業界人間ベム

批判すまいと思うものの、ここまでひどいと・・・。

14 years 6ヶ月 ago

 震災以来、ツイートを控えていた。このブログもほとんど更新していなくて、日頃読んでいただいていた方には申し訳ないと思う。

 このブログでも、マスメディアを「批判のための批判」、「批判というよりただただ非難する」と断じてきたが、こういう時期には「誰が悪いの」ということ自体、憚るというか、では自分自身は何が出来ているかと問えば、他人のことを非難する資格などないわけだ。
 そう思って、ツイッターでもブログでも何も書かないでいたのだが、ここところメディアと国会で起きていることには、批判どころか本当に脱力する。

 この時期に、曲がりなりにも原子力災害対策特別措置法で総指揮官の立場にある総理を引き摺り下ろそうとする自民党の見識もひどいし、結局は「私怨」から野党の不信任案に乗じる動きをする民主党員もひどい。口では「この非常時とか国難とか」と言いつつだ。
 今はおそらく、従来の政府とか、官僚組織とか、企業とか、既存の組織では対応できないレベルのことが起きている。菅首相の能力うんぬんもあるだろうが、(もちろん今よりはましな対応を見せる誰かはいるのだろうが)それはこの危機に前にしては根本的な解決にはほとんどならないのではないだろうか。
 行政府としては力足らずとはいえ、対応していることは事実。そうしたなかで実際に何をしているか、震災があってから特別な作業をしているかという点では、国会議員とメディアこそ批判されるべきではないかと思う。
 これは私の尊敬するある方のご意見だが、西岡参議院議長は菅首相を批判する前に、立法府の長として、災害対応の法案が議院立法でどんどん提案されないのはおかしいと思わないのか。「議員立法」なんていう言葉があるのは日本くらいで、世界のほとんどの国では法律は国会議員によって立法される。官僚じゃないと法律案をつくれないことが異常だ。
 この非常時でも、官僚がつくらないと法律がつくれない日本の国会議員とはいったい何だろうか。
 そして、政局は常に「私怨」に帰す。またやりかた、つまり電話してきただけとか、せっかく申し入れたのに対応しないとか、行動規範のほとんどが個人的な「好き嫌い」でしかないということだ。

 もうひとつ批判されるべきは、メディアである。記者クラブ体制を維持していて、取材すべき対象に自ら情報を求めに行っている様子がない。東電や政府がちゃんと発表しないのだから、もっと取材したらどうなのだろう。海外メディアからは日本のメディアは批判されているポイントは、ジャーナリズムの根本だ。ウォーターゲートにしたって、大統領のバンキシャと疑惑を取材する記者は全く違う。利害関係に取り込まれないニュートラルな取材活動が自由にできるジャーナリストがどれだけいるのだろうか。今はむしろメディアが、政府なり、何らか実態を隠そうとする勢力の一部と化しているようにさえ見える。

今日のサンデー・フロントラインでの亀井さんの発言は、正論に感じた。改めて、日本の民度が試されていると思うが、日本における「議員」という存在と、国民市民のために批判しているようで実は誰の味方か分からない「メディア」は、最も先に変わるべきだろう。

「トリプルメディアマーケティング」韓国語版が出ることになりました。

14 years 6ヶ月 ago

先日、韓国の広告会社チェイルの方数名で、私の「トリプルメディアマーケティング」を韓国語に翻訳したので、出版を許諾して欲しいとの話がありました。
こういう場合は、出版権を日本の出版社と韓国の出版社との間で、契約することになるらしい。

きっかけはサムスン電子の幹部の方が、私の本をお読みになって、「すごく感動した」「分かりやすく書かれていて、自分の理解と同じだ」と言っていただいたことがきっかけでした。
ということで、ご要望があって、来日された折に、ミニ講演をしてきました。

さて、韓国語版ですが、「自分の書いたとおりに翻訳されているかが分からない(汗)」というのが何とも云えませんが、信頼しているので大丈夫でしょう。

それにしてもサムスンの幹部の方ともなると、英語も日本語もペラペラで、原語で本も全部読んでしまう訳で、スゴいです。さすが世界企業。

「日本人=サイヤ人」論

14 years 8ヶ月 ago

 瀕死の状態から立ち直る度に、以前よりパワーアップするのが「ドラゴンボール」の主人公孫悟空をはじめとするサイヤ人だ。(実はベムは80年代に広告会社としてアニメ「ドラゴンボール」の番組販売の経験がある。)

 震災以降海外からの日本の評価を受けて、「ピンチに強い日本人」という論調は出来上がっている。しかしピンチに強いだけでなく、歴史が証明しているように、どん底から這い上がってきた日本は、それ以前より強くなって復活する。そして今回もそうならねばならない。このピンチを跳ね返して、さらに強くなることをイメージした復興であるべきだ。復興は元に戻すことではなく、以前より強くなることである。
 

 ボランティア活動をコミュニケーション支援する「助け合いジャパン」の東京の事務所に陣中見舞いに行ってきた。ボランティアの主役は学生さんたちで、彼らが実に真剣で、意欲があって、実際にパワーがある。私の世代が学生だったころよりはるかに頼もしいと感じた。
 平時においては、とかく批判の的だった公務員も、特に被災地では職務を全うするために全力を尽くしている。日本人の職務を全うしようとする意識の高さには感激する。

 経済の成長という尺度をもって、戦後の自らを以前より強くなったと評価してきた日本人は、この震災後は、ある意味少し別の尺度も取り入れて、以前より強くなって復活するだろう。
 グロスの経済力だけでなく、「一人当たり」や「生活の質」の指標をもって、より強くなったことを証明するだろう。

 メディアは日本の製造業が衰退したかのように自らを評価して久しかったが、震災で自動車産業を中心に世界中の製造ラインに大きな影響を与えた。改めて日本の製造業の何をどう評価していたのだろうか。これだけの競争力があったことに改めてアメリカが評価した記事を読んで、「そうだったのか」と思うところに自己評価の視点が少しズレていた感も否めない。
 いずれにしても、自分を卑下していたら立ち直れない。自信をもって、あらゆる分野で、新しい価値をつくることを目指したいものである。

震災前、震災後

14 years 8ヶ月 ago

  まだまだ安否不明が何万人もいて、最終的な死者行方不明者が確定する見込みさえありません。また原発の状況も予断を許さないどころか、凄まじいレベルの放射性物質が確認されて作業ができないという苦境の最中です。こんな折に、今後の話を先走ってするのは憚るのではありますが、少なからずマーケティングという仕事に携わっている会社を経営する立場で、今後について思うところを記述しておきたいと思います。

