自分史(中高時代) | Insight for WebAnalytics

Insight for WebAnalytics - 2023年5月31日(水) 11:34
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自分史(~小学生時代)に続いて、こんどは中高時代について書いていく。なおこの回顧録には自分以外に登場する人達がいるが、直接的な人物名の記載はない。但し一部所属や肩書などの記載から推測できる場合はあるが、自分との関係性の文脈で必要最小限にしか触れていない。

・中高時代
中高は最寄りの公立よりさらに近い場所にある私立男子校の武蔵に通う。徒歩か自転車で通ったので楽だった。自由な校風で、校則は聞いたことがない。「下駄は履いてくるな」の言い伝えくらいだろうか。新入生が入った直後の4月には、水投げ(詳細省略)の洗礼があったりした。中学の社会科と国語は、教師の趣味みたいな内容だったが、中高一貫校の強みで中学は自由度が高かったということだろう。今は大学受験における私立御三家みたいな一角からは外されていると思うけど、進学校と呼ばれる割には当時から学校が勉強を強制してガンガン指導していくことは少なかった。建学の理念の一つに「自ら調べ自ら考える」とあり、自分でやれっていうことなんだろう。これはいまだに自分の生きる原則として体に染みついている。

学校行事は、中1に山上学校、中2で海浜学校、中3で地学巡検、毎年の強歩大会(30-35kmくらい走る/歩く)、スキー教室(任意参加)などの野外活動と、記念祭(文化祭)や体育祭などがあった。最初の中1?の強歩大会では、多分ゴールまであと2kmもないくらいの所で動けなくなって(体力がないw)搬送された苦い思い出も。入学式や卒業式などは大学の講堂で行われ、校歌を歌う機会もその程度だったので、校歌は殆ど覚えられなかった。同じ敷地にある武蔵大学の施設では、図書館とプールをよく利用した。

部活動は任意だったが、いろいろフラフラした。中学で最初は気象部に入ってみたが、麻雀クラブみたいな感じだったのでやめたが、気象観測とか嫌いではなかった(今でも気象は興味の対象)。そして大きく方向転換して体力もないのに山岳部へ。ここは持久力の鬼みたいな人達の巣窟なのに、全く持久力のない俺が入ってトレーニングでも足を引っ張り、縦走などの長距離重装備(もちろん持参のテント泊)の山行でもすぐに潰れるし、よく2年くらい続けてやったものだ。粘り強く諦めない根性みたいなものは、この時代に養われたと思う。何度も登山道から離れて藪漕ぎをしたり、岩登りの初歩の沢登りもしたりと、多少危ない経験も楽しい思い出となっている。

山岳部では月例山行の他に、1週間未満の縦走や1週間程度のスキー合宿を何度か経験。八方尾根に学校の山小屋があり、スキー合宿はそこでの自炊生活。風呂もなく自分達でストーブも薪で焚いた。冬山は八方尾根のゲレンデから上の「上の樺」より少し上くらいまで登った程度で、雪上訓練はゲレンデでアイゼンとピッケルの練習だけ、本格的に雪山の頂上を目指すような経験まではない。

スキー合宿ではOBに教えてもらう形式なのだが、残念ながら上手くなることはなかった。自分で考えて試行錯誤しないと上手くならないのはこの頃からだ。実はスキーは自分で考えて練習してメキメキ後から上達したものだ。合宿を終えても山荘に残ることができたが、その時だと思うが、一人でスキーをしている最中にリフトの鉄柱に激突してしばし気絶していたところを多分部員が見つけてくれ、麓の病院へ搬送される事故があったことは記憶している。

山岳部での厳しいトレーニングの甲斐あってか、持久力は辛うじて人並み程度になったことは疑いの余地はない。基礎体力や筋力はこの時に養われた。ただ午後の練習で疲労しすぎて夕食が進まず、成長期を逃してチビのままになってしまったのは残念か。山岳部でダメ部員のまま上級生に残ることは無理と判断し、サッカー部へ。こちらはぎりぎり試合ができるくらいの部員しかいなかったので弱かった。自分はキック力はないし、やはり足を引っ張った方だったと思う。単独行を除けば山登りも集団行動だし、チームで行うスポーツは、自分には合わないということを痛感した時期だった。

スポーツでもう一つ言うと、自分は大きな球を扱う球技(サッカー、バスケ、バレー)は比較的得意な方だったけど、小さな球を扱う球技(テニス、野球、卓球)は苦手だった。まあ、概ね背が低いとスポーツは不利なので、いずれにしても小学校時代と同じで、すばしこく動き回るので一見うまそうに見えることもあるが、実際はそれほどでもない平均的な感じだったのではないだろうか。

学校以外の遊び/趣味は、ギターを弾いたり(単音だけの)シンセで遊んだりの「やる」音楽と、洋楽を中心に「聴く」音楽、自転車でフラっと近所を1時間くらい乗り回すなど、どれも一人でやれるもの。洋楽は全米トップ40をラジオで聴くのが主な情報入手の方法。高校後期はプログレが好物になった。同期にはバンドを組んでいる奴も多数いて、視聴覚教室でライブやっているのを見たこともあるが、爆音過ぎてバンド活動には興味は湧かなかった。またどんどん視力は悪くなる一方なので、テレビ以外の「見る」エンタメ(映画を見るとか)は避けていたし、今でも映画は細かい字幕に集中しなければならないと頭が痛くなるし苦手だ。3Dメガネとかも、すぐに気持ち悪くなり30秒が限界。

