中国を飛行機で飛び回っていると、Carsten Cumbrowski氏から電子メールが届いた。
Jonathan Hochman氏(またの名をJehochman)は、WikipediaにあるSEOの記事の整理に多くの時間を費やしてきた。現在その記事が、「秀逸な記事」の候補としてレビューされる段階に入っている。
Wikipediaメインぺージの秀逸な記事の中でSEOが取り上げられて、一般の人々のあいだでSEO業界に対する関心が高まる日が来るかもしれない。おそらく君もよい話だと同意するのでは。
Wikipediaの「秀逸な記事」は、ユーザーの推薦によって選ばれるもので、日本語版では約38万記事のなかから81本が「秀逸な記事」に選ばれている(2007年6月時点)。
原文の執筆時点では「秀逸な記事」の候補とされていた段階だったが、2007年6月11日時点で、英語版WikipediaのWikipedia:Featured articles(秀逸な記事)ページのComputers and video games欄にSearch engine optimizationの記事がすでに入っている。
Carstenは、検索エンジン最適化のページを秀逸な記事に格上げする議論に、検索マーケティング分野から専門家が参加してはどうかと言っている。僕自身、WikipediaのSEOページ(このリンクにはnofollowを適用。編集上、リンク先のページを保証できないからね)に対して葛藤を感じていた時期がある。さまざまな意味で、この記事の正確さと質を高めるのは正しい行為だと思える。結局のところ、SEOや検索エンジン最適化を検索して、最初に読まれるのはたいていこのページだ。なのに、このページはすばらしい概論だとはとうてい言えないものになっている。これまでにBillがこのページを批判し、貴重な時間を費やしてまで改善しようと試みた。またAaron Wall氏も酷評している。今回は僕の番だ。
SEOに関するいま現在の記事はひどいものではない。でも、Wikipediaのあらゆるコンテンツと同じで、この記事もSEOに対する見方や評判という「卓越風」の影響を受ける。たとえば今週、この記事はWikipediaのスパムシリーズからはようやく抜け出したようだけど、大手メディアが議論を違う方向に形成しようと決めてしまうと、僕らはもうお手上げだ。これはWikipediaが抱える多くの欠点の1つだ。
議論ページに顕著な、大きな欠点をもう1つ挙げると、ブログや業界情報やネットだけのメディアよりも、従来型メディアの方が知識が豊富でしっかりしていて、信頼に値するという偏見がある。以下に挙げるのは、SEOについて、悲劇なほどに無知なウィキペディアン(ウィキペディアの執筆者・編集者)を相手に戦う、かわいそうなJonathanの姿だ。
秀逸な記事の候補をレビューする前には、SandyGeorgiaさん、少なくともその記事を読んでもらいたい。あなたの編集履歴から、Wikipedia:Featured article candidates/Search engine optimizationを5分も見ていないことがわかる。どうやったらそれが念入りなレビューに十分な時間となるのか、私には想像もつかない。私はほかの編集者をそんなふうには扱わないし、ほかの編集者にも私の取り組みをそんな無関心な姿勢で扱われたくはない。秀逸な記事にページを格上げしようと試みるのは今回が初めてだけど、あなたのレビューを見て、私はが愚か者でここでは歓迎されていないのだと感じてしまった。
私のコメントが愚か者のように感じさせてしまったのは、申し訳ないと思う。でも、出典を見直したり、この記事の情報元として使用されているブログ、ユーズネット、個人のウェブサイトを探し出したりするのに、それほどの時間はかからない。もしあなたがこの分野をよく知っているのならば、これらを信頼できる情報源に置き換えるのは、それほど難しいことではないはずだ。SandyGeorgiaより。
Jonathanはよく言った(ところで、SandyGeorgiaが言及している個人のウェブサイトとは、GoogleのMatt Cutts氏のサイトのこと。皮肉を強調する必要があったのかな)。Jonathanが相手にしているのは、SEOコミュニティが非友好的なあらゆるウェブコミュニティに対して経験しているのと、同じ問題だ。そこでは、無知で尊大なうるさ型が、論理的な調査や公正さよりも無知ゆえの偏見を支持している。まず、本来どんな手順を踏むべきなのかを取り上げてみよう。
WikipediaでSEOに関する記事を読む。
自分の中で考える。この記事は正確なのだろうか?
著者について少し調査する。信頼できて、概ね公正で、信用に値して、十分な経験を持っているだろうか?
