森田雄&林真理子が聴く「Web系キャリア探訪」

6回の転職はジョブホッパー?「広告業界で部署異動してるだけだよ byジュンカム」田中準也氏のキャリア観

「6回の転職、採用側から見たらジョブホッパーですよね」と自分を客観的に見るインフォバーン取締役の田中準也氏のキャリア観に迫った。
右:インフォバーン 田中準也氏 左上:森田雄氏、林真理子氏(聞き手) ◎写真:永友ヒロミ

新卒で就職して以来、数々の企業を渡り歩いてきた。転職のきっかけは、これまで築いてきた人脈からのお誘いが多い。「採用側から見たらジョブホッパーですよね」と自分を客観的に見る田中準也氏が今回の主役だ。

会社が変わっても、携わっている仕事内容も、仕事をしているメンバーも大きくは変わらないという。インタビューでは、過去の業務や出来事を詳しく話してくれた。これだけ多くの会社、業務に携わりながら、細かいところまでよく記憶しているのは、それだけ真剣に業務に取り組んできたことの証左だろう。

田中氏のキャリアの変遷、その中での意識の変化などについて迫った(以下、発話は敬称略)。

Webが一般に普及してすでに20年以上が経つが、未だにWeb業界のキャリアモデル、組織的な人材育成方式は確立していない。組織の枠を越えてロールモデルを発見し、人材育成の方式を学べたら、という思いから本連載の企画がスタートした。連載では、Web業界で働くさまざまな人にスポットをあて、そのキャリアや組織の人材育成について話を聞いていく。

新卒入社後2年目で転職。選んだのが広告業界

森田: 田中さんは、いろいろな会社を転々としているイメージがあります。

田中: おっしゃる通りですね(笑)。とあるカンファレンスでマーケターのキャリアを考えるセッションに登壇した時に、自分のキャリアのジャーニーマップを作ったんですよね。キャリアについては、これを見ながら説明するとわかりやすいかなと思います。

田中: 新卒で入社したのは、株式会社クレディセゾンです。大学は理系でしたが、文系就職をしたいと思って、就活をしていた1989年当時安定していた金融を選びました。

森田: 理系なのに文系を、あえて意識して選んだのですか。

田中: 大学時代、学生競技ダンスをやっていて、4種目総合で全日本3位までいったんです。それまでそんなに社交的ではなかったのですが、ダンスを始めて恥ずかしがらずに表現することのおもしろさを知りました。大学3年の初めてのレギュラー戦で優勝して自信もついて、100人ほどのサークルの技術部長もやっていたことから、周囲から「営業向きだね」と言われて文系就職を選びました。

人をまとめるのも好きでクレディセゾンの同期360人位の研修後のパーティーを仕切ったこともあり、やる気に満ち溢れていました。しかし、営業は営業でも法人営業に配属されて、自分の求めているものと業務が異なると感じて2年経たずに転職しました。

インフォバーン 取締役 ソリューション部門 部門長 田中準也氏

森田: なるほどですね。そして、次はどこに?

田中: 当時、設立4年目の株式会社ジェイアール東日本企画(jeki)です。ここは、印刷会社をやっていた父親の勧めで、応募して入社しました。

jekiは、大きく分けると、次の3つの事業がありました。

  • JR東日本及びグループ各社の広告業務
  • JR東日本グループ以外のクライアントの広告業務
  • JR東日本交通メディアの管理・販売業務

僕が配属されたのは、この3つのどれでもない「情報システム室」でした。ちょうど情シスの若手担当者が辞めたタイミングで「大学が理系だしできるでしょ」ということで、営業で入社したのに2年間、情報システム部門にいました。

念願の営業部門に異動。インターネット黎明期にチャレンジングな施策を次々に実施

森田: 情報システム部門に在籍していたことで何か得られたものはありますか。

田中: 仕事としては、基幹システムと連携して情報を出したり、社内の「パソコン壊れた、プリンタ壊れた」の対応をしたり、内線番号の管理をしたりという業務が多かったです。情報システム部門の気持ちや間接部門の気持ちがわかるようになりましたね。

田中準也

林: 今になってその経験が活きていることはありますか?