中学でよくやったことは二つ。まず水泳を徹底的に練習したこと。小学校ではやっと25m泳げるくらいのレベルだったが、自己流にしろ平泳ぎであればゆっくりなら幾らでも(休まず1kmとか)泳げるようになった。夏休みには、中高のプールと大学のプールが交互に毎日12-15時?に自由に利用できたので、家も近いのでほぼ毎日通っていたと思う。中2の海浜学校のクラス分け(Aランク~Eランクくらいまで?)ではBランクとそこそこ泳げる部類に入った。海浜学校では遠泳、深さ5m程度までの素潜り、サーフィンもさせてもらえた。海岸近くに50mはあろうかという岩をくりぬいたトンネルを通ったものだ。その海浜学校の施設も今はない。ということで水泳も徹底的にやったスポーツの例か。山も海も自然の美しさと厳しさを学べた。

二つ目は小説を何百冊も読んだこと。小説を読んだ理由は、国語が全然ダメだったので、何故か小説を大量に読むとよいのではないかという妄想に囚われて、著名な作家達(夏目漱石とか)の全作品を読破するみたいな感じで貪り読んだ。恐らく大学受験の役には全くなっていないと思うし、夏休みの多くの時間を費やしたりで、今思うと無駄な時間だったと思うが、活字に全く抵抗がなくなったくらいな効果は認める。後に出版社に勤めることになるのは偶然だが。

手元に残っている成績表を確認すると、中学時代はざっくり言えば学年平均より少し上回るくらい。数学だけは安定して出来る方だった。高校は学年平均的な資料はないので、相対比較はできないが、やはり数学は平均より出来る方だったと思う。各学期ごと科目ごとに10点満点絶対評価方式?だったが、6年間を通して各学期平均点は8.0±0.3くらいにほぼ入っていて(ちなみに最大は8.9、最低は7.5)、やる気の激しい上下動はなく、比較的安定していた方だろうか。

勉強は基本的に自己流。数学は好きだったので、中学3年くらいからは授業とは関係なく勝手にどんどん上の学年レベルの学習に突き進んでいった。兄が同じ学校だったので学校独自の教科書のお下がりを参考にしていたような気がする。高校2-3年くらいになると、当時でも予備校に行く人も多かったのではないかと思うが、自分の場合は殆ど通わなかった気がする。通信教育のZ会のテスト?を何教科かやっていたと思うが、基本的には受験参考書や東大過去問集、後はやはり兄が行っていた予備校の教科書のお下がりが中心だったように思う。この頃も、塾に通うのは面倒だったし、人から教わって上達するという方法論に懐疑的だったからかもしれない。今振り返ってみると、ある程度効率的に学習するために指導をしっかり受けてみることを試してもよかったかなとも思う。

受験に関して言うと、理科は得意ではなかったが、記憶力は頼りないものだったので、早くからコースとしては理系だろうとは思っており、何となく東大理科1類を目標としていた。ただ高3の外部模試などでは、合格ラインには達してない評価ばかりだったと思う。最終的にはランクを落として(それでも模試で合格ラインぎりぎり以下くらいだと思う)理科2類で受験して、幸いにして合格できた。多くの人は試験とか人前での発表の時に、緊張で普段のパフォーマンスを出せないとも聞くが、自分は不思議に変な自信だけはあって、本番に強いというのか全く緊張しないのが強みだと今でも思う。社会人になって仕事でもそう感じるが、しっかり準備したら、あとはどんな結果や評価になって受け止める開き直りみたいな気持ちが功を奏するのだろう。

交友関係だが、学校の中では、中1でとある友人といつも将棋をしていたり、高校では集団でミニサッカーなどの球技で遊んだりしたものだ。自分では殆どやらなかったが、麻雀、パチンコ、競馬、賭け事、酒、その他と素行の悪いことは大体、中高の時代に見聞きした感じだろうか。全般的には群れない性格は相変わらずだったようで、話しやすい友人は複数いたが、常に行動を共にする親密な関係が長く続く友人は殆どいなかったと思う。友人からの愛称は「イブ」が多かったが、書くのが憚れる呼び名で呼ばれることもあったのは内緒だ。

そうは言っても、校外では、高校時代にはサッカー部の同期の何人かで、夏に彼らの一人の軽井沢の別荘に数日泊まったり、紀伊半島の海岸にテント張って数日過ごしたりしたことがある。軽井沢では、山中の自動車専用有料?道路に自転車で無理やり進入し、10km以上?の距離を走りきって、出口のゲートでこっぴどく怒られたりと、結構やらかしたのは覚えている。海岸でのテント生活の方は、詳細の記憶はすでにないのだが、自炊設備を携行した覚えもなく、どうして食を繋いだのか謎だ。

もちろんたまに開かれる同窓会などでは、いろんな人たちの話の輪の中に入っていくことは普通にできるのだが。そんな同期には結構凄い奴が沢山いるのが誇らしい。現在の肩書とは限らないが、外務事務次官、上場大企業のトップ、最高検察庁検事、紫綬褒章受章者、学者、弁護士、医師、作家、各種企業/官公庁/団体のトップも多数と、多士済々。Wikipediaに掲載されている人物は確認できたものでも9人いる。今深く交流している同期はいないが、この同窓会だけは唯一行く意味を感じる大人数での懇親会と言えるだろう。自分がいるインターネット関連業界みたいな世界とは全く違う、いわゆる伝統的な業界や職業についている人達ばかりで、自分が如何に異端の存在であったかも実感できる。

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