 日本にとっては、これは戦前、戦後というエポックの次に大きな転換期になると思われます。何年か何十年後に「震災前、震災後」で日本の歴史が語られるということです。それほど日本人の生活や仕事は大きく変わらざるを得なくなりました。
 また今後はこうなるであろうと想定されていたことは、前倒しでやらざるを得なくなります。消費税増税、製造業以外の企業の海外進出、エコ型消費スタイル・・・、当然そうなるべき方向にあったことがらは加速するでしょう。
 政府や企業や個人、いろんなレベルで「踏ん切り」がつくのです。いろいろ従来のしがらみで決断できずにいたことがらが、先送りできなくなるのです。

 企業のマーケティングもそうです。山本直人さんのレポートにあるように、すべてのマーケティング活動には「社会性」という視点が欠かせなくなるでしょう。

http://www.naotoyamamoto.jp/yamamoto-report/Yreport_110317.pdf

と同時にマーケティングのパラダイムシフトは、予想より早く進むことになるでしょう。変えるべきものは変えていく。逡巡が許されるほどの余裕がなくなると言ったほうがいいのでしょう。一定の落ち着きが得られるまでは、状況を静観するでしょうが、震災後のアクションは意外に早いものになると思われます。

「節約生活」をあらためて行動様式に取り入れることの意識は、個人の生活以上に企業の行動様式として反映してくると思われます。当然マーケティング投資のROIを吟味することをステイクホルダーへのアカウンタビリティとして義務づけられるでしょう。少なくても「国内市場で無駄な投資をしない」という感覚は今まで以上になるはずです。

さて、マーケターやコミュニケーション産業に従事する者は、この震災後の変化にどう対応すべきでしょうか。ますますもって従来の成功体験はマイナスの知見として見られる覚悟をしなければなりません。広告人ひとりひとりが自分のスキルがどんな付加価値をもっているかについて決定的な評価に晒されることになります。
震災後の好ましい「社会性」とは何か、またマーケティングはどう貢献できるかを、広告ビジネスというような狭い捉え方ではなく、日本人、生活者個々人にとっての価値、市場にとっての価値をどう創造するかという視座から広告主企業と話ができる存在である必要があるでしょう。

こういうことが出来ない人員の淘汰が想定していたよりかなり早く始まって終わると思います。相当な覚悟で日本における広告ビジネスに臨む必要があるでしょう。

支援は長く続けることが大事。それぞれのやり方とタイミングで・・・。

14 years 8ヶ月 ago

東日本大震災は悪夢のような現実である。原発が安全宣言に至るまではまだいくつものハードルがあるだろうし、復興というところまでの、その端緒につくところまで、まだ時間がかかる。原発の状況は震災が今なお進行中で、終わっていないことを表している。今まではなかった現象であり、それが現実のようである。

支援の声は、非常に大きな規模で、世界中で巻き起こっている。たいへん有難いことだが、長くかかる支援体制をこれから先ずっと支えるのはやはり自国民でなければなるまい。とにかく長くかかることを覚悟しなければならない。

経済的には中期では復興需要もあって、立ち直りを見せるだろうが、長期的にはただでさえ大問題だった国の債務の問題に拍車をかける。日本と日本人のスタイルを変えないと、この危機は乗り越えることはできない。被災した方々、犠牲になった方々を思えば、ライフスタイルを変えて、新たな生き方をするしかない。

こんな災害のなかで、混乱のなかで、略奪がひとつも起きない日本を世界は感嘆したようだが、そんなことを褒められても・・・と思う。別にそんな賞賛はいらないから、こんなにも犠牲者が出ないで欲しかった。

子供や感受性の強い人には、この空気に不安やストレスを感じることが多いようだ。同じ国に起こった極めて大きな悲しみと苦しみを感じて不安になることは不思議では感じない。そして、直接被災した人以外にも様々なストレスをいろんな人々に与えることになるだろう。だから、支援の輪を広げようとする行為は素晴らしいのだが、決してすべての人に自分たちのイメージする支援を強要してはいけない。また協力しないからと言って、非難するようなことがあってはいけない。人にはそれぞれの方法とタイミングがある。支援を呼びかける人は、世の中、物質的な支援が出来る人、労力が提供できる元気な人ばかりではないことの配慮も忘れずにしたいものだ。せっかくの「優しい気持ち」は、すべての人に与えていくべきである。一方、今、具体的な支援を出来る人たちは進んでトライして行こう。おそらくソーシャルメディアがそれぞれの活動意志をサポートする大きな力になるだろう。それは既に起きている現象がほぼ証明しているように思う。
ただ、ひとりひとりが出来ることは、日々の生活の中にある。もちろん当面の節電もそうだが、あまりに自粛ばかりでは、経済がシュリンクしてしまう。あえて外食をしたり、普段の経済活動をすることにしよう。私は義援金のほかにもしっかり普段の生活のなかでお金を使おうと思う。行き過ぎた自粛は決してみんなのためにはならない。

組織力と個人力

14 years 9ヶ月 ago

広告会社の仕事を、コンサルティング、プランニング、オペレーションと3つに分けるとして、まずオペレーションにおけるいわゆるケーパビリティは、当然大勢の人間による組織力とスキルトランスファーする仕組みでしか解決ができない。プランニングも個人力が中心とはいえ、今後は集合知をどう活用するかが注目される。組織的にプランニング能力を上げるという手段もあり、お互いに刺激し合う環境をつくることが重要だ。プランニングのための情報を取得するためには組織力が必要でもある。もちろん発想力は有能な個人によって形成されるものなので、組織で解決ができないことが多い。少数精鋭のブティック型で対応するのが特にデジタル領域のプランニングに向いているかもしれない。
ただ、ことデジタルマーケティングのコンサルティング能力においては、今のところ「どこ(どの会社)に頼むか」ではなく、「誰に頼むか」に帰結する。知見と構想力はそれが一番高い個人に適わない。いくら会社にいる大勢の人間が束になってかかっても、一番能力の高い個人ひとりに軍配が上がることが多い。
そしてそのコンサルティングにおける知見と構想力はソリューションサプライヤー側の経営者には欠かせない。広告主のマーケティングコンサルをする会社の経営者にマーケティング知見がないのでは洒落にならない。広告会社の今後の方向性のひとつがコンサルティングエージェンシーだとすると、戦略コンサルのように、その経営者は代表パートナーのような存在である必要がある。

広告主は仕事を依頼する会社のオペレーションのみ買うのであれば良いが、プランニングやコンサルティングを買うのであれば、その会社の経営者のマーケティングコミュニケーションに関わる知見や構想力を問わないといけない。海外の経営者は若くて、ソーシャルメディアとマスメディアのそれぞれの強みも弱みも双方体験的に理解している。そうしたクライアントに対して、広告会社の経営者という個人に求められる要素もおのずと分かってくるはずだ。経営トップがソーシャルメディアくらいは活用していないと、選択肢にすら入らない時代が来る。

