一時期ものすごく元気に気を吐いていたのに、そのうち見なくなってしまう人と、仮に目立たなくても長い期間、飯を食い続けている人の違いとは何でしょうか。
業界や職種にもよると思いますが、少なくとも、フリーランスやコンサルっぽい仕事をしている人であれば、「書く」「話す」「実務をしている(実務ができる)」の3つのバランスが良い人だと思います。
数年前から妄想していることなんですけど、もしAmazonがスマート冷蔵庫を出したら一般消費財メーカーのマーケティングは大転換を迫られるんじゃないか。
それはもう戦後75年続けてきた現代マーケティングを根底から覆(くつがえ)すくらいのインパクトがあるかもしれません。
4月7日(火)にも緊急事態宣言が発令されると発表され、多くの企業がリモートワークに切り替えています。
対面でのOJT(On the Job Training)であれば、多少雑なコミュニケーションでもなんとか対応することができたでしょう。
コミュ力高い人っていますよね。
そして、たぶん多くの人の持つ「コミュ力が高い人」とは、人見知りしない、明朗快活、元気いっぱい、よく笑う、滑舌よい、相手の目を見て話を聞く、うなずき上手、空気読む、行間読む、文脈読む、謙虚、愛されキャラ…といった人を指すと思います。
当たり前の話だけど、キャリアアップ転職とキャリアチェンジ転職は違います。
新卒で制作会社に就職して、CM制作のアシスタントディレクターとして3年間の経験を積んだ人が、25~26歳で映像ディレクター職として転職をする場合はキャリアが(直接的に)つながっているし、アシスタントディレクターからディレクター職になるので、典型的なキャリアアップ転職。
いままで、数本のインフルエンサーマーケティングに関する記事を書いてきました。
過去の記事で、本来、Earned✕Sharedの場所に生息していたはずのインフルエンサーのリーチをPaid化させてしまった功罪について触れ、
どんなに話や説明やプレゼンがうまい人でも、自分の頭の中にあることの100%を相手の頭の中に置いてくることはできない。
それは「人は聞きたいように聞く」ことや、「自分の知識や経験の中で解釈しようとする」こととは別に、もうほんと単純に、そこに感情が入るからです。

人生に迷っている人が多い(気がする)
この件については、「やりたいことなんて消去法からしか見つからない派」なので、興味があることはまずは次から次へとやってみて、「イメージと違った」「なんかこれじゃない」と繰り返すしかないと思っている。
そもそも、自分が(本当の意味で)知っている職業や趣味の世界なんてたいした数が無いんだから、考えるにしても選択肢が少なすぎる。興味が派生していく中で、とにかく片っ端から実体験してみて、消去法でどんどん選択肢が少なくなっていく中で「これかもしれない」が見つかると思っています。
さて、今日はそのことじゃなく、何に人生を使いたいのか、という話。
20代や30代のワカモノと人生における仕事のミッションやゴールについて話すと、多くは「直接的に世の中をポジティブにすることに貢献したい」という趣旨の想いを語る。
それが悪いことじゃない。でも、こうも考えてみて欲しいのだ。
[人生における仕事の選択肢1]
きれいな水がなく、飢えや病気で困っている国があるとする。あなたが駆けつけて井戸を掘ってあげれば、井戸ひとつあたり村人100人の命を救うことができる。ひとりで掘ることができる井戸は、1ヶ月に1つ。1年で12個。20歳から60歳まで40年働いて480個。延べ48,000人の人の命を救うことができる。井戸を掘ったあなたは村の英雄になる。みんなから感謝され、仕事の達成感ややりがい、承認欲求を満たすことができる。
[人生における仕事の選択肢2]
前提は同じ。でもあなたは自ら井戸を堀りには行かない。あなたの仕事は、井戸の掘り手を増やすことだ。飢えや病気に苦しむ人たちがたくさんいること、想いと健康な身体があれば、誰でも一定期間訓練を受ければ井戸の掘り手になることができること、それで多くの人命を救うことができること、社会的課題を解決することで仕事の楽しさや生きがいを見出すことができることを説き、1,000人の掘り手を組成するのだ。
