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メルマガという言葉を聞くと、「なんか古くさい」という印象がある。おそらくその理由は、「メールマガジン」という言葉自体にその原因があるように思える。かつてメルマガは「メルマガスタンド」(懐かしい響きと感じる方も多いだろう)というプラットフォーム型の広告構造からその歴史が始まった。しかし、今やメルマガはその姿形を変え、どの企業も自社のプッシュ型コミュニケーションツールとして活用し、プラットフォーム型の広告媒体としてではなく、ダイレクトマーケティングの武器として利用している。メルマガという言葉がしっくり来なくなったのは、そういった進化の変遷があるからだろう。だから、弊社のようなメール配信システムベンダーはメルマガではなく「メールマーケティング」という言葉を使う。その理由は先ほど挙げた通りだ。
だが、一般的にはまだまだ「メルマガ」という言葉が広く普及しており、残念ながらその言い方は変わらない。古くさいというイメージさえ拭えない。しかし、よく考えてみるとメルマガはいまでもいろんな企業に使われている。むしろ最近になってメルマガを配信する企業は増えてきてさえいる。事実メール配信市場は、ゆるやかにだが順調に成長しており、弊社の配信数も今年は月間20億通以上を配信していて、その数字は年々増加している。なぜ、いつまでも地味な存在の熟年のオールドプレイヤーが、TwitterやFacebook、PinterestやLINEといった新進気鋭の若手が活躍するITフィールドで今でも活躍出来ているのだろうか。そのヒントは「プラットフォームの自分化」にある。
メルマガがそうした若手の成長プレイヤーと異なる点はただ1つ。メルマガを受信するメールアドレス自体がユーザーの体の一部として「自分化」していることである。メールアドレスはそもそも、メールを受信するためのプラットフォームという性質を持つ。しかし、それをプラットフォームとして認識している人はどれだけいるだろうか。メールアドレスは当然のように生活の一部として溶け込み、メールを受信する行為を「能動的」にアクションする人はおそらくいない。
FacebookやLINEのようなサービスはどうだろうか。確かにそれらはメルマガよりもはるかにコミュニケーションツールとしては秀でている。しかし、彼らはあくまでプラットフォームである。そこにログインする行為、アプリをクリックする行為が生まれる。ログインしようとする欲求があって初めて、好きなブランドのページをいいねする行為が発生する。しかしメルマガの場合、プラットフォームはすでに自分化していて、好きなブランドのメルマガを受信設定するだけで良い。
この意識の違いが、メルマガの唯一の優位性であり、絶対的なメルマガの優位性である。だから企業のマーケティング担当者はいまでもメルマガを離さない。そこに可能性を見いだし、CRMの重要ツールとして認識する。
いくらデジタル書籍が便利でも、本がなくならない理論と同じだ。本には何百年の歴史がある。その歴史は重い。はるかに長い時間、人類にとって本はなくてはならない存在であり、本があることが当たり前として生きている。その「当たり前」という意識が、このデジタル社会においては脅威でもあり、超えられない壁でもあり、超えなくてはならない壁でもある。
ITの世界が広く流通したその時代からそこにあったメルマガという存在は、そうして自分化され、いまでも3割台の打率を誇る1番バッターなのだ。
エイケア・システムズ
吉澤和之
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