なぜ、マーケティングはわかりづらいのか? 苦手意識を克服するマーケティング思考入門
マーケティング部門にいきなり配属されたけれど、「マーケターに向いてないかも……」と考えている人は少なくないようだ。ニューバランスジャパンのマーケティングを担う鈴木健氏も、若手時代にはマーケティングが苦手だった。
その鈴木氏が「Web担当者Forumミーティング 2021 春」に登壇。マーケティングプラン立案の前提知識になる「マーケティング思考」のポイントをわかりやすく解説した。
真面目な学生が、なぜ社会人になると評価されないのか?
鈴木氏は広告代理店の営業担当として社会人キャリアをスタート。広告戦略のプランナーを務めた後、スポーツ用品のブランドマネージャーなどを歴任した。2009年には現在のニューバランスジャパンへ入社。ブランドのPRや広告宣伝、販促活動全般に携わっている。
これだけの経歴を持つ鈴木氏だが、若手時代はマーケティングが苦手だったと振り返る。たとえば、「専門書を読んでもイマイチ理解が深まらない」「納得感が得られない」といたことを自身も感じていたという。
学生時代の評価と社会人になってからの評価
ここで鈴木氏は、この後の講演内容にも繋がる前提として「学生と社会人では、他者からの評価が全く異なる」という点について解説した。
学生であれば「コミュニケーション力(以下、コミュ力)はないが頭は良い」「みんなと同じことができる」「先生に言われたことを行動に移す」というタイプは、高く評価される。対して「頭は良くないがコミュ力はある」「みんなと違ったことをする」「自分で思ったことを行動に移す」タイプは、評価されない。
しかし、これが社会人となると評価が逆になる。単純に頭が良くて上司の言われたとおりのことを行っても評価されにくくなり、コミュ力があって自分の思ったことを実行する人たちの方が評価される。こうした傾向は、誰もが共感するところだろう。
「ルール」は把握しやすいが、「文化」は教わりづらい
また鈴木氏は、社会には2つの共通原則「ルール」と「文化」があり、似ているようで違うという。
「ルール」とは、法律や社内規則のように“明文化”された決まり事である。たとえば、人に暴力を振るってはならないといったことは、明らかに法律で制定されていて、誰もが遵守しやすい。
対して「文化」は、作法や行動様式と言われる部分だ。こちらは明文化されていないのが一般的だが、しかし社会生活を営む上では欠かせない。プレゼントをもらった時の反応についての法律はないが、人としてはやはり返礼すべき……といった具合だ。
ルールは明文化されているので比較的把握しやすいが、文化は難しい。先の例では、学生から社会人になる時に『文化』が変わったわけだ。それなのにルールだけ学んでもよくわからないという事態に陥る。マーケティングがよくわからないというのは、まさにこうした部分からだ(鈴木氏)
なぜマーケティングはわかりにくいのか?
鈴木氏によれば、マーケティングのわかりにくさは、次の3つに集約されるという。
1. 文化としての振る舞いにズレがある
マーケティングについて詳しくない人は、どれがマーケティングでどれがマーケティングではないのかが、わからない。マーケティングは、明文化されていない「文化」に依存する部分が多いからだ。
2. 社会学(知識)としてのルール、自社ビジネスの定義とのズレがある
本を読めば知識としての「ルール」は体得できるが、その「ルール」は自身の置かれている環境、例えば会社や職務内容によっても意味合いが変わってしまう。明文化されたルールであっても、それを自分にどう関連付けるべきかまで学べなければ、意義が薄れる。
3. モノの見方、捉え方にズレがある
そもそも論として、マーケティング的分析を行うための“目”が養われていなければ、マーケティングを理解できない。
「マーケティング」の定義
鈴木氏は、AMA(アメリカ・マーケティング協会)によるマーケティングの定義を例示した(次図参照)。
定義では、マーケティングで一般的に想起される「商品」「サービス」といった記述が直接なく、代わりに「価値を持つ提供内容」と表現されているなど、「マーケティング=社会・経済活動全般」と表現してもよいくらいの、極めて広範なものとなっている。
それだけに、知識としてではなく、マーケティングをどう自分の実務にひきつけて理解できるかが重要だ。それを促すポイントとして、鈴木氏は次の3つを挙げた。
1. 私たちが普段目にしていることを、違うモノの見方で捉えている
「これがマーケティングだ」「いや、これはマーケティングではない」という認識のズレは、モノの見方が違うから起こる。マーケティングでは、「製品」ではなく「価値を提供するもの」と捉え、「売る」ではなく「交換する」と捉えている。たとえば、投票行動は金銭支払いとは違うが、米国大統領選挙で投票を呼び掛けるのもマーケティングキャンペーンの1つだ。投票の価値と投票から得られる価値を交換しているわけだ。
2. 私たちの経済活動や商売をより大きな視点で捉えている
先述したマーケティングの定義をみると、通常の経済活動で使っている「売る」を「活動、プロセス」、「ビジネス」を「制度・仕組み」というように、大きな視点で捉えている。これもマーケティング視点の1つだ。
3. 私たち自身を含め、役割によってその対象が変わる
企業にとっての顧客は、購買者であり、消費者であり、時には仕事のパートナーにもなり得る。さらには部署異動で職務内容が変わり、その時々によってもマーケティング対象が変わるため、人によってマーケティングの認識が異なるのはある意味当然である。
続いて鈴木氏は、「マーケティングの思考」として次の3つを挙げ、解説していった。
- 目の前の現実を、違った物差しで見る
- 物差しを使うことで、現実を素早く、多様に想定し、より良い方法を見つけ出す。ただし現実とは同じではない
- 結果が出ても、どうしてそうなったのか? を追求する。次回の成功率を高め、失敗率を下げる