広告会社の経営者像

14 years 9ヶ月 ago

 今の広告マーケティングとその周辺に起きている激動を理解し、認識して、即、手が打てるかどうかに焦点を当てると、広告会社のトップに求められる能力は半端なものではない。業態そのものが問われる変革期であり、平時ではないからだ。
 会社のトップに立つということに関しては、社員がその人物を社長として結束するという、いわゆる求心力をうんぬんすることが多い。サラリーマン社長であれば尚のこと、社内で認められるかが問われると思われている。
 しかし、果たして求心力なる内側の論理に偏った発想だけで、広告会社なる業態の経営トップが成り立つであろうか。広告会社のトップとして認めるのは社内ではなく、クライアントなのではないだろうか。
 むしろ遠心力が大切なのであって、外に働きかける力があって、クライアントに認められるからこそ、社内的な信頼を持ち得るのだ。
ある意味、広告会社のトップは、その会社のナンバーワン営業マンであり、ナンバーワンプランナーであり、ナンバーワンコンサルタントであり、ナンバーワンプレゼンテーター(これは和製英語)でなければならない。つまり能力でナンバーワンだからトップを張るのだ。
 単なる管理職のトップでは成り立たないのが、広告会社というエージェントであり、情報やコミュニケーションを商売にする業種の経営者の条件だ。情報発信力を持ち、マーケティングコンサルタントとして、クライアントの経営陣と丁々発止できなければ意味がない。コンサルティングファームの代表パートナーのような存在でなければならない。社内マネージメントしかしない社長というのはあり得ない。
 クライアントの経営トップの年齢が若返っているなかで、(外資であれば40代前半のエリートがどんどんトップを張るなかで、)メディアやコミュニケーションの構造的変革を体感的に理解している彼らと伍していく力量が試される。そういうトップの能力しだいで、社員全体のスキルも上がる。人間しかリソースのない広告会社とはそういうものである。

広告はサービス業

14 years 9ヶ月 ago

 市況は回復しつつあるが、構造的には今のままの広告代理業の将来は明るくない。総合広告代理店の中にはリストラをせざるを得ない会社もある。それだけ収益性が悪くなっているのと、従業員のスキルが時代に追いつかない(経営者も追いついていない)状況にある。
 しかし、アジアを中心に海外に目を向けると、日本では古くなってしまったようなスキルの発揮しようが、ずいぶんあるように思う。

 以前、海外のネット媒体を買い付けることがよくあった。海外のメディアバイヤーと仕事をすると、その粗い仕事ぶりにびっくりすることがあった。インプレッション数の未達などは当たり前で、ホスピタリティのかけらもない。
 ホスピタリティという話だと、名旅館「加賀屋」が台湾に進出したのはニュースでも結構取り上げられた。日本人の「ホスピタリティ」の象徴のような、サービス業の極みのような「スピリット」が海外進出する時代である。
 
 私は、ずっと前から新卒の採用の面接で学生に、「広告って何業だと思う?」と聞いている。正解がある質問ではないかもしれないが、出来れば「サービス業」と言って欲しいので聞いている。「サービス業」としての「広告」という側面では、日本の広告業は極めてお客である広告主への「ホスピタリティ」が高いと思う。
 そうしたものをアジアに持って行って評価を受けるということもあるのではないだろうか。アナログな広告しかできなくても、成長率の高いアジアでは別にアナログな広告でも「物は売れる」。デジタルの理解はあったほうがいいが、それ以前に広告業のサービス業としてのスキルがあれば、(言葉のハードルさえ越えれば)アジアで通用するのではないだろうか。製造業では、職人技の継承者がいない日本を離れ、海外で技を引き継ぎ自己実現を果たす団塊世代も多い。広告マンはどうか。日本の広告マンの長年培ったノウハウとスピリットは特に新興アジアで価値を創れないものだろうか・・・。

『高周波マーケティング』

14 years 9ヶ月 ago

PDCAサイクルは短くすると効率化する。広告も広告メニュー単位ではなく、1配信単位で最適化するとパフォーマンスは良くなる。『最小単位で最適化する』ことと、『継続的なチューニング』が新たなマーケティングのスタイルであるように思う。
 従来の広告キャンペーンは、年度予算を毎年とって、基本年一回やってみて、当該商品の販売実績や市場調査、消費者調査による事前事後データを比較してキャンペーン評価をする。このサイクルが広告主にも広告会社にも染み付いている。
 これがデジタルマーケティング時代ともなると、テクノロジーのおかげで、PDCAのサイクルを早くすることと、最適化の単位を小さくすること、そして継続的にチューニングをし続けることが可能になる。この方が少なからずコストパフォーマンスを改善するのに適した環境となる。マーケティングコストやコミュニケーションコストは出来るだけ抑えて、獲得利益を最大化しろというのは企業にとって当然のミッションだ。マーケティングROIを追求すれば必然的に、イノベーションが可能にした『高周波マーケティング』志向になると思う。

もちろんすべての広告キャンペーンをWeb基点で、すべて高周波にできるわけではない。まだすぐには出来ないが、こうした志向は未来型で、方向性はそう間違っていないように思う。

 「やりながら測定が出来る」ということは「やりながら改善していける」ということだ。逆にいえば、測定するからには改善のアクションに繋がらないと意味はない。「体温を計るだけでは病気は治らない。」

私は、ずっと前から講演で、「送り手主導から受け手主導へ」という大きなパラダイムシフトが起きているという話をしている。ベースにこの環境変化があって、マーケティングコミュニケーションも大きな変化を始めている。
それは、広告メディアや広告表現を送り手が『これがいいだろう』とプランニングして実行して、完了後に検証するというスタイルから、実行プロセスの中に受け手の反応をすぐに取り入れてそれに合わせて可変的にしておくというスタイルになる。これが『オプティマイズ』という概念だ。
Webマーケティングをやっている人たちにはこの思考は自然に感じられるだろう。そもそもマス広告によるコミュニケーション開発と違って、Webでは様々なコンテキスト(文脈)で訪れる見込み客それぞれに『買う理由』を得てもらうことを目指すものだ。個々のアクセスに動的生成で応えることが出来るのがポイントだ。

私が会社に入ったころは、『プロダクトコーン理論』なるものがあって、「ベースに商品のUSP、その上に、それによって消費者が得られるベネフィット、それだけでもダメでその上にエッセンスに集約して尖らせる」というものだった。「尖がったコミュニケーションでないと雑音が多い中でターゲットに刺さらない。」という考え方だ。まさにテレビCMによるコミュニケーション開発の基本的な考え方であったわけだ。しかしWebではコミュニケーションをひとつのエッセンスに尖らせると、それぞれの文脈で訪れる様々なユーザーにはマッチしないですれ違いが起こる。
 言葉の(しかもカタカナ)遊びになっているようで申し訳ないが、(うまく表現できないので)、Webマーケティングでは、『コミュニケーションデザイン』というよりは、『パーセプションデザイン』と言った方が当たっているような気がする。