田中: 間接部門のインサイトがわかるということはマネジメントにも活きていると思います。でも、当時は「営業をやりたい」という思いがあったので、営業局の人に気に入ってもらうために社内アピールをしていました。営業の人が多い野球部に入って、打ち上げの店の手配を率先してやるとかね。そうしたら、実際に営業部員拡大の時に推薦してくれた人がいて、営業部門に入れたんです。それからは、ルミネの広告や販促などを担当していました。

林: 社内アピールが功を奏して良かったですね。それで営業部門の中でプランナーの経験を積まれた。デジタルへ向かうのは少し先ですか?

田中: 転機になったのがjeki設立10周年事業の社内公募です。先輩が「これからはデータベースマーケティングだ! CRMだ!」といって新規企画を提案し、企画が通り、その事業をサブリーダーとして担当させてもらったんです。1998年、ADSLが出る前ですね。企業のWebサイトも注目され始めていた時期で、駅ビルのホームページとかプロデュースもしていました。

林真理子(聞き手)

林: それがインターネットやWebを意識する転機になったのですか?

田中: 意識したきっかけではあります。ただ、デジタルが主戦場だと認識するまでには、もう少し時間がかかります。その後、新規事業として2002年にフラッシュの動画配信サービスを別の先輩と立ち上げました。当時、動画はどこも本格的にやっていなかったので、勝算はありましたが、結果は失敗……。MSNの地図・路線チャンネル専売の広告枠を作ったりはしていたんですけどね。また、ルミネtheよしもとで、芸人さんが商品を紹介するのをファンダンゴでライブ配信するみたいなこともやっていました。

※吉本興業とKDDIによる合弁で設立。2010年によしもとクリエイティブ・エージェンシーに吸収合併されて解散した。

森田: あ、それ見たことありますよ! 当時、いろいろなサービスを調査していたので。

森田雄(聞き手)

田中: ほんとですか! 今なら当たり前ですが、動画は少し早すぎて、結局シュリンクしていきましたけどね。その後は、テレビ局の担当(いわゆる局担)になって、ここでも鍛えられました。結局jekiには14年いて、セールスプロモーション、デジタル広告、マス広告、CRMなど一通り経験できました。その後、縁あって電通に入社しました。

ペーペーでもプロ意識。電通で身につけたのは仕事に対する姿勢

田中: 電通では、飲料メーカーのテレビを中心としたメディア営業の傍ら、ECサイトのリニューアルを担当しました。現在のワンパクの代表の阿部淳也さんと一緒にやったんですが、「情報設計」からきちんと作るという姿勢を教わりました。これまでもLPの制作はしていましたが、自分のやり方はアナログ広告の延長だったなと感じました。阿部ちゃんは作り方がロジカルでしたね。

森田: 阿部さんは当時、勉強会やセミナーをやってWeb制作業界を啓蒙していましたよね。

林: 電通に転職したのは、jekiではできない何かをしたいと思われてのことですか?

田中: 電通の本当のすごさを、中に入って見てみたいと思ったんです。「なんでみんな、電通、電通というんだろう」という疑問があって。電通にいた期間は2年と少しでしたが、中身がすごく濃かったですし、一から広告を学び直しました。僕は勘と人間関係でなんとかしちゃうところがあったんですが、あるTVCFの撮影現場で、年下の先輩から「たなじゅん(当時そう呼ばれていた(笑))の一言は、電通の一言なんだからね」と言われたんです。

田中準也

田中: 言ってしまえば、ペーペーがペーペーに対して言っているんですが、こんなにプロ意識が高いんだと痛感させられました。言葉はちゃんと選ばないと伝わらない、伝わらないと意味がないと気づきましたし、電通では広告のテクニカルな部分よりも、仕事に対する向き合い方、姿勢を叩き込まれました。

転職を繰り返すたびに、広がっていく人脈とネットワーク

林: トランス・コスモスに移られたのはどんな経緯で?

田中: 電通にいたのは37~39歳のころ。マネジメントには興味がありましたが、何しろ忙しすぎて(笑)。そんなタイミングで、jeki時代に動画事業を一緒に立ち上げた先輩がトランス・コスモスの執行役員をやっていて、新規事業でマネジメントをやってみないか、と声をかけられて入社することになりました。新しいことをやるのは自分の指向性にあっているんでしょうね。

林: その転職は「役職に就く」ということも意識されてのことだったんですか?

