誰のために書いているかを見失わないために
誰のために書いているかを見失わないために
いしたに この連載は一応企業のWeb担当者向けなのですが、企業のブログを書くときって、そのキャラ設定ってけっこう大事であると同時に、けっこうむずかしいと思うんです。いきなりキャラ設定しろと言われてもできるもんじゃない。でも、キャラ設定しないと継続するのはかなり辛い。別の自分を演じるということではなく、無理なく続けるためには、ある「一定の制約」があった方がむしろうまくいくんじゃないかと思うんですが、どう思います?
大橋 制約という意味では、家族のことを書かないとか、必ずブログのテーマに絡める内容にするとか、そういうことが当てはまると思います。あと、続けるという意味では、誰のために書いているかを常に明確にすることだと思うんですね。僕の場合は、これは続けていく中で浮かび上がってきたんですけど、かつてエンジニアとして朝9時から25時までひたすら仕事をしていたときの自分なんです。当然、過去の自分なので、もはや救えないのですが、当時の「彼」と同じように、今まさに苦しんでいる人というのがいると思うので、結果としてその人のためになっているかを意識しています。ターゲットを見失わないこと。そうすれば、ブレないから続きやすくなると思います。
いしたに なるほど、自分が欲しかった情報、という目線は確かにわかりやすいですね。「過去の自分」なら痛いほどというか手に取るようにわかりますものね(笑)。人のために、なにかしらの形で役に立ったという実感はどの辺で得てますか?
大橋 イベントの時に声をかけられて「いつも読んでます!」と言われると、「そうなんだー」と。先ほど言ったように、自分用のメモという認識でいるので、「あ、そうだ、あそこに書いたことってみんなにも見えていたんだっけ」と気づくのです。あとは、Excelで自作したタスク管理ツールがあるのですが、それを業務に使ってくださっている人もおられ、これは記事を読んでいただく以上に手応えを感じます。
いしたに エンジニアの仕事では絶対に得られないですものね。
大橋 そうですね。「接点のコントロール」ができなくなっている状態です。いい意味で。
いしたに 「接点のコントロールができなくなる」って、ブログというかネットの醍醐味のひとつだと思うんですが、ピンと来ない人のために、もう少し言葉を足して説明していただけますか?
大橋 結果として、不特定多数の人を相手にすることになるため、普段のコミュニケーションに必ずある「文脈」に頼れなくなります。共通の土台がないところで話さないといけない分、共通の土台という障害も取り除かれるので、今まで接点のなかった人ともパスが通るようになるのです。文脈というのは、例えば、この人に話してもわからないよな、という思い込みも含みます。そういう思い込みを持つことさえできないので、無重力な状態で書くことになる。そうなると、思わぬところからトラックバックやコメントが飛んできたりするわけです。
いしたに 大橋さんおもしろいなあ(笑)。私もまったくもって、その通りだと思いますが、大橋さんの言葉で表現するとそうなるんですね。この「おもしろいなあ」がこの連載の私の醍醐味です。やっぱり人にはいろいろと聞いてみるものですね。
大橋 「接点のコントロール」の話は、いしたにさんに質問されたから出てきたものです。白紙の原稿に向かっているときにはなかなか出てこないことで、質問の力を実感させられます。一人で本を書くのは本当にしんどいのですが、そのしんどさの78%くらいは、「誰か質問して」という叫びが虚しく響くことだと思ってますから。
いしたに 78%も! ぐおお、それは苦しいですね(笑)
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