新たなウェブサイトの完成、そして――ウェブマネ課が進むべき道/【小説】CMS導入奮闘記#最終回

前回までのあらすじ 再び発生した社内の修正依頼や旧サイトのコンテンツ移行に四苦八苦する吉祥寺。コムコムファクトリーの四ツ谷や秋葉原たちの助けを得て窮地を逃れるのだった。(→第9話を読み返す [2])
ファミリー製薬のサイトリニューアルは無事成功した。プロジェクトメンバーは各々の仕事に戻り、吉祥寺は安堵のあまり脱力していた。だが、これで終わりではない。吉祥寺は、CMS導入による変化を感じながら、ウェブマネ課の新たなミッションを描き始めていた。
プロジェクトが終結して
まだ8時にもならないというのに、夏の太陽はアスファルトの路面に燦々と照りつけ、道行く人のシャツを汗で濡らした。吉祥寺は、ハンドタオルで額の汗をぬぐいながら、大股で歩いていた。学校へ向かう子供たちが、走りながら彼を追い抜いていった。
吉祥寺が、通勤途中に駅1つ分の距離を歩く、いわゆる「一駅族」の仲間入りをしたのは3週間ほど前だった。一年で最も暑いこの季節にあえて始めなくてもよさそうなものだったが、彼にとっては必然性のあることだったし、何より、朝日をたっぷり浴びてから出勤するのは、この上なく気分がよかった。
CMSを導入したファミリー製薬の新しいウェブサイトがオープンしたのは、ちょうどひと月前である。CMS導入のプロジェクトを中心で進め、数々のトラブルを乗り越えてきた吉祥寺は、サイトリリース後、精根尽き果てて呆然としてしまった。しかし、彼にはやらなければならないことがまだまだあった。いや、本当にやるべきことは、そこから始まったと言ってもよかった。自らCMSの運用に慣れることはもとより、社内各部署からの問い合わせに対応しなければならなかったし、CMSの使い方を周知させるための社内講習も催さなければならなかった。しかし、すぐには体が動かなかった。
サイトがオープンしてすぐに、情報システム部の秋葉原のもとに挨拶に行くと、秋葉原は毅然とした態度で吉祥寺にこう言った。
「主任、これで終わりじゃないよ。ここからいろんなことが始まるのよ。気を抜いちゃだめだよ」
こんなこともあった。社内からの問い合わせに関して国分寺に確認しておきたいことがあってコムコムファクトリーに電話をかけると、社長の立川が出て、国分寺と四ツ谷はすでに別のプロジェクトで動いていて、そのミーティングに出かけていると吉祥寺に告げた。ファミリー製薬のプロジェクトが終わって間もないのに、彼らは休む間もなく次の仕事に着手していたのだった。
吉祥寺はいよいよ、燃え尽きている場合ではないと思い立って、朝のウォーキングを始めようと考えた。早起きして、日光を浴び、体を動かせば、自分をリセットできる。そう考えたのだった。この試みは幸いに奏功し、彼はまもなく日常の業務を滞りなく進められるようになった。
リニューアルサイトへの反応
ひと駅という距離は、1人で考えごとをするのにも適していた。吉祥寺は歩きながら、リニューアルサイトがオープンしてからの慌ただしい日々を思い返していた。
新しいサイトへの反響は大きかった。社内の各部署から、リニューアルを評価するメールがウェブマネジメント課に次々に寄せられ、吉祥寺は廊下ですれ違う人たちにしばしば声をかけられた。役員や営業現場からも「見やすくなった」「使いやすくなった」といった肯定的なコメントが届いた。吉祥寺がとりわけ嬉しかったのは、営業本部長の日野やハイパーエブリデイXXのブランドマネージャーら、リニューアルの過程でクレームを言ってきた人たち、あるいは、リニューアルプロジェクトのスタート時には非協力的だった宣伝部や人事部の担当者たちから評価されたことだった。
一方では、早くもコンテンツの内容に手を加えたいといった声も寄せられていた。CMSの導入によって情報構成や導線が整理され、足りない情報や余分な情報がはっきりと判別できるようになった結果だった。これまで、ウェブサイトにほとんど情報を載せていなかった医療現場向け商品の部門からも、ぜひ情報を掲載してほしいという申し入れがあった。
