【ナイキのDX事例】アスリートの孤独に寄り添うNIKE+、NIKE Run Club、NIKE Training Clubのアプリとデジタル戦略 | DX経営図鑑(全8回) | ネットショップ担当者フォーラム

ネットショップ担当者フォーラム - 2021年5月24日(月) 07:00
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辛い運動トレーニングも、エンターテインメント性と科学的アドバイスで乗り越えられます。ユーザー目線が嬉しいNIKEのデジタル活用術とは。
DX経営図鑑

この記事は、書籍『DX経営図鑑』の一部を特別にオンラインで公開しているものです。

Part 1「世界のDX事例と価値交換の仕組み
 》 DX Case 6「NIKE 稀代のマーケティング巧者が目論む、超高速の価値提供サイクル
 》 2「急激なデジタルシフト──NIKE+からのトリプルダブル戦略」より
NIKE  │  設立 1964年  │  本社所在地 アメリカ
#直販EC #アスリート支援アプリ #トリプルダブル戦略

「マーケティングのNIKE」に突如テクノロジーの香りを添えることになったのは、NIKE+(ナイキプラス)です。

NIKE+は2006年、AppleのiPodと連携して始まった活動量測定デバイスおよびソフトウェアサービスです。専用の小型センサーをシューズ内に埋め込み(内蔵ポケットのある専用シューズがある)、その走行データをiPodに送って表示させる仕組みです。

やがてiPodの軽量化が進むと、トレーニング中に音楽を聴くことが容易になりました。NIKEはさらに、活動量を正確にデータ測定する機能を追加し、一般人のトレーニング行為にエンターテインメント性と科学的レビューを持ち込みました。

さらにiPodがジャイロセンサー(角速度センサー)内蔵になると、シューズへのセンサーの埋め込みが必要なくなりました。2008年にはSport bandという腕輪型のNIKE製ウェアラブル・デバイスによって、iPodなしでも測定が可能となり(NIKEウェブサイトでデータ確認)、以後NIKE+はiPhoneやApple Watchを含めたさまざまなデバイスに対応していきます。最終的には、スマートフォン上のスポーツアプリでナンバーワンのシェアを獲得するに至りました。

2倍のイノベーション、2倍のスピード、2倍の直販

2018年、NIKE+は突然終了します。しかし、2019年にはランニングに特化したNRC(NIKE Run Club)と、ジムトレーニングに特化したNTC(NIKE Training Club)によって、そのコンセプトは継承されました。

NIKE+の終了からNRCへの転換の背景にあるのが、「トリプルダブル」といわれるNIKEの戦略です。

2017年、伝説的なCEOマーク・パーカーが打ち出したこの戦略は、“2X Innovation, 2X Speed and 2X Direct”という言葉が示す通り、「2倍のイノベーション、2倍のスピード、2倍の直販」を目標にしました。商品そのものに加え、NIKE+などの周辺サービスを含めたイノベーションと、それを世に先んじてリリースする市場投入スピードをさらに上乗せし、そのうえ「直販」による売上を2倍にするという戦略で、各方面に衝撃を与えました。

また、NRCとNTC発表の同年にリリースされた「NIKE SNKRS(ナイキ・スニーカーズ:スニーカー専用の直販アプリ)」と「NIKE(NIKEブランド全般の直販アプリ)」は、NIKE直販の代名詞的な存在になります。これらアプリの誕生の背景には、Amazonによる小売流通業の大刷新と、世界的なスニーカーブームがありました。

Amazonショックによる伝統的小売業の破壊によって、スポーツグッズ量販店であるSports Authorityなどは倒産に追い込まれました。これまでの強力な販路が衰退すると、2015年頃から、スポーツとアパレルの販売主導権がeコマース企業に移行し始めます。さらに、スニーカーブームによってレアモデルの偽物がオンラインで出回るようになります。

NIKEとしては、新しい消費チャネルへの対応と、ブランド毀損へのディフェンス、そして利益率の確保を兼ね揃える意味で、前述の戦略の一部である“2X Direct”は最重要課題となったわけです。

