日本航空(JAL)「目指すのは世界一の顧客満足、マーケティング活動のすべてが顧客満足につながる」(第4回)
このコーナーでは、UX(ユーザーエクスペリエンス)に造詣の深い人物や、UXを実践している担当者へのインタビューを通じ、さまざまな視点からUXのヒントを探っていく。
JALにとってのUXとは?
いかにお客さまの期待を高め、利用した際の品質を高めるか。価格だけに価値を感じていただくのではなく、品質に価値を感じていただくために常に新鮮な感動をお届けするサービスを提供すること。
- 浅香 浩司氏
- 日本航空株式会社
顧客マーケティング本部
顧客戦略部 推進グループ長
2010年に経営破綻以降、構造改革から再上場を果たし、経営理念の刷新や新生JALブランドの展開など、生まれ変わった姿を見せる日本航空株式会社(JAL)。Facebookや企業とのコラボレーションなど、新たな取り組みにも力を入れている。今回はJAL 顧客戦略部推進グループ グループ長の浅香浩司氏に、顧客体験への考え方について伺った。
JALフィロソフィはJALに関わるすべての者が持つべき価値観、考え方
目標は世界一の顧客満足。JCSI(日本版顧客満足度指数)のスコアを指標に、業界でナンバーワンを目指す
――まずは浅香さんのお仕事内容を教えてください。
私はマーケティングの顧客戦略部門に在籍していて、お客さまとの個別のタッチポイントではなく、マクロな視点から全体の仕組みを作っています。
――そうすると、全体のUXを考える部署ということですね。
実は、当社ではUXという言葉を使っておらず、「顧客満足」という、顧客体験の結果を表す言葉を使っています。まずは、顧客満足推進についての考え方と、当社の理念について説明させてください。当社は2010年の1月19日に経営破綻し、さまざまな方々にご迷惑をおかけしまして、現在は再生の途上にあります。そのなかで、2011年の1月に企業理念を刷新しました。
「お客さまに最高のサービスを提供します」という新しい理念には、お客さまに世界一の「安全性」「定時性」「快適性」「利便性」を提供し、世界一の顧客満足を目指すという意味が込められています。
実は、中期経営計画のなかでお客さまが常に新鮮な感動を得られるような最高のサービスをご提供し、2016年までに「顧客満足 No.1」を達成することを経営目標の1つとしています。顧客満足、すなわちお客さま再利用意向と他者推奨意向を高め、収益を上げて社会に貢献していくという大きな流れを考えています。
またJALフィロソフィも刷新しました。JALフィロソフィとは、JALに関わるすべての者が持つべき価値観や考え方を40項目にまとめたもので、全社員が手帳サイズの冊子を持っています。フィロソフィ教育が年に4回あり、役員は月1回のリーダー研修を行っています。
――JALフィロソフィは顧客満足にもつながるものですか。
安全であってもサービスであっても、顧客満足につながるすべてはJALフィロソフィから始まります。迷った時に立ち戻るような、すべての土台となる行動指針とも言えます。
――顧客満足世界一を目指すにあたり、顧客満足はどのように計測するのでしょうか。
サービス産業生産性協議会のJCSI(Japanese Customer Satisfaction Index:日本版顧客満足度指数)のスコアを採用しています。JCSIの指標を採用する理由は、航空業界のベンチマークだけでなく、いろいろな優れた企業さまから学ぶことができる点ですね。それと、業界ナンバーワンを目指すといっても、それが社内調査では意味がありません。
顧客満足の結果として再利用意向と推奨意向を高め
収益を上げて社会に貢献していく
――ちなみに御社の顧客満足度スコアは現在どのような状況ですか。
経営破綻による影響は非常に大きく、もちろんお客さま離れがありましたし、ブランドイメージも大きく傷ついており、まだまだ再生途上という状況です。国内線は格安航空会社(LCC)などのプレイヤーが増えておりますが、あくまでも2016年に向かって、顧客満足世界一という高い山を目指していこうと考えています。
