デジマ4つのマイルール

「得意」と「やりたい」どっちを仕事に選ぶ? 横浜美術館の広報が語る「キャリアの拓き方」

デジマのキャリアを掘り下げる連載。今回は、横浜美術館の広報やマーケティング業務を行なっている広報担当の山本氏に、仕事のマイルールを聞いた。

やりたいことが見つからなくてキャリアに悩む。そんな人がいる一方で、興味の幅が広くてキャリアの方向性を定めるのに苦労する人もいる。横浜美術館で広報を担当している山本氏もそんな一人だった。

自分が得意なデザインの仕事を続けるか、昔から好きだったアートに関わる仕事にチャレンジするか。そのどちらの道も探った上で、最終的に山本氏が見つけた自分らしいキャリアとは。
山本氏に、キャリアや仕事に関する4つのマイルールについて聞いた。

横浜美術館 経営管理グループ 広報担当 山本 紀子氏

自分の得意や適性は、やりたいことではなかった20代

山本氏のマイルール

ルール1好奇心の赴くままに、興味があることは片っ端からやってみる

山本氏は好奇心旺盛で、興味をもったらまずは飛び込んでみるスタイルだ。広告デザインや音楽が好きでCDジャケットのデザインなどをしたいと考えて、美大に入学。しかし、専攻した情報デザイン学科はメディアアートなどを学ぶ場で、やりたいことと少し違ったため、大学と並行して広告の学校にも通った。美大ではデジタルの作品を作っていたため、アナログのフィルム映像を勉強したいと考えて、フィルム映像を扱う研究所に通ったこともある。

興味があることは片っ端からやってみます。実際にやってみると、自分がこの先も本当にやりたいことかどうかがわかるからです。情報収集は昔から好きで、ジャンルや幅を限定せず好奇心の赴くままに自然と広がったり、深堀したり。たとえば、美術館に行って置いてあるチラシで興味がわいた展覧会やイベントがあれば、国内外問わずよく出かけていました(山本氏)

美大で映像制作やWebサイトのデザインを学び、さまざまなソフトを習得した結果、山本氏は在学中から仕事を依頼されるようになる。その延長線で就職はせずに、フリーランスのデザイナーとして紙とWebのデザインを請け負った。しかし、人とコミュニケーションを取ることが好きな山本氏には、自宅での仕事が中心となるフリーランスの働き方が合わず、デザイン事務所に就職する。その事務所に興味を持ったのはライティングを学べる点だったという。

新しい雑誌の刊行を計画しているデザイン事務所で、書くこととデザインができる人を求めていたんです。ライターとしてのスキルは養成するので、デザイン経験がある人という条件での募集でした(山本氏)

デザイン事務所に入社して働き始めたものの、雑誌を刊行するまでには予想以上に時間がかかった。そのうちに山本氏はデザインよりも、自分が中学生の頃から好きだったアートに関わる仕事がしたいと思い始める。

「子どもの頃から美術館に行くことが大好きだった」と語る山本氏。

ルール2「得意」と「やりたいこと」のバランスを取りながら、キャリアを拓く

若手時代の山本氏はキャリアの方向性について悩み続けてきた。経験やスキルのあるデザインの仕事を続けていくのか、それとも純粋に好きという気持ちに従ってアートに関わる仕事に挑戦するのか。その答えは、山本氏が動き続ける中で徐々に見えてきた。

私は展覧会の図録がとても好きなんです。紙質や判型がさまざまで特殊印刷されたものもあり特別感があります。そこで、自分の好きな図録をたくさんデザインしているデザイナーさんのもとで働きたいと考え、自分の作品を送りました。すると、連絡がきてお会いでき、作品に対するアドバイスをもらいました(山本氏)

デザイナーは「君の力量を見たところ、今は雇うことができない、もっと勉強してからまたおいで」と言った。そして、参考になればと自身が手がけた図録や展覧会チラシなど多くの作品を見せてくれたのだという。

雇えないと言われたことはショックでした。エディトリアルデザイン専門の基礎がない自分は、この方のようなデザイナーになるのは難しいだろうとも思いました。でも、自分がデザインをすることよりも、このデザイナーさんが手がけたものを私はもっともっと見たい。それなら、悩んでいたもう一方のアートの世界に入って、この人に仕事を依頼する側になればいいんじゃないかと、そこで気持ちがはっきりしたんです(山本氏)

