HAPPY ANALYTICSの小川卓対談企画。
第7回のお相手は、小川卓を裏で支える実力者・工藤麻里氏。全3回でお届けします。※本対談はオンラインで実施しました。
工藤 麻里(くどう まり)
株式会社HAPPY ANALYTICSの秘書 兼 日本ビジネスプレスのシニアアナリスト
2006年株式会社リクルートに新卒で入社。進学ネット(現・スタディサプリ進路)でシステム担当、webR25でメディアプロデュースを担当の後、退社して出産。2015年より小川卓の秘書になり、株式会社HAPPY ANALYTICSの設立前から幅広く活躍。2015年より日本ビジネスプレスグループのアナリスト・グロースハッカーを兼業。
全3回となる1回目の今回は、小川卓と前職で出会ってから再び一緒に働くまでをたずねました。普段は見られないHAPPY ANALYTICSの裏側をお楽しみください。
進行・編集は、HAPPY ANALYTICS広報 兼 エスファクトリーウェブディレクターの井水朋子がつとめます。
リクルート入社と小川卓との出会い
工藤さんのキャリアスタートは?
2006年新卒でリクルートに入社してキャリアが始まりました。Federation of IT という部署(システム部のようなところ)で、Webサイトのディレクションを担当する部署に配属されて、「進学ネット(現・スタディサプリ 進路)」のログシステム担当しました。
当時何人くらいの規模でした?
進学事業部だけで営業を含めて東京だけで200人名以上いましたね。Webの部署は企画部門・システム部門それぞれ10人くらいでしょうか。当時のリクルート新卒入社は180人でしたね。
2006年頃はまだ紙が主流でWebの人材って少なくて、そろそろWebにっていう感じで、そのあと2010年くらいにネットに動いていきましたね。
ちょうどネット採用が始まって、積極的にIT人材をとっていこうってなりましたね。
そこで小川さんが入ってきた感じですね。
小川さんは同じ2006年に中途で入られました。人材系、ライフ系などの事業の中のひとつに私がいて、小川さんは逆に横ぐしを刺すような感じで、全社にログ計測ツールを普及する活動をしていました。
もともと私は前職のウェブマネーという会社にいて、そこでVisionalist(ビジョナリスト)っていうアクセス解析ツールを使っていて、リクルートに来た時に面接で「ビジョナリスト使っているんですか?弊社も使っています。」みたいな感じで。完全にツール採用ですね。
小川さんは、パスワードを忘れた方はこちらっていうサイトを自分で作られたりして(笑) 「なんでそんなこと、できないの?」みたいな感じじゃなくて、みんなができるように優しく教えてくれる人でしたね。
私もその頃インターネット系の会社にいたんですけど、そういう人って少ないですよね。ITに詳しいと、なぜか「お前俺の話聞けよ」みたいな空気感があって。
詳しい人だけが活躍して、そうじゃない人が置いていかれる状況があったと思うんですけど、そういう時にみんなができるように教えてくれましたね。
素敵ですね。あくまで社外にいる私のイメージですけど、リクルートの雰囲気って、ちょっと反対に近くて、勢いが強い感じがしましたね。
「声が大きい人が勝つ」というか、こうするぞ~!みたいにどんどん成績を出す人が強くなっていく風潮はあります。そんな中で下々の民に優しくしてくれて、異彩を放っていたのが小川さんでしたね(笑)
下々じゃないでしょ(笑)
小川さんはよくMVPをとられて、社内表彰されたり、社内勉強会の講師をしたりしているんですけど、それでも話しかけると必ず優しくて、今と同じキャラクターですね。もともと小川さんも2ちゃんねる内でオーケストラを演奏する企画をされたりした話も伺っているので、みんなに優しいのかなー。
私は大学は文系で、ITの経験もなかったんですけど、2006年はITがこれから面白いぞという流れの時だったので、ITのキャリアを積んでいきたいと入っていきました。だから、全くできない新人で、「なんでこんなにできないの??ひどいね~」っていう雰囲気だった中、小川さんが優しくて、当時からめちゃくちゃいい人だなー、この人についていこう!という信頼感はありましたねー。
直属の上司ではなかったけど、頼れる存在だったんですね。
そうですね、ほとんど接点がないんですけど、そういう人が何人かいましたね。元Kaizen Platformの鬼石さんとか、Tableauユーザー会の代表をされていた前田さんとか…他にもいらっしゃるのですが、立場に関係なくいつもフラットで優しい方が印象に残っています。
前田さんは私の元上司でしたね。
今でもイベントでお会いすると親切にしていただいています。提案型ウェブアナリスト3期生の伊野本さんは、当時の前田さんチームのエースですしね。あ、前田さんと小川さんがランチする約束が延びていました。今度セッティングしますね。(笑)
工藤さんはそのログ担当ではどんなことを?
