大きな組織ほど、「属人化は悪」という共通認識がある。決められたルール、効率的なプロセス、組織の論理。その巨大なシステムのなかで、個人の理想はいつしか埋もれていく。プロダクトデザイナーとしてパナソニックに入社した姜(かん)氏も、若手時代には自身のビジョンがかたちにならない焦燥感を抱えていた。
しかし、パナソニック一筋でキャリアを重ねるなかでたどり着いた答えがある。個人の熱量とアイデアの“属人性”が、停滞した組織を動かす鍵になりえるということだ。新卒時代に現場のプロダクトデザイン領域から出発し、現在は「デザインエディター」として全社のブランド戦略を担うまで、姜氏は社内で越境を繰り返してきた。今回はデザイナーのキャリアにフォーカスして、巨大組織で自分らしい仕事を実現するための「4つのマイルール」を聞いた。
「消費のためのデザイン」への違和感
ルール1新しいアイデアは、その分野のプロにぶつける
姜氏はパナソニックに入社後、約8年間、デジタルカメラのプロダクトデザインに携わった。しかし、入社2~3年が経った頃から、ある違和感を覚えていたという。
当時、デジタルカメラは新製品を出せばどんどん売れる時代で、半年に一度のペースでモデルチェンジを行っていました。高機能になった新製品が売れていく一方で、私たちがやっているのは「新しい価値の創造」ではなく、単に消費のサイクルを回して「新しいモノを買ってもらうためのデザイン」に過ぎないのではないか。そんな違和感を持つようになりました(姜氏)
その後、異動先のホームエンターテインメント領域のプロダクトデザインでも同様の違和感を抱いていた。新しい事業創出のためのプロジェクトに携わる機会を得たが、大企業のロードマップのなかでステークホルダーに事業化の道筋を示し、納得を得ることができないまま、世に出る前に企画は頓挫してしまった。そんな姜氏にターニングポイントが訪れたのは入社9年目のことだ。
2017年に若手を中心にしたデザインのR&D組織「FUTURE LIFE FACTORY(以下、FLF)」が発足することになった。FLFは、未来洞察に基づいて、新製品やサービスをプロトタイプとして具現化し、社会へ提案する組織で「先行開発に特化したデザインスタジオ」だ。
当時、デザイン組織のトップが変わるタイミングでした。パナソニックが新たな取り組みをする上で、若手が自分たちの課題感からやりたいことを実験する場としてFLFを発足させることになったんです。既存の事業から少し離れて、ピュアに「新しい価値を創造する」ことに挑戦できるチャンスだと思いました(姜氏)
FLFにいた頃は、新しい企画のコンセプトの段階で、とにかく社外の人にアイデアを見せて、価値をアップデートしていく日々を過ごした。製品になる前のプロトタイプ段階で、アイデアをぶつけて意見をもらう。その活動のなかで、いきなりメディアの編集長やアパレルブランド「ANREALAGE(アンリアレイジ)」のデザイナー森永氏に連絡をして会いに行き、その後のプロジェクトにつながったこともある。こんなふうに担当するプロジェクトのコンセプトに合った「その道のプロ」に意見を求めてブラッシュアップを重ねた。
SXSW※への出展などを通して、社外の人は「おもしろいね」と言ってくれる。しかし、社内の理解を得ることは容易ではなかった。
FLFはR&D組織で、利益を生み出す組織ではなく、新しい価値観の探索や新規事業の開発を独自で行っていた部署なので、社内からは、取り組みの意義が伝わらず、意図とは異なる受け取られ方をしてしまうこともありました。FLFを続けていくためにも、自分たちの組織の価値を示し続ける必要があり、社内でのアウトプットや成果の見せ方にはとても苦労しましたし、しんどい思いもしました(姜氏)
モノを売る前に、まず共感を集める
ルール2価値創出のプロセスを変える
姜氏がFLFで経験したプロジェクトで強く印象に残っているのは、ウェアラブルデバイス『WEAR SPACE』だ。視野の角度を調整できるパーテーションとノイズキャンセリング機能によって、視覚と聴覚を制限し、集中力をデザインできる。
WEAR SPACEをはじめとして、FLFで姜氏が挑んだのは「価値提供のプロセスを変える」ことだ。
当時のプロダクトデザインのプロセスは、基本的な商品企画があり、それにのっとったデザインをして、量販店で販売されるという流れでした。WEAR SPACEの場合は、クラウドファンディングを活用してコンセプトや商品企画を世の中に提案し、賛同を得られたら販売するというプロセスを選択しました(姜氏)
開発パートナーを探し出し、開発にかかる費用を算出するなどの検討を経て、製品化に向けて会社と交わした条件は、1,500万円以上の支援を集めることだった。目標額に達しなければプロジェクト自体を中止するという条件だったが、結果としては1,630万円の支援を集めて製品化を実現した。
まず実現したい世界観を市場に直接問いかけて、共感してくれた方にプロダクトを販売する。モノを売る前に共感を募る。従来とは違う価値提供のプロセスをつくり、体験できたことは私にとってデザインの可能性を実感する機会になりました(姜氏)
未来を語る場を社内外につくる
ルール3未来を想像し、共に語る仲間を増やす
デザインR&D組織のFLFから車載事業のUX開発を経て、姜氏は2022年のパナソニックのホールディングス化のタイミングで、事業会社のブランド部門へと異動する。そこで任されたのは、パナソニックがどんな未来に向かっているかを、ファクトを基に発信するオウンドメディア『Make New Magazine』※の企画・運営と、年に一度発行している『未来空想新聞』だ。