アートに関連するキャリアを模索しようと決めた山本氏が見つけたのは、六本木にある美術館で月に数回サポートする仕事だ。採用に受かったものの、月に数回の勤務とはいえ、働いていたデザイン事務所は勤務時間が長いので並行することが難しい。そこでデザインのスキルを活かした残業が少ない別の仕事をしながら美術館で働こうと山本氏は考えた。

ダブルワークをきっかけに、アートの世界に飛び込む​​​。

お酒が弱いのに、ワイン輸入商社へ

ルール3 あえて苦手なことにも挑戦してみる 

山本氏が美術館の仕事と並行して、生活の基盤として選んだ仕事はワインを取り扱う輸入商社でのインハウスデザイナーだ。残業はあまり多くなく、職場は表参道の近辺で六本木の美術館にも近い。そういった条件面で選んだ仕事だったが、山本氏にはひとつ気になることがあった。

実は、私はお酒が弱くほとんど飲めないんです。でも、ワインを扱う会社なので社員はお酒が好きな人ばかり。でもいい機会なので、なぜみんながこんなにお酒が好きなのか、お酒についても勉強しようと思いました(山本氏)

そんな山本氏の学ぶ姿勢は周囲にも伝わる。同僚や先輩たちが「おいしいから一口飲んでみたら」とさまざまなワインを差し出してくれたり、「あのレストランに行こう」と誘われたりするようになり、オフでも一緒に遊ぶほど親しくなった。そんな交流を通じて、お酒がコミュニケーションツールとして非常に重要な役割を果たすことにも気付いた。輸入商社で働いた経験は、他にも山本氏にとって多くの学びがあった。

当初はBtoBのWebサイトのディレクションやデザイン担当だったのですが、それ以外にもさまざまな仕事を経験しました。顧客向けのワインの試飲会で使うツールやワインラベルのデザインなども担当しました。マーケティング部に所属していたこともあり、ちょうど会社のCI(コーポレートアイデンティティ)を刷新する時期でもあったので、ロゴや名刺などのコミュニケーションツールのリニューアルプロジェクトも任せていただきました(山本氏)

山本氏は輸入商社で充実した日々を送りつつ、大学の科目履修生となって学芸員の資格を取ったり、現代美術アーティストのアシスタント業務などにも携わったりして、アートの道に進むための活動も引き続き行っていた。

楽しく専門商社で働きはじめてから4年近くが経ったある日、山本氏は友人から現在働いている横浜市芸術文化振興財団の募集があることを教えてもらう。「アートに関わる仕事がしたい」と話していたのを友人が覚えていたのだ。山本氏は面接の場でどのようなアピールをしたのだろうか。

美術館などのアート系組織には、自分が実際に作品制作を経験している人は実はそんなに多くないんです。そのため、作品制作をしていた経験があること、アーティストのアシスタントや美術館スタッフの経験があること、さまざまな立場の多角的な視点から業務にあたれることなどをアピールしました(山本氏)

横浜市芸術文化振興財団の選考に通過し、アート系の仕事に関わるという目標を叶えた山本氏は、現在は横浜美術館の広報を担当している。具体的な仕事内容は、メディア対応やプレスリリース作成、SNS運用などの広報や、Webサイトの運用や分析などを手がける。これまでの山本氏の経験をフルに生かせる仕事と言っていいだろう。

これまでのキャリア

3年間の休館を経て、リニューアルオープンした横浜美術館

ルール4 自分が関わるものは、現状維持ではなく可能な限りよい形に

横浜美術館の外観(撮影:新津保建秀)

山本氏が横浜市芸術文化振興財団で手がけた仕事の中で印象深かったのは、「横浜トリエンナーレ」を担当したことだ。横浜トリエンナーレとは、横浜市で3年に一度開催する現代アートの国際展だ。国際的に活躍するアーティストの作品を展示するほか、新進のアーティストも広く紹介し、世界最新の現代アートの動向を提示するイベントでもある。現在は、第8回展「野草:いま、ここで生きてる」が2024年6月9日(日)まで開催されており、山本氏がはじめて担当したのは2011年に開催された第4回展だった。