 受け手主導のマーケティングの中で、最も大きな変化はこの「オプティマイズ(最適化)」という概念が確立してきたことだろう。それを実現するのがテクノロジーだ。

 SEMがそうしたマーケティングスタイルの先鞭をつけたかたちになった。SEOやリスティング広告をはじめ、LPO、EFOなどWebの最適化が定着し、次は当然プッシュするコミュニケーション(広告)にもオプティマイズ志向が進むだろう。リコメンドメールなど配信対象のすべてに個々に最適化されたプッシュも増えるはずだ。

 最適化されたメッセージがプッシュされる仕組みは、本来の広告の機能、つまり潜在化している『関心』を顕在化する機能を発揮できる。しかもそれをレリバンシー(このブランドないし商品カテゴリーは自分に関係があると意識されている)をもつターゲットにフォーカスできる。「検索をする」という合目的的な行動に至る前には非常に多くのレリバンシー状態があると推測できる。ここにプッシュすることが今後最も注目されるマーケティング施策になるのではないだろうか。「リコメンド広告」の考え方だ。これができるとテレビなどのマス広告の効果をもっとドライブできるように思う。(もちろんSEMの効率も押し上げるだろう。)

 この前のエントリーでも書いたが、ネット広告やモバイル広告も今はほとんど広告メニュー単位でやってみて検証するわけだが、これが広告の1配信ごとに最適化される仕組みがその理屈どおりの実力を発揮すれば、当然効率は良くなる。テクノロジーによるイノベーションの成果になる。
 配信対象ごとにメッセージを最適化することに進化することはいいことだ。掲載面の良し悪しを試すことにばかりに勢力を尽くす時代はそろそろ終わり、広告する側のブランド力やクリエイティブ力も評価されるなかで、広告の最適化が目指されるというあるべき姿に近づいたのではないだろうか。
また広告販売側の人の作業は「手売り」でないとできない企画性の高いメディア販売に移行するだろうし、コミュニケーションアイディアの創出そのものにもっとパワーが割ける。
 
* ここで提起している『高周波マーケティング』とは、「PDCAのサイクルを早くすること」、「広告活動の単位を最小化して最適化すること」、「継続的にチューニングすること」も3つの要素からなる。画像は、「広告活動の単位を最小化して最適化すること」の概念をイメージ化したものだ。積分で面積を出すような感じだが、薄い紫色の四角が最適化されるユニットだ。ユニットが小さいほど、全体の最適化は進む。四角が大きいと無駄な部分(水色の部分)が大きくなってしまう。PDCAの対象のユニットを小さくすると、こんなイメージ・・・。

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オーディエンスターゲティングとDSP

14 years 9ヶ月 ago

 「究極のターゲティング」という本を宣伝会議から出したのが2006年だから、もう5年経つ。いわゆる「行動ターゲティング」から、もうひとつの進化系としての「オーディエンスターゲティング」という概念がある。それを支えるのがDSPといわれるプラットフォームだ。
 例のカオスマップを見た方も多いだろうが、DSPだのSSPだのアドネットワークだのアドエクスチャンジだの・・・そんないっぱい関わったら、リベニューの取り分が小さくなることが容易に想像がつく。要はそんな多くのプレイヤーは成り立たない。ただ、いわゆるイールドと呼ばれるSSP側がしっかり確立しないとデマンドサイドプラットフォームだけが成立するということはない。非常に多くの掲載面を供給できないといけないし・・・。

 そもそも、「どこに掲載するかではなく、誰に配信するか」に完全にシフトし、リアルタイムにコストパフォーマンスの良い配信先と掲載面をマッチングして瞬時に配信するということは、複数のメニューを組み合わせては、個々のパフォーマンスを掲載期間終了後に検証しては、良いものを残し、悪いものを替えるという人的作業を繰り返すよりは、はるかに効率的な結果を生む可能性がある。2~3週間程度の掲載期間での広告メニュー単位で最適化するよりも、1配信、1配信ごとに最適化しようとするのだから、結果は良くなるのが当然である。

 ただそれには、ブランドごとに(あるいはキャンペーンごとに)配信先(クッキー)を選定するターゲティング手法が必要で、ここでエージェンシーのスキルが試される。米国のようにオーディエンスデータを売る事業がどれほど確立するかはまだ分からないが、広告主側が持つデータもマージさせて、その時点での最適な配信先をキャッチできる仕組みを持っていなければならない。またクッキーは学習させておかないと使い物にならない。クッキーを学習させておくにも、いろんな考え方があるが・・・。まあこれ以上は企業秘密の部分もあるので・・・。

第三者配信が定着していない日本ではあるが、ノンプレミアムの掲載面のなかで、RTBは一部で始まっている。システムとしてはそんなに難しいものではないが、効率的な配信の絶対量を確保しようとすると、掲載面のインベントリーもさることながら、サーバー容量もかなりの規模が必要だ。瞬時に複雑なやり取りを成立させなければならない。秒間のトランザクション数も半端ではないものになる。
 ネット広告のプランニング&バイイングのオペレーションはかなり替わるのではないだろうか。前述のような作業がなくなって機械化される分、人の作業はより「そもそものターゲティング」や「クリエイティブ」に向くようになるだろう。それはきっといいことだ。

贅沢な時間

14 years 10ヶ月 ago

 母方の叔母がオランダに嫁いだので、私にはオランダ人と日本人のハーフの従兄弟がふたりいる。叔母夫婦は、旦那さんがアーリーリタイヤメントしてもう十数年、世界中を旅行していて、私の家にも毎年のように訪れる。熱海の別宅は彼らには格好の日本の拠点で、日本中をめぐっている。お金を本当にセーブした貧乏旅行だが、時間だけは贅沢すぎるほどあって、その楽しみ方も徹底している。自転車を必ず持ってきて、1日に50キロも走破したりして、健康で身体が十分動くうちのリタイヤを謳歌しているのだ。
 さて、よく自分に同じことができるのかなと思うことがある。あれは熟成されたヨーロッパ文化の賜物のようなものだ。ヨーロッパにはサイクリングロードが縦横無尽に整備されている。地中海沿岸の本当に綺麗な風景を観ながら、荷物を次のホテルに先に運んでもらって、自転車でゆっくり次の宿を目指す旅は、リタイヤしたとはいえ健康であるが故の楽しみ方で、実はこれほど贅沢なことはない。
 日本人のリタイヤの仕方は、これからの日本に大きな影響を与えるだろう。人口比率もその資産も従来からすると尋常ではない。定年を迎えて、長年の技術を継承するためにアジアに出向く人もいる。リタイヤ後の自己実現も様々だ。
 ただ会社に迷惑をかけないのが鉄則だ。仕事を続けるのはいいが、自分の資本で、自分のオーナーシップで仕事をするべきだ。 明治の実業家である伊庭貞剛の残した名言に、「事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなくして、老人の跋扈である」というものがある。ただでさえ支える若者が減るのだから、若者に迷惑をかけてはいけない。パラサイト爺さんにならないように、会社員(役員)人生の次をしっかり構想したいものだ。叔母夫婦を見ていると、死ぬまでには絶対こうした贅沢な時間を過ごしたいと思う。

