稲富滋のWebマスター探訪記 稲富滋のWebマスター探訪記

コンテンツマーケティングを実践、ニーズ別サイト29運営するファイザーのウェブ戦略とは?

医師関係者がよく見るウェブサイトNo.1のファイザー、Webマスターの柿本氏に話を伺った

もしもあなたが、「ウェブをもちいて潜在顧客の長期的な需要発掘の仕組みを考えよ。ただし、商品そのものを直接プロモーションできない」といわれたら、どんなウェブサイトを企画しますか?

薬そのもののプロモーションできないファイザーが行ったウェブ戦略は、ユーザーのニーズをコンテンツごとに落とし込み、患者の症状に合わせたサイトを29提供することでした。一方、医療関係者向けには会員サイトとして、海外の医療ジャーナルや解剖写真などを提供し、ついには医療関係者が評価するサイトNo.1を獲得(2013年)。

コンテンツマーケティングを実践するファイザーの柿本マネジャーに話を伺った。

あなたにとってウェブマスターとは?

柿本啓太郎氏
柿本啓太郎氏
ファイザー株式会社

とにかく、たくさんの経験を積むことが大事。

SEO、サイトリターゲティングなどのマーケティング技法に踊らされることなく、さまざまなツールから出される結果をみて、そこから事実を読み取る力こそが重要なのです。

潜在顧客の長期的な需要発掘を目指したサイトの数々

まずは、ファイザーが運営しているB2Cサイトをいくつかご紹介します。

入り口のタイトルを見ると一般向けにわかりやすいタイトルを付けたウェブサイトであることがおわかりいただけるでしょう。

生活習慣病オンライン
生活習慣病オンライン
すぐ禁煙.jp
すぐ禁煙.jp
がんを学ぶ、ひとりのがんに、みんなの力を
がんを学ぶ、ひとりのがんに、みんなの力を
成長をサポートする保健師・保育士・養護教諭さんへ
成長をサポートする保健師・保育士・養護教諭さんへ

これらのサイト以外にもファイザーは25ものサイトを運営しており、それぞれのコンテンツに症状、世代、原因別など、辿りやすく入り口が用意されています。また、薬局などで処方された同社の薬についても普段薬を処方された場合に添付されている詳細な情報を名前や形状から検索できるなど用意周到でわかりやすく構成されています。

ファイザーのウェブサイトは、ファイザー株式会社のコーポレートサイトを広報部門が担当し、上記で説明したような疾患患者へ向けたB2Cサイトとファイザープロと呼ばれる医療関係者向けのB2Bサイトをマーケティング部門が担当しています。

製薬会社の製品は直接人々の病気や健康に関わることから、ネットの利用に関してさまざまなルールが定められています。

その1つが「製薬会社は大衆薬を除いて、医師の処方箋が必要な薬の場合、薬そのもののプロモーションを患者に直接してはならない」というもの。あくまで適切な薬を選択して処方・調剤できるのは、資格をもった医師と薬剤師のみに許された行為なのです。

したがって、ウェブが果たせる役割は、薬そのもののプロモーションではなく、患者が気になる体のことや症状についての啓発活動にとどまります。

ファイザーに限らず製薬会社は、メーカーでありながらその製品を患者に直接プロモーションできないという制約のなか、マーケティングを行うウェブ担当者は企業の業績(売上)にどのように貢献できるウェブを企画制作するかという課題を背負い続けています。

製薬会社にとって得意分野にできるだけ絞りながら、薬そのもののプロモーションではなく、その薬の効果が期待できる症状や病名について、丁寧に解説することで最終的に症状に悩む患者を医師への相談を促し、症状の改善を促すのです。

潜在的患者を掘り起こして医師への相談を促し、患者が適切な治療を受けること」が、製薬会社のB2Cウェブサイトの役割の一つとなるのです。

患者にとっては、むしろ自分の現在の病状や健康に対する不安、処方された薬についての情報などをわかりやすく提供してくれるサイト。ブックマークをしていつも頼りできるサイト。気が付けばそれは「ファイザー」だった。つまり、以下のようなファイザーブランディングが一般ユーザーにマインドセットされるのです。

いつも自分が頼りにする良いサイトを提供している会社→良い会社→良い薬

しかも、人間誰しも生きている限り潜在的な患者になり得るので、長期に渡る需要の掘り起こしにつながります。

稲富レクチャー

むき出しの販売態度ではなく、顧客の要望をかなえつつ、本来導きたい方向に巧みに誘う優秀な「執事」のごとく思われてきます。その手の内はわかっていてもそのおもてなしがユーザーにとって心地良いのです。

