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著作権侵害問題:「公正使用(フェアユース)」とは?(後編)

この記事は前後編の構成になっている。前編の記事では、公正使用について基礎的な概念に触れた。今回は、もっと具体的な見地から公正使用を考える。

私がこのテーマに関して、第1回の記事で取りあげた内容と、この記事で取り上げる内容を、簡単に示しておくわね。太字が今回取りあげる内容よ。

  • 「公正使用」とは何か?
  • 公正使用という防御が認められるのは米国だけか?
  • 公正使用は、商標、著作権、および特許法にどのように関係しているか?
  • 公正使用についての大きな問題とはどんなもので、なぜそれに注意しなければならないのか?
  • でも、言論の自由を規定した憲法修正第1条というのがあったはずだけど……
  • 他人の著作権を侵害しているのか、単に素材を公正使用しているだけなのかを見極める4つのチェック項目:
    1. コンテンツ使用の目的とその性質。商用目的のものか、非営利的な教育目的のものか、など。
    2. 引用する著作権保護作品の性質。
    3. 引用量および、その引用部分が著作権保護作品全体に占める割合。
    4. 引用が、対象と想定される市場に及ぼす影響、あるいはその著作権保護作品の価値。
  • 個別事例
    • 自分のウェブサイトでだれかの発言を引用することはできるか?
    • 制作者の名前を出せば、自分のウェブサイトに他人のグラフィックを掲載してもよいか?
    • ソフトウェアに公正使用は認められにくいか?
    • パロディは「公正使用」とみなされるか?

お定まりの断り書きだけど、私はあなたの弁護士としてあなたの立場に立っているわけではなく、また立つこともできない。ここに書くのは法的な助言じゃない。単に、法律に関する情報を提供しているだけ。もし著作権問題を抱えているなら、ちゃんと弁護士に相談するようお薦めするわ。

※Web担編注 この記事は主に米国の法律に関して述べているものであることに注意してほしい。

他人の著作権を侵害しているのか、単に素材を公正使用しているだけなのかを見極める4つのチェック項目:

米国の法律では、被告による著作権保護素材の使用が公正使用にあたるかどうかを判断する4つの基準が認められている。ただ、この基準はあくまでも一般論で(つまり実際には意味がないということ)、法廷が新しく出現した技術に法を適用できるようにと設定されただけのものだということを覚えておいてね。皆さんはおそらく小学校で、憲法は「生きた文書」だと学んできたでしょう。教師はそのことについて、米国憲法は改訂することが可能で、自由と政府を守れるよう、どんどん新しいシナリオに沿って書き換えられる、と説明したはず。合衆国法律集第17編の第107条もまた「生きた文書」なの。これは非常に幅広い分野を網羅していて、コピー機、VCR、CD、MP3、インターネット、P2P技術と、新しい技術が誕生するたびに改訂が加えられて法廷の指針となってきた。

もちろん、問題もあるわ。それは、第107条で述べられている大まかな原則が、裁判によってさまざまに解釈されるということ。したがって、4項目のチェックを適用した判例法は曖昧で、いかようにも解釈ができ、ときに矛盾を引き起こす(弁護士は皆、今この瞬間、おそらくキーボードの前で目を輝かせているんじゃないかしら。法律家というのは、答えのない問題が大好き。マジで、ほとんど病気)。これ以上言う必要はないわね……。

ある特定のケースにおいて、そこでの作品の使用が公正使用にあたるかどうかを判断するには、以下のような4つの要素が検討される。

使用の目的とその性質。商用目的のものか、非営利的な教育目的のものか、など。著作権保護素材の性質。引用量および、その引用部分が著作権保護素材全体に占める割合。そして、引用が、対象と想定される市場に及ぼす影響、あるいはその著作権保護素材の価値。

さて、個別の事例研究に行く前に、簡単に各要素をチェックしておきましょうか。

  1. 「使用の目的とその性質」要素

    最初の要素は、使用の目的とその性質に焦点をあてたものね。要するに、「公正使用」という例外措置は、非営利の教育的使用を促進して、商用の使用を抑制するためにある。

    米国憲法は、制作者が自分の制作物から収入を得る権利を保護するためにあるのだ、ということを覚えておいて(これによって、他者がそれから利益を得るのを防ぐわけね)。したがって、だれかのコンテンツを拝借して、それでお金を儲けようとすれば、それが公正使用であることを証明するのはかなり苦しい戦いになる。でも、それは容易ではないだけで、不可能ということではないわ。