ログシステムの保守をしながら、毎年3月1日にリニューアルをする「進学ネット」の大規模開発プロジェクトのメンバーとして動いていましたね。チームの中でできる仕事を割り当てられて、SEO担当とか、ガラケー担当とかをしていく感じでしたね。5年ほど続けました。
当時考えていたキャリアプランは?
大きくITの中で生きていきたいなというのはあったのと、その中でもログが面白かったんですよね。当時はまだ手作りぽいログシステムで、生ログのファイルを見るのは楽しく思っていました。
一方で、システム部門は受託の面も強く、自分から提案する余地が大きくなくて、SEO提案とか社内の横串組織で「BIコラボ委員会」(デジタルサイネージやTwitterなど当時最新の技術を事業部に取り入れていく組織)などいくつか担当はしていたんですけど、もうちょっと自分の意思で企画・提案できる職種に行きたいなと思っていました。
記事メディアのプロデュースへ
社内の異動希望を出して「R25」というフリーペーパーやウェブサイトを作る、電通とリクルートの合弁会社に転籍したのが2011年ですね。当時リクルートはデータベース商売が主流だったんですけど、R25だけは記事を書いて読んでもらうビジネスモデルだったので、それが現在の日本ビジネスプレスでの仕事にもつながっていますね。
そこではやはりログ担当を?
メディアプロデュースということで、企画を行うのですが、システム部門からマーケティング部門に異動してもすぐにマーケティングの仕事ができるわけではなかったので、自分ができる事の中で「ログを見て、そこから改善提案などする」というような動きをしていきました。
やはり軸足をログにおきつつ、マーケティングしている感じですね。
データを見られて、マーケティングができてと両方できるのはいいよね。
R25の後は?
R25を2年続けて、そのあとはリクルートを退職して子どもを産みました。0歳の頃は大変だったんですけど、娘が1歳になった頃から余裕が出てきて、そのタイミングで働きはじめました。
小川卓さんと再び働くきっかけ
出産して育児をしつつ、のんびりアルバイトや個人にいただける仕事をしていました。この後どんな風に働こうかな?と思った時に、いくつかやらないことを決めました。
ストレスの強い仕事をしない、フロントに立たない、長時間仕事しない、正社員にならない、チームで協業しない、売上目標に向かって仕事をしない、など。それで消去法の結果で「秘書」という仕事は目の前の人に喜んでもらえるし、ITの知見も使えるし、最適かもしれないな、と自己分析をして、手帳に書きこんでいました。誰かが喜ぶ顔を見るだけで嬉しいし幸せ、という気持ちがありました。
おそらくその週くらいに、小川さんが「秘書募集」とFacebookに書いていて、「小川さんなら最高!」と思いすぐにメッセージを送りました。それが2015年11月のことです。
もはや運命ですね(笑)
その頃、仕事が忙しくなってきていたので、秘書を頼もうと思いました。当時すでにオンライン秘書のサービスが出てきているけど知らない人だとどうかなという思いがあったので、まずは自分の知り合いがつながっているFacebookに投稿しましたね。そしたら、その日の夜くらいに工藤さんからメッセージがきましたね。
見直してみたら、夜中の3時くらいだったみたいで、後からビックリしましたね(笑)
工藤さんから小川さんに送ったメッセージ(抜粋)
私もAmazonを辞めてフリーで働き始めて8か月位経って、株式会社UNCOVER TRUTHの仕事をしていて、当時UNCOVER TRUTH社が入っていた(初台にある)オペラシティのカフェで面接したんだよね。その時が久しぶりだったよね。
3、4年ぶりで、小川さんは私のことわかるかなって思ったので、わかるように声をかけました(笑)
ドキドキしますね。
はい。小川さんはそこは普通ですよね。最初は面接なのかなと思って緊張して行ったんですけど、淡々と仕事の説明が始まり(笑) ここを手伝ってほしいみたいに始まって。いろんな権限もすぐに付与されていて、帰ったらすぐにっていう感じでした。
当日やりとりしたメッセージ
じゃぁ工藤さんもその時に話を聞いて、これならって思った?