「メディアと売るということ」

14 years 10ヶ月 ago

 「2020年・・・批評」でも書いたことだが、メディアのセルサイドからするとアドマーケットプレイスのような仕組みで「どうぞご自由にお買いください」だけで、すべてが成立するということはない。
 メディアが多様化すると、買う方もたいへんだ。あれもこれも組み合わせないと効果がありませんとか代理店に云われても、予算も限られている。本当だったらいろいろ組み合わさなくても一発でOKとなって欲しいもんだ。
 メディアもソリューションのひとつである。よってメディアサイドはソリューションになるようにメディア商品を加工して、「手売り」することは今まで以上に求められる。従来と違うのは効果を測定できるかようになっているかであって、オンラインで直接買えるかどうかではない。もちろんスモールビジネス用にオンライン取引が成長するのは当然だ。リスティング広告がそれを証明した。
 しかし、それにも限度がある。セルサイドが「売りたいもの」を「買う価値」を創って売る行為はなくならないし、むしろメディア自身が今まで以上にそうしないといけなくなるだろう。

 株式売買や航空券の販売が、證券会社や旅行代理店の人的サービスでなく、オンライン取引に移行しているのは理解できる。しかし広告はそれがどんなにスモールサイズであってもB to B であって、B to C ではない。
 しかし代理店の価値は変わる。基本取次ぎ業としての進行管理の価値がほとんどなくなってしまう。昔は重い鉛の凸版を抱えて入稿しないといけなかったし、フィルムをプリントして、(プロダクションはこのCMのプリント代で儲けていた)確実に局に決められた本数を入れないといけなかったから、それなりに進行管理業務の価値があったが、今後は違う。いらないのだから、そういう人員を雇う利益は出ない。
 代理店は広告主とメディアの間にいることで創出できる価値を再構築しないといけない。広告主の事情を理解しているからこそ、メディアをソリューションにする知恵をメディアにも売らないといけない。

 DSPやRTBといったシステムばかりが取り沙汰されるが、こういう理屈を理解した上で上手に使いこなすことが重要だ。「メディアをソリューションにする」技術が前提で、広告主側(ブランド)の情報とターゲットである消費者の情報をしっかり掴んでいるからこそメディアのプランニングができる。結果として、売り物をメディアといっしょに創って売るか、オンラインシステムでバイイングするかはそれほど問題ではない。

情報と見識を得るための人脈とリスペクトする姿勢

14 years 10ヶ月 ago

 日本のネット広告を全くの黎明期からつくってきたつもりなので、Webマーケティングやデジタルメディアに関して、情報をキャッチアップしたり、実践して自らの知見としてきたが、所詮自分たちだけで出来ることなど知れたもので、若い人たちが次々にこの世界にも登場し、新しいビジネスにトライしていくなかでの情報や知見をキャッチアップするのに精一杯の毎日だ。
 日々これ勉強と、こうした情報もメディアから集め、度々そうしたご本人たちと会話して、得られるものは吸収してきたつもりだ。
 しかし、ここに来て、また一気にツイッターやフェイスブックで、そもそも知見をもつ人たちのネットワークに入ったことで、フィルターの掛かった、私が関心のある領域にフォーカスの当たった情報や見識をどんどん取得出来ていると感じる。

 それはこれまでのビジネスでお付き合いしていただいた方々の知見を共有させてもらっているのだ。とても有難いことで、様々なことを教えていただいた方々と、常にネットワークで繋がっていることの価値を本当に実感する。

 さて、それを考えると、こうした情報や見識をやりとりすることをしていない人たちも多くいて、しかもそれが重要な経営判断をしなければならない人たちだったりする。当然議論をし、現状の認識を共有し、経営判断を促すための情報や考え方を提示したりすることになるのだが、知見量(こんな言葉があるわけではないが、知識量、見識量といった意味であえて使わせてもらうと)にどんどん差がでてきてしまって、議論にならない可能性がある。
 ただでさえ、専門領域での人脈があって、それがソーシャルメディアで常に繋がり、知見の交換、共有をしている人は、どんどん情報を処理し、認識を深め、それを実践に応用し、より知見を深めるサイクルに入っていく。
 一方そうでなく、今までの古い人脈とマスメディアからの情報を頼りにしているだけだと、その差は著しく開いていく。
 
 ネットの世界は、ひとつ自分の持っている情報をネット空間に投げると、多くの人の情報を享受できる仕組みである。ただ、あまり人の顔が見えない時代(あえてインターネット時代と呼ぼう)は、取得することばかりにかまけて、価値を与えることをしてこなかった。しかし、ソーシャルネット時代は、人と人の顔が見えるので、ある意味、自己実現のために価値を与えることがなされる。結果、繋がっている人たちの間で素晴らしい価値の共有が起こる。
 ここでベースになっているのは、「リスペクト」という姿勢だ。考え方が違っていても、自分にない見識をもった人の考えに対して、それを取得でき、「なるほど」と評価できる時、すごく得たものが大きいと感じる。そうした価値を提供してくれた人への「尊敬」と「感謝」の気持ちが、このサイクルを自然と大きくしていくのだと思う。

ネコタロウ教授の話

14 years 10ヶ月 ago

 母校清水東高校の同級生で、大学受験に一緒に東京に出てきた私の友人、栗田宣義氏をテレビで見かけたのは、昨年の夏だったでしょうか。さんまの「ほんまでっかTV」のスペシャル版に、これまたキャラの立った識者としてゲスト出演していました。最初は、同姓同名の人がいるんだな・・・と思って、よくよく顔を見たら、何と私の旧友栗田宣義氏その人ではあーりませんか。
 現在、栗田氏は武蔵大学の教授であり、社会学部長という重職にあります。「ネコタロウ」のニックネームでその世界では有名な教授で、「ファッションとメイクの社会学」など、たいへん面白い切り口の社会学で、授業を受けたい先生のランキング上位にあります。

 そのネコタロウ先生にほぼ30年ぶりに再会を果たし、旧交を温めたわけです。
彼は社会学でも計量社会学をやってきているので、調査系に強い人です。その方面のコンピュータソフトに明るいので、PCやネットへの関わりにも強いようでした。インターネット関連の資料を探していたら、私の著作「インターネット広告革命」を見つけたようです。有難いお話で・・・。

 トリプルメディアマーケティングを直接差し上げましたが、「もし学生さんたちにこんな分野の話でよければ、いつでも江古田に行きますよ」とお約束しました。

 昨日、マーケティング協会のセミナーで、電通さとなおさんと博報堂須田さんと講演してきましたが、ソーシャルメディアのコミュニケーションとマーケティングにどんな変化をもたらすかが除々に見えてきた感があります。
 
