マーケティングに原体験は必須なのか? 心やデータとの対話の先に見えるものとは
こんにちは、テレビ東京の明坂です。
先日、「顧客インサイト(潜在的な欲求、感情、動機)をどうやって押さえるのか」というテーマでオンラインセミナーを主催し、多くの方にご視聴いただきました。
セミナーでは元エステー株式会社でマーケティングの責任者をされていた鹿毛康司氏を招き、過去、「消臭力」をはじめとした、広告予算規模や知名度では競合に及ばないところからスタートしたプロダクトを、プロモーションによってどのように市場に浸透させたのか、その際にどのようにして顧客のインサイトを意識したのかというポイントについて伺いました。
今回はそれを受けて、どうしたら顧客のインサイトが見えるのか、顧客のインサイトを見るために必要な経験というものはあるのか、について考えてみたいと思います。
人生で自分が今の道を歩むことになったターニングポイント
みなさんは今の仕事、もしくは初めて社会人となる仕事を選んだとき、どのような動機で道を選びましたか? たとえば、「幼い頃病気をしたとき、親切な看護師や医者に助けられたことから、自分も将来医療従事者を目指すようになった」といったようなものです。
私の話をしますと(やや思いが熱いので、長いですがご容赦ください)、思い返せば小学生だった10歳のころ、任天堂スーパーファミコンで『タクティクスオウガ』というゲームをプレイしていたときのことでした。
『タクティクスオウガ』は、シミュレーションRPGというジャンルのゲームで、複数キャラクターで編成された自分のチームを率いて、「1キャラずつ移動」「攻撃」「スキル」など行動を指定しながら相手軍と戦闘を行い、舞台となっている島の制圧を目指す、という、単純に言えばそんな内容です。
キャラクターごとの能力、特性はもちろん、地形や天候、運の要素まで含めて、膨大な変数が存在するなか、相手の行動の何手も先を予測して行動しなければチュートリアル(基本的な操作方法を学ぶステージ)であるはずの1面すらクリアできない。そんな難易度の高いゲームでした。
ですがその分、攻略できたときの達成感はひとしおであり、友人が何度やっても詰んでしまう面を代わりにクリアしてあげたりをしているうちに、「あぁ、自分はその場に存在する様々な変数を理解した上で、先の先まで見通して物事を運ぶことが好きだし、周りの友人と比べても得意なんだな」と気づきました。
結果として、小学校の卒業文集では、将来なりたい職業に「プログラマー」と書き、実際に新社会人になるタイミングでは(ゲームではないですが)SIerに就職し、主に一般消費者向けWebサービスのプログラマーとして働きました。
システム開発の仕事は楽しくやっていましたが、その後、マーケティングに軸足をずらすことになり、マーケティングにおいても戦略を練って実行するという楽しさに関しては、幼い頃感じたものと同じような感覚があります。
話をインサイトに戻しますが、なぜ、このような話をしたかと言うと、セミナーの後半、視聴者からの質問コーナーの中で次のような質問があったからです。
インサイトをつかむ能力は、小さい頃の欠落感が創り出した特技のように思っており、大人になってから身につけるのは難しいと思っていますが、訓練したらできるようになると思いますか?
※いただいた原文とは表現を変えています。
これに対して、鹿毛氏の回答は次のようなものでした。
私も最初はインサイトがよくわかっていなかったが、大人になってから母親を亡くしたときに、大きな喪失感の中で人の心について深く考えるようになった。大人になってからでも、きっかけがあれば向き合えるのではないでしょうか。
私としては質問した方のおっしゃっている気持ちもよくわかります。私も母子家庭だったため、小さい頃はひとりで過ごすことが多く、学校でも他人の気持ちを推し量ったり、なぜこの人はこのような考え方をしているのか、ということを真剣に考えたりしていました。
あくまでそれはシャドーボクシングみたいなものではあり、フィードバックを通じて実績が積み上がっていく訓練ではないですが、結果として人の心の中に何があるのか、こういったアクションで働きかけると人の心はどのように動くのか、ということを考える仕事をするきっかけとしては十分な経験だったと思います。
「そういった原体験がないとインサイトをつかむことはできない」ということではありません。ただ、そういった原体験は仕事をしていく上でのスキルを得ることや、やる気、面白さを通じてモチベーションを得ることにプラスに働かせることはできると思います。
また、自身に強力に印象が残る原体験は、時に仕事に行き詰まったり、キャリアを見つめ直したりする際にも標となるものだと思います。大人になって忘れていることもあるかもしれませんが、なぜ自身が今の仕事に面白みを感じているのか、改めて振り返ってみることも時には役に立つのではないでしょうか。
存在しないデータの先は、想像と対話で埋めていくしかない
鹿毛氏は、私が大学院でマーケティングを学んでいたときの恩師の一人なのですが、それ以外にも、マーケティング関連の授業の中でいまだに覚えている話がいくつかあります。
ある日の授業で、前述の質問にもあったような、「○○という経験をしているから得られるスキルなのでは?」と同じ話で、「自身がその製品のターゲットでなく原体験も持ってない場合、インサイトを捉え、理にかなった戦略を考えるのは難しいのでは?」と質問した学生がいました。
それに対して鹿毛氏は、このように答えました(記憶の中なので細かいニュアンスは違うかもしれません)。
データや経験がないものをマーケティングしないといけない機会なんて、世の中には山ほどある。
子どもがいない人が赤ちゃん用品のマーケティングをしていることもあれば、男性が女性用下着のマーケティングをしていることもある。
経験があることは重要な要素かもしれないが、存在するデータや、(データがない場合は)推測や想像を働かせてロジックを組み立てていくことが求められるのが、実務としてのマーケティングである。
たしかに、そもそも世の中に「既存の市場がない、誰にも経験がない、だからできない」と考えていたら生まれてない製品はいろいろあります。それこそiPodやiPhoneのように、製品として市場に生まれた瞬間から、コアな価値が高く完成された製品は生まれようがなかったと私は思います(付加価値は継続的に進化し続けていますが)。
世に出た瞬間から完成度の高いアイデアが詰まった製品は、利用するであろう人の気持ち、インサイトを深く推測し、作っている人自身の心の中で自己対話した上で生まれていると思います。
インサイトのつかみ方については、一つに定まるべき答えもなく、終わりのないものではあります。「結婚において(中略)交わりのほとんどの時間は対話である」というニーチェの言葉にもあるように(『人間的、あまりに人間的』406節)、生涯をともにする相手であっても長い年月をかけて対話をし、理解をしていかなければなりません。
マーケティングも自身の心と顧客の心との長い対話であると考え、常に理解への努力を積み重ねるという姿勢の先に、インサイトは見えてくるのではないでしょうか。
本テーマやそれ以外についてもくわしく聞きたいこと、などあればぜひお気軽に私のTwitterアカウントへリプライをいただければ幸いです。
それでは。
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