1900年代、呉服店だけでなく出版社、種苗業者、製茶業者などが通販を開始した。通販カタログの普及が市場の拡大をけん引し、一方で、記事広告や工夫を凝らした広告も制作されるようになり、通販は着実に浸透していった。しかし、1940年代になると第二次世界大戦下の物資統制により、通販市場は一旦終息する。
120年前に存在した幻の通販専業企業
日本初の通販専業企業は1894年(明治27年)〜1895年(明治28年)ころ創業の「東京用逹合資会社」と言われている。創業者は1890年(明治23年)ころに渡米し、モンゴメリー・ワード社を始めとする米国の通信販売を学んだ。
帰国後、日本橋にオフィスを構えて通販カタログを年2回発行する通販事業を開始。取扱商品は懐中時計、眼鏡、金庫、宝飾品、漆器・陶器が中心だったようだ。
資料3-1 東京用達合資会社発売品目録
出典:『明治時代の通販カタログ』(著:林 丈二 刊:カタログハウス、2006年)P89
上は「堅牢無比な金庫」。「等しく金庫と言っても世間には粗造品がある、当社は改良に改良を重ね、堅牢無比の良品を格別廉価で販売します。火災はもちろん爆弾も恐れるに足りません」とある。価格は10円〜400円。
下は1890年(明治23年)に発明された「紙腔琴(しこうきん)」という手回し式の小型オルガン。「本器は他の楽器と異なり練習する必要がなく、自由自在に演奏できる、文明的最新発明の音楽器です」「軍歌唱歌はもとより、地唄、長唄、清元、常磐津(三味線音楽の一種)、流行歌、その他明清楽(みんしんがく)譜に至るまで取りそろえがある。いかなる秘曲も独奏自在」とある。価格は4円〜15円。
資料3-2 東京用達合資会社発売品目録
出典:『明治時代の通販カタログ』(著:林 丈二 刊:カタログハウス、2006年)P93
ダイヤモンドと金の指輪を紹介するページ。「指輪を注文するには指の大きさをコヨリ(編集部注:細長く切った紙をねじって作る紙紐のこと)で何寸かを申し送るべし」とある。
また注意として「金銀の性質は素人が鑑別することはできない。ずるがしこい商人は代金を高くしたり、14金を18金と偽ったりする。当店は保証付きです」ということが書いてある。価格は14円から1,500円くらいまで「種々あり」。
この事業は好調だったようで模倣する業者が登場。消費者に注意をうながす広告を掲載していた。しかし数年後、創業者が急逝すると、同社は解散してしまった。
1905年(明治38年)老舗通販の誕生
1905年(明治38年)、種苗販売の株式会社瀧井治三郎商店(現、タキイ種苗)がカタログ『種と苗』を創刊し、通販を開始した。タキイ種苗は1920年(大正9年)にはハワイの食料雑貨商に大根の種を送ったことをきっかけに、輸出も開始している。
『苗と種』は1936年(昭和11年)には120万部まで部数を伸ばした。
資料3-3 1905年に創刊された『苗と種』
出典:『タネの歩み』(編:タキイ種苗株式会社社史編纂室 刊:タキイ種苗、1990年)
P10
種苗のほかに盛んだったのは日本茶の通販。「古川七碗堂」「林吾妻園」「翠香園」といった宇治の製茶業者が通販を開始した。
資料3-4 林吾妻園小包販売部の『御茶銘録 定価表』
美しい多色刷りの定価表。小さく「京都松原通高倉東入 石田旭山印刷」とある。石田旭山印刷は現在の
写真化学で、創業は1968年。沿革をみると京都で銅板印刷や石版印刷を手がけていたようだ。
新聞社・出版社の「代理部」とは?
新聞社や出版社による、自社媒体を使った代理販売も活発化した。1906年(明治39年)には報知新聞社、大阪毎日新聞社、出版社の博文館新社、講談社、実業之日本社などが通販代理部を設置。昨今の通販とは違い、読者が希望する商品を代理で購入し、地方の読者に送り届けるという代理販売が中心だった。
大正に入ると東京家政研究会(現、主婦の友社)が1917年(大正6年)に『主婦の友』を創刊し、通販事業の母体となる「代理部」を発足させた。オリジナル商品「活力素」などを開発して大ヒットさせた。
資料3-5 『主婦の友』大正6年10月号に掲載された「東京家政研究会だより」
出典:『主婦の友社の五十年』(編:主婦の友社室 刊:主婦の友社、1967年)
P15
「代理部を持っている新聞社雑誌社は少なくありませんが、主婦の友の代理部は他と趣を異にして、取り扱う商品は実用向きのものばかりであります」ということが書いてあり、独占販売商品である「おしめおほひ」と「導妙湯」が紹介されている。
大正時代には詐欺的な通販業者が多かったため、注文が殺到して読者への発送が遅れると、待ちきれず警察に通報する者もあったという。
1930年代 有名人を起用した通販広告が誕生
1930年代には、女性誌などで通販の記事広告も目立ち始めた。婦人誌『婦女界』に掲載されたダイエットサプリメント「バゼット」の記事広告は、学者がサプリメントの痩身効果を解説して商品の信頼性を高めている。さらに、当時人気を博していた女優の山路ふみ子(当時23歳)や田中絹代(同26歳)が、愛用者として商品のダイエット効果をアピールし、購買意欲を喚起する内容だ。
有名人が登場する通販広告は今では当たり前の販促用クリエイティブ。有名人の信用力を活用して商品を販売する手法は、1930年代から始まったようだ。
資料3-6 『婦女界』1935(昭和10)年12月号に掲載された「バゼット」の記事広告
出典:『通信販売業界の軌跡』(編・刊:日本通信販売協会、1990年)P5、P6
「バセット」には男性用と女性用があり、婦女界社代理部が直販を行うほか、全国の薬店、百貨店でも販売されていた。価格は男女用共に3円(50錠入り8日分)、5円50銭(100錠入り16日分)、10円(200錠入り30日分)。送料は各15銭とある。
広告表現に規制がなかったため、「断じて副作用はなく、ほどよく引き締まった曲線美を生み、血色向上し、しかもただちに元に返る憂いを完全にのぞいたもので、一時的でないのが大特色であります」とか「完全に一分の隙もない美しいスタイルに更正する斯界(しかい)第一の療法」といった大言壮語が踊っている。
当時の通販の様子を記した文献によると、1930年代の通販カタログやダイレクトメールの中には、クリエイティブに工夫を凝らしたものも少なくなかったようだ。
例えば、タンスメーカーの西川商店が作ったカタログは、二つ折りの紙を開くと桃太郎が飛び出す。桃太郎が持つ旗には「下をお読みください」と記してあり、顧客が視線を下げたところに商品の説明文を記載することで読ませる工夫を施していたという。
1940年代 第二次世界大戦により終息
国内で通販が広がり始めた矢先、1940年代に入ると、第二次世界大戦に伴う物資統制などで自由流通が制限され、国内の通販は一旦終息した。
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オリジナル記事:明治生まれの「通販カタログ」(御年約120歳)と、戦前生まれの「記事広告」(御年約90歳) | 通販の歴史
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