一見、遠回りに感じるかもしれませんが、製薬会社のサイトからは一歩引いた利用者視点に立ったウェブ制作の原点を学ぶことができます。また、さまざまな制約下に置かれれば置かれるほど条件をクリアし、目的を達成するための良い知恵が生まれる良い例といえるでしょう。

企業ウェブ・グランプリにおいても、各製薬会社のこうした需要掘り起こし啓蒙サイトが何度かグランプリに輝いているのもうなずけることです。ちなみに、ファイザーでも2008年に「ED-Info.net」でコンテンツ企画&ライティング部門、「こころのひまわり」がナビゲーション&ユーザビリティ部門でグランプリを獲得しています。

このアプローチは製薬会社以外の企業ウェブ担当者にとっても大いに参考になります。

医師とファイザーを結ぶデジタルチャネル、ファイザープロの背景

柿本さんが担当するのはB2Bサイト、医療関係者向けの会員サイトとして2010年2月に立ち上げたPfizer for Professionals(ファイザープロ)です。

Pfizer for Professionals
Pfizer for Professionals

このファイザープロは、医療機関(病院、診療所など)に従事するプロフェッショナル、特に医師とファイザーを結ぶ新しいデジタルチャネルとして立ち上げられたものです。

この立ち上げ過程においても製薬・医薬品業界固有の事情があったようです。

その1つとして、医薬品業界の置かれている環境の変化があります。以前は医学で解明された科学的因果関係をいかに早く薬として世に出せるかが製薬会社にとっての勝負でした。新薬が次から次と投入されて、そのうちのいくつかがメガヒットとなり企業の業績に大きく貢献する時代でした。

現在では、医学的な解明が終了していて製薬化されるのを待っている、しかも新薬を開発できたとしても、大きな市場が期待できる分野が少なくなってきたと柿本さんは説明します。したがって製薬会社としては既存商品の販売強化によってシェア・ゲインを目指し、販売の生産性をあげる努力が一層必要になります。

また、これまで製薬会社にはMR(Medical Representative)という強力なセールス部隊が売上げに力を発揮してきました。しかし昨今、医療施設内でのセールス活動が診療への妨げとなること、待合室の患者さんたちへの印象、患者のプライバシー情報遺漏の懸念などからMRの診療施設内への立ち入りが制限され、直接医師と面談する時間が大幅に減ってしまったという事情がありました。

こうしたビジネス環境やルールの変更は何もファイザーだけの問題ではなく、業界全体の問題ですから、そのまま業界の様子を見るという選択肢もありました。しかしファイザーは、この状況を乗り切る方策としてウェブを中心とした新しいチャネルの創設を決意したのです。

医師が情報を得るために同社のウェブをどれだけ見てくれるか、信頼してくれるかが直接医師との面談時間の減ってしまったMRの営業活動を大いに補完してくれると期待されたわけです。

2013年に医療関係者からNo.1の評価を得たファイザープロ

その期待にどのくらい応えているかが次の資料でよくわかります。

株式会社エム・シー・アイ(Medical Collective Intelligence)社のレポート
製薬各社の提供するウェブサイトを毎年医療関係者がどのくらい利用しているか調べている株式会社エム・シー・アイ(Medical Collective Intelligence)社のレポート

ファイザープロ公開直後の2010年から毎年その順位を上げ、2013年には遂にトップに踊り出たのです。しかも順位を上げているだけでなく、ウェブ利用時間に占めるファイザー社サイトの%が毎年着実に上がっていることも注目です。

利用者属性に応じたコンテンツの提供

ファイザープロサイトのさらなる向上を目指し利用会員属性を調査した結果、利用者層が比較的若い医師が多いことがわかり、コンテンツの内容をそれに対応して充実してきました。

学習意欲の高い若い医師に、早いうちからファイザーのサイトに馴染んでもらおうと、特定分野に細分化された日々の現場だけではなかなか学ぶことのできない情報をタイムリーに提供していきました。たとえば皮膚科や耳鼻咽喉科の先生になると、なかなか人体そのものに触れる機会が少ないことから、質の高い人体解剖の写真を掲載し好評でした。

また、海外の医学ジャーナル、論文、文献なども積極的に取り込み提供しているそうです。柿本さんは以前MRで働いていて、そのとき大学病院で積極的に若い医師と接触をしていた経験が今生きているといいます。

「あのときはファイザーさんにお世話になった」というこの気持ちをより多くの医師に持ち続けてもらうのがMRとしての冥利でしたが、今のMRには病棟に入る自由はなくなりそれもかないません。そのギャップをうめるのがファイザープロの役目だと柿本さんはいいます。