田中: 40歳手前ですからね。残りの社会人人生でキャリアアップするためには、プレイヤーからマネジメントにレイヤーを上げておかないといけないという意識はありました。当時の自分のキーワードは、「新規事業、マネジメント、IT」の3つですね。トランス・コスモスでは、デジタル広告以外のテレビ広告や交通広告のプランニングと仕入れを担当しました。2年目以降は、自社マーケティングをやったり、日本版Second Lifeと言われた「meet-me(ミートミー)」を手がけたりしました。

※meet-meは、利用者がアバターを操作して、インターネット上に作り出された第2の東京で遊べることをコンセプトとしたサービス。2018年1月にSNSを除く全サービスを終了している。

森田: 「meet-me」を田中さんが担当していたとは。懐かしいな、僕も遊んでいたことがありますよ。

田中: その後、2009年にメトロ アド エージェンシーに転職します。ここは、東京メトロのメディアレップであり、ハウスエージェンシー。ここでもjeki時代の上司に誘われて転職、新規事業を担当。そこでは、「メトロタッチ」というアプリを作ったりしました。このアプリは、iPhon4のテレビCMで、アプリの1つとして取り上げられて、純粋にすごくうれしかったことを覚えています。この頃から、自分にとってデジタルが主戦場になっていきます。

田中: そんななか、電通で仕事をご一緒させていただいたことのある得丸英俊さん(現、電通アイソバーCEO)から、(電通を辞めてからも交流があったのですが)、年賀状で「そろそろどう?」と誘われ、2011年に電通レイザーフィッシュに転職しました。最初の電通への転職は、自分で行きたいと思って行動しましたが、それ以降は、「誘われると行く」という転職を繰り返しています。採用する側から見ると、数年で転職を繰り返すジョブホッパーですね(笑)。

田中準也

林: でも、足場にjekiの14年間があるから、安定している感じがありますね。

田中: 言われてみるとそうですね。jekiでインターネット黎明期に一緒に仕事をしていた人が偉くなってそれが人脈になっています(笑)。デジタルから離れていたこともありますが、初期の接点の人との関わりが今も続いていますね。たとえば、MSNの動画の時に知り合ったヒラヤマ コウスケさんは、現在イベントレジストのCEOですが、今でも交流があります。自分にスキルがそんなにあるわけではありませんが、人脈、ネットワークを築けたことが良かったですね。

林: 「デジタルが主戦場」とご自身で意識されたのは、2010年くらいなのでキャリアの後のほうですよね。90年代からデジタル一筋に走ってもおかしくない先進的な経験を積まれていると思うのですが、そこでデジタル一辺倒にならず、いろいろな会社でアナログとデジタルを掛け合わせた経験を積まれて幅を広げているところが、結果的に田中さんならではのユニークなキャリアになっているように感じます。

森田: jekiの14年の経験がその後のキャリアを支えているなという印象ですね。地に足がついているというか、林さんもおっしゃるように、そこに安定感を感じるんですよね。

いろいろな選択肢を前に、初めて人に転職について相談した

林: インフォバーンにはどういう経緯で入社されたのでしょうか。

田中: 電通レイザーフィッシュが電通iX(現、電通アイソバー)に変わったことはきっかけの1つですね。また、現在50歳で、5歳、3歳、0歳の子どもがいるんですが、ちょうどこのころ2番目の子が生まれた時期でした。子どもが一人だったら、定年までいるということもあったかもしれません。また、これから先のことを考えたときに、マネジメントだけでなく、現場ももっとやりたいという気持ちもあり……。独立も考えましたし、ブランドのマーケター、スタートアップにジョインするなどいろいろな選択肢を考えました。

田中: これまでは「自分のキャリアは人に相談するものではない」と思っていたので誰にも相談せずに決めてきたのですが、このときはいろいろな選択肢を考えないといけないと思って、初めて360度評価をしました。自分の周囲の人に、自分の強みを客観的に聞いてみたんです。

林: 自分流で360度評価をやってみたわけですね。

田中: 5人目くらいに声をかけたのがインフォバーンCEOの今田素子でした。友人として話を聞いてみた時に「転職考えているの?」と言われ、「うちとか考えられない?」と言われました。その後、2日後くらいに「社内の承認もとれたよ」と言われて、そのスピードにびっくりしました。お茶で転職が決まることもあるんだな、と(笑)。

林: ちなみに360度評価では、どういう人達を選んで話を聞いたんですか?

