『サイバービア』/ネット社会で電脳郊外への移住が始まっている【書評】
BOOK REVIEW Web担当者なら読んでおきたいこの1冊
『サイバービア――電脳郊外が“あなた”を変える』
評者:森山 和道(サイエンスライター)
ネット社会の郊外=サイバービアへの集団大移動が始まっている
デジタルコミュニケーションの本質を原点に戻って捉え直す意欲作
書名の「サイバービア」は著者の造語である。人々はネットの中でかなりの時間を過ごすようになった。「暮らす」というのはもはや比喩ではない。ブログ、SNS、Twitter、Tumblrなどの例を出すまでもないだろう。人は自ら望んで情報のノードとなり、巨大な情報ループの中に自らを埋め込んでいる、と著者は言う。かつて人は生活の質を向上させるために、都会から郊外(サバービア)へと積極的に移り住んで行った。窮屈な都会を抜け出し、郊外で羽を伸ばし、人々と連帯を深めようとした。いま、それと同様の現象がネットを舞台に起こっている、というわけだ。
本書は、こうして生まれた「電脳郊外」でいま何が起こっているのかを紹介するだけではなく、より深いレベルでデジタルコミュニケーションの本質について、もともとのサイバネティックスの意味や歴史から振り返って考え、捉え直そうとした本である。
本書全体の背景には、情報をやりとりし共有することに夢中になるあまり、人々はある種の自動機械のようになっているのではないか、という著者の懸念があるようだ。人はネットワークでつながることを大事にしすぎるあまり、普段は言わないようなことも仲間たちの間ではつい言ってしまったりする。そしてそれが瞬きする間に次から次へとノードを超えて伝わっていってしまう。
ゆるいつながりのネットワークがインターネットの中では生まれては消え、生まれては消えていく。ネットワークの紐帯ひとつひとつの強度は弱く、すぐに切れてしまうこともある。だが、ネットワーク全体は、つながりが生まれるたびに強くなる。こうして、人々がゆるくつながってやりとりを繰り返すネットワーク、著者が言うところのサイバービアは拡大していった。そのアイデアの根本には、ノーバート・ウィーナーによるサイバネティックスの考え方、すなわち連続した情報のフィードバック・ループがある。
人間同士のコミュニケーションについて書かれた本書を通読し、改めて「ネットワーク」というアイデアの面白さと歴史的意義を実感した。歴史話は知っている読者からすれば当たり前すぎるくらい当たり前だが、ときどき振り返って確認することも大事だ。
確かに、自分自身を振り返ってみても、多くの情報を浴びてはいても、実際には届いた情報を右から左へと次々に受け流していくだけで、あまり深く物事を考えていないことが少なくない。
ただ、情報を流していく行為そのものが楽しく、かつ意義があるという側面もインターネット関連技術には確かにあるように思う。かつてマクルーハンは「ツールが人間を作る」「メディアはメッセージだ」と語った。つまり、人間が作り出したメディアの機能、メディアそのものに意味があると述べた。同様に、ネットやコンピュータ関連機器を使うことそのものを志向させる傾向が、いまの技術にはある。そしてその志向そのものが、ネットに情報を集めていく。情報の集まったネットはさらに吸収力を持ち、ブラックホールのように情報をさらにさらに吸い上げていく。そういう傾向があると思う。
その中で人間は情報のノードとなる。フィルタリングするだけの単なるスイッチとなるか、情報にさらにスピンをかけて付加価値をあげるノードとなるか、それは各人の生き方次第である。
著者は、「人間らしさ」とは情報ループのなかでグルグル回ることではなく、「目的を持って前に進んで行くこと」だと「あとがき」で語っている。「サイバービア」は実現してみたら、夢見たような平等社会ではなかった。インターネットでの検索履歴は犯罪の証拠としても見られるようになっている。だが、今さら後には退けない。人生を良くするために、絶え間なく電子情報ループをどのように制御していくべきなのか。各人が目的を持ち、人が人らしく生きることを助けるために、新しい観点での制御理論が必要なのかもしれない。
ソーシャルもやってます!