ネットメディアが一般書を出す!? ハフポスト竹下編集長が考えていること
ライオンのマーケター 内田佳奈さんが、今会いたいと思う人にインタビューする本連載載。今回、内田さんが会いにきたのは、ハフポスト日本版の編集長 竹下隆一郎さん。どうしてかというと、本が売れない時代にネットメディア発信で本を出版された竹下さんに、いろいろお聞きしたいことがあったから。というわけで、中学校をリノベーションしたという、どこか懐かしい雰囲気をもつハフポストのオフィスで、本好きなお二人の対談が始まりました。◎撮影:吉田浩章
人の集まる場を提供するのがメディア
内田: 今日は、ハフポスト日本版の竹下編集長とともに、「メディアの在り方」とネットや本を通した「教養の身につけ方」についてお話しできればと思っています。ネットメディアが一般書を出される理由や、「ホストクラブで読書会」などのユニークな活動についてもお聞きしたいと思います! まずは竹下さんの略歴から教えてもらえますか?
竹下: ぼくは3歳くらいから中学校まで、アメリカで育ったんです。アメリカのなかでもニューメキシコ州とコネチカット州に住んでいたんですが、ニューメキシコ州はメキシコに接したところで、貧困地域もあるし、ヒスパニック系の方など多様なバックグラウンドをもった人がいました。東海岸にあるコネチカット州はエリート層が住むところでした。そのあと、シリコンバレーにも1年間いましたが、そこは「開拓者精神あふれるアメリカ」という感じの場所。同じアメリカでも地域によって雰囲気が違います。こんな経験から、ハフポストの記事に触れていただく読者や、インタビューさせていただいく相手の「立ち位置」を考えるようにしています。大きくいうと、相手が「海に面しているところに住んでいる人」なのか、「内陸の人」なのか、「国境に面しているところに住んでいる人」なのか、などなど。普段みえている景色によって考え方って大きく変わるというのが小さいころから身にしみて感じていることです。
内田: 人種も価値観も違う場所での経験が、仕事の考え方へも影響を及ぼしていそうですね。ハフポスト日本版の前に所属されていた朝日新聞社時代には、どのようなキャリアを歩まれて、何を考えていらっしゃったのでしょう?
竹下: 経済部の記者をしていました。そのときに「メディアを再定義しなくてはいけない」と思ったんです。情報を発信するだけとか、権力を批判するだけではなくて、「人の集まる場」になれないかと。それで、連載も自分で書くのではなくて、地域の人たち十数人を集めて1本ずつ記事を書いていくとか、データマイニング社と一緒にTwitterを400万件くらい分析したこともありました。
Twitter上に自民党って何回書いてあるのか、民主党っていうつぶやきが何個あるのかを選挙前に分析して、自民党の方が多かったときには、実際に自民党が勝ったんですよ。もちろん100%正確な世論調査ではありませんが、勉強になりました。メディアはこれまで、自分たちから出向いて、多くの人にインタビューなどをして、社会の声を「聞きに行く」という発想でしたが、これからの時代はSNSによって、そうした声が、メディアが聞きに行く前に、「すでに自然と集まっている」ということを体感しました。「集まる」とか「場所」が自分の中でキーワードになりましたね。
編集長になって、抽象的なところで戦えるようになった
内田: 記者時代、メディアの役割は「人が集まる場の提供にある」と思われたということですが、ハフポスト日本版の編集長という立場になったときに、何か変化はありましたか?
竹下: ごまかさなくなりましたね。たとえば、私は「パブリックな場を作りたい」からメディアをやっているのですが、こういうことをと正直に言えるようになりました。記者時代は、年齢が離れた上司を「説得」する必要もあり、意図を隠してわざと違う表現をするんです。たとえば、数十人から連載記事を集めることも、「日曜日の紙面が埋まりやすくなります」、「デスクが楽になります」とか、「これをやると一面の記事になります」、「今まで提携してこなかった会社とつながることで人脈が広がって、将来の取材につながります」とか。でもそういったことは建前で、本当は、パブリックな場を作りたいとシンプルに思ってやっていたんです。
日本の会社は、「抽象度の高い会話」に向いていないと思うんですね。ビジョンを示してから具体的な施策に落とし込むのではなくて、すぐに具体的な施策を組み立てようとしてしまう。でも、戦いの場はそこじゃないと思うんです。今は編集長という立場があり、抽象的な場で戦えるので、そこは大きく変わったところです。わざと、わかりにくい話を多くしてます。
内田: 会社員として、「すぐ目の前の成果」につながるような具体性が求められる点はとても共感します。企画を通すためにいろんな言い訳をしてしまいます……。メディアとしては、抽象度を上げるとどういった変化が生まれるのでしょうか?