「チカラわざ」と「ネゴシエーション」でつかんだ成功

ファイザープロの成功要因を聞かれて柿本さんがあげたことが2つあります。

「チカラわざ」 と 「ネゴシエーション」

ファイザープロができる前は、製薬ブランドごとに事業部で作られていた状況でした。当然ながら自事業部の扱う医薬品が中心となり、医師側からすれば症状と因果関係のありそうな他の医薬品情報を探そうとすると、同じファイザーのサイトでありながら別サイトを見にいかなければならないという状況だったそうです。また、利用者から見るとファイザーの入り口が無数にあるという印象だったそうです。

私のやったことは、ファイザープロのサイトを新しく作ったというよりも、社内のビジネス領域を統合しただけ

と2010年当時を振り返る柿本さん。

当時の経営陣にとってファイザー社サイトの問題は医療関係者向けの「ウェブサイト顧客満足度調査」でずっと下位に低迷していたことでした。

経営陣としては一刻も早いサイトの再構築と改善がどうしても必要だと感じていたことでしょう。ところが一方では、既存の各薬品ブランドサイトへ大幅に手を入れて変更を加えることへの不安、大きな投資金額、効果に対する不確定な要素、また本社も含めてグローバル社内においても前例のないことなどから、なかなか先に決められない状況に続いたようです。

こうしたなかで最終的に経営陣を意思決定に踏み切らせたのはファイザープロの目指すビジョンとその背景にあるファイザーのスローガンだったと柿本さんはいいます。

より健康な世界の実現のために“Working together for a healthier world”

経営陣の説得にあたって常に心がけたのは「ファイザーとしての本質的普遍的理念を真面目に追求し続けることでした」と柿本さんはいいます。その上でファイザープロの目的や狙いを明確にすることです。

当時使用した社内プレゼン用のチャートをお借りすることができました。

さらに具体的なファイザープロの提供する価値についても、次のような明確なメッセージを経営陣に提示し最終承認を得ることができました。

  • Pfizerの情報をワンストップで収集できる(Simple)
  • 製品情報だけでなく臨床に役立つコンテンツが充実している(Smart)
  • 顧客属性に応じた情報をカスタマイズしてデリバーする(Straight)

ファイザープロはこうした経緯を経て会員制サイトとして公開されました。

今後の課題

これまで薬を売る仕組みは、医師、MR、イベントなど「人」を介して行われてきましたが、これに新しく加わったのがファイザープロです。このファイザープロは既存の個別ビジネス領域を統合して生まれたひとつのチャネルに過ぎません。

今後は、「人」を中心としたこれまでのチャネルとデジタル情報を効率よく共有する方向でファイザープロとリンケージを計ることだと考えていると柿本さんはいいます。

ウェブの戦略目的を明確にする、柿本さん理想のウェブマスター像

取材の最後に柿本さんの考えるウェブマスター像について伺いました。

「井の中の蛙」にならないことが重要

柿本啓太郎氏

ウェブの専門家として専門的な知識が問われることはもちろん必要です。ただ、専門分野に集中するあまり、役割の範囲を自ら狭めて、そこに安住してしまってはいけないと考えています。単に担当するウェブサイトを運営すれば良いというものではなく、私たちは企業のビジネスのために仕事をしていることを忘れないことです。そのスタンスを持ちさえすれば後は自ずと開けてくるはずです。

また、柿本さんは現在、時間の多くを各製薬事業部へのコンサルティングにさいていますが、まず事業部のエグゼクティブにたずねることは製品戦略の中で目指す方向、デジタルチャネルをどう利用するのか、対象顧客は誰なのかという基本的なことです。

柿本さんにとっての理想のウェブマスターは常に基本に立ち戻り大所から課題を見極める力を持つ人物といえるかもしれません。

ウェブマスターをめざす若い方へのアドバイス

とにかく、たくさんの経験を積むことが大事です。ウェブマスターというとSEO、サイトリターゲティングなどの技法にこだわる傾向があるのではないでしょうか。さまざまなツールから出される結果を見て満足するのではなく、その事実を読み取る力こそが重要なのです。それは裏返すと自分の企業のビジネスを知っているか否かというところにたどり着くのです。

あとは、自らドアをたたいて飛び込んでいくことが大切なことです。ビジネスに関しては事業部の方が良く知っているのは当たり前のことですから、知らないことを恥ずかしく思う必要はありません。

初めての分野であっても飛び込んで、死に物狂いでとことん泥臭く経験することが重要だと考えています。一度その経験をすることでウェブマスターとしての力量が格段に違ってくるはずです。柿本さん自身の表現を借りれば、「明日からその事業部に移ってもそのまま仕事ができるようになる」という気持ちが必要だということです。

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