第3回展までは別の組織が主催していたこともあり、私が担当するときには過去展の紙資料もデータも完全に引き継がれてはいませんでした。4回目の開催なのにゼロスタートのような状況だったんです。しかも、横浜トリエンナーレの現場はさまざまなプロフェッショナルが集められて、会期が終わればほとんどのスタッフが解散する組織です。コアメンバーとして次回展準備のために残った身としては、その時点までに蓄積してきた経験や情報をまとめて次へつなげて行かなくてはと思いました(山本氏)

そこで、山本氏は事業に関するあらゆるマニュアルやデータ集を作ることにした。これまで散逸していたIDやパスワードなどの基本情報はもちろん、決定事項については「誰に話を聞いて、どういった判断のもとに行われたか」という経緯など知り得たすべての情報をまとめた。

次回展を成功させるために必要であるのはもちろんだが、いずれ後任や将来的な担当者にとっても有益な情報になると考えたからだ。このように「課題がある場合は、現状維持のままではなく可能な限り良い形にすることを心がけている」と山本氏は語る。

どんな業務でも現状をより良くできる選択肢が他にもあるのでは…という視点で仕事をしています。そう考えるのは、デザイン界の巨匠であるテレンス・コンラン卿の『デザインを通して社会をより良くして行きたい』という言葉に影響を受けています。デザイン業務に限らず、情報を整理し、課題を掘り起こしてそれを解決していくデザイン的な思考は、すべての仕事において業務を改善していくことができる方法の1つだと考えています(山本氏)

山本氏が担当する横浜美術館は3年間の休館を終えて、2024年3月にリニューアルオープンしたばかりだ。言うまでもなく、リニューアルも改善の一つだ。今回のリニューアルにはどのような狙いがあるのだろうか。

今回のリニューアルのメインは、建物の改修工事でした。とはいえ、表には見えない設備更新の改修が大部分のため、外観的には一見リニューアルしたように見えないのが正直なところです。そこで休館中は『新しい横浜美術館をどうみせていくか』について、館長を中心に議論し続けてきました。

横浜美術館は石造りで建物規模が大きい一方、全体に対し入口が小さい建築です。そのため、あまり当館に興味のない方にとっては、休館前は入りづらい雰囲気だったのではないかと思います。リニューアル後はそういったイメージを取り払うため、外の広場と美術館内の大きな空間が一体となって大きな広場と感じられるよう、あらゆる人を歓迎し、誰もが自分らしく過ごせる美術館を目指そうというコンセプトを立てました。新しく掲げたミュージアムメッセージは『みなとが、ひらく』です(山本氏)

広報チームで作成した横浜美術館のリリースには、「みなとが、ひらく」のミュージアムメッセージも。

休館前も美術館地上階の大きな空間のほとんどを無料エリアとしていたが、それを知る人は少なかったという。来年2025年2月の全館オープンからは、その無料エリアを拡大し、オリジナル家具なども設置することで、さまざまな過ごし方ができ、より居心地の良い場所にすることを目指している。

これまでの美術館は、多くの方が『展覧会を観る』という目的をもってやってきて、静かに過ごさなければいけないような雰囲気の場所だったと思うんですよね。そこを、展覧会を観ることはもちろん、おしゃべりしてもいい、ぼーっと過ごしてもいい、目的があってもなくても日常のなかでふらっと立ち寄りたくなるような、誰にとっても心地よく自由に過ごせる空間にしていくことが、今後の全館オープンに向けての大きな挑戦です(山本氏)

最後に、自分の直感を信じて様々なことに挑戦してきた山本氏に、その原動力はどこから来るのか聞いてみた。

新しい世界や知らなかった人やコトと、もっとつながりたいという気持ちが原動力になっています。今の仕事でいえば、お客さまと、美術館・作品・作家さんを『こんな面白いことがあるんですよ』とポジティブな形でつないでいきたいです。マーケティング的にも広報的にも、ただ単に情報を『伝える』だけではなく、『いかにポジティブな印象を残して今後につなぐか』ということは今後も意識していきたいです(山本氏)

2025年2月オープン予定の「じゆうエリア」※イメージ図
(画像:乾久美子建築設計事務所)
山本氏のマイルール(再掲)
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