竹下: 抽象度をあげると、人々の間にある枠がとっぱらわれるので、話し合いやすくなります。職業も年齢も思想も違う人々が、抽象化されたテーマに集うことができる。抽象度を上げるからこそ人が集まってこれるし、そういう場を提供することがメディアの役割なんだとずっと思ってるんですよね。
たとえば、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展」が中止になったニュースがありました。展示されていた「少女像」に関する評価など、具体的な中身に関して話すことも大事ですが、そうすると歴史認識やイデオロギーなど議論が詳細になり、対立も起きてしまいます。でも、それを「表現の自由」と一度抽象化すれば、左派だろうが右派だろうが、「自由に言いたいことをいって、お互い気持ち良く会話ができる社会はどう作れば良いんだろうか」と話し合うことができると思うんです。ほかのニュースも「表現の自由」の問題としてとらえると見え方が変わってくる。
だから「仕事の話」も同じで、「もっと具体的に言え」と上司が口にしてしまうと、必然的に会話がせまくなってしまいます。抽象的な話の方が自由に議論できるし、ちょっとお互いに誤解があったほうが考えが広がります。
発信したいから人はメディアに集まってくる
内田: 「人が集まってくるパブリックな場」ということの他に、メディアとして大切にされていることは何かありますか?
竹下: 1つはハフポストブックスの最新刊でも、マザーハウス代表兼デザイナーの山口絵理子さんが主張されている「サードウェイ」ですね。これを山口さんの文脈とは少し離れて、自分なりに解釈すると、今までのメディアでは、何か問題があるとAとBという2項対立があると考えて、AもBも両方を平等に紹介するんです。でもうちはあえて、「AもBもある、でもCもあるよ」というポジションをとろうとしています。しかもそれはポジティブであるようにしています。
内田: なるほど。平等ではなく、新しい選択肢ですか。そう言われると、ハフポストが出している本も、何となくサードウェイを感じるテーマが多いようですね。
竹下: サードウェイをとるのはとても難しいですが、あえて「共感しない」ということも時には大切になってきます。ニュアンスをとても伝えにくいのですが…。「個人としては共感しても、職業としてはあえて距離をとる」ということもプロとして行うこともあります。共感しすぎてしまうと、AもしくはB側についてしまいますから。Aも、Bも、一度徹底的に好きになったうえで、あえて両方から距離を置くからこそ、Cという新しい選択肢が生まれると思います。
この「サードウェイ」と、もう1つ大事にしたいことが「集まった人たちが何をしたがっているのか」と考えることです。かつての「メディアは情報が欲しいから人は集まるんだ」と考えていましたが、今は「発信したいから人が集まってきている」。出版の売上は下がっているけれど、発信したい人は増えているんですよね。それを支援するのがメディアで、一緒に発信するお手伝いをする場にしていきたいと思っています。
抽象度が高いと異業種と組める
内田: 本を出した反響はいかがでしたか?
竹下: 「ディスカヴァー・トゥエンティワン(以下、ディカヴァー)」と組んでいるので、さまざまなリスクは負っていただいています。
内田: ディスカヴァーさんがリスクをとってくれたのはなぜでしょう?
