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わたしたちは健康に強い関心を持っている。多くの人がダイエットを試み、食生活のバランスを考えている。しかし、どうすればずっと健康でいられるのだろうか。そもそも健康ってどうやったら手に入るのだろうか。
テレビや雑誌では、競うように健康をとりあげている。なぜなら私たちは皆、自分や家族の健康に不安や悩みを持っているからだ。しかし、先日もあるテレビ番組が「納豆を食べれば痩せる」という嘘の報告をしたというニュースを見た。落ち着いて考えれば、それが嘘であることくらい誰にだってわかるのではないか。では、なぜ多くの人は騙され、スーパーから納豆が消えてしまう事態が発生するのだろう。
健康は日々の積み重ねから生まれるものであり、急に普段の生活を変えようとすると、かえって体調を壊すことも多いと聞いた。私もそう思う。健康的な生活を送る決心をしても、現代社会には邪魔が多すぎる。仕事がうまくいかないストレス、付き合いの飲み会、こってりおいしそうな料理番組、あげくの果てには豪華中国グルメツアーなるものまでありそうだ。これでは完敗である。
現代生活で健康の反対側にあるのは、忙しすぎる現代社会それ自身ではないだろうか。たいていの人は、健康的な生活を送ろうと決意したところで「明日も忙しいし、歩くのはやめにしよう」とか、「ご飯作る気力ないから今日もレトルト」なんていうのが落ちではないだろうか。そんなことでは健康は手に入らない。
うちの父は病院でダイエットを宣告され、それでもアイスとチョコレートが止められなかったために、なんとご飯をやめた。家族全員が反対する中、それでもお菓子だけを食べまくった父は、半年もしないうちにひとまわりスリムになった。だからといって、それが健康かどうかは疑わしいし、誰でも成功する保証は出来ないので何ともいえない。しかし、父のすごいところは、長期に渡ってそのカロリー制限を維持したことにあると思う。別に身内自慢したいわけではない。ただ、この温室みかんのように何もしなくても心地よい現代社会のなかで、いっさいの誘惑に打ち勝ち、健康を手に入れるのはまさに至難の業であるかのように思う。つまり、健康って本当にすばらしくて、だれからも憧れられて、それなのに簡単には手に入らない、宝石みたいに価値があるものではないか。私たちが考えるより、健康はずっと偉大なのだ。あの偉大なローマ帝国だって一日でできたものではないという。ローマは一日にして成らず、もとい、健康は一日にして成らず。
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