営業の中野にきちんと礼を言うチャンスはまだなかったが、彼からは「苦労した甲斐があったな」という趣旨の簡単なメールが届き、吉祥寺は「いろいろありがとう。今度おごるよ。居酒屋じゃないところで」と返信しておいた。
プロジェクトが終わったという実感を吉祥寺が本当に得たのは、サイトオープンから10日ほど経ってから、会社近くの焼き肉屋で開かれた打ち上げの場だった。打ち上げには、吉祥寺、神田、国分寺、四ツ谷のチームメンバーのほか、ウェブマネ課課長の代々木、情シスの秋葉原、コムコム社長の立川のほか、経営企画室室長の東小金井も参加した。

誰もが吉祥寺の頑張りをたたえたが、彼にしてみれば、周囲の人の助力があって初めて成功したプロジェクトだった。彼は言葉を尽くして1人ひとりに伝えたのだった。その後、場はおのずと、プロジェクトでそれぞれが果たした役割を振り返る流れとなり、代々木のウェブマネ課の責任者としての決断、国分寺のプロフェッショナリズム、四ツ谷の活躍や秋葉原のサポートなどが口々に語られた。日常業務とプロジェクトの作業を並行して行った神田の働きにも最大限の賛辞が送られ、神田が感極まって涙する場面もあった。
終始和やかな表情で場を見守っていた東小金井から吉祥寺が誘いを受けたのは、そろそろ解散という雰囲気になってきた頃だった。東小金井は小声で、
「このあとちょっといいか?」
と吉祥寺に耳打ちした。
東小金井の胸のうち
打ち上げが終わってから、東小金井と吉祥寺はタクシーを拾って、東小金井の行き着けだというホテルのバーに向かった。
平日の夜ということもあってか、東京の夜景を眼下に見下ろすバーに人の姿はまばらで、BGMのジャズの音が店内を満たしていた。窓際の一角に席を占めると、東小金井は、
「ウイスキーは好きか?」
と尋ねてきた。吉祥寺の返答を待たずに、東小金井はバーテンダーを呼び、
「ボトルと簡単なつまみを」
と告げた。
まもなく、ウイスキーのボトルとショットグラス、チェイサー、そして、ナッツやビーフジャーキーが盛られた皿が1つ運ばれてきた。ボトルのラベルには、「GLEN GARIOCH 12」と書かれていた。
「グレン……ガリオッチ?」
「グレンギリーの12年だよ。ハイランドモルトの逸品だ。特別なことがあった時は、ここに来て、この酒を飲むことにしているんだ」
そう言うと、東小金井は2つのショットグラスに酒を注ぎ、1つを吉祥寺に渡した。口にしてみれば確かにウイスキーに違いはなかったが、これまで飲んだことのあるどんな酒とも違った味がすると吉祥寺は感じた。ビールと焼き肉で荒れた内臓を浄化するように酒は体に染みこみ、心を満たした。
しばらく無言でグラスを傾けてから、東小金井は静かに口を開いた。
「今回の件ではご苦労だったな。俺が期待した通りだったよ。だが、お前も当然知っているだろうが、これで終わりというわけじゃない。むしろ、ここからが本当のスタートだ」
吉祥寺は、次の言葉を待った。長年の付き合いで、何か重要なことを言う前に、東小金井は長い間をとることを吉祥寺は知っていた。モダンジャズのふくよかなベースの音が店中に響いていた。
「ウェブマネ課は今、広報部の中にあるだろう。俺は、近いうちに経営企画室の管轄に移したいと思っているんだ」
吉祥寺はその言葉に驚いたが、すぐに、それが当初から東小金井が描いていた絵だったのだと思った。だからこそ、自分が経営企画室からウェブマネ課に送られたのだと。
「ウェブマネの役割は、これまで主にウェブサイトの管理だったわけだが、これからはウェブをいかに戦略的に活用し、いかにビジネスの成果に直結させるかが問われることになる。それを担うのが、これからのウェブマネというわけだ」
東小金井の説明はいつものように言葉少なであり、吉祥寺は彼の真意を理解できたとは言い難かったが、ニュアンスのようなものは掴めた気がした。今回のリニューアルによって、ウェブサイトというツールの、そしてそれを運営する部署のいわば「質」が大きく変わったのだ――。それが東小金井の言葉に込められた意図であると吉祥寺は考えた。