内容について調査する。ある程度の時間をかけて、人気があり注目度の高いSEO関連ブログやフォーラムを見て回り、SEO業界の情報に目を通す。
記事に戻ってもう一度読む。
まだ賛同できないときは、議論に持ち込むことを検討する。SEO業界の専門家ではないことに言及し、リソースを引用し、礼儀正しくあるように心がけること。
本当のところがわかったと思えれば、編集を行う。
でも、実際に行われているのは、こんなところだ。
WikipediaでSEOに関する記事を読む。
SEOをスパムだと見なす、偏見による自分の先入観に適合していない点に注目する。
大量に編集と削除を行う。
SEO業界の専門家から問い詰められたら、リソースに信頼性がないとして却下する。
さらに問い詰められた場合は、自分に都合の良いWikipediaのルールを探し出す。自分の経験に基づいた主張はできないので、馬鹿にして相手にしないという能力と、官僚的な言い回しを組み合わせ、敵対する相手をくじき、やる気をなくさせる。
SEOに同様の偏見をもった未経験者をほかに探しだして、自分の味方につける。
これはWikipediaやSEOだけの話じゃない。政治分野の掲示板、ディレクトリサイトDMOZでのやりとり、フォーラム参加者の一部にみられる態度などを知っている人は、イヤな既視感を覚えるだろう。この手のサイトはこういうところが嫌いなんだ。ベンチャーキャピタルに関する掲示板を訪れて、大ばか者たちが行っている卑怯な詐欺行為がどうだと、べらべらと話すようなまねを僕はしない。だけど、SEO関連でこのような事態になると、くだらない連中から必ず喝采の声が上がるんだ。
Wikipediaに優れたリソースが数多くあるということは、確かに認めるのだけど、獲得しているランキングや注目度については多くの場合、Wikipediaはそれに値していないと僕は思っている。Wikipediaの根本的な問題は信頼性の問題だ。信頼性はあるページに当てはまっても、それをサイト全体に当てはめることはできない。でも、Googleのランキングアルゴリズムのせいで、そうなってしまっているのが実情だ。Googleは(Yahoo!やMSNも)Wikipediaをあたかも単一の発行者のもののように扱って、信頼度、権威、リンク人気をサイト中に適用する。本質的に各ページが独自のサイト(だから個別に評価されるべき)であるにもかかわらずだ。Wikipediaの編集プロセスで基本的な調査がある程度行われるのだと仮定しても、ユーザーが投稿した記事をSEOmozのスタッフであるRebeccaがレビューして、承認、編集、拒否を決めているYOUmozほどのレベルではない。YOUmozでは少なくとも、SEOmozブランドとの整合性をある程度感じてもらえていると思う。
この問題に関してJill Whalen氏が言っていること(コメント欄)は、大切なことだと思う。
あのひどいSEOページのせいで、Wikipediaで読む記事を信用できなくなってしまった。
Wikipediaのページを改善しようとJonathanが行なっていることは、高く評価できる。Wikipediaの信頼されたメンバーおよび編集者として、Jonathanは内部からシステムに取り組んでいる。立派なだけでなく賢いやり方だと思う。ただ僕としては「幸運を祈る」と言う以外、なんの支援もできない。僕が参戦したいと思う戦いではないし、ウィキペディアンいう敵対者に対して、僕としてはただ無視することを選択したい。ページの正確性が失われ評判が落ち、ほかの何かが取って代わるにまかせるほうが良いと思うんだ。記事の説得力と評判を改善しても、専門家の話より自分たちの偏見を重視する決断を上級の編集者が下せば、たちまちガラクタになってしまう危険性がある。
Wikipediaが、外部ページへのリンクすべてに「nofollow」属性をつける方針に戻したとき、僕がどんなにホッとしたのか、言葉では表せない。リンクの追加と削除を行なう自由を確保するために、猫をかぶって、Wikipediaアカウントを作成し、彼らのルール内で活動し、彼らの先入観を理解する必要はもうないのだとわかって、ものすごい肩の荷が下りた。いま現在のWikipediaは評価しているし、そこで実際に努力しているJonathanのような人たちは尊敬している。でも僕には、あらゆる努力が、根本的に不当なものを正当化するために奉仕していると思えてしまい、それを見逃すことも承認することもできないんだ。
もちろん、僕の意見に同意できないというコメントも、お待ち申し上げている(笑)。
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