当社ではJCSIの指標のなかでも、再利用意向と他者推奨意向、つまりロイヤルティ向上とクチコミに注目しています。ロイヤルティは最終的に顧客の囲い込みにつながり、クチコミは新規顧客獲得、最終的には収益につながります。
JCSIによると顧客満足の形成には、品質だけではなく支払った金額へのお得感や、事前の予想や期待があります。われわれがやっていくことは、お客さまの期待を高め、さらに利用した際の品質を高めることです。価格だけに価値を感じていただくのではなく、品質に価値を感じていただけるサービスを提供すること、それがLCCとの差別化にもつながります。ある程度のお得感がありつつ、品質による満足を上げていくことが大きな目標です。
顧客満足につながる3つの活動指標
――顧客満足度向上のための、具体的な取り組みを教えていただけますか。
JCSIの因果モデルで言いますと、顧客満足は、利用前の予感や期待である「顧客期待」、利用した際の品質評価である「知覚品質」、そして価格への納得感である「知覚価値」が総合的に関連して形成されるものです。私たちはこの3つを活動指標と位置づけて取り組んでいます。
「顧客期待」については、当社ではマーケティング活動すべてが顧客満足につながるものだと考えていて、1to1マーケティングやSNSなどのトリプルメディアでの戦略的なコミュニケーションは、顧客期待を高めるためのツールであり手段だと考えています。
SNSなどのトリプルメディアは顧客期待を高める手段の1つ。マーケティング活動のすべてが顧客満足につながる
「知覚品質」は顧客満足に最も大切な品質であることは間違いありません。さまざまな切り口で取り組んでいます。
- 基本品質
まず、安全運航はJALグループの存立基盤であり社会的な責務です。基本品質の根幹をなすものです。また、定時性についても同様です。当社は、米国FlightStats社の調査で、2012年定時到着率でメジャーインターナショナル部門世界第1位となりました。
また、JALグループのジェイエア(J-AIR)も、アジアリージョナル部門において、第1位の認定を受けました。同部門においては、JALグループ航空会社が4年連続、第1位を獲得しています。世界一の定時性を堅持できるのは、すべてのスタッフの努力と、ご利用いただいている多くのお客さまの定時出発へのご理解とご協力の賜物であると考えています。
- サービス品質
サービスには、ハード/ソフト/ヒューマンがあります。ハード/ソフトは主に機能的な価値であり、同じ航空機メーカー、同じ空港を利用するため、差別化しにくい分野です。私たちはサービス品質のなかで一番大事なのは、ヒューマンだと考えています。たとえ品質の高い機内食であっても、提供する客室乗務員がしっかりしていなければ満足いただけません。
- 下限管理
これはバラつきのことですが、バラつきには2種類あります。行きの客室乗務員は良かったのに、帰りはダメだったといったタッチポイントごとのバラつき。空港では良いサービスだったのに、機内はだめだった、ラウンジのイスに汚れがあった、といったバリューチェーン上のバラつきがあります。こうしたバラつきの下限を管理していく必要があります。
アフターケアとリカバリーを徹底してロイヤルティを高める
――期待や品質が損なわれた場合、どのような対策を行いますか。
アフターケアとリカバリーを徹底。顧客の不満を改善し、ロイヤルティを高める
アフターケアとリカバリーを徹底して行っています。たとえば、日々の運航において悪天候などさまざまなイレギュラーが発生することがあります。イレギュラーを最小限に留めること、そして、適切なリカバリーが必要です。利用した時に不満が無かった人のロイヤルティよりも、逆に不満を訴えて改善された人のロイヤルティの方が高くなる(リカバリーパラドックス)という調査結果もあります。
個人的にもそのような体験をされたことはありませんか。何か不満があった時にクレームを言って、その対応が良いと、また利用したくなったり愛着が出たりする。クレームの対応はとても神経を使いますが、「ロイヤルティを高められるチャンスなんだよ」と、現場スタッフには声をかけています。
――ユーザーの声には、どのように対応していますか。
