HCD-Net通信
「人間中心設計 (HCD)」を効果的に導入できるよう、公の立場で研究や人材育成などの社会活動を行っていくNPO「人間中心設計推進機構(HCD-Net)」から、HCDやHCD-Netに関連する話題をお送りしていきます。
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ユーザーの世代交代とユーザビリティ水準の変化/HCD-Net通信 #20

時代とともにユーザーが変わり、そしてユーザビリティはどう変わっているか。

最近思うのだが、1980年代にパソコン(当時はマイコンとも言われた)やワープロが登場し、ユーザビリティの先駆け的活動が起きていた頃と最近とでは、何かが変わってきた。もちろん技術的に見れば、パソコンの性能向上や機能向上、インターネットの普及など、たくさんの変化が起きてきているのだが、そういうことではない。いや、それに関係はあるとは思うが、気になっているのは機器の方ではなく、それを使う人間の変化についてだ。

その1つは、時代経過に伴うコーホートの変化、もう1つは、時代経過に伴う一般的なリテラシーの上昇である。

(1) コーホートの変化

コーホート」とは、同じ時期に生まれた集団のことで、たとえば「団塊の世代」「団塊ジュニア」などもコーホートに関する表現といえる。

1980年代から数えると、すでに30年近い時間が経っている。ということは、当時20代だった人たちは50代になり、当時40代だった人たちは70代になっている。当時60代だった人たちは90代になり、亡くなった方も徐々に増えているわけだ。

ユーザビリティに関係する情報や知識はコーホート間で異なる

記憶や問題解決などの認知機能は、年齢とともに変化する。認知機能は一般に20代~30代がピークで、そこから徐々に低下してゆく。こうした基本的なメカニズムは時代とは関係ない。80年代に30代だった人々も現在30代の人々も、同じ認知特性と能力を持っている。異なっているのは、認知的特性に関与してくる情報や知識である。

情報は「手続き的知識」や「宣言的知識」として脳内に保存されている。「手続き的知識」とは、モノゴトを取り扱う手順に関する時間順序を伴った記憶で、「宣言的知識」とはモノゴトの属性や事実などのことだ。ユーザビリティに関係した問題解決についても、「こういう問題はこうして解いた」という手続き的知識や、「これこれのインターフェイスはこうなっている」という宣言的知識が関係しており、さらには、どのような問題解決場面にはどのような解決方略を適用すればいいかという問題解決に関するメタ知識も長期記憶に保存されている。

このようなことから、各コーホートは、それぞれ経験内容が異なっており、したがって記憶され学習されている問題解決方略も異なっていると考えられる。

昔は問題だったがそうではなくなっている例

1980年代90年代には、ビデオのリモコンによる録画予約などの分かりにくさが典型的な問題とされ、学会でも研究が多数発表された。録画予約の手順が現在、まったく問題でない水準になったとは思えないが、あまり話題に上らなくなっているのも確かだ。

キーボードアレルギーなどはもっと典型的だ。1980年代にパソコンや日本語ワープロが登場した当時は、いわゆるJISキーボードが覚えにくい、分かりにくいと言われ、「50音配列キーボードの方が良い」という議論まででていた。しかし、今では高齢のパソコンユーザーでもキーボードを使ってメールや書類を作成している。

これらの例は、コーホートのことを考えれば当然だと言えるだろう。現在70代の人たちは当時40代だった。当時キーボード入力を積極的に学習したのは20代から30代の世代だったとはいえ、情報機器の普及につれて40代の人たちもそれを学習するようになった。だから、昔覚えた杵柄というわけで、現代の高齢者はキーボード入力にさほどの抵抗を感じていない人たちが多い。

もちろん、全員がそうだというわけではない。しかし、キーボードリテラシーを持った高齢者、パソコンや携帯電話などの情報通信機器の活用リテラシーを持った高齢者は、これから時代が進むにつれてどんどん増えてゆくだろう。