また、NIKEは2018年のブラックフライデー直前に、House of Innovation 000と呼ばれるフラッグシップショップ(旗艦店)をニューヨークに設置しました。NIKEアプリによる購買受け取り、予約受け取り、試着予約が可能で、店舗内の決済もNIKEアプリを使えばレジに並ぶことなく完結します。この旗艦店の001は上海に、002はパリにオープンしており、いずれ東京にも上陸することでしょう。

NIKEが取り去るペイン
──2つの普遍的な苦痛の除去

NIKEはスポーツメーカーとしては比較的新しく、斬新なマーケティング手法を展開してきたとはいえ、伝統的な製造工程と商流によって成長した、伝統的メーカーといえます。

そのNIKEが大きくプロセス変革をしたのは、2006年のNIKE+から始まったデジタルシフトです。NIKE+はデータ測定をトレーニングに持ち込むことで、2つのペイン除去に貢献しています。

1つは、測定や分析という難しくわずらわしい作業を個人レベルでも可能にしたことです。従来、科学的なトレーニングをするには、タイム計測の機材はもちろん、その履歴を細かく記録し、成長進捗を管理する必要がありました。NIKE+は本格的で科学的なトレーニングの実行プロセスを圧縮したことで、特別な機材を用意したり環境が整わなくても、個人で自主トレや毎日の健康管理ができるようにしたのです。

もう1つは、NIKE SNKRSなどの直販アプリによって、メーカー直販という「入手手段の価値」を消費者に提供したことです。こだわりのない消費者は売られている商品の中から最善のものを選びますが、熱心なファンは欲しい商品をどうしても手に入れたいと考えます。その商品が量販店やAmazonで欠品すると、公式店舗や大型量販店がない地方在住者などは、人気商品が入手困難であるというペインに悩まされます。さらには、転売業者によって価格が高騰したり、二次流通による詐欺被害にあったりという新しいペインも生み出されるかもしれません。

NIKE直販アプリは、人気商品の抽選予約販売や定番商品の公式販売を通じて、地理的に入手不利というペインをフェアな状態にしました。メーカー直販による正価流通を守ることで、転売や詐欺被害への回避ルートも提供しました。NIKEはデジタル販売施策を通じて、地域格差や暴利搾取という「不条理」のペイン除去に挑戦しています。

NIKEが生み出すゲイン
──トレーニングとアイテム入手を楽しみに変える

NIKE+は個人レベルでも科学的なデータトレーニングを可能にする世界を実現したわけですが、これによってあらゆるアスリートが得られる恩恵は、進捗が可視化できることの安心感、そして達成感でしょう。本来、アスリートの達成感とは公式試合の結果で得られるものです。しかし、試合でのパフォーマンスはほんの一瞬であり、アスリートが費やす時間のほとんどはトレーニングという「苦痛」です。トレーニング中のアスリートは、「この努力は本当に正しい方向に向かっているのか?」「自分は昨日より伸びているのか?」という不安と常に戦っています。専門的な施設や組織では、精密なトレーニングプログラムと進捗管理が提供されますが、個人レベルではそうもいきません。NIKE+によって進捗が可視化されることで、多くの草の根アスリートがもつ「自分の現在地への不安」は「自分の未来への伸びしろ」という価値に生まれ変わり、日々の修練に達成感を得られるようになりました。

欲しいアイテムを入手できるフェアネス

直販アプリによって、入手したいアイテムをいつでもどこでも買うことができるようになりました。例えば、地方の小さな町に住んでいたら、欲しいサッカースパイクを手に入れるために2時間かけて札幌のプロショップへ出向いたり、地元のスポーツ店に注文して納品まで2〜3ヵ月待ったりということもあるでしょう。

