花王でDX戦略推進センターECビジネス推進部長などを歴任したアントレプレナーシップ代表の生井秀一氏。現在は個人事業主としての活動のほか、茨城県立下妻第一高等学校・附属中学校の校長として“公教育”に携わる。花王で培った突破力、調整力などを武器に、学校改革に取り組む生井氏が花王時代に取り組んだのがEC推進。花王時代の講演から、花王のECへの取り組み、自身の挑戦の礎となった組織におけるミドル層の役割を紹介する。
花王がめざす事業DX
花王の事業は「Reborn Kao」と呼ばれる基幹事業、「Another Kao」という新創成事業から成り立っている。一般消費者になじみ深い洗剤や紙おむつ、石けん、化粧品などが基幹事業。一方の新創成事業では先進的なライフケア事業を展開中だ。
花王のめざす事業全体像における事業DXの位置づけ(花王統合レポートより引用)
DXは3つの部門の連携で推進している。①基幹事業のDXを進める「DX戦略推進センター」②新規事業創造を担う「デジタル事業創造部」③社内対応として先端テクノロジーで生産性向上を担う「先端技術経営改革部」――である。
生井氏は2022年まで①「DX戦略推進センター」に所属し、現在の花王の売り上げを支える基幹事業分野でDXによる変革、Eコマースに取り組んだ。
花王のDX推進体制(2022年までの体制)
DX戦略推進センターで取り組むEコマースには2つの戦略がある。1つは「プラットフォーマーとの共創」、もう1つは「自社リテンション型ビジネス構築」だ。
プラットフォーマーとの共創戦略
Amazonなど生活者との“強い”つながりをもつプラットフォーマーは、多くの情報が集まりビッグデータを蓄積している。この資産を活用した商品・サービスの開発や提供にプラットフォーマーと共に取り組み、事業を拡大する戦略だ。
自社リテンション型ビジネス構築戦略
生活者との“深い”つながりを作り、継続的な購買につなげるリテンション型のビジネスを、自社ECを中心に構築する戦略。「買ってもらってからが勝負」と捉えて、自社ECサイトで消費者との関係構築(CRM)に注力し、2回目、3回目の購買につなげていくことを狙う。
花王が推進するEコマースの2つの戦略
リテンションモデルへの挑戦
花王にとって、自社ECを立ち上げ、D2C(Direct to Consumer)に取り組むリテンションモデルの推進は新しいチャレンジだ。従来の「売り切りモデル」では短期的な販売ボリュームの最大化をめざしてきたが、「リテンションモデル」では、長期的なLTV(顧客生涯価値)の最大化が目標となる。KPIにはリピート率を新たに設定した。
従来の「売り切りモデル」は「買ってもらうまでが勝負」だったが、「リテンションモデル」では「買ってもらってからが勝負」。現在は、この2つのモデルを並行して進めている。
売り切りモデルとは異なるリテンションモデルへの挑戦
「両利きの経営」の考え方
方向性が異なる事業を並行展開する時、「両利きの経営」の考え方が参考になる。売り切りモデルは「知の深化」の方向であり、長年考え抜いてきた売り方の知見を踏襲するもの。一方、リテンションモデルは「知の探索」の方向であり、冒険的な新規事業に取り組むアントレプレナーシップが必要な活動。これら2つの方向性のバランスが重要であり、「両利き」の状態になったときにイノベーションが起こるとされている。
このため組織としては、双方を併せて扱うECビジネス推進部を設け、それぞれの事業担当者の情報交換を促し切磋琢磨しながら、新しい気付きが得られるよう組織運営をしている。
「両利きの経営」の考え方
(両利きの組織をつくる――大企業病を打破する「攻めと守りの経営」(刊:英治出版)から引用)
ユーザー体験の価値創造とSNS時代における情報伝達
メーカーにおける消費者との関係性は大きく3つある。1つ目は「流通」を通じた商品提供で、花王においては主戦場である。2つ目は、「Amazon」「楽天市場」といった専業ECプラットフォームのチャネルを通じたリテール事業。3つ目は、ネットを活用して直接消費者に商品を販売するEコマースだ。
消費者の消費行動は多様化している。メーカー側は、Eコマースの戦略と同時にリアル店舗も含めたOMO(Online Merges with Offline:オンラインとオフラインの融合)型の戦略を考える必要があるため、花王もこうした関係性の構築を進めている。
製造業と消費者の関係
SNSが広く使われる時代においては、情報の信頼性が重要だ。家族、友人、知人から推薦された情報は影響力が高く、日本をはじめ各国で1位にランクされている。そのため、第三者からの声は購買決定における重要な情報となる。
そこで、第三者からどうやって自社のブランドを薦めてもらうか、広告ではなく消費者自ら発信してもらうための仕掛け、愛されるブランド、ECサイトを作ることが重要だと生井氏は考えている。
媒体・情報ソース別の信頼度
メディア融合への取り組み
そのためには、トリプルメディアと言われる「ペイドメディア」「オウンドメディア」「アーンドメディア」、Amazonや楽天グループが運営している「ショッパーメディア」を「連動させなければならない」と生井氏。つまり、商品提供側としては、テレビ広告やブランドホームページ、ブログ、SNSなどへバラバラに取り組むのではなく、一気通貫で戦略性を持って実施することが必要だと考える。
このため、生井氏が所属していたECビジネス推進部では、事業部門と一緒になって戦略を立て、認知から購買に至るまで、一気通貫で進めてきたという。
トリプルメディアとショッパーメディアの融合
トリプルメディアとショッパーメディアの融合例
具体的な例は、飲料の「ヘルシア」シリーズだ。ヘルシアの商品をSNSで告知、プラットフォーマーが行う大きなセールに合わせてメールを配信。すると、ECチャネルでの購入につながり、最終的にサブスクモデルで消費者とエンゲージメントを図ることができた。