コーホートの変化はユーザビリティ問題を吸収するか

そうなるとユーザビリティの問題はなくなる、と考えてよいのだろうか。

僕は「否」と思う。当時のユーザビリティの問題点が問題でなくなることはあっても、ユーザビリティを高める必要性はまだまだあり続けるだろうからだ。

ただ、その内容は明らかに変化している。

だから、1980年代や1990年代に提示されたユーザビリティガイドラインの内容は、既に見直しを行うべき時代に来ている(技術的な変容も影響しているが)。ガイドラインのなかで抽象的に「一貫性の維持」といったことを示す部分においては、時代が変わっても変える必要はないだろう。しかし、「ユーザーの言葉を使おう」というような点については、ユーザーの理解できる語彙が変化してきているので、コーホートの変化とともに見直す必要があるだろう。

(2) 一般的なリテラシーの上昇

特に若い世代においては、ICT活用のためのリテラシーの水準は時代とともに上昇している。携帯メールの高速入力だけでなく、新しいインターフェイスへの適応力なども高い。ひとつには、入出力インターフェイスの基本パターンがこれまでの時代でほとんど出尽くしてきたということと、ユーザーがそれらを経験することによって、たいていのインタラクション操作に抵抗がなくなってきていることが関係していると考えられる。

こうした変化は若い世代だけでなく、中高年ユーザーにおいても起きている。身体的能力の低下は避けられないが、学習し、獲得してきたスキルの幅は30年前20年前に比べれば大きく異なっている。また違う見方をすれば、現在、初心者というべき人々の人口はどんどん減ってきたともいえる(10代やそれ以下の新たに機器に接する世代を除いて)。

こうしたことを考えると、これからのインターフェイス設計においては、設計の方針を少しずつ変えてゆくことが望ましいだろう。それはインターフェイスのルック&フィールを変えるという意味ではない。難易度のレベルを徐々に高めてゆき、効率性を重視するような方向にもっていってもいいのではないか、ということだ。

リテラシー向上と関係ない単なる新規性の追求には注意

Windows 7のパソコンを購入し、いろいろと使ってみているのだが、それまでのインターフェイスを新たなインターフェイスに置き換えて設計を行うことは適切だとは言えない、という感を強くしている。まったく新規にWindows 7に接する人たちはそれでもいいだろう。また、若くて適応力の優れた人々はそれでもいいだろう。しかし、Windowsを2000→XP→Vista→7とバージョンがアップするごとに、新規なインターフェイスを提供するという方針はいかがなものか、と思ってしまう。

僕自身は少し頭が固くなったせいか、XPでもVistaでもクラシック表示にして利用してきた。同じやり方で一貫して利用できるから特に考えることなく使うことができた。しかし7では、クラシック表示を選べない。少なくともそれを選ぶオプションを見つけられなかった。新しいインターフェイスへの適応を強制されているようで、実に不愉快な思いをしている。逆にVistaで導入されたサイドバーは結構重宝していたのに、7ではそれがなくなった。Windows MailはOutlook Expressよりいいなあと思っていたのに、7ではWindows Live Mailを使うように強制されている。こうしたことは、ユーザーのリテラシー向上とは関係ない。単なる新規性の追求であって、少なくとも上位世代のコーホートに属するユーザーにとっては不便を強いることになっているというべきだろう。

リテラシーが向上するとユーザビリティ評価も変わる

ユーザーの変化は、ユーザビリティ評価のやり方にも関係してくる。インスペクション評価であれば、評価者の側で難易度評価のレベル調整ができるからあまり問題はないが、ユーザビリティテストの場合には、タスク設定をする際の想定ユーザーと状況設定を変化させてゆく必要がでてきている。

最近はパソコン初心者を探すのが大変なんですよ」というテスト関係者の話を聞いたことがある。そうなのだと思う。そして、いつまでも見つけにくい初心者を対象にしたテストをやっている必要はないとも思う。むしろ、過去経験との関係で、ユーザーを類別し、それに適した効率的な操作に重点を置いてゆくべきなのではないか、と思っている。

これはテクニカルコミュニケーションのあり方とも関係している。以前は、初歩段階から細かい機能説明までを収めるため、分厚いマニュアルが一般的だった。しかし、現在は、アップルコンピュータに見られるように、マニュアルがなかったり、とても薄くなったりしている。これはインターフェイスの質が向上したからだとも言えるが、それ以上に、ユーザーの側のリテラシーの上昇が関係していると思う。

◇◇◇

このように、時代に即したインターフェイスのあり方を考えること、言い換えればユーザーのコーホートとリテラシーの向上を的確に把握していくことは、これから特に重要になるだろう。

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