竹下: ディスカヴァーの干場社長は、今の紙の本の形にこだわらずに、「世の中にメッセージを伝えたい」と思っている。そこは私も同じで、「メッセージを伝えたい、パブリックな場を作りたい」と思った。先ほどの話ではないですが、そういう抽象的な話から始まったことが良かったんだと思います。
たとえば具体的な紙かネットかという話や、あるいは文庫サイズか新書サイズかということになると、いっきに話がしぼんじゃう。でも、「形にこだわらず、いろんな手段でストーリーを伝えたい」というビジョンを示すと、そこに共感する異業種の人が集まりやすくなります。抽象的な話ができる編集長になったことで、ネットメディアとは違う出版社と組むことができるようになったと思います。
内田: ネットメディアから、技術書ではなく一般書を出版するってあまりないですよね。
竹下: NewsPicksさんやLINE文庫など、いくつかありますが、うちが大事にしていることは、ネットも紙も同じ人がやっているってことです。取材もするし、本にもするし、イベントも対談もするっていう、同じ人がいろいろやって、たまたまアウトプットが違う。
内田: なるほど。紙の本にこだわっているわけじゃなくて、アウトプットの1つということなんですね。
情報や広告は一人で摂取してはいけない
内田: 読書を通して得られる体験としては、どんなものがあるでしょう? 読書会を重視されているようですが。
竹下: 読書会はみんなで本を読みますよね。この「みんなで読むこと」が大切だと思っています。スマホは個人のメディアですが、本はみんなで読むことに向いていると思うんです。というのも、何を読んでいるかがわかるからです。内田さんが本を手にしていたら、「今はその本を読んでいるんだな」と周りの人にわかりますよね。スマホだとわかりません。
内田: それ、わかります! 私が本好きになったのは兄の影響なんです。兄が読書家で本棚が3つ、4つあって、私はそこから夏目漱石や山田詠美の本を取り出して読んでいき、本好きになったんです。
竹下: うちのオフィスの本棚は、記者ごとに分けて使っているんですよね。だから記者一人一人が今何に興味をもっているのかがわかるんです。
内田: おもしろいですねー!
竹下: 記者たちとワンオンワン(個人面談)をすると、「今は炎上広告に興味があります」とか、具体的な話ばかりになりますよね。でも本棚を見ると、もっと抽象化したレベルで、たとえば「この人はボーダレスなんだな」とかがわかります。
内田: 私は今、10人くらいで集まる月1回の読書会と、2週間に1回くらいのペースでペア読書をやっているんですが、他人と読んだ本について話し合うことで、本への理解が深まってむちゃくちゃおもしろい体験になっています。
竹下: 情報は、本質的に一人で摂取してはいけないものだと思うんです。たとえば『セックスのほんとう』(一徹:著 ハフポストブックス / ディスカヴァー・トゥエンティワン:刊)を書いた、一徹さんという女性向けのアダルトビデオの俳優さんと話していたんですが、「昔はアダルト系の本を買ったら、近くの空き地で5、6人集まって読んでいた。そこでブレーキがかかった」とおっしゃっていたことがあります。一人だと妄想がふくらんでしまうけれど、他人がいるとブレーキがかかるということだ、と私は解釈しました。
同じようにニュースもそうで、ニュースを見て怒りが湧いてきたり、過剰に共感したりしても、一緒に見ている人が「たいしたことないね」、「こんな見方もあるよね」とかブレーキをかけてくれたりする。だから、集団で摂取してほしいんですよね。
メディアとして「違和感」を表明したかった
内田: ホストクラブで読書会をされていますよね。ユニークだと思ったんですけど、何がきっかけだったんでしょう?
竹下: これまたハフポストブックスの執筆者として本を出した手塚マキさんが、ホストだったからなんです(笑)。夏目漱石、太宰治、川端康成とかの書評をうちで書いていた人です。それと、メディアとして「違和感」を表明したかった。違和感をきっかけに人って会話をしたり、情報を摂取したりしますよね。
今イベントをやろうとすると、顧客の年齢はどのくらいで、どこからお金が出て、というのを分析してからやるのが流行りですが、ホストクラブでの読書会では、何に反応して来るかわからないような人たちに来てほしかったんですよね。
内田: ホストクラブ読書会をやってみていかがでしたか?
竹下: おもしろかったですよ。グループワークでは、1グループで一人ホストを選べるようにしたりして(笑)。配られた写真からホストを選んだら、裏からホストが出て来てテーブルについてくれるんです。チェンジタイムもあって、15分に1回ホストを替えられる。その選べるホストのなかには乙武さんも入っていたんですが、乙武さんが一番指名が多かったですね。
内田: ホストがグループに入るとどうなるんですか?
竹下: 会話が深まりますね。そのときは『ノルウェイの森』(村上春樹:著 講談社:刊)を取り上げたんですけれど、「主人公はホスト向きだ」という話になって(笑)。今のホストは「女性の悩みを全部聞く」職業らしいです。『ノルウェイの森』の主人公みたいに、「やれやれ」とか言いながら何もしない男くらいがいいってことになったんです。
内田: おもしろいですね~(笑)
他人同士でも、同じテーブルにつくと奇跡が起こる
内田: 竹下さんが「議論」ではなく「会話」を重視されているのはなぜでしょう?