はい、できそう!みたいな感じでしたね。
小川さんは工藤さんに頼むことが決まっていて、話しに行ったんですか?
ううん、特に(笑) というより、工藤さんが受けてくれるとありがたいけど、工藤さんが決めることだと思っていたから。
そ、そうなんだ・・
小川さん的には、オッケーだったということですよね?
ちょっとひどい言い方だけど、誰でもよくて(笑) 工藤さんが良ければ、オッケーだと思っていましたね。
一同:(笑)
面白いですね。
採用面接ではないから、お互いに合うか合わないかで、工藤さんができそうならお願いっていう。それ以上でもそれ以下でもなかったかな。
本当にフラットな感じなんですね。
来るもの拒まず、去る者追わず(笑)
そうそう、工藤さんが無理だったら、またFacebookで募集するだけだから(笑)別にいいよっていう感じでシンプルに考えていましたね。
ドライですね。ちなみに、小川さんにとっても秘書を依頼するのは初めてだったんですよね?この記事を読んでいる人って秘書をお願いしていない人ばかりだと思うんですけど、秘書を頼もうと思ったきっかけは何だったんですか?
とりあえず、ダブルブッキングしまくっちゃうのと・・・
しまくっちゃう!?(笑)
あとは、とてもシンプルで、自分がお金を稼ぐとか世の中に役に立つことをする時間が足りなくなっていたんですよ。私の良さって分析したりコンサルしたり勉強会をしたりっていうことで、アクセス解析の魅力を伝えていくっていうことじゃないですか。それができる人って比較的少なくて、私はそこに時間を使うべきだと思ったわけですよ。
そうなると、メールの返事を考えたり、スケジュール調整したり、経理の業務を行ったりっていうのは、自分が頑張っても世の中のためにはならんなと。その時間に一本でもブログの記事を書けと。と考えた時に、「私じゃなくてもできることは、私がやらない」って決めたんです。
それは以前からそうすると決めていたんですか?
そうですね。フリーになった直後はまだ案件も多くなくて時間があったから、自分でやっていけたんですよ。でも案件がどんどん増えていて、8か月くらい経った頃に「これは無理だ」となって頼んだ感じです。
8か月でそこまでいけるとは。
8か月というか、もともと会社員で働いていたころから副業OKだったので、その前からだったんですよ。初めて講演したのは2009年、初めて本を出したのは2010年だったので、サイバーエージェントやAmazonに転職した時も副業がOKかはまず確認していました。
ラッキーだったっていうことですね(笑)
ということで、HAPPY ANALYTICSの秘書としてのキャリアが走り出した工藤さん。明日公開予定の第2回では秘書業務にとどまらず、サイト構築、分析、本の共同執筆など多岐にわたって活躍する工藤さんの素顔に迫ります。