  2. 「著作権保護作品の性質」要素

    第2の要素は、コンテンツの性質に注目するの。それが科学的なものや、伝記的なもの、あるいは歴史的なものの場合(この対極にあるのがエンターテインメント)、一般大衆はその情報へのアクセスに対する興味がより大きいと考える。公正使用の目的は、知識の獲得を奨励することなので、より公共放送的なものや学術的なもの、科学的なコンテンツに対しては、法廷は公正使用と判断する可能性がそれだけ高くなる。したがって、楽曲やコンピュータ・グラフィック、ハリウッド映画などの素材を拝借した場合は、法廷は公正使用の適用を認めない可能性が高くなるの。

  3. 「全体量に対する使用量の割合」要素

    第3の要素は、被告のコンテンツ拝借量が、公正使用の目的の範囲にとどまるものか否かをチェックするよう法廷に求めている。言い換えると、だれかのコンテンツを借用する場合、調子に乗ってはいけないということ。自分の趣旨を伝えるのに必要な分だけ、控えめに拝借するようにしなければならない。他人のウェブサイトにあるコンテンツを、ごっそりまとめて取ってくれば、公正使用と認められる確率がきわめて低くなるわ。でも、ここから少し、あちらから少しというのであれば、おそらくオーケーね。さらに、その引用コンテンツに何かコメントを付け加えたり、批評していたりすれば、なおさら大丈夫ということになるの。

    たとえば私が、ある本のレビューをSEO Strategiesに書く場合、その本の一部を引用できる。そして、その引用部について、何か鋭い意見や気の利いたコメントを挿入できれば、それがベスト。けれども、その本から大量に記述を抜き取ってきて、SEOmoz.orgのサイトに貼り、それを「レビュー」と称して公正使用だと認めさせることはできないのよ。

  4. 「想定される市場に及ぼす影響」要素

    これは、私も含めてみんなが最も好む要素ね。これは、コンテンツの借用が、制作者の作品が対象とする市場にマイナスの影響を及ぼせば及ぼすほど、その使用は公正と見なされにくくなるということを表すものよ。

    たとえば、他のだれかがそこから儲けを得ようとしているグラフィックを取ってきて、それをあなたが自分のサイトで無料提供すれば、あなたはその人の収入源を著しく傷つけたことになる。他人の作品を複写だけしてそのまま使ってはいけないの。そのようなことをすれば、あなたは二次製品を作り上げて、所有者がオリジナル作品から収入を得るのを妨げていることになるからよ。取ってくるのは、作品のごく一部か、あるいは重要でない部分(できればその両方が望ましい)にとどめ、著作権者の作品を完全に奪うのではなく、敬意を表するような形にするのが望ましい。何か「手を加えられて」いたり、そこに新たな「生産的なもの」が見つかれば(その反対が単純な複写)、第107条に基づいて「公正使用」と認められる可能性が高くなるわ。

OK。法廷は、これら4つの要素を検討することで各事例の判断を下す。でもその結果、裁判官によって判断結果が異なることがよくあるの。

個別事例

さあ、ここからは、公正使用に関する実際の事例をいくつか見ながら、このテーマをより身近なものにしていくことにしましょう。

自分のウェブサイトでだれかの発言を引用することはできるか?

一般論として、ほんの少し引用して、オリジナルのソースについて何か興味深いことを書くだけならば、著作権侵害で訴えられることは決してない。

それはなぜかと言うと、引用が非営利的なもので、学術的であり、量は最低限にとどめ、単なるオリジナルのコピーではなく、原作に対する敬意をもった形であれば、潔白と見なされやすいということを思い出してほしい。たとえばここに、俳優ブラッド・ピットと女優アンジェリーナ・ジョリー夫妻のインタビューがある。これは明らかに学術的な内容ではないわ(あなたのブログの記事が、現代文化の活気のなさについてのものでない限りはね)。この事実は、間違いなくあなたにとって不利に働く。だけど、あなたが自分のブログで利益を得ようとはしておらず、引用は最小限にとどめていて、このインタビュー全体が対象とする市場に損害を与えていなければ、公正使用と認められる確率はきわめて高くなるの。

