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広告会社の行く末 その3 「営業はいらない?」」 からご覧ください。
その1、その2では、広告会社の営業のフロントラインに専門知見を取り戻し、全体がプロ集団化した専門性と機動力ある企業群に再編すべし・・と書いた。
しかし、この「営業という存在がいて、プランニングスタッフがいて、実行部隊が社内外にいて」という構成は、広告主ごとに「すり合わせ」して「人の手」によるサービスをするという従来のビジネスモデルに準拠した基本構成に過ぎない。
というのも、これはほとんどアドテクノロジーなどがない時代のモデルだからだ。
テクノロジーがマーケティング活動のど真ん中に配置される時代が来ると、「人手」によるサービスが主役であった故に存在した「営業」という存在意味そのものが問われる。
まず、導入時の「すり合わせ」には、非常に高度なコンサル機能が求められ、運用が開始されてからのPDCAはオペレータがすり合わせるので、ただの「営業」が来ても意味がない。コミュニケーションプランナーはもちろん必要だが、これも従来型の「広告」のプランナーではない。
「実行」はアドテクノロジーのシステム管理画面上でオペレーションされ、オペレータが日々クライアントと情報共有する。週に2~3回訪問してきて「すり合わせる」従来型営業の居場所はない。
「広告」は従来、実際にほとんど「人手」によって実行されてきた。広告原稿素材は版下や凸版やフィルム、ビデオ素材など物理的なもので入稿されていて、それを「作る人」と「運ぶ人」が必要だった。有限な「枠」ものを取引するため、媒体社との交渉力が必要で、そこには扱い量と人間関係が機能する。「人」が介在することで「枠」が取引され、そこに「物(ぶつ)」の広告素材のやり取りがあっての生態系が存在した。昔はCMプロダクションの稼ぎどころはプリント代だったし、新聞原稿も製版屋さんを保護するために、同じ5段でも新聞社によって微妙にサイズが違って流用できなかった。(これを知っている人も少なくなった。)
ほとんどの業界では、こういう状況は当の昔に卒業しており、どういうわけかメディア産業と広告業界だけが、昔ながらの「業態特性」を引きずっている。
アドテクノロジーが主役の時代になると、
マーケティング活動は基本、「データ収集集積」⇒「データ分析」⇒「キャンペーン管理」⇒実行」⇒「リザルトデータ集積」という設計になり、それぞれのアドテクノロジーが担う。もちろんPDCAサイクルなのだが、欧米のアドテクノロジーはいずれも自動最適化や自動実行を目指している。自動とはいえオペレータは確実に必要で、逆にオペレーション経験から様々なナレッジが生まれるだろう。
そもそも「枠」ものというメディアを売る側の論理で出来た「出来合い」の広告メニューのなかから選んで買うという「すり合わせ」ではなく、データをもとに自動化されていく最適化がなされる。仕組みを構築するまでの導入コンサルは、非常に高度な知見を要するが、日々の最適化はオペレーション側で行われる。オペレーションサイドから出てきた新たな課題発見をさらにソリューションしていくので、オペレータとコンサルの連動性が重要になる。
ここでは高度なコンサルタントとスキルの高いオペレータと、コミュニケーションプランナーがいればよい。(もちろんこの3職種もそれぞれのスペシャルティに分化するだろう)特にオペレーション機能が広告主企業内に取り込まれると、従来の広告会社の「営業」職の機能価値は著しく低くなる。というかはっきり言って「要らない」。
早目に退職して逃げ切れるのは私の世代までか・・・。
「どうする!?広告会社の営業マン」 ~生き残るための選択肢~
という本書こうかな。