お客を“お客さま”だと思わないことが商売に大切だと、やっと気づいた
今日は、「お客さん(顧客)」のとらえ方について。メディアやセミナーで漠然と「お客さま」に対応していた私ですが、その「お客さま」というとらえ方が、実はよろしくないのではないかと思ったのです。
タイトルの「お客を“お客さま”だと思わないこと」を見て、「あれでしょ、三波春夫さんの『お客様は神様です』の否定でしょ」と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではありません。
この記事で伝えたいのは、こういうことです。
お客さんを「お客さま」ととらえるということは、そういうラベルを付けてグルーピングして「マス」としてとらえていることであり、それぞれニーズが違いキモチや感情をもつ個々の人としてとらえることから逃げているのではないか。
お客さんを「お客さま」という広い枠組みでとらえるのではなく、個々の人としてとらえていくのが、商売の本来あるべき姿のはずだ。
これには背景があります。
Web担ではセミナーや講座をよく開催しています。私もその会場に行き、来場者さんと話すなどしています。
しかし私には「人の顔と名前を、なかなか覚えられない」という残念な欠点がありまして、以前にご挨拶したことがある方と話してもそれを覚えておらず、「ホントに覚えられない人間でして、すいません」と言い訳をしていました。
しかし、ふと気づきました。
いろんな人と話をしても、それぞれの人をすべて「セミナーの来場者さん」「Web担の読者さん」だと認識していて、個々の人だと認識しようとしていないから、覚えていないんじゃないかと。
だって、筆者さんとか講演をお願いした講師さんは、ちゃんと名前を覚えているわけですからね。
少し話は変わりますが、Webとかマーケの仕事をする人が読んでおくべき書籍を1冊挙げろ言われたら、私はデール・カーネギー氏の『人を動かす』を薦めるようにしています。1936年に出版された書籍ですが、今でもその価値は光っています。
その第2部第3章が「名前を覚える」なのです。
私が人の名前を覚えられないことに対して、「忙しいし、たくさんの人に会ってるから仕方ないですよね」と言ってくださる方も多いのですが、『人を動かす』では次のように言っています。
大抵の人は、他人の名前をあまりよく覚えないものだ。忙しくて、覚える暇がないというのが、その理由である。
いくら忙しくても、フランクリン・ルーズヴェルトよりも忙しい人はいないはずだ。
ナポレオン三世は、大ナポレオンの甥に当たる人だが、彼は、政務多忙にもかかわらず、紹介されたことのある人の名は全部覚えていると、公言していた。
つまり、ルーズヴェルトやナポレオンのような、私の数倍も多忙な人でも、努力をして人の名前を覚えているというのです。
個々の人をちゃんと認識してその名前を覚えるというのは、どれだけ忙しくてもできるはずだということです。「忙しい」は言い訳なんですね。
話は元に戻ります。
デジタルの世界では「One to Oneマーケティング」「顧客から個客へ」のように、平均的な顧客に対するコミュニケーションではなく、それぞれのお客さんの属性や過去の行動をふまえたコミュニケーションを行っていくという流れがあります。
これは、マスとしての「お客さま」ではなく、個々の人ととらえる仕組みです。
そりゃそうですよね。高校生のときに通っていた喫茶店のマスターが名前や好きなメニューを覚えてくれていたことは嬉しかったですし、数年ぶりに行ったラーメン屋で「あら、ホントに久しぶりですね」と言われればちょっと嬉しくなるわけです(当てずっぽうで言ってるんだろうなと感じたとしてもね)。
One to Oneマーケティングは、そうするほうがROIが高くなるからという理由はあるものの、本質的には「商売とは本来そういうものである」という背景があって、それをコンピュータで実現しているもののはずです。
コンピュータがあればOne to Oneの仕組みは実現していけますが、それを使う人間のほうが顧客を「お客さん」というマスとしてとらえていては、本末転倒ですよね。
今後、私は、「Web担の読者さん」「セミナー来場者さん」というとらえ方をするのをやめて、できるだけ個々の人としてとらえていこうと思っています。
もちろん、1人の人間が数十万人の読者さんを個別に把握して理解するのは、現実的には無理ですし、セミナー来場者さんのなかには「そういう対応が鬱陶しい」という人もいるでしょう。
個々のコミュニケーションを優先してしまうと、サイレントマジョリティの声や反応をとらえきれなくなってしまう可能性もあります。
でも、「お客さん」というマスなとらえ方から、一歩脱却してみると、何か見えてくるんじゃないかな、と思っています。
オチとか結論とかなくてすいません。
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