一見当たり前のようではあるが、大きな企業では社内で機能が分かれていることが多く、組織が分断されて施策を実行できなかったり、効率的に運用できなかったりすることの方が多い。
「花王は、関連部署と連携して進めることができている。こういったところが、トリプルメディアとショッパーメディアの融合が成功しているポイント」と生井氏は語る。
アントレプレナーシップ 代表の生井秀一氏(元花王DX戦略推進センター・部長)
UGCの重要性
情報伝達は、メーカーからのプッシュ型である1対NからN対Nに変化している。この状況では、UGC(User Generated Contents:ユーザー生成コンテンツ)が重要になってきている。UGCには、信頼性が高く、行動転換が起こりやすい、シェアしたくなりやすいという特徴があり、良いものは拡散的に広がっていくという効果がある。
この効果を活用するには、コミュニティ作りが大切。まずプッシュ型で伝え、そこから第三者の声で拡散する、この両輪が情報伝達には重要だ。
UGCの特徴
ソーシャル時代の情報伝達
SNS時代の行動プロセス(ULSSAS)
SNS時代の行動プロセスを表すマーケティングフレームワークの1つとして「ULSSAS」がある。
- U:User Generated Contents(UGC)
- L:Like(いいね)
- S:Search 1(Twitter、Instagramなど)
- S:Search 2(Google、Yahoo!など)
- A:Action(購買)
- S:Spread(拡散)
まずは「UGC」、第三者の声に「いいね」を押し、良さそうなものはTwitter、Instagramなどで検索し、さらに詳しく知りたい場合には、「Yahoo!」「Google」で検索。その結果、自分ごと化した商品はそのままECサイトで「買う」、そしてその感想を「拡散」する、この声に「いいね」する人が生まれる――このような好循環が発生する。
これらはシームレスでつながっている。だからこそメーカーとしては広告とECサイトの販売に一気通貫で取り組まなければならない。また、拡散を促すための仕掛けも重要になってくる。
SNS時代の行動プロセス
ブランドとのエンゲージメント向上施策例
生井氏は2つの実施例を紹介した。
1つ目は、カネボウブランドの化粧品についての、スタッフの使用感レビューだ。実際に使ったときの感触やお薦めポイントを自社ECサイトに載せることによって、消費者からの信頼につながり、購買のひと押しになるようなコンテンツを提供している。
カネボウのスタッフレビュー
2事例目は、ライブコマースへのチャレンジ、メーカー自らライブを通じてモノを売る取り組みだ。回数を重ねるごとに視聴者数も増え、コメントの中身も変化している。
化粧品ブランド「est」では、今だけのお得感を出しながら店舗運営をしている。特徴はお客さまとの双方向のコミュニケーションが取れるということ。夜、仕事を終えたお客さまが夜9時以降にライブを通じて困っていることを問い合わせてくださっても、即座に答えることができる。これは新しいイノベーションと感じている。
カネボウでは、ECサイトのなかにコンサルタントが徹底解説するというコンテンツを入れている。動画と静止画を組み合わせてお客さまとの深いつながりを作り、ブランドとの接点を大きくすることによって店舗やプラットフォーマーへの送客につなげる取り組みだ。最終的にはブランドを通じた顧客への価値提供がゴールと考えている。(生井氏)
ライブコマースへの取り組み例
トランスフォーメーションを起こすためのミドル層の役割
「取り組みの方向性が見えてきても実際に新しい取り組みを進めるには、『ミドルからの変革』が重要だ」と生井氏は語る。
生井氏は、早稲田大学ビジネススクールに通い、「ミドルからの変革」という研究会を通じて『ミドルからの変革 早稲田大学ビジネススクール×SAPジャパン&RELAYからの提言』(プレジデント社)の出版に参加。そこからのキーポイントを共有する。
まず、ミドルの定義だが「自分には決定権がないが変革をしようと考えている人」。変革のためには、いわゆる「イシューセリング」が成功するためのポイントになるという。イシューセリングは3つの活動に分けられる。
① パッケージング活動
経営がめざす財務的な指標と関連性を付けてロジカルに説明することが重要になる。
② 巻き込み活動
組織内組織外もしくは反対者をどう巻き込むのかが重要。特に反対者に対してはとにかく丁寧に説明し、賛成はしなくても、反対もしないというところまでネゴシエーションする。こういったことが変革を起こすためには重要になる。
③ セリング活動
部門のトップや会社のトップが変革を進めようとしていることに対して、どうやってタイミング良く提案を持っていくのか。そのために準備しておく、そして外部に仲間を作ることも重要になる。
生井氏はこう言う。
大事にしていることはアントレプレナーシップ。起業家的リーダーシップをもって今の業務に邁進し、自分の会社を良くするために変革を起こし、事業成長につなげる。これがミッションだと理解して事業を進めている。(生井氏)
ミドルからの変革ステップ
UX創造企業への取り組みと推進者の意識
花王はUX創造企業をめざし、ブランドを通じて消費者の価値を創造していこうと取り組んでいる。
従来のモノによる数の幸せの実現から、パーソナライズされた体験価値による多様な幸福の実現へ向けて、IT技術の進化を背景に、Eコマース事業を通じた実現をめざしている。
そのために生井氏は、「私が置かれているミドルというポジションをよく理解したうえで変革を起こしながら、世の中のためそして日本企業を良くするために志を高く持って活動していきたい」と言う。
デジタルトランスフォーメーションの本質
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オリジナル記事:花王がめざすEコマース戦略とミドル層のチャレンジ
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