『Make New Magazine』では開発の裏側にある人の想いや、今後どのような価値を作っていきたいかを中心に伝えました。『Make New』というアクションワードを軸に、社内の技術、製品開発、まだかたちになっていない取り組み、未来の兆しになる世の中のおもしろい価値観などをキュレーションしていきました(姜氏)
※同社の組織再編に伴い、2025年12月17日をもって運用を終了
さらに、未来に向き合う取り組みとして、毎年5月5日のこどもの日に発行する『未来空想新聞』の企画・制作もリードしている。多様な著名人や有識者、クリエイターと一緒に、17年後の日常を空想していく。
『未来空想新聞2042』を作るときには、2042年の社会がどうなっているのか、どうなっていてほしいのか、未来の予測と想像をかけ合わせて、一つひとつの記事を丁寧に制作しています。リアルな紙の新聞になることで、空想した未来にリアリティを持たせたいと考えています(姜氏)
姜氏は、当初、未来空想新聞の制作・発行よりも「新しいプロダクトの開発費にその予算を回した方がいいのでは」という葛藤を持っていた。未来空想新聞を短期的なキャンペーンとして捉えられ、採算が合わないのではという声もあったという。続けていくことの意味や意義は、短期的に成果を追い求めるのではなく、長期視点で未来空想新聞の価値を捉えることにある。
実際に、昨年配布した学校の現場からは「授業でも活用している」という声が多く届いているという。こうして未来空想新聞が話題を呼んで社外で評価されると、社内の空気も次第に変わっていった。
未来空想新聞は社外向けの発信であると同時に、実は社内向けの未来インプットツールとしても位置づけていました。事業の延長線にある未来は見ているけれど、そこだけを見ていると、大切な価値観の転換点に気づかず反応ができなくなってしまう。もっと未来は多様で複雑なものです。その未来に気づく感覚を、パナソニックのなかで少しでも増やしていくことが、過去に理想と現実の板挟みを経験した自分の役割ではないかと考えています(姜氏)
これまで多くのプロジェクトを経験してきた姜氏に、パナソニックという大きな組織でやりたいことを通す秘訣を聞いてみた。返ってきたのは、若手の頃の葛藤を経てたどり着いた、しなやかで力強い答えだった。
やりたいことを実現するために、やらなければならないことをたくさんやっています(笑)。自由な想像をかたちにするには、会社側に合わせたロジックも必要です。おもしろい仕事をするためなら、社内政治もやりますし、泥臭い仕事も苦になりません(姜氏)
編集的な思考で、未来をデザインする
ルール4自分だからできる属人的な仕事をする
プロダクトデザイン、デザインR&D組織、車載事業、コミュニケーションデザインと多くの役割を経験するなかで、姜氏は「属人化した仕事にこそ、価値があると考えるようになった」と語る。
大企業では、属人的であることはネガティブに捉えられます。私自身もそう考えてきました。でも、自分の経験を振り返ってみると、私の熱量やアイデアでプロジェクトが前に進んだことや、独自の価値を生み出せたこともありました。むしろ、その瞬間に強いやりがいを感じていたんです。最近では、むしろ属人化はとてもいいことだと捉えています(姜氏)
現在の姜氏の正式な役職は「リードデザイナー」だが、「デザインエディター」という肩書きを自ら掲げている。その理由は、世の中にあるおもしろい価値観や、社内に埋もれている尖った技術といった、一見バラバラな要素を接続し、一つのストーリーとして編集することが自分の得意なことだと認識しているからだ。その一例が、未来空想新聞の「江戸川区版」を発行したことだ。
一昨年、未来空想新聞を読んだ江戸川区役所の空想係という部署の方から急に連絡が来ました。そのときは、活動内容を共有して終わったのですが、昨年、江戸川区版を作ってみませんかと提案しました。「空想」という共通のコンセプトを持つ江戸川区さんの地域の未来に貢献できないかと考えたんです(姜氏)
姜氏の次なる構想として、パナソニック誕生の地・大阪府の門真市で「未来空想新聞の門真市版」を発行したいと考えているという。
個人的な思いとして、創業の地である門真を、未来のくらしや社会をつくるかっこいい場所としてブランディングしていきたいと想像しています。例えば、門真にあるパナソニックグループの拠点がもっと地域に開かれた場所になって、地域の方や子どもたちと一緒に新しい価値を実験しながらつくれるような場所。そして、未来を創造している街そのものを世界に発信できるといいなと思っています(姜氏)
最後に、今後の展望について聞いた。
目指すのは、私を含めて、みんながより良い未来について語り合い、アクションを起こせる状態になることです。パナソニックグループは、ハードウェアやソリューションを社会に提供する企業であると同時に、人々が未来に向けて理想をつくる舞台装置になれる可能性を持っていると思います。個人としては、少しずつでも未来を自分ごと化してくれる人を増やす企画・クリエイティブに取り組み、「姜と関わるとなんだかおもしろい未来がつくれそう」そんなふうに言われる存在になっていきたいです(姜氏)
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