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完全な状態のオリジナル記事は 「
「もう一回人生をやり直したい」と考えているあなたに ― 人生の選択を誤らない方法」 からご覧ください。
昨晩のツイートが結構RTされたのでこちらでも。
人生は選択の連続。どっちが正しい選択かわからないから僕らは迷う。でも、選択時においては、どちらの選択肢も正解であり、誤り。選択が成功だったのか失敗だったのかは、選択時ではなく選択後の行動によってのみ決まる。だから選択はどちらでもいい。精一杯取り組めばどちらの選択も正解になる。
— 池田紀行さん (@ikedanoriyuki) 2013年5月31日
これは、自分が何かの選択をする際、ずっと大切にしている考えです。
むかし、僕が尊敬する社会人の先輩たちの飲み会で、「人生やり直せるなら、いつから、どうやり直したいか」という話題になったことがあります。
その先輩たちは、みんなすごく優秀で、それぞれ誰もが知る会社で若くして先頭集団を突っ走る出世頭たち。モチベーションが高く、みんな良い意味でギラギラしていた。僕はそんな先輩たちがまぶしくて、いつか自分もこの人たちに追いつきたいと思っていました。
だから僕は当然、みんな「やり直したいことなんてぜんぜん無いねぇ」と言うと思っていた。しかし、何人かの先輩が「大学入試からやり直したい」 「進む学部を間違えた」 「最初に入社した会社が良くなかった」など、次々と「選択の誤り」を話し始めたのです。
正直、僕はショックでした。
人生は大小様々な選択の連続でできています。人生は選択そのものです。
選んだ選択肢の数と同じだけ、もしくはそれ以上に「選ばなかった(選べなかった)選択肢」がある。
選ばなかった選択肢を選んでいた場合、全く違う人生になっていたかもしれない。でも、そんなことを考え始めたらキリがない。
「もしあのとき、この大学じゃなくあの大学に進んでいたら…」 「もしあのとき、就職活動を頑張ってあの会社に入社していたら…」。もし、もし、もし―――。
僕は、何かを選択する際、「どちらの選択肢も正解であり、誤りである」と思っています。正確に言うと、「どちらの選択肢も正解になり得るし、誤りになり得る」。
選択した選択肢が正解だったのか、誤りだったのかは、選択時ではなく、選択後の行動によって決まると思うのです。
どちらの選択肢を選ぼうが、言い訳しないで全力でやる。行動に移す。成功するまで続ける。選択した事実(過去)は変えられませんが、選択の成功(未来)は自分の行動によって変えることができる。
そう思って行動していれば、選択した選択肢は、おのずと「正解」になる。選んだ選択肢は、自分自身の行動によって正解にすることができるんです。
だから僕は、「人生やり直せるなら、いつから、どうやり直したいか」と聞かれたら、「もう一回、違う人生を送れるとしても、いまと全く同じ人生を歩む」と答えます。
順風満帆とはかけ離れた人生かもしれませんが、自分が選んできた選択は、その後の行動も含め全力でやり切ってきた自負があります。だから一切後悔はありません。
選択を正解にするも、誤りにするも、全て選択後の自分の行動次第。そう考えれば、選択時の悩みが少し軽くなる気がしませんか?