1,000人が世界に散らばり、1ヶ月に1,000個の井戸を掘り、1年で12,000個、40年で480,000個の井戸ができる。救われる人命は延べ4,800万人にのぼる。でも、あなたは誰からも直接感謝はされない。誰の英雄にもならないし、村人から感謝のハグもされない。でも、多くの人の人命を救う仕組みをつくった。
※48万個も井戸を掘る土地や水脈があるのかとか、40年も掘るなら井戸じゃなくて水道管通せよとかのツッコミは無しで。たとえ話です。
自分が何を成したいのかは人それぞれだから、上記のどちらが良いコースという話ではない。仕事観や自分の好みとして、どちらの方に使命を感じるのか、やりがいを感じるのか、得意なのか、やりたいことなのか、という話だ。
ちなみに僕は、30代までは前者。40代からは後者になった。歴史に名前なんて残らなくていい。(昔は目立ちたがり屋だったけど)いまは自分が目立つより、マーケティングでワクワクした未来をつくる社会的公器としてのトライバルをもっと大きくしたいという想いになった。
あなたは直接井戸を掘りたいのか、掘り手を増やしたいのか、はたまた水道管をつくりたいのか。
ここが明確になるだけで、意外とやりたいことややるべきこと(使命)の軸がブレなくなると思うのだ。

みなさんこんにちは。僕です。来年1月で46歳になります。
歳をとった分、いろんな成功・失敗体験もして、経験は豊かになったし、思考のキレもどんどんよくなっている感覚があります。でも、間違いなく体力は落ちていて、徹夜なんてした日には本調子に戻るまでに一週間くらいかかります。
僕は「マーケティングでワクワクした未来をつくる」というトライバルのミッションを本気で実現したいと思っています。が、なにをもって「未来がつくれたのか」、自分の働きによって、世の中を少しでも良くすることができたのか、という視点で考えると、ひとりの力でできることなんて本当にちっぽけなものだと感じます(だから会社組織にして仲間を増やしているわけで)
45歳を過ぎて、職業人生の残り時間を強く意識するようになりました。この変化が早いスピード社会の中で、自分が第一線で活躍することができる時間は、実はもうそんなに長くないんじゃないか。そう考えると、ものすごく焦ってきます。人生の折り返し地点は過ぎた。あとは(決してネガティブな意味ではなく)一日一日、死に近づいていく。
そんな尊い時間を、何に使うのか。いや、誰に使うのか。それが、この侍社員キックオフ飲み会の立ち上げ趣意です。
サイバーエージェントの藤田社長や、面白法人カヤックの柳澤社長が言っている言葉です。これ、本当にそう思います。
過去の成功体験の賞味期限がどんどん短くなる時代。職能としてのスペシャリティも陳腐化スピードが早かったり、非連続的なイノベーションで常にコモディティ化するリスクがつきまといます。新規事業だって、何が当たって、何が外れるのか、やってみないとわからない。
そんな時代、大切なのは、「とはいえ…」が口癖の言い訳スペシャリストじゃなく、常に「じゃあどうする?」と考えることができる人。
論破するんじゃなく、周りを巻き込んで「大きなうねり」をつくってしまう人。「やらない後悔」を嫌い、「やって後悔」を選ぶ人。考えるだけじゃなく、行動する人。他人ゴトじゃなく当事者意識を持っている人。酒の席で会社の愚痴ではなく、未来のプロジェクトで盛り上がっている人。他律ではなく自律の人。他責ではなく自責の人。「楽しいけど辛い」じゃなく「辛いけど楽しい」と捉えられる人。そして、仕事を「今日のパン代」を稼ぐ辛い義務ではなく、使命を全うする誇り高く尊い権利だと考えている人。
僕は、企業内で日々孤軍奮闘するそんな人たちを「侍社員」と呼んでいます。
