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ブッダに学ぶマーケティングの7つの心得」 からご覧ください。
コピーブロガーから久々に「***に学ぼう」シリーズの記事を。今回はなんと恐れ多くもあの仏陀にマーケティングの心得を学んでしまおうという大胆な試みの記事を。 — SEO Japan あなたがブッダについて考える時、マーケティングのことは考えない。 少なくとも私はそうではないことを願う。 ブッダは、利益には全く興味のない、魂の師だった。実際、彼は自分の弟子が金銭のやりとりをすることさえも禁じた。 しかし、マーケティングはアイディアを広めることだというセス・ゴーディンに賛同するなら、ブッダは史上最高のマーケッターの1人だと言える。 2,500年にわたって、彼の教えは大勢の人の生活に影響を与えてきた。初めはアジアに広まり、次第に地球の最果てまで伝わった。数百年もの間、書物による記録がないまま、彼の考え方は口伝えで生き残ったのだ。そして、2,000年以上の間、マスコミの力も使わずにそれは大陸を渡ったのだ。 ブッダの例は、あなたが‘援助団体’で非営利に働いていたり、自分のメッセージで世界を変えたいと思っている場合には、特に関連がある。 しかし、たとえあなたが利益のためにビジネスをしている場合でも、21世紀で成功するためには寛大さと目的が必要不可欠であることには気がついているかもしれない。 それは、物事を行うにあたって立派な方法でもある。 ブッダのアプローチからこんなにも多くを学ぶことができるということにあなたは驚くだろう。 ブッダのストーリー ガウタマ・シッダールタ(後のブッダ)は、王の息子として裕福な特権階級に生まれた。彼の父親は、立派な宮殿内で彼を育て、息子を現実生活から守るためなら何でもした。 若き王子が成人し、宮殿の壁の外に出た時、彼は3つの苦しみを目にして自分の無頓着さに衝撃を受けた。1つ目は、年老いた老人、次に酷い病気に苦しむ男、そして火葬に向かう死体だ。最後に彼は、これまでとは異なる生き方の象徴、放浪中の苦行者に会った。 自分の喜びや情熱が全て、老いと病と死によって奪われることに気が付くと、シッダールタはそれらを全て捨て、自分の家族と特権階級も捨て、苦しみと死を超越する方法を見つける旅に出発したのだ。 彼はインド中を旅して、様々な師から学び、様々な哲理やアプローチを試した。彼は、瞑想し、絶食し、ヨガを実践し、ありとあらゆる精神状態を経験した。 しかし、人生の全ての喜びと同じように、それらのこの上なく幸せな状態も遅かれ早かれ終わりが来るのだということを彼は発見した。 彼は、自分の体に食事、睡眠、そしてあらゆる肉体的欲求を禁止する苦行を試みた。体が生きた骸骨になるまで衰弱したが、それでも彼が真実に近づくことはなかった。そのため、彼は極端な苦行生活を諦め、再びちゃんと食事をとり始めると、彼の体は健康へ戻ったのだった。 師に教えられた生き方に疲れ切ったシッダールタは、森の中の静かな場所へと引きこもり、木の下で足を組んで座り、真実を見つけるまでそこに居続けることを決意した。そして、49日間の孤独な瞑想期間の後、彼はついに探し求めていたものを見つけたのだ。 ニルヴァーナ(涅槃)という言葉は、字義では‘吹き消すこと’、つまり、人間の苦しみの根源である貪欲、憎悪、無知の火を断絶することを意味する。それらがなくなれば、苦しみはなくなり、死への恐れもなくなる。 涅槃を経験した後、シッダールタは、“目覚めた人”という意味を持つブッダとして知られるようになった。 今から、ブッダが悟りを開いた後の教えについてあなたに話すつもりはない。(もし興味があるなら、Steve Hagenが書いた素晴らしい本Buddhism Plain and Simpleをお勧めする。)その代わりに、彼が自分の教えを伝え、彼の死後数千年間で無数の人にその教えを広めた方法をいくつか紹介するつもりだ。 