 ソーシャルメディアの影響ということを考えると、マーコムの世界も社会学的なアプローチがもっと必要に思います。ネコタロウ先生の社会学も勉強して、彼の知見も取り入れてみたい。
勉強させてもらおうっと・・・。

バナークリエイティブをもう一回真剣に考える。

14 years 10ヶ月 ago

バナー広告と云うと、どうもチープな広告クリエイティブという印象がいまだについて廻るので、「ディスプレイ広告」ということにして、今いちどそのクリエイティブについて考えてみよう。

 私が、ディスプレイ広告のクリエイティブに強い印象をもったのは、もう10年以上前になるが、オーストラリアのIBMがJAVAバナーで作った「クリアソリューション」というコピーのものだった。水面がゆらゆらと動いているところにマウスをよぎらせると、水面に波紋が出るインタラクションで、(水面に波紋をつくるインタラクションは、そのパソコンのCPUの計算速度に依頼するので、古いパソコンだと、水面というよりどろっとした油面を触ったようになってしまう。)訴求したいコンセプトの本質をシンプルに表現していた。
 もうひとつは自分たちで試作した、ある輸入車(高級スポーツカー)のフローティングで、クルマはアイドリング状態なのだが、エンブレムにマウスで触れると、エンジンをふかした状態を振動と音で表現するだけのもの。空冷のエンジンらしい音が何ともいい感じのクリエイティブだった。

 もちろん広告で訴求したいことが、常にこんなシンプルなことで済むわけではない。しかしアイフォンアプリの初期にジッポーのライターが評判になったように、(ジッポーは、アイブラスターの初期にもクリエイティブ賞をとっている。)シンプルだがそのエッセンスを強く印象づける力が、「インタラクション」というクリエイティブ要素を駆使すると、他のマスメディアなどでは出来ないことを実現させるのは事実だ。インタラクションによるブランドエンゲージメントを実現できる可能性があるなら、従来は使っていないブランドがディスプレイ広告を使うようになるかもしれない。
 
「訴求したい商品やサービスのエッセンスをインタラクションで印象づける作業」これがネット広告のひとつの方向性だと思う。インタラクションがネットユーザーによって、そのブランドに対する関与の第一段階となる。そういうクリエイティブがネット広告らしい、「ならでは」の表現となるはずである。

 クリックを促したいのは、それはそれで良いのだが、広告によるエンゲージメントというかリレーションシップというか、ユーザー行動を把握できるブランドへの自己関与の第一ステップとして捉えられるクリエイティブをもっと創っていきたい。
 もちろんこうした作業で、ビュースルーも増える可能性も高い。最終的なトラフィック効果、コンバージョン効果という次の「行動」への期待値も上げるのではないかと思う。

 「リッチメディア」というワードは最近、あまり使われなくなってしまったが、その使い方と効果を再度確認してもらいたい。

テレビの広告主

14 years 11ヶ月 ago

 前回のエントリーに対して、ツイッターで、「GREEやモバゲーの出稿でテレビ広告が回復したと言っていいのだろうか。」というツイートがあったので、解説を加えてあげようと思う。
 GREEやモバゲーを広告主として取り込むからこそテレビ広告需要が維持(または回復)できると云った方がいい。「テレビ広告が回復する」ということが、従来のようにクルマや化粧品や飲料食品などで回復するなんてことは、はっきり言ってない。テレビは今までも消費者金融やパチンコ台や、その前も新たな業種・業態を広告主として開拓してきたことで成長を維持してきた。それはこれからもそうである。裏を返せば新しいビジネスを大きく成長させるのもテレビ広告の役割といってもいい。
 またテレビ広告の単価が、従来より下がっており、テレビを使える業種や広告主は増えていると考えられる。もちろん民放連の基準で、まだテレビ広告を受け入れられない業種も多い。しかし真っ当な商売なら、新しいビジネスがどんどん勃興して、それが市民権を得て、高い収益性を確保して、(だから競合プレヤーも出てきて)さらに広告出稿をしてビジネスを維持発展させるサイクルがあるからこそ、経済は回っている。
 「GREEやモバゲー」の今の内容のテレビ出稿量が永続的にありそうと思う人はあまりいないだろう。しかし、DeNAさんがつい何年か前、今のビジネスだったかといえばそうではなかった。モバゲーのビジネスは前のビジネスでは出来なかったテレビ広告を打てるだけの収益性があって、テレビ広告に新規会員獲得のダイレクトブランディング効果を見出して出稿し、さらにテレビ広告でビジネスを拡大している。
 広告とはそういうものです。

それにGREEやモバゲーでテレビ広告が回復して、これからも安泰だなんて一言も書いてないんだけどね・・・。(本当の回復にはなっていないと書いたんだから)

2011年広告業界予測

14 years 11ヶ月 ago

 昨年も書いたので、今年も業界予測を書いてみよう。
景況感でいうと、幾分持ち直し傾向が強くなってきた。ただずっと「前年割れ」で来たので、前年増に転じたといえ、前々年、そのまた前と比較してどうなのかというと、まだまだマイナスだったりする。まあそれでも減少傾向に歯止めがかからないよりはいい。
 さて、私なりに、今年の業界に起こりそうな象徴的な動きを予測してみようかと思う。
まずは何と云っても、完全デジタル化元年であるので、テレビ広告をテーマにしてみる。
 昨年末もこの年度末にかけても、スポットは好調で、3月ももうほとんど取れない。テレビスポットで溢れた出稿が、新聞やネットに流れている。ネット広告も大型枠からどんどん埋まっている。
 ただ、この好調傾向は、スポットと東阪名こそ顕著であるものの、タイムや地方にまで好調を完全に取り戻しているとまではいかないようだ。テレビ広告の好調を支えているネットやモバイル新興企業のスポット出稿がそういう出稿傾向にあるせいもあるだろう。タイムや地方局にもしっかり出稿が入らないと、テレビ局の経営にとっては本当の回復とまではいかないだろう。また単価が昔の景気のいい時代と比べると本当に安くなっているので、満稿でも昔ほどの収入がある訳ではない。
 とはいえ、テレビ広告の効果は再認識されたと思う。ネット企業がこれほどテレビを使っていること自体がそれを象徴している。ネットでの会員化を促す広告メディアとしてテレビが一番絶対量を獲得できるメディアであるからだ。新興ネット企業も、ダイレクトマーケターと同じ使い方をしている。テレビ広告に求めるブランディング効果は「ダイレクトブランディング」ともいうべきマーケティング目標が主流となったのかもしれない。これがいつまで続くかが問題だが、ネット企業の収益性からして、また競合環境の激化からして、簡単に低調にはならないだろう。
 ただ今のような番組制作が続くと、本当に可処分所得のある層の視聴率はどんどん取れなくなる。ターゲット視聴率ベースでみると、獲得したいGRPはますますとりにくくなる。またそろそろ15秒ベースでのリーチとフリークエンシー(GRPをいかに獲るか)の議論になる広告主と、そうでない広告主に2極化するように思う。個人的な感覚でいうと、頻度よりも長尺の印象に残るCMの方が「ネットインプレッション」(最終的に残る印象)は大きい。大量出稿ができない広告主には良質なTVCMクリエイティブが再認識される時代に入った。ソーシャルメディア上で議論されるような(レピュテーションを獲得する)CMをいかにつくるかがテーマになるのではないだろうか。前述のダイレクトブランディングを求める傾向とは別に大量出稿は出来ないだけに、クリエイティブ(TVだけでない統合シナリオをベースに出来たテレビのクリエイティブ)をよ~く考える広告主が是非たくさん出てきて欲しい。即効性ばかりを広告に求められると業界としては辛い。マーケティングの時間軸を比較的長く設定した(トリプルメディアではオウンドメディアやソーシャルメディアは長期間の継続性を前提にしているのだから)テレビの使い方を再検討すべきである。その意味でBS、CSを含めたタイムの活用がポイントになる。この場合、視聴を促すためのモバイル広告というのも出てくるだろう。「テレビからネットへの誘導」の時代から「モバイルからテレビへの誘導」が起こる。一度に何かを伝える力は既にモバイルにあったりする。

