文字法」をステップに分けて解説した。
第1ステップは、価値を伝える「自分の業界で通じる10文字以内のフレーズを考える」ことだ。たとえば、ガラスであれば「強くて割れない」(9文字)、輸送であれば「早くて丁寧」(8文字)、食品であれば「新鮮でうまい」(8文字)といった具合だ。
第2ステップは、これに「開発テーマを組み合わせ、25文字程度のテーマにまとめる」ことだ。たとえば、上述のガラスであれば、開発テーマと組み合わせた「透明セラミックス処理で強くて割れない」などのようにまとめることが可能だろう。
伊部氏は、「経験上、25文字程度で表現できたものは、テーマの本質が表現できている」と話す。
そして、アイデアに行き詰まったときには、第3ステップで「10文字に戻る」とよいという。上述の「早くて丁寧」であれば、「いつでも、どこへでも」(9文字)、「運べないものは、ない」(10文字)などのように、別の10文字で言い換え可能なフレーズがないかを模索するわけだ。
とはいえ、アイデアは無限だが「99%は使えない」とも伊部氏は話す。目の前のアイデアを愛しすぎず、「1%のために考えることをあきらめないでください」とマーケターにエールを送り、講演を終えた。
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