竹下: 会話には、「結論がない」、「相手のことを納得させる意識がない」、「対立概念がない」という、3つの「ない」があると思うんです。一方でこの3つがあるから議論は戦争になってしまう。それは立ち位置が違うからです。外を見て国境が見える人と海が見える人とではわかりあえないんですよね。でも、同じテーブルについて会話をすることはできる。会話は「まったく違う人同士がなぜか同じ場所にいる」ためのツールだと思うんです。
同じテーブルにつくとどうなるか? たとえ噛み合わない人同士でも、奇跡が起こるんですよね。たとえば、反論し合った二人の対談をセットしたことがあるんですが、終わった瞬間、ちょっと照れくさそうに、「今日はどこから来たんですか?」と始まったりする。そこに一瞬でも共感が生まれたはずなんです。
内田: 確かにそうですね。
竹下: ホストクラブでの読書会では、その後、別のホストクラブに飲みに行ったそうですよ(笑)。
教養は抽象的に考える力を付ける
内田: よく、「本を読むと教養が身につく」と言われますけど、そもそも本を出版されているのは「教養」と関係があるんですか?
竹下: そもそも、内田さんは教養をどのように定義されていますか?
内田: 「自分の人生を深く楽しむためのツールだ」と思っているんです。読書会で皆同じ本を読んでも、その時代背景を知っているか否かで楽しみの深さが変わりますよね。知っていた方がおもしろい感想が出てきます。
竹下: いい定義ですね! ぼくは「死角を発見するのが教養だ」と思うんです。自分が見えていない場所、それを発見するために教養を学ぶ。それと、「具体から離れて、抽象的に考える力が身に付く」ことに教養の意義の1つがあると思いますね。
本はゆっくり情報取得するメディアでネットは早すぎる、とよく聞きますけど、どっちも早いんですよ。なぜなら資本主義の仕組みにのっているから。だから本とネットではなくて、「遅いか早いかという対立概念」を設定しなくちゃいけない。そうすると、ネットでも「遅い」情報取得は可能なんです。
イベントを開くのは、「流れを遅くする」ためでもあります。今度、サントリーさんとイベントをやりますが、サントリーさんは「飲み物を売っているんじゃなくて、場を提供しているんだ」と私は思っています。だったら、飲み物の代わりに教養でも理念が成り立つから一緒にやろう、ということになったんです。抽象的な会話をサントリーさんとできたから実現できることだと思いますね。
こういう社会にしたいんだという「価値」が世の中を動かす
内田: 私は小説が好きなんですが、1個1個の文章表現を繰り返し読んで、いいなと感じたり、じんわりとしたりして時間がかかるじゃないですか。それで自分の感性が育ったり、それに付随して調べたことが教養になったりしている気がしています。
竹下: ぼくも賛成ですね。ハフポストはニュースメディアなのでファクトが大事ですが、フィクションってうらやましいんですよね。ターゲティングをして、その人のデータをとるよりは、「自分はこういう社会にしたいんだという価値の方が世の中を動かす」面もあるんだと思います。
内田: ネットで教養が身に付くと思われますか?
竹下: 身に付くものもあると思います。たとえば#KuToo。これは女性のパンプスとかヒールの話だと思っている男性が多いけれど、「服装や働き方は個人の自由である」というふうに、抽象度をもった方向にいかなくてはいけないんですね。男性のクールビズは日本に定着していますが、それも大臣が言ったことで変わったわけじゃないですか。「それほど変えるのが難しいことを変えようとしている話だ」とならないといけないんですよね。ネットニュースでも、一段上から見たら教養は身に付くと思います。
内田: なるほど、やってみます。抽象度を上げてみるためのコツとかありますか?
竹下: ぼーっとして、ある意味、世間とズレることですね(笑)。
教養を付けたいなら現代文の受験参考書がオススメ
内田: 教養を身に付ける方法について、アドバイスをお願いできますか。
竹下: 手っ取り早く教養を身に付けたいのであれば、現代文の受験参考書がいいですよ。キーワード集みたいな内容の本があるんです。世の中のありとあらゆる構造がのっています。理想と現実、抽象と具体、グローバルとローカルとか。
内田: 読みたーい!
竹下: ぼくも、ときどき再読していますよ。現代文をスピーディに読むために作られている本なので、現代社会が見やすくなります。
内田: 全体を通して、「教養を得るため」にはネットでも読書でも視点の抽象度を上げる必要性があることや、メディアとしても抽象度を上げて「人が集う場づくり」を心がけられていることがよく理解できました。今日は、お忙しいなか私のいろいろな質問に答えていただき、ありがとうございました!
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