「お前の責任はいよいよ重大になるぞ。代々木さんは、ウェブの責任者をお前にすべきだと思っているみたいだしな」
吉祥寺は動揺し、夢中になってグラスのウイスキーを飲み干した。
「しかし……」
「すべてまだ内々の動きだから、他言するんじゃないぞ」
東小金井は、吉祥寺のショットグラスにウイスキーを注いだ。吉祥寺は、東小金井に言葉を返す代わりに、慌ただしくそれを一気に飲み干し、今度は手酌で自分のグラスを満たして、三度グラスを空にした。
「吉祥寺……」
動揺を隠せない吉祥寺を、東小金井はいつも通りの穏やかな眼差しで見て、静かに言った。
「そんなにがぶ飲みしていい酒じゃないぞ、これは」
リニューアルから1カ月。社内だけでなくウェブマネ課の面々にも変化が
神田と代々木の変化
吉祥寺が会社に着いたのは、就業時間の9時より15分も前だったが、神田と代々木はすでに出社していた。吉祥寺が大きな声で挨拶をすると、2人も明るく「おはようございます」と返した。
今回のリニューアルの最大の成果の1つは、神田の変化であると吉祥寺は感じていた。すでに、リニューアル作業の過程で神田は変わり始めていたが、サイトがオープンしてからは、いよいよはつらつとして、日々の業務に朗らかに取り組むようになった。これまで神田が担っていたのは、いわば社内の下請け作業だったが、CMS導入によって単純な情報更新作業がなくなり、余裕が生じたことが大きかった。むろん、CMS運用に当たって新たにやらなければならないことも増えたが、その前向きな作業に取り組むことは、彼女にとってもはや苦ではなかった。
この日は、神田からの提案によって、ウェブマネ課内部の会議を開くことになっていた。神田によれば、新しいサイトにはまだまだ発展の余地や追加できるコンテンツがあるのではないかということだった。検索エンジン対策は未着手だし、ユーザーとのより深いコミュニケーションを図るための、たとえば、コミュニティやメールマガジンなども将来的には必要ではないか――。その積極的な提案を聞いた吉祥寺は、神田が実は優れたアイデアと創造力をもつ女性であることに今さらながら気づくとともに、彼女のビジョンが、期せずして東小金井の狙いとシンクロしていると感じた。「ウェブをいかに戦略的に活用し、いかにビジネスの成果に直結させるか」――。そんな東小金井の言葉が脳裏によみがえった。だから、今日の会議でどんな具体的な提案が神田から出るかを、吉祥寺はとても楽しみにしていたのである。
代々木が以前より格段に明るくなったのも、プロジェクトがもたらした大きな成果だった。これまで、ウェブサイト改善についてのプレッシャーを一身に受け、疲弊していた代々木は、リニューアルの成功によって、長年の宿病から解放されたような安堵を得るとともに、吉祥寺に対する信頼と感謝の念を強く心に刻んでいた。プロジェクトが終わってから、吉祥寺が最も厚い謝辞を受けたのは、この代々木からだった。

新しい課題、新しいチャレンジ
CMSの導入プロジェクトは、大成功のうちに終結したと言ってよかった。サイトのオープンからひと月が経って、ようやくユーザーのアクセス動向のデータがまとまってきたが、数値的に見ても、リニューアルの成果は明らかだった。サイトにアクセスしてきたユーザーの閲覧途中での離脱率が減る一方、ページの回遊率は目に見えて向上していた。ユーザーあたりのサイト滞在時間も大幅に長くなっていた。
しかし、問題点がないわけではなかった。商品ごとのページビューには大きな開きがあったし、導線がスムーズでない部分もいくつか明らかになった。今後、どのような情報をより充実させ、構成をどう改良し、どういったコンテンツを拡充していくべきか――。そういった方針を立てていくのが、これからの吉祥寺の役割だった。