マーケティングの思考①
目の前の現実を、違った物差しで見る
知識の物差し
たとえばホールケーキを6等分したいとする。4等分なら簡単だが6等分するのは難しい。ここで算数が登場。次図の右のように、算数という物差し(ルール)を用いれば6等分できる。知識として知っていればなんてことはない物差しだ。
文化の物差し
一方で文化としての物差しがある。現実社会では起きてはならない殺人が、映画の中ではエンターテインメントとして描かれる場合がある。しかし映画誕生初期は、映画の中の行為と現実の行為に区別を付けられず、それがクレームになることがあった。クレームを付けた人には「映画が描いていることはフィクションである」という物差しが、時代ゆえになかったと言えよう。
マーケティングフレームワークという物差し
翻ってマーケティングの世界にも、「物差し」が多数ある。知識としては、SWOT(スウォット)、3C(サンシー)、4P(ヨンピー)、STP(エスティーピー)、PEST(ペスト)など、一般的に「(マーケティング)フレームワーク」と呼ばれるものが代表的だ。このフレームワークでモノをみると、我々の経済活動がどういうものかがわかる。
ルールの特長として、MECE(ミッシー)だという点が共通している。ある集合体の一部だけでなく全体を、重複なく、漏れなく分析するのである。なお、これらのフレームワークは物差しそのもので、どう使うかを教えてくれるものではない。
企業の文化に基づく物差し
一方で、企業の文化に基づく物差しがある。企業によって、マーケティングに期待することは、次のように異なっている。
- とにかく売れそうなことをすぐに何でもやれ
- 新しい顧客を連れてくる斬新な企画を作れ
- ライバル会社からシェアを奪え
- 既存の事業を確実に成長させろ など
企業がどれを重視するかは、時代や業界状況によっても変わるが、これがまさに鈴木氏がいう「文化」の部分だ。
『既存事業を確実に成長させてほしい』は、ある程度規模の大きい会社でよく言われる。スタートアップのように、これからやっていこうという会社ほど『売れそうなことはすぐに何でもやってほしい』と言われることが多い(鈴木氏)
次図のように、企業規模や経営戦略の違い、トップダウンかどうか、国や業種も物差しになる。
これら「文化」は、社外から把握するのが難しい。それでいて、明文化された「ルール」よりも強力に働くため、ないがしろにできない。いわゆる「成功した企業」は、ルール作りよりも遥かに困難な文化作りにチャレンジして、成果を得たケースが多いのではないかと鈴木氏は言う。
マーケティングの思考②
物差しを使うことで、現実を素早く、多様に想定し、より良い方法を見つけ出す。ただし現実とは同じではない
「マーケティングの物差し」でみるとなぜ良いのか? その1つは、仮説立案に役立つからだ。たとえばマクドナルドは、「鶏肉の消費」という大きな観点から商品を見直してチキンメニューを加え、成功した。
もう1つは、既存の常識やルールを変えることができるからだ。アップルがPCだけでなくスマホメーカーとして成功し、Amazonが書籍通販からクラウドサービスに乗り出し成果を出した背景には、マーケティングの物差しがあると鈴木氏は指摘する。
もちろん、「物差し」をフル活用して仮説を立案しても、成果が出ないことはある。たとえば、絶対いけると思った新製品のキャンペーンなのに期待通りには売れないことがある。なぜ失敗をするのか? それは、物差しで捉えたマーケティングと現実はイコールではないからだ。
いつもと違うフィルターをかけて現実を見るのがマーケティング。その仮説と現実はイコールではないし、同じだと思ったら大間違いだ(鈴木氏)
また、情報が多すぎてとりあえず手近なものに飛びついてしまう、他の選択肢が多すぎて何も決められない、といったこともある。近年はマーケティングの世界で「データ重視」「データドリブン」がしきりに叫ばれているが、データの種類や数だけを増やしても意味が無い。困難な作業ではあるが、課題解決に必要な軸を見出さなければならない。
マーケティングの思考③
結果が出ても「どうしてそうなったのか?」を追求する。次回の成功率を高め、失敗率を下げる
結果が成功したか失敗したかは、簡単にわかる。しかし「どうしてそうなったのか?」は、「物差し」は教えてくれない。
ただ、それでも「物差し」を使い分ければ、現実に起こったことを分解し、何が起こったかを学べる。つまり、成功・失敗の要因を探り出せれば、次の失敗を避け、成功率を上げることにも繋げられる。たとえば「n=1(n1分析)」「カスタマージャーニー分析」は、Why(なぜそうなったか?)を分析するために便利な「物差し」だ。
最後に、鈴木氏はマーケティング思考を次のようにまとめた。
- マーケティングとは現実を違う形で見る「物差し」である
- 物差しには、ルールと文化がある
- 物差しによって、現実ではそのまま実行しにくい、想定した考えを素早く、多様にシミュレートできる
- ただし、マーケティング物差しは現実とはイコールではない
- したがって、現実に対してはその物差しによる計画を常に実行しないとその効果はわからない
- 結果が出たとしても、どうしてそうなったか、はわからない。物差しはその検証を可能にする
- 上記の文化は属する組織や業界によって異なる
マーケティングとは、ある現実を違う形で見る・分析するための「物差し」である――これが鈴木氏のマーケティング論の核心だ。その物差しは複数あり、シーンや目的によって使い分けなければならない。また、物差しで測ったからといって100%正確な将来予測とはならず、むしろ現実と乖離する場合がある。マーケティングを万能な存在と見なすことなく、その特性を活かして使い切ることの重要性を説く講演となった。
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