お客さまの声については、お電話やメールで「お客さまサポートデスク」にいただく声、「アンケート」として直接こちらからお聞きする声、そして、日々お客さまと接している「サービスフロント」の声という3つの切り口で対応しています。
- お客さまサポートデスク
顧客戦略部のなかにお客さまサポート室があり、およそ50名体制で運営しています。サービスデスクにいただくお言葉は、2012年度で年間4万1,000件ほどあります。だいたい1日110件というボリュームですね。お返事する日数に社内規定を作り、状況を確認しながら対応しています。いろいろなお言葉をいただきますので、誠意を持って、ご納得いただくまでコミュニケーションを取らせていただいています。
- アンケート
お客さまサポートデスクに届く声はごく一部であり、多くの方はよほどのことがない限り、電話をかけたりメールや手紙を書くことはされないと思います。社内調査結果でも「良い経験あるいは悪い経験を、だれかに伝えたことがありますか」という問いに対し、苦情や不満をだれかに伝える人より、伝えない人の方が多いことがわかりました。物言わないお客さまの声は、自分たちから取りにいくしかありませんので、機内やインターネットでアンケートを実施しています。
- サービスフロント
最後はサービスフロントです。お客さまとのリアルな接点ですので、現場からの声というのは非常に大事だと思っています。ちょっとしたお客さまのつぶやきからでも新しい商品や改善の糸口がありますので、収集する仕組みを作っています。
――お客さまの声に社内ではどのように対応していますか。
アンケートをリアルタイムで集計して全役員を含め社内で公開し、毎日配信するデイリーバリュースコアという仕組みがあります。この試みは2011年から始めたのですが、トップを含めた社内でのお客さまの声の共有スピードは格段に速くなったと感じています。
現場でいただく声については、必要に応じて客室や空港スタッフなど各部門別にレポートを作成していますが、現場でお客さまにひとこと言われたけれど、レポートにするほどでもない場合、そのまま埋もれてしまうケースがあります。そういった情報を吸い上げるため、「おしえてJAL」という社内Webサイトを作りました。もともと社内にナレッジコミュニティ系のコンテンツがありまして、そこを「お客さまのつぶやきを教えて」という内容にリニューアルして全社員で共有しています。
さらに、コールセンターで活用しているナビポッドという仕組みがあります。お客さまの声を聞いた担当者が、改善が必要と判断した場合、承認部門を経由して企画担当部門へ依頼が届きます。企画部門では2週間以内に対応するルールで、対応があると全社員に公開されます。
アンケートはリアルタイムで集計。
役員とも共有し、お客さまの声に対して全社員で改善対応を行う
日本人と日本文化が育ててきたおもてなしの心をJALが守っていく
――細かな改善には会社としての仕組みだけでなく、社員のモチベーションも重要です。何か取り組みはありますか。
コミュニケーションリーダーミーティング(CLM)という、ボトムアップの活動を行っています。当社は、運航や整備など専門性の高い職種が集まる企業体なだけに、自分の仕事にこだわりを持って取り組む結果、「ここからここまでが自分の仕事」と、壁を作ってしまいがちです。とはいえ、航空サービスという1つの商品をみんなで作っているので、部門を越えたコミュニケーションというものが必要です。
コミュニケーションリーダーミーティング活動は課題解決だけでなく、渦の中心となり組織を巻き込んでいく「自燃性人材」を育成する場でもあります
CLMは、部門同士の壁や社員のなかの閉塞感を打破し、現場の課題は現場で解決しようという活動で、2006年より活動していますので、今年で8年目を迎えます。職種も役職も地域も違うCLMメンバー100人が、毎月集まって議論を行っています。CLM活動には、現場で起こっている課題に対して提案するだけでなく、自身で解決することが求められます。この活動を通じて自らが渦の中心となり、組織を巻き込んでいくような「自燃性人材」を育成するという意味合いもあります。
――さまざまな取り組みがモチベーションにつながっているのですね。