もしあなたが自分のメッセージを倫理にかなった効果的な方法で広めたいのなら、それをマーケティングと呼ぼうと、教えと呼ぼうと、シンプルなコミュニケーションと呼ぼうと、ブッダの歩みに従うことを提案したい。 悟りを開いた師でさえマーケティングの問題を抱えている ブッダが悟りを開いた後、最初に彼の身に起こったことの1つが、マーケティングの問題だった。 木の下に座って、涅槃の経験を反映し、彼は自分自身に言った。 これは教えられることではない。 涅槃の計り知れない経験を知り、人間の無知と混乱の度合いを目にしたブッダは、人々を教育しようとしても無駄であるという結論を下したのだ。 だからもしあなたが、マーケッターとして成功していないことに落胆しているのなら、元気を出すのだ!あなたが、優れた知識と素晴らしい技術、そして世界に与えるべきものをたくさん持っていたとしても、マーケティングは全く別の問題なのだ。それは難しいことではないが、あなたがすでに持っている経験とは違った種類の経験なのだ。 ブッダのように悟りに達した師にもマーケティングの問題があるというのなら、私達にも希望があるというものだ! 全ての人の心を動かそうとしないこと ブッダが自分の発見を説明しようとしてもしょうがないのだという結論を出した時、彼の所に神ブラフマンが現れ、真実を見ることができる“目の中にほんの少しだけ埃が入った”人々もいると言って、ブッダを後押しした。 そこでブッダは、積極的に悟りを求め自分のメッセージを受け入れることができる熱心な人間を探しに出た。 従来のマーケティングの過ちは、自分の製品やサービスやメッセージから恩恵を受けることができる全ての人を招き、その価値を信じ込ませようとしたことだ。 そこにある問題は、いくらあなたが提供しているものを人々が必要としているとしても、彼らがそれを欲しいと思うまではあなたの申し出が受け入れられることはないということだ。さもなければ、生産性の達人やヘルスおよびフィットネスのコーチ、ファイナンシャル・アドバイザーのおかげで、みんながとても計画的で健康で財政的に安定していることになる。 ブッダの例に従い、私達が提供しているものを積極的に求めている人に焦点を合わせる(単にそれを必要としている人ではない)と、見込み客はずっと少なくなるが、前向きな返答が返って来るチャンスは大きくなる。 真実を伝えるだけでは十分ではない ブッダの最初の教えの試みは、一般的には失敗と思われている。 ブッダが森から街へと戻る途中、ブッダに普通とは違うものを見た放浪する苦行者に会った。その苦行者は、ブッダに何を発見したのかと尋ねた。ブッダはこう答えた: 私は完全に悟りを開いたブッダである! 別の男が頭をかいた。彼は弁解をしながら、“もちろんそうでしょうね”と思った。 面白いことに、ブッダはありのままの真実を伝えていた。彼はうぬぼれが強かったわけではなかった。(当然、ブッダはエゴを超越していた。)そして、彼は自分の教えを無料で与えていた。 しかし、そのことが彼の信奉者に影響を及ぼすことはなかった。 理想の世界では、あなたは売り込む必要はないのだ。ただ真実を告げ、自分の製品を人々に見せれば、人々はすぐにその価値を認めてあなたの申し出を受け入れる。しかし、ブッダにでさえ、ここは理想の世界ではないのだ。 たとえあなたが無料のオファーをしているとしても―例えば、ブログやニュースレターの購読やソフトウェアの無料トライアルや無料コンサルタントなど―、あなたはそれを売り込む必要があるのだ。 人々は、忙しいか、圧倒されているか、単に混乱しているのだ。あなたがその精神的な騒々しさを切り開いて自分のオファーの価値を彼らに信じ込ませるかどうかはあなた次第なのだ。 パッケージングが違いを生む ブッダは再び挑戦した。 バラナシの鹿野苑でかつて共に修行した5人の修行者に会うと、彼らはブッダに何を学んだのかと聞き、ブッダは彼らに四諦の法門―苦しみの根源とそれを超越する方法を説明した基本原則―について教えた。 [...]