 生活者のデジタルメディアへの接触時間は、メディア接触時間の21.6%を占めている。一方、広告費としては10%強しかないので、このギャップは埋まっていくべきものと考えられ
るが、テレビとネットの2強メディアをコミュニケーションメディアの中核にするのは当然で、テレビ広告の効果を最大化するためにネット活用が必然となる。

 さて、テレビ番組という強力なコンテンツは、今年いろんなデバイスに拡散すると思える。見逃し視聴やアーカイブをコンテンツ課金する手法は全く成長できないでいるが、広告モデルで新規コンテンツがPCやiPad、ネットTVなどに流れ、成功する事例が今年はでてくるだろう。テレビ局は基本コンテンツを持っているので、これまでテレビ放送以外の利用に消極的だったが、デバイスの拡散という時代の流れには抗しきれないから、かえってテレビ放送以外のコンテンツのマネタイズに積極的に転じる可能性がある。こうした際に一番影響を受けるのは、旧来型の放送の広告枠の売り方しか知らない代理店だろう。

 さて、ネット広告であるが、今年は3つの傾向が顕著になると思う。ひとつは、第三者配信の標準化の兆しである。これがないと、DSPだのRTBだの米国型の仕組みは成立しない。ノンプレミアムの広告枠からDSP型バイイングは始まるが、有力媒体でもすべてのPVがプレミアムという媒体はない。掲載面の品質に一定の保証があることを前提にしないと配信対象クッキーを選ぶ仕組みも、すべての広告主向けにはならない。そうしたことがいくつか解決されていく年になるだろう。

 ふたつ目は、ディスプレー広告とそのクリエイティブの再評価である。リスティングというプルモデルでの刈り取りの限界(効率は良くても絶対量を獲得できない)が露呈する。そろそろ種蒔きもしないといけない広告主は増えるだろう。「獲得のためのブランディング」のためにネット広告(特にディスプレー広告)のクリエイティブの進化が認められる年になる可能性がある。

 みっつ目は、やはりソーシャルメディアに対応する広告モデルがいくつか試されるだろうことである。ソーシャルグラフをマーケティングに活用する考え方は、いわゆる広告に止まらない。フェースブックが日本でクリティカルマスに達するユーザー数を獲得するかどうか別にして、フェースブックにはソーシャルメディア対応の機能がほとんどあるので、ファンページ構築とその運営を企業が社内に取り込むことは、今後のソーシャルメディア対応を考えると必須条件だと云える。
 フェースブックのファンページを立ち上げて運営することをひとつの社内横断プロジェクトとして、ブランドのマーケティング担当者と広報担当者、お客様窓口担当者の3者が社内で連携することが求められる。組織編成が時代に対応するにはまだまだ時間がかかる。しかし今対応し始めないと、遅れをとるのは間違いない。企業の担当者は、ソーシャルメディアの影響力の認識と向き合い方を社内で共有できる人たちと「握る」ことで、この過渡期を乗り切らないといけない。「組織編成が時代に対応していない」と経営陣を批判したところで、結局、責任を問われたり、自分たちの時代に困るのは現場で担当している者なのだから、社内横断的に、また企業の壁を超えて情報、知恵、人材を求めることが必要だ。


 もうひとつ最後に・・・、今年は「インタラクティブプランニングブティック」(クリエイティブブティックと少し概念が違う)が日本でも萌芽するかもしれない。デジタルマーケティング領域での、コンサル、プランニング、オペレーションが揃うと本格的に面白くなってくる。企業の経営状況が持ち直してきた今年、マーケティングのデジタルシフトに金を使うのは必然的である。
 ただそうした企業支出をしっかり取り込める広告マーケティング会社はそれほど多くはない。出来る人はまだ限られている。

トリプルメディア時代のテレビ広告投下量についての一考察

14 years 11ヶ月 ago

 テレビ広告の効果に関する議論は当然昔からあって、変遷しながら様々な考え方が提示されてきたが、トリプルメディア時代には、また従来の考え方と少し違ってくるように思える。
 最初に断っておくが、競合ブランドの出稿状況との兼ね合い(シェア・オブ・ボイス)は大きな要素で、投下量の最適化というのはそう簡単ではない。それは別途考慮されるべきものとの前提で、下記に考え方を記す。(今回はどちらかというとマス広告のバイイングを主にやってきた宣伝担当の方向きの話です。)

 テレビ広告の到達量と、広告認知率の相関は変数が多く、特にクリエイティブによって、またそもそものブランド力(コミュニケーション資産)によって違う。個人GRPで500%以下の投下で、広告認知率が10%しかとれないものも、80%取れるものもある。また認知率調査をすると、必ず誤認、つまり実際にはやっていない広告を認知したと答えるケースがある。まあ平均値で〇〇GRPで広告認知〇〇%ということにはなるが、さてテーマはどんな指標を目標にするかということになる。

 もちろん商品カテゴリーやブランドごと、あるいはターゲットによっても変わってくるが、しっかりした調査をしてきているブランドでは、単純な認知の先にある評価、つまり「魅力がある」と評価したり、「評判がいい」と周りの評価を認識していたり、「購入意向」、「購入実績」を抑えている。

 おそらく「続・トリプルメディアマーケティング」的な講演では、お話すると思うが、従来の意識調査で把握できる指標だけでなく、トリプルメディア時代では、行動を把握できる、そしてこのユーザー行動を指標として管理し、それをドライブさせるマーケティング施策が必要となる。(この件の詳細は別途)