あくまで個人的な体感値ですけど、どんな企業にも1~5%くらいの侍社員がいます。彼ら彼女らは、日々強い課題意識を持ち、「このままじゃウチはやばい」と、分厚い抵抗勢力に心が折れそうになりつつも、消え入りそうな自らの心にガソリンを注ぎ、今日も内燃機関を燃やして前進する。
でも、人間は弱い。ALONEはよくても、LONELYは辛い。自己燃焼にも限度がある。だから、侍社員が社を越えて同胞の士でつながることができる場所をつくってあげたいと思った。それが #侍社員キックオフ飲み会 です。
(たぶん、マーケティング、広告宣伝、広報の人が多いと思うけど)性別も、業種も、部署も、役職も、年齢も越えて、でも「自分が起点となって、前向きな変化を起こすのだ!」という想いでひとつなる。きっと、仲間の存在があなたの心の拠り所になります。
僕の残りの人生は、そんな人たちに捧げたい(別にガンが見つかって1年以内に死ぬとかじゃありません。今のところ…)
最初は愚痴っぽくたっていい。でも、どこまでも未来志向のあなたは、しばらくしたら、否応なしに勝手に未来の話をし始めると思うのです。
侍社員の会は、いつまで、どのように続けるかわかりません。でも、出入り自由。良い意味で固定化されないメンバーが、加速したいとき、同志の意見が聞きたいとき、道に迷ったとき、ガソリンが切れて前に進む元気がなくなってしまったときに戻ってこられる相互啓発・相互扶助の場になれたらいいなと思っています。
初回は誰でも不安でしょうが、まずは集まって、飲みましょう!(∩´∀`)∩カンパイ!
会場の都合で人数に限りがありますが、興味がある方、ぜひお越しください。
会場でお会いしましょう!
侍社員キックオフ飲み会のお申込みはこちらから。
https://samurai20181212.peatix.com/view
会社帰りの電車の中。暇だと思ってスマホでFacebookを見た。
そのとき、ふと思ったんです。「あ、俺いま、”人”が何を投稿しているのか、見に来ているスゲー他律的な行動をとってるな」って。
“誰か”に依存してるなって。
FacebookやInstagramが流行る前の、いまから10年前の2008年頃って、ブログ全盛時代だったから、少なくとも自分のメンタリティは、「人がどこで誰と何をしているのか」や「どんなネタがバズってるのか」をウォッチしにいくのではなく、「いま自分が何を想い、どう考えているのか」を表現するために、ネットに接続し、ブログ書いてたなと。
習慣って怖い。
確かに、最適化されたソーシャルグラフを形成しておけば、欲しい情報はだいたい向こうからやってきてくれる。便利だし、それがSNSのひとつの恩恵なのかもしれない。
でも、それがいつのまにか、人を他律的で受動的な生き物にしてしまう。
いやでも待てよと。
“誰か”の前に、”You”はいま何を感じ、考え、それを人に伝えたいと思ってるのよ、と。暇をつぶせる便利なSNSは、ブログ人が持っていた本来の野生性を失わせてしまう毒薬なんじゃないのかと。
FacebookもTwitterもInstagramも、思考停止な状態で、ほどほどの情報を享受することができる便利なツールなんだろう。でも、そこを覗きに行くことが習慣になって、気づかないうちに、自分は何も考えなくても、何ら意思を表明しなくても、それなりに生きて行けてしまう牙を抜かれた動物園のライオン製造マシーンなんじゃないのかと。
友人や知人や同僚や取引先が、今日、誰と、どこで、何を食べたのか、一緒に時間を過ごしたのか。そんなことをキャッチアップしたって、自分の人生にはほとんど何の関係もない。
そんな情報のアップデートに30分なり1時間なりの二度と返ってこない貴重な時間を消費するのではなく、幼稚だって、稚拙だって、思考が甘くたって、「俺は」「私」は、いま、何を感じ、どうしたいと思ったのか、ブログで表明した方が100万倍良い。
暇つぶしでSNSを見るのは、そろそろやめにしよう。それよりも、いま自分が何を感じ、どうしたいと思っているのか、ブログを通して発信しよう。
ぐるっと一周回って、返ってきた。古くて、新しい「人は、誰かは」じゃなく、「俺は」「私は」の復権。ブログの時代が返ってくる。