田中: 利己的でなく、社内外を問わず周りに影響を及ぼしている人、惜しみなく自分の知見を出している人を性別年齢問わず選びました。イベントレジストのヒラヤマさんにも話を聞きましたよ。

業界の中で部署異動を続けてきた。自分を俯瞰して見るもう一人の自分の視線を持とう

林: 若手の育成についてもお話を伺いたいのですが、何か心掛けていることなどありますか?

田中: 今は一人ひとり違うので、それぞれに言葉を変えないといけないと感じますね。「明日朝早く来てほしい」と伝えるのに、10人それぞれに違う言い方をしないと動かないような。あと、上司と部下の相性が大事だと最近気づきました。ベストマッチはなかなか生まれませんが、相性が悪いなら異動するのもありだと思います。相性が合えば上司も成長しますが、上司も部下もマイナスにしかならないなら、組織としてもマイナスだからです。また、キャリアに関していえば、業界全体の流動性も高めても良いと思います。

森田: 僕もそれは同感ですね。

田中: 僕はたくさん会社を変わってきましたが、やっていること、仕事をしている人は変わらないので、広告業界の中で部署異動をしている感じ。辞めた会社は全部好きですし、いまでもすべての会社と仕事をしています。

あと、仕事にはどっぷりつかりながらも、俯瞰して客観的に自分を見つめているもう一人の自分がいます。このスキルは他の人も身に付けると、気持ちが楽になるのではないかと思います。自分はなぜこれができるかというと競技ダンサーだったからです。鏡を見ても反対にしか映らないので、背中から自分を意識するように先生や先輩に言われて練習していましたが、これが今でも身についていて、成功しても失敗しても客観的に自分を見つめています

最近は、失敗したくないという思いから、失敗しないような選択をする人が増えています。リスクを避けるのは、生物の本能として当たり前ですが、もっと失敗してもいいのではないかなと思います。その時上司はうろたえることなく、すぐに一緒に謝りに行って火消しすればいいんです。成功体験より、失敗体験のほうがキャリアに深みが生まれると思っています。

――ありがとうございました。

二人の帰り道

林: 手掛けてこられた案件は実に先進的で、その1つひとつに分け入っていく取り組みには勢いや熱っぽさをビシバシ感じる一方で、そうした経験を後に振り返って自分を客体化し、「自分はどんな人間なのか」という自己理解を深めている冷静さやしたたかさも持ち合わせているんですよね。

何かエピソードを話した後、「企業の垣根を越えて、それに関わる人たちのベクトル合わせをしていくのが好きなんだなって思ったんですよね」みたいな一言が添えられるんです。自分で自分の経験を丁寧に解釈し直すような時間をもっておられるんだなって思いました。

お話を伺っている中で、田中さんのバランス感覚の妙を感じる機会は何度となくありました。デジタルとアナログの分断的思考や、会社組織のような縦割り思考、転職は何回まで! といった既成概念を融かして、仕事にも事業にも組織にもキャリアにも開放的に向き合っている感じが実に頼もしかったです。

森田: 僕も経歴を取り出すとジョブホッパーなところがありまして、かなり興味深くお話を伺うことができました。ちなみに田中さんの場合はジョブをホップするごとに、ひとまわりずつご自身のスペックが上がっている印象があります。

さて、ここでふと我に返りますと、自分は大手系の企業経験を数社積んだ後で零細企業を立ち上げてしまい、ひたすら自分との闘いみたいなところに身を置いてしまいました。そして、それゆえに小さく閉じこもってしまっているなあと内省したというか口惜しいというか、はたまた田中さんをうらやましいと思う気持ちといいますか、そんなふうに感じた次第です。

しかし零細であるからこその自由度が僕にはありますから、好奇心を忘れずに主戦場を広げて駆け巡っていきたいぞと、心を新たにもしました。田中さんを標榜して、Web業界の中で部署移動をしているんだというくらいの気持ちでいくことにします。

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