 さて、こうした認知以上の指標をしっかりとると、テレビとネットを組み合わせる目的が明確になってくる。例えば、テレビCMだけで認知した人の「評価」、「購入意向」、「購入経験」と、テレビCMとWebの両方で認知した人の、同じ指標に大きな差がでている場合、「単なる広告認知者」をより多く獲得するよりは、いかに「ブランド評価者」を獲得するかを目標にする方が戦略的だと云える。というのも、ブランドを評価してくれたり、購入して利用経験をしてくれる人を獲得する方が、ソーシャルメディア空間でのレピュテーションをより期待できるからであり、逆にいうといくら広告を認知する人だけを多く獲得しても、オピニオンをもって発信してくる人を獲得できないなら、広告投資のパフォーマンスは低いと言わざるを得ないからである。

 そこで、同じ投下コストでリーチをシミュレーションしてみる。スポットの取り方や持ち単価にもよるが、あるケースだと、テレビで約3億円の出稿をしても、5千万円減らして2億5千万円にしてもリーチはほとんど変わらない。テレビを減らした分の5千万円をネット広告に投じてみると(プランの詳細は省くが)20%強のリーチが獲得できる。テレビと合わせると、テレビだけより多くののリーチが獲れる。(テレビだけでこのリーチを獲得するには約4億5千万が必要だ。)
その上で、テレビとネットの両方に接触した人の広告認知以上の「ブランド評価者」、「購入意向者」、「利用経験者」をしっかり捕捉して、どう組み合わせると単なる「広告認知」だけでなく「ブランド評価者」をより多く獲得できるかをベンチマークする必要がある。

 もちろんこれはメディア配分の議論だけでは意味がない。コミュニケーション施策そのもの(コミュニケーションプラン全体)が何を目標に設計されるかということに帰結する。
トリプルメディアの3つの円の真ん中(3つが重なっている部分)には、「統合シナリオ」というべき「コミュニケーション戦略」が位置づけられる。

 今、生活者のデジタルメディアへの接触時間は、メディア接触時間の21.6%を占めている。一方、広告費としては10%強しかないので、このギャップは埋まっていくべきものと考えられるが、単にそういうことより、「ブランド評価者」の獲得効率で、テレビ出稿やWeb施策、モバイル施策、ソーシャルメディア施策を、トリプルメディア連動という概念のなかで組み合わせることが必要である。結果的にデジタルメディア投資は増えるとは思うが・・・。

 マス広告を中心にペイドメディアへの出稿をメインでやってきた宣伝部でとっては、オウンドメディアとソーシャルメディアを考慮して組み合わせないといけないというミッションは、そんなに簡単ではない。ただ、ソーシャルメディアにも連携して「ブランド評価者」をいかに効果的かつ効率的に獲得するかということに、目標を再設定すると、到達量や認知率だけを指標にしていた時代よりは、マーケティング担当(ブランド担当)や広報担当、顧客窓口担当と連携して、同じ目標を共有して機能する「トリプルメディアマーケティング」発想に近づくのではないかと考える。

 組織体制が時代に追いつくにはそれなりの時間がかかる。この間、いくら組織体制が悪いと愚痴を言ってみても、対応できなければ担当者のせいにされるのだから、企業内で、少なくとも、ブランドのマーケティング担当者と、広報担当者と、お客様窓口担当者は、マインドと情報の共有を進めた方がいい。3者で「握る」ことをお薦めする。このあたりうの詳細は、来年の講演で・・・。

貧富の格差も問題だけど、1票の格差はもっと問題

14 years 11ヶ月 ago

 「格差社会」というワードが出来て久しいが、雇用問題やワーキングプアを問題視するマスコミは多いが、前回の参議院選挙を例に出すまでもなく、今までも放置されてきた「1票の格差」は、本当にこの国は民主主義なのかという根本問題であるにもかかわらず、なぜかメディアはこの話には鈍い。「各地に弁護士らによる原告団ができました。」程度の報道しかなく、問題意識があるとは到底云えない。

 もし、今から戦前にあったように、納税額に応じた選挙権などいう話がでてきたら、どうだろうか。マスコミも含め大反対の大合唱になるはずだ。私も当然賛成ではない。例えば、納税額に応じてあなたは1票だけど、あなたは3票分ですね・・何てことがおきたら、貧富の格差の上にそれをもっと助長すると言って、もちろん大反対でしょう?
 でも、地域によって、あなたは1票分ですが、あなたは5票分ですよ・・・ということがまかり通っている。これは基本的人権にまで話が及んでもおかしくないのではないだろうか。普通の感覚では格差が2倍以上あってはいけないだろう。
 しかし、どこか暗黙の了解として、地方は恵まれていないのだから・・みたいなところがありはしないか。「それとこれは全く別の話だ。」そんな感覚があって、是正しようとしないのはもってのほかだ。原理原則を大事にしない「日本人的見識のなさ」の代表のような話である。
 今、国会は違憲判決が出るような1票の格差で成立した参議院の勢力図で衆参がねじれている。こうした現象で起こる政局は、「こんなエネルギーがあるなら政策実施に少しでも持っていけよ」と思うことばかりである。

 地方政治でも首長と議会の2元代表制に疑問が投げかけられている。発展途上国も含め各国が台頭し、スピーディな政策実施が求められる中、あきらかに民主的プロセスが結果に劣後している日本が、実はもっとも大事な民主的プロセスである選挙の1票の価値の問題をほったらかしているこの矛盾たるや、全く・・・と思いませんか。

恣意的に「報道しない」ということ

15 years ago

 「報道の自由」や「国民の知る権利」を振りかざす一方で、マスメディアはさんざん報道を通じて特定の個人や組織を非難してきても、その後の結果が自分たちの論調と違う方向に行くと、それを無視することが非常に多い。つまり恣意的に報道しないという行動に出る。
そういう意味では実にフェアではない。
 さて、西松建設の裁判はその後どうなっているのか、小沢さんの秘書の裁判はどうなっているのか、てんで報道されない。訴因の変更が行なわれていることも報道されない。
 と思っていたら、今朝の「朝ズバッ」は傑作だった。
森ゆうこ議員の発言に対して、裁判が訴因変更になっていて検察の公判維持が難しい状況についても、コメンテーター(といっても新聞社やテレビ局の報道の幹部)が知らないということがバレた。捏造報道を指摘されて、まともな反論ができず逃げの「話のすり替え」しかできなかった。

 あらあら・・・。

 視聴者もバカじゃないので、マスコミが恣意的に報道しないことをおかしいとは感じている。ただマスコミが特定の政治勢力に加担しているとまでは思わないので、まだそれほど深刻に受け止めていない。今朝のようなやりとりを見せられると、知らないで平気で非難報道を続けているのが分かってしまって、何だろうこの人たちは・・・という印象だけ残った。何千万人の視聴に堪える見識などないのが露呈しただけになってしまった訳だ。
 どうやら陰謀を遂行するほどの、頭脳はないのが分かって、みんな安心した。という訳だ。

  ちゃん。ちゃん。

確認済み
1 時間 26 分 ago
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