コンテンツは現場にあふれている。会議室で話し合うより職人を呼べ。営業マンと話をさせろ。Web 2.0だ、CGMだ、Ajaxだと騒いでいるのは「インターネット業界」だけ。中小企業の「商売用」ホームページにはそれ以前にもっともっと大切なものがある。企業ホームページの最初の一歩がわからずにボタンを掛け違えているWeb担当者に心得を授ける実践現場主義コラム。
宮脇 睦(有限会社アズモード)
心得其の398
嘘つきばかりの世界
「文章の巧さ」は、嘘の巧みさに比例するといっていいでしょう。「直木賞」や「芥川賞」の受賞者は、文化人の仲仲間入りをしますが、小説とは架空の人物が活躍する、存在しない世界の実際には起こっていないできごと。もし、ありのままの事実の描写以外を「嘘」だとするなら、小説家はみな「嘘つき」です。
小説家だけではありません。新聞記者やコラムニスト、雑誌編集者など、文章に関わるすべての人間が「嘘」と向き合って商売をしており、私もその1人です。文章には一定量の「嘘」は避けられず、人の心を動かす文章を書くためにも「嘘」は必需品です。
ところが、小学校や中学校での作文の授業では、見たまま、感じたままを書けと指導されます。そこには「嘘をついてはいけない」という道徳的規範があるのかもしれません。昨年の流行語をなぞるなら「ありのまま」にですが、根本的に間違っています。
すべてが嘘といっては誤解があるかもしれませんが、Web担当者も嘘に手を染めているものです。ありのままを述べただけの文章などだれも読んではくれません。何かしらの脚色、演出、編集の手は入っているものです。
ありのままの日常
「ありのまま」の実演として、「ミヤワキの日常」を紹介するとこうなります。
午前4時05分に起床すると、まず仕事部屋へ移動し暖房をいれる。
午前5時ごろまでテレビのニュースやメールをチェックし、午前6時50分まで執筆作業にかかってから、モーニングコーヒーを飲み、日経新聞、読売新聞、産経新聞の順で読み進める。同時にNHKのBSプレミアムで、朝の連続テレビ『梅ちゃん先生』と『マッサン』を鑑賞。
7時45分から愛犬「さくら(黒柴♀4才4ヶ月)」の散歩へ。日暮里・舎人ライナー「見沼代親水公園駅」前のセブンイレブンで「週刊ポスト」をチェック。購入するまでもない記事と確認し、書棚に戻して帰宅。途中、舎人三丁目×番×号角で愛犬が落とし物をし、これを回収。帰宅後は……。
文章表現は嘘ばかり
抑揚のない平坦な文章に不用な記述ばかりで、何を伝えたいのかさっぱりわかりません。しかし、私の日常を「ありのまま」に描写するとこうなります。
動物園への遠足の感想文で「学校に行った。9時にバスに乗った。11時に動物園に着いた。カバとサイとイタチを見た。12時にお弁当を食べた」と、箇条書きのような作文を子供が書くのも「ありのまま」で、読書感想文が「あらすじ」になるのも「ありのまま」が理由です。
「文章が書ける人」は「ありのまま」に書いていません。私の日常など、
早起きして原稿を書いてから犬の散歩にでるのが日課だ
という一文でこと足りるように、時系列を整理し、人物を抹消し、出来事を省略し、必要とあればエピソードを追加します。さらに移動経路を改ざんし、自然現象や人間の体まで作り替える……すなわち「嘘」が随所に散りばめられているのです。
慣用句には嘘がいっぱい
反対に「文章が下手な人」は、論旨に不用なキャラクターを登場させ、無駄なエピソードを交えて読者を混乱に導きます。才能の有無ではなく、作文の授業による「ありのまま」の呪縛です。
「ほっぺたが落ちる」とは、美味しさの表現ですが、私はいまだかつて、この現象を見たことも経験したこともありません。「首を長くして」といえば東南アジア山岳地帯の部族の女性に見つけますが、彼女らを指す言葉として用いられることはありません。「風の便り」が本当に聞こえたら、耳鼻科か心療内科の受診をオススメしますが、これらの表現が文章に登場しても不自然に思う人はいないでしょう。
わざわざ揚げ足を取ってみせたのは、「慣用句」1つとっても「ありのまま」ではないということです。
読者の印象を絞り込む
箇条書きの作文だった動物園の遠足において、カバを見た印象が強烈だったとします。ならばカバをフィーチャーし、サイやイタチの存在を忘れるのが「巧い文章」の基本で、読者が受けとる印象を「カバ」に絞り込むための技術です。あるいは、
カバしか目に入らなかった
と描写します。「ありのまま」からみれば「嘘」で、カバしか目に入らなければ柵にぶつかりますし、帰りのバスに乗り遅れますが、文章表現としてなら許されます。
すっかりカバの虜となり、その場を離れがたくなった僕がいました。泣く泣く立ち去る僕を見て、切なげな表情を浮かべたかに見えたカバは、僕の気持を理解したようだった
このように表現して、言葉のままに納得するのは畑正憲さん(ムツゴロウ)ぐらいでしょうが、これまた「ありのまま」ではないから表現できるカバへの愛情です。
“人を動かす”ために
前々回、文章は「人を動かす」ためにあるとし、具体的なターゲットを想定する方法を紹介しました。同様に、「嘘」も「人を動かす」ための技術です。
主旨への理解を促し、感情を共有するために「嘘」を使います。そしてお気づきでしょうか? これまでの説明も技術的な「嘘」の利用です。カバ好きの子供も、遠足もフィクション=嘘だからです。読者への理解を促すために、作り出した仮想空間において、筆者は嘘つきな神となれるのです。
カバの教え
念のために明示しておきますが、人を傷つけ、陥れ、不正な利益を得るための「嘘」を奨励しているのではありません。文章表現のおける「嘘」は「技術」であり「武器」だということです。一時期流行った映画のキャッチコピーに「全米が泣いた」というものがありましたが、米国のすべての人がその作品を見ているわけがありません。実際の映画で例を挙げれば、
君はまだ、究極のサッカーを知らない
とは、龍や虎が実体化して暴れ回る「少林サッカー」のものです。いまだ人類は「気」の「物質化」に成功していません。街には「嘘」が溢れています。しかし、誇張や強調と呼ばれる「嘘」は文章技術の1つです。そして「ありのまま」ではない「嘘」に自覚的になると、文章表現の幅が拡がると同時に、情報を咀嚼するリテラシーが格段に向上します。
とはいっても、健全な市民生活を送る人がいきなり嘘はつけないものです。そこで「ありのまま」ではなく……と次回に続きます。
今回のポイント
文章に嘘は必需品
作文はありのままではダメ
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