私たちが2011年4月に掲げた新しい「鶴丸」にもJALの決意が込められています。鶴丸は、美しく空に飛び立つシンボルであり、JALの挑戦する精神、不退転の決意、そして日本人と日本文化が育ててきたおもてなしの心をJALが守っていくんだという決意のしるしです。日本のおもてなしで世界中の航空会社と戦っています。見えないところまでこだわった「おもてなし」と「しつらえ」が、お客さまが求めているJALブランドだと思っています。
顧客期待は、過去の利用体験の積み重ね
――浅香さんご自身では、優れた顧客体験を提供するにあたって、どのようなお考えをお持ちですか。
お客さまに寄り添うサービスが一番大切だと思っています。当社を選んでいただけたということは、当社の顧客体験あるいはブランド体験を求めていただいたわけなので、先ほどお話したような、日本文化を体現するようなおもてなしを提供したい。普段はLCCに乗っていても、「大事な商談があるときや受験の時にはJALに乗りたい」「海外出張の帰りに、JALに乗るだけでほっとできるような体験」というのが、われわれがめざしている企業ブランドです。
――今後取り組んで行きたいことはありますか。
まず一番にやらなければならないのが、お約束した「顧客満足で世界一を達成する」ということです。それこそが、お客さまへの感謝を体現していくものだと思っています。そのために、ありとあらゆる活動を、あきらめずに徹底的にやっていきたいと思います。
お客さまと向き合って、ありのままのわれわれをわかってもらうためのコミュニケーションツールとして、ソーシャルメディアにも力を入れています。調査をすると、Facebookページを見ていただくことで商品認知が高まり、親しみを持っていただけているようです。
――Facebookでは投稿ごとに社員の方が名前を出していますが、確かにあまりない試みですね。
2010年の経営破綻によって毀損したブランドイメージを回復し、お客さまとの絆を構築するために、お客さまとのコミュニケーションが何よりも大切だと考えFacebookを開設しました。ありのままのJALを感じていただきたいと考え、社員を実名で登場させ商品サービスに対する想い語るようにしています。「実名」「顔出し」「長文」というJALのスタイルはそのように生まれました。おかげさまで企業Web担当者の投票で決まる「企業ウェブ・グランプリ」のソーシャル部門で、2011年と2012年に2年連続でグランプリを受賞いたしました。
――顧客満足度を高めるための、Webサイトの役割はどのように考えていますか。
Webサイトはタッチポイントとして重要ですが、Webサイトのなかで終わるわけではなく、ご搭乗いただくまでがサイクルになっています。顧客期待というのは、過去の利用体験の積み重ねです。利用体験とWebサイトへの訪問というサイクルは、コールセンターや客室乗務員と同様に、顧客期待につながる大切なタッチポイントです。もちろん販売というチャネルも担っています。
――御社の場合、ボトムアップ的に顧客満足を改善するための仕組みを持っていますが、そのような取り組みをするためのアドバイスをいただけますか。
声を吸い上げる仕組みを作ることも大切ですが、現場スタッフも声を上げ続けなければいけないと思っています。微力は無力ではありません。たとえ小さな想いでも、想いを持った人が集まれば大きなパワーになっていきます。JALのフィロソフィのなかに「自ら燃える」という項目があります。自燃性でなくてはならない。自ら動いて渦の中心になる。それをみんなでやれば、大きなパワーになっていくと思います。
顧客期待・知覚品質・知覚価値が顧客満足につながるという理論と、それぞれに対する取り組み、さらに他者推奨意向と再利用意向へつながるというサイクルは、まさにUXの取り組みといえる。あらゆる方法でお客さまの声を吸い上げ、それぞれに対策を行うことで、顧客体験の改善を積み重ねるという方法は、派手さはないかもしれないが、結果的に一連のバリューチェーンの質が向上していくだろう。というより、そもそもUXの向上すなわち顧客体験の向上に派手さは必要なく、地道な積み重ねこそが近道なのかもしれない。
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