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くらしの友「つたえたい、心の手紙」金賞作品」 からご覧ください。
東急池上線の窓上広告に、くらしの友が実施する、第2回「つたえたい、心の手紙」の金賞作品が掲出されていました。
くらしの友は、東京の城南地区を中心にサービスを提供している葬儀社さんです。以前、このブログでも「琴線スイッチ(6)感動の【続編】」のひとつとして紹介しましたが(以前と言っても、いま見たら2008年10月だった。あれからもう1年半も経つのか・・・)、この「つたえたい、心の手紙」キャンペーンが素敵で、それから常に車内ではチェックしているのです。
第2回の金賞をご紹介します。(なんか引用のblockquoteがうまくいかないので、そのまま紹介させて頂きます。引用ここから)
「孝行したい時に母がいた!!」 角谷 大河 様 (19歳)
「孝行したい時に親はなし。されど墓に布団は着せられず」
父さん、反抗ばかりしてごめんなさい。なぜ反抗していたのか、自分でも理由がわかりません。父さんの、セメントがこびりついた両手を恥ずかしいと思い、自分が至らないことすべて、父さんのせいにしていたような気がします。
父さんが、進行性の肝臓癌で余命1ヶ月と診断されたときも、ぼくは「あっそ」と知らん顔して、強がっていました。心の中は不安でいっぱいで、「神様助けて下さい」とお祈りしていたのに、言葉にできず、5年経った今でも胸が締め付けられます。
余命1ヶ月と診断されたあの日、「いったいぼくに何ができるのだろうか」と考えました。考えても、考えても答えが見つからず、眠れぬ日々が続きました。
「何もできないけれど、素直に謝って、そしてありがとうと言おう」と思った翌日に、父さんは息を引き取りました。入院してからわずか5日で、あっけなく逝ってしまいました。父さんの黒ずんだ顔は、苦しみから解放されたような、安堵感がありました。母さんは憔悴し、妹はずっと泣いていました。
父さんごめんなさい。もっともっと、父さんと話がしたかった。父さん孝行がしたかった。父さんと過ごした13年という歳月、ぼくは絶対に忘れません。
今日は父さんの命日です。妹は、父さんが他界したときのぼくと同い年になりました。母さんと妹は、ぼくが絶対に守ります。
「お兄ちゃん、私もう子供じゃないのよ!」
妹が怒っています。
「あんたに守られるほど、母さんは落ちぶれちゃいないよ」
母が笑います。
「お兄ちゃん、カッコ悪い~」
最近ようやく、母さんに笑顔が戻ってきました。母さんにはやっぱり笑顔が一番です。
ぼくたちはお墓の前で大笑いしました。そして、泣きました。
父さん、ぼくは左官職人になり、父さんの後を継ぎます。あの頃と同じように、母さんと一緒に現場に出ます。
「孝行したい時に母がいた!!」
ぼくは今、とても幸せです。
(引用ここまで)
1年半前も書きましたが、葬儀社さんのコミュニケーション活動として、こういう活動は心を動かしますよね。オーソドックスかもしれませんが、すごく素敵なキャンペーンだと思います。
1年半前、リアルに車内で泣きそうになったこちらもあわせてどうぞ。
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