本来、eコマースが提供していた「流通の地理的不利を消し去る」という価値は、Amazon型モールでの転売業者の出現やオークションサイトの浸透によって新しいペインに相殺されてしまいました。NIKEはそこに直販というルートを大々的に設け、「あのシューズで明日はもっとタイムを上げたい」というアスリートの思いに応えます。入手とトレーニング環境の公平性──「フェアネス」という当然のゲインを、デジタル直販とトレーニング支援アプリによって提案しているのです。

デジタルの積極活用と、根源的なブランド力への回帰

「アスリートの成功のためにNIKEは存在する」というのがブランドアイデンティティーであり、NIKEの約束です。NIKEが現代もなお、ナンバーワンでいられるのは、このアイデンティティーや「Just Do It(行動あるのみ)」というブランドスローガンからぶれることなく、デジタル戦略を立案し、実行しているからでしょう。

一瞬の成果のために苦痛を伴う日々のトレーニングにいそしみ、1秒でもタイムが縮むなら少しでも高性能のシューズを手に入れたい。NIKE+はそのトレーニング効率をより向上させ、高性能アイテムを高速で市場に投入し、可能な限り公正な入手手段を提供しています。そのためには、NIKEブランドそのものが「勝つためにどうしても欲しい商品」であり続けなくてはなりません。NIKEの「トリプルダブル」戦略は、デジタル時代のマーケティング戦略の成功例として捉えられることが多いのですが、革新的な製品を高速で市場リリースし続けるという至上命令も課されているのです。すなわち、超高速で商品開発と市場提供を行いながら、常に「欲しいブランド」であり続けるからこそ、NIKEのデジタルマーケティングは成功しています。NIKEのDXの本質は、デジタルによる新しい価値提供とともに、これを生み出すための研究開発・生産・マーケティングの全てにおいて壮大な構造変革を行っていることなのです。

コロナ禍直前の2020年1月、マーク・パーカーCEOは退任し、eBay出身でPayPal会長でもあるジョン・ドナホーが後任となることを発表しました。デザイナーからCEOに上り詰めたパーカーによる「クリエイティブのNIKE」は今後、ドナホーによる「デジタルのNIKE」にシフトするでしょう。NIKE+に始まったNIKEのDXはいわば第1章であり、今後のさらなる進展が見込まれます。

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オリジナル記事:【ナイキのDX事例】アスリートの孤独に寄り添うNIKE+、NIKE Run Club、NIKE Training Clubのアプリとデジタル戦略 | DX経営図鑑(全8回)
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  • 著者: 金澤 一央、DX Navigator 編集部
  • 発行: 株式会社アルク
  • ISBN: 978-4757436787
  • 価格: 2,310円(税込)

勝てるDXの本質
~次に生き残るのは、誰か?~

世界の伝統的企業やスタートアップがいち早く取り組んできたDXの数々。各事例をつぶさにレポートしてきた「DX Navigator」編集部の知見をまとめ、事例分析と価値提供のプロセスを可視化した一冊です。

本書は世界全32社のDX事例を収録。いずれも、顧客/ユーザー視点での「ペイン(苦痛)」と「ゲイン(利得)」を切り口に、顧客/ユーザーが最終的に得た「価値」について解き明かします。

Part 1では、従来の商習慣や価値提供の概念を新しい基準に転換させた「ゲームチェンジャー」である9社―Netflix、Walmart、Sephora、Macy’s、Freshippo、NIKE、Tesla、Uber、Starbucks―を取り上げます。

Part 2では、海外のスタートアップを中心に日本企業も加えた23社の事例を、業界別に紹介。多くの顧客/ユーザーから支持を得た、各社のエッジが効いた斬新なアイデアとその背景に鋭く迫ります。

日本の「DXブーム」には問題も潜んでいます。DXとは単なる技術導入やカイゼンを言い換えた言葉ではなく、「ユーザーが最終的に得る価値」を見つめ、新しい価値提供の仕組みを創り出すということ。これからも続く企業の変革、世の中の変革のなかで、次に生き残るのは誰か?

金澤一央+DX Navigator 編集部
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