「共有」と「拡散」の違い ~ 「共有・拡散します!!」のウソ | ikedanoriyuki.jp | Tribal Media House, Inc.

ikedanoriyuki.jp | Tribal Media House, Inc. - 2013年3月8日(金) 16:49
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クライアントとの会議やいろいろな企画書の中で「XXXによってソーシャルメディアでの共有・拡散を狙います!」というフレーズをよく見聞きします。

みなさんも、こんな企画書見たことありませんか?

やっこさん、そりゃ本当かい?

そんなにうまくいきませんよね。

そもそも、僕は「共有」と「拡散」が一緒くたに語られていることに強い違和感を覚えます。「共有」と「拡散」って同じ意味なの?と。

なんでそんなことを言うのかというと、企画書の中で安易に「共有・拡散」と書かれている場合、高い確率で企画が練り込まれていないからです。

例えば、よくある「ユーザーの共感を獲得するような “日常の小さな幸せ” をスマホで写真に撮って投稿してもらい、情報の共有・拡散を狙いましょう。きっと多くの友人が共感して情報が広がると思いますYO!!」という企画で考えてみましょう。

これは先週末にスノボに行った帰り道に寄った焼肉屋で出てきた壮絶なご飯大盛りの写真。Facebookで投稿しました。結果はどうでしょう。54いいね、1コメント、0シェアです。

この大盛りご飯の投稿が、

おいおい、いま池田が食ってる大盛りご飯がすごいぞww みんな見てみろよ!」(シェア)

とか

幸せな瞬間ですね♪ シェアさせてもらいます。」(シェア)

なんてことが起こるでしょうか。まず起こりません。普通に考えればわかるのに、なぜか企画書では「ほっこりした日常が友人や知人の共感を呼び、コンテンツがソーシャルグラフを伝わって共有・拡散されます」なんてことが自信たっぷりに書かれている。まあ企画書のフレーズとしては綺麗ですよね。実現できませんけども。。

不幸な企画が量産されぬよう、あくまで便宜的に「共有」と「拡散」を定義づけるとすれば、「共有=Who文脈」「拡散=What文脈」という感じで分類できると思います。

“Who文脈” の “共有”
コンテンツと人が強く結び付いているからこそ共有される情報。ポイントは「誰が何をしたか」。

“What文脈” の “拡散”
コンテンツそのものがTalkable(トーカブル)で、人の琴線に触れるもの。コンテンツと発信者は分断されても可。ポイントは「感情が動くかどうか」。(例:インパクトがある、ビックリする、笑える、感動する、深く考えさせられるものなど)

よくわからないですね。事例で見てみましょう。再度、私のFacebook。

まずはこちら。ゴルフウェアを新調した喜びとともに、葉山のショートコースに行ったときにパチリ。よくある週末のリア充アピール投稿です。結果は、31いいね、3コメント、0シェア

次はこちら。ブルーカレント・ジャパンの本田さんと一緒に書いた『ソーシャルインフルエンス』の見本が会社に届いたときに、嬉しくて思わずパチリ。気持ちは「苦労がかたちになって嬉しい!みんな見て!」というもの。結果は、56いいね、12コメント、5シェア

ちなみに、5回のシェアは全て身内です。しかも1人は(共著者の)本田さん(笑)

最後はこれ。Facebookなどでよく出てくる白くま君の写真。個別で紹介されることはあっても、3つを並べて〆切までのストーリー仕立てになっているものは無かった。思わず感動してシェア。結果はなんと、53いいね、0コメント、483シェア!! (この写真に限らず、シェアが多いときはコメントが付かない、というのもFacebookのおもしろい特徴です)

ということなんです。

1つ目の僕のリア充投稿は、「はいはい、楽しそうで良かったね」という「いいね!」こそ付きますが、「おい!池田が新しいウェアでゴルフしてるぞ!みんな見てみろよ!」なんてことは起こりませんし、「山田さんが池田さんの写真にいいねしました」というアクティビティフィードを見て僕の友達の友達が見に来ることも無いでしょう。なので、この類のコンテンツは、良くてもエンゲージメント止まり、ということです。

2つ目の本の写真は5人にシェアされました。でも全員身内(うちの会社のスタッフと共著者)です。つまり、「うちの社長がまた新しい本を出したよ」「池田さんと書いた本が出るよ」という投稿(結果として共有)であり、「僕を知っているから」「自分も当事者だから」共有してくれているわけです

でも、うちのスタッフの友達(友達の友達)にとっては、そんなことはどうでもいい話。なぜなら、うちのスタッフの友達の大多数は僕のことを知らないから。だから、スタッフの友達からさらにその友達(友達の友達の友達)へ共有がされることはない。これがWho文脈。「誰が何をしたか」という「人とコンテンツがセットになって初めて情報に共有価値がある」。図にするとこんな感じ。これが共有の基本構造。

最後の写真はどうでしょう。Twitterは拡散向き、Facebookはエンゲージメントや共有向き、なんてことも言われますが、いやいやなんのなんの、なんと合計483シェアです(僕を起点に、僕の友達の友達の友達…がシェアした回数の累計)。

共有の際のコメントに全ての答えがあります。つまり、誰も投稿した僕のことなんて話してない。だいたい、「ワロスwww」「これわかるわあ!」というシェア(投稿)コメントばかり。当たり前です。純粋にコンテンツがおもしろいからシェアしているだけの話で、誰が投稿した画像かどうかなんて関係ない。「誰が投稿したか」なんて関係なく、コンテンツ自体が持つパワーによってバイラル(伝染)が発生する状態」。これが拡散です。

ということで長くなりましたが、ソーシャルを絡めたキャンペーンを企画する際は、気軽に「共有・拡散」と考えず、「今回の企画はソーシャルグラフ内における(Who文脈での)共有を狙うのか?それとも特定のソーシャルグラフを超えた(What文脈での)拡散を狙うのか?」ということをじっくり考えてほしいんです

よくある失敗は、Who文脈でも共有される可能性が低い企画で拡散を狙う企画。もはや企画として成立してないんですけど、かなりある気がします。

いまの時代、もはやソーシャルメディアと連携させないキャンペーンの方が少数派になってきました。主役か脇役かは別として、ほぼ全てのキャンペーンでソーシャルメディアでの情報の広がりを期待するし、それが実現するよう企てるわけです。

てことで、プランナーの皆さんは共有と拡散の違いに気を付けて企画を考えるようにしましょう。

あ、共有と拡散は目的じゃなく手段ですから、決してシェア数やRT数などを「目的」にしないように。目的はあくまでマーケティング課題の解決です。共有や拡散はその目的を達成するための「手段」にすぎません。

シェア数やRT数がどんなに増えても、課題が解決できてなかったらそのキャンペーンは落第点なので、くれぐれも手段の目的化には注意しましょう。

※こちらも合わせてどうぞ!
【事例解説】 「共有型」キャンペーンと「拡散型」キャンペーンの仕掛けと仕組み

(キリンビール一番搾り一生分キャンペーンとJAL Flight with Friendsキャンペーンの事例を徹底解説!)
http://www.ikedanoriyuki.jp/?p=3639

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