でも、あなたがティーンの女の子向けのファッション雑誌からインタビュー記事を大量にコピー&ペーストして、自分の有名人ゴシップブログに掲載し、そのサイトで広告料を受け取ったなら、高価なスーツを着た男性(弁護士)から抗議のメールが届くのを覚悟しなければならない。それでもどうしても掲載したいという場合は、最初に許可を取っておくことね。

制作者の名前を出せば、自分のウェブサイトに他人のグラフィックを掲載してもよいか?

グラフィックもほんの一部であれば、使用しても問題はないと思うわ。だけど、全部は使えないと思っておいたほうがいい。オリジナルの作者の名前を載せるか載せないかは問題ではないの。フルサイズで他人のグラフィックを使用するには、許可を得る必要がある。ただし、一部でも、それを商品にできる市場があれば、この線引きが変わる可能性もあるのよ。

詳しくは、Kelly対Arriba Soft Corporationの裁判、336 F.3d 811号(2003年、カリフォルニア州第9巡回裁判所)を参照して。

ソフトウェアに公正な使用は認められにくいか?

競合相手が、ソフトウェアの機能を調べるだけの目的で、オブジェクト言語を通じてソフトウェアのベースとなっている発想にアクセスし、それをソースコードに変換するのであれば、公正使用の範囲内と見なされる。憲法修正第1条の議論を思い出して。アイデアとアイデアの表現は明確に区別されているの。アイデアは著作権で保護されない。けど、アイデアの表現であれば保護される。この理屈に従って、ソフトウェアの機能のし方(アイデア)を明らかにするリバースエンジニアリングしたオブジェクトコード(アイデアの表現)は、現行の著作権法で認められるとの判断を下した法廷が、過去に少なくとも1つあるわ。興味があれば、Sega Enterprises対Accoladeの裁判、977 F.2d 1510号(1993年、第9巡回裁判所)の記録を読んでみてちょうだい。

このように、プログラムの分解あるいは逆コンパイルのプロセスは、著作権で保護された素材の無防備なエレメントを明らかにするのに必要な範囲までなら、公正使用として認められている。

パロディは「公正使用」とみなされるか?

Learnedhandのおかげで、大半のパロディは公正使用と認められるようになった! 「SNL」がなかったら、私たちはどうすればいいっていうの? ただ残念ながら、公正使用が認められるのは「大半の」パロディであって「すべて」ではない。悲しいかな、すべての裁判官がユーモアのセンスを持ち合わせているわけではないの。なかには、オリジナルのソース自体がパロディの「対象」や「標的」である場合のみ、パロディに公正使用が認められると考える裁判官もいる。著作権保護作品が、単に何か他のものを批判するための武器として使われているだけなら、それは公正使用と認められないかもしれないわ。

もっと詳しく知りたい人は、Dr. Seuss Enterprises対Penguin Books U.S.A.の裁判、924 F. Suppo. 1559号(1996年、カリフォルニア州南部地方裁判所)の事例をチェックしてみてほしい。この件では、被告のPenguin Booksが、『The Cat in the Hat』の深いテーマについてコメントすることなく、Seuss博士の韻、イラスト、リズムを、O.J.シンプソンの殺人事件公判に流用した。この訴訟において法廷は、公正使用を主張する被告の弁解は認められないとの判断を下したの。

この判例を支持する裁判官は、パロディは単におもしろいだけではいけないと考えているのね(ブーッ!)。オリジナルの作品に対して、何らかのコメントや批評を加えなければいけない、ということみたい。つまり、パロディにコメントや批評の意味合いがなければ、それは本当にオリジナルをベースにした単なる派生物になってしまい、許可が必要になる、ということのようね。

皆さん、これで公正な使用に関する記事を終わりたいと思うの。なんとか皆さんの役に立つよう努力したつもり。だから、皆さんに有益だったと思ってもらえると嬉しいな。

いつものように、質問や気になることがあれば、コメント欄、メールあるいは郵便で知らせてね。

それでは、ごきげんよう。

サラ

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