3日後に行われる国分寺と四ツ谷とのミーティングから、その方針を具体化する作業が始まる予定になっていたが、吉祥寺にとってその作業は、決して気の重いものではなかった。コミュニケーションの成果を数値化し、それをもとにサイトに改良を加え、より大きな成果を生み出すメディアにしていくこと。東小金井が明確に企図し、神田が半ば無意識に取り組もうとしているように、ファミリー製薬のウェブサイトを強力なマーケティング戦略ツールに育てていくこと。それを実現する作業を中核で担うことができるのである。意気に燃えないはずはなかった。
吉祥寺はオフィスの窓から街を見下ろした。夏の太陽の光が、ビルやマンションに照りつけ、街を行き交う人々の濃い影を地面に焼きつけていた。ここから見えるあらゆるビルで働く人たち、あらゆるマンションで暮らす人たち、道を行き交う無数の人たち――。ファミリー製薬が扱っているのは、そのすべての人たちのための商品である。彼らやその家族が病気になった時や怪我をした時に、彼らはファミリー製薬のウェブサイトにやってくるかもしれない。サイトに来てくれた人たちのトラブルを解決し、彼らをより幸せにするためにこれから何ができるか。そんなことを考えると、吉祥寺は胸が高鳴るのを感じた。責任は重大かもしれない。しかし、これ以上にやりがいのある仕事があるとは、彼には思えなかった。
CMSなくしてウェブサイトのPDCAサイクルは成り立たない
コラムCMS導入がもたらす企業の変化
始めは、運用の効率化がCMS導入の「目的」だったが、導入後にマーケティングを行うための「手段」であったと気づくことは多い。
CMSが導入されていないサイトを考えてみよう。一度作成されたコンテンツ(ページ)を見直すことがあるだろうか? 文言・画像・関連リンク、ちょっとした修正でも離脱率の変化は起きる。しかし、CMS導入がされていないサイト、しかも制作を外注に委託している場合、1ページを新しく作成するのも、修正するのもコスト的にはそれほど変わらない。
社内で制作運用している場合は、コンテンツ修正をできる余力が部門にないことがほとんどだ。重大な間違いがある場合や、他部署から圧力がかからない限り、作成されたぺージは改善のための修正をされることはない。結果として、マニュアルでサイトが作成されている場合、ページはひたすら作成されるのみで改善されることはない。そして2年に1回、大幅にデザインリニューアルをされる。つまり、PDCAサイクルが2年に1回しか回らないという事である。
あらゆるマーケティング活動において、成果を生み出すためには、指標(KPI)にもとづいてPDCAを回す必要があるのは誰もが知っていることだ。離脱率の多いページをいくら生成してもサイトで効果を生み出すことはできず、年に1回しかPDCAサイクルをまわせないのでは、この穴を埋めることは難しい。いくらトップページと第一、第二階層に多額のコンサルティング費用をかけても、ユーザーが通る道に穴があいて入ればすべては台無しだ。その穴を埋めるため、毎月のアクセス解析をもとに、新しく生まれるページの仮説を立て検証し、それを繰り返す。このウェブサイトのPDCAサイクルを実現するのがCMSだ。
一方で、CMSの導入によって現場の作業も大きく変わる。まず、コーディングや連絡、確認などに時間をとられていた担当者や管理者の負荷が劇的に減る。また外注のコストも削減できる。驚くべきことに、CMS導入に成功した企業の担当者の多くは、空いた時間を使って「ウェブマーケティング」という新たな分野に進む。企業のサイトはどうあるべきか考え、アクセス解析をもとに積極的にPDCAサイクルを回し始めるのだ。
企業がウェブサイトで成果を生むために重要なのは、企業情報と発信体制の見える化を行い、KPIをもとにPDCAサイクルを回し、永続的なマーケティング体制を整えることである。CMSの導入が終わったとき、初めてスタートラインにつくことができる。その先にはCRMやSFAとの連携や、総合的なマーケティングとの統合、企業内情報の内部統制